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付喪神(三)


 ひとまず、狸を助け出すべく廊下側から椿に頭を押してもらい、胴を持って引っ張る。

「いち、にの、さん」

「いたいいたいいたい」

 なんとか福兵衛を引きずり出し、又三郎は大きく息を吐いた。

「おまえさん、ちょいと太り過ぎなんじゃねえか?」

「旦那が痩せ過ぎなんですよ!」

 福兵衛はぷぅ、と一回り顔を大きくしてみせたが、今やすっかり狸の姿に戻っているため、それがふくれっ面なのか、単に体毛がふさふさしているだけなのか見当がつかない。

「しかしお前さん、さっきお月様に化けた時は天井にいたじゃねえか。なんだって、障子に突っ込んじまったんだ?」

「旦那、あれはまやかしですよ。あたしがお月様になったわけじゃぁありません」

 化け狸は、己は動けぬまま月の幻を見せただけだと説明した。部屋が明るくなったように思えただけで、実際は暗かったのだと又三郎に教える。

「けどな、現に俺は戸を開けて外へ出たぜ?」

「それは旦那が部屋の造りを覚えてたんでしょう」

 又三郎が部屋の構造を正確に把握していたために、幻の中でもそれが再現されたのだという。なんだかぼんやりとしかわからない話だったが、取り敢えず脇に置いておくことにして、又三郎は椿を呼んだ。

 さっきまで廊下にいた筈の少女はそこには居なかった。

「旦那、あれ」

 福兵衛の指さす先に、椿がうずくまっていた。手には又三郎の大刀を持っている。

「椿、そいつは俺のだ。返してくんな」

「これはそなたの刀か?」

 刀を又三郎に返しながら、椿が訊ねる。

「そうだ。なまくらで何も切れぬものだが、母上から頂いた大事な刀でな」

「妾はこっちが良い」

 椿はなぜだか嬉しそうに又三郎を見上げた。なんのことかわからず、彼は椿に目線を合わせ畳に座り直した。ひょろりと細長い又三郎が座ると、立っている椿を少し見上げる角度になった。

「お前さん、付喪神だと言ったな?」

「そうじゃ。妾は先の戦の折りには我が身を賭して主殿(あるじどの)をお守りしたのじゃ」

「そのお殿様はどうなったんです?」

 狸の問いに、椿は不意に俯いた。

「……我らは種子島には勝てぬ」

 どうやら元の持ち主は銃撃戦の犠牲になったものらしい。

 三人の間に重苦しい沈黙が降りる。 

「それで、椿はあの刀に宿ってるんだな?」

 気を取り直して少女に訊ねると、椿はまた駄々っ子のように髪を振り乱した。

「あれは嫌じゃ」

 床の間に置かれた刀を指さし、訴える。

 又三郎は困ったように眉尻を下げた。

「何が嫌なんだい? 床の間が嫌なのか?」

「それも嫌じゃ」

「持ち主を選ぶんじゃないですか?」

 福兵衛はさりげなく失礼なことを言う。既に落ち着きを取り戻した化け狸は人の姿に戻って着物を着直していた。

 椿は又三郎を見下ろすと、小さな両手で彼の頬に触れる。

「そなたが良い。そなたの刀が良い」

 ひやりとするほど冷たい手だった。長い睫毛に縁取られた黒目がちの大きな瞳に魅入られると、魂を吸い取られてしまうのではないかとすら思えてくる。

 付喪神は器物に宿る妖である。本体の器物の方が壊れては存在を維持できないような妖が、その本体を移し替えることなどできるのだろうか。

 福兵衛に質しても、古狸は首を傾げた。

「さあ、あたしも長く生きてますがね、そんな話は聞いたことがありませんよ」

「い・や・じゃ。ここが良い」

 椿は又三郎に抱きつくと、梃子でも動かぬと言わんばかりに、彼の着物をきつく握りしめる。又三郎は深々とため息を吐いた。

「余麗屋、とにかく松平殿を呼んできてくれ。幽霊じゃないが、妖憑きの刀だってことを知らせとかねえとな」

 又三郎の言葉に福兵衛は、「はいはい」とため息混じりに答え、手燭を持って廊下の向こうへ消えた。

 しかし、幾らも経たないうちに戻って来たかと思うと、なにやら大層にやけた顔で又三郎を手招きする。

「旦那、ちょいと旦那も来てくださいよ」

 心なしか声が笑っているようだ。

 仕方なく、離れようとしない椿を抱き上げて又三郎は芳忠が控えているはずの別室へと向かった。部屋の外から呼びかけても反応がない。断りを入れて障子を開ける。福兵衛が持つ手燭の明かりを頼りに中へ入ると、丸い影が浮かび上がった。それはどうやら夜着を頭から被って丸くなっている人間のようだった。

「松平殿」

 寝てしまったのかと思い、又三郎は夜着の上から軽く揺すってみたが、返事はない。夜着を剥ごうとすると、これがどうにも強い力でしっかりと敷布団に縫いつけられたかのように動かない。

「松平殿、あの刀に幽霊は憑いておりませんよ」

 又三郎が囁くと、夜着の中からくぐもった声がする。

「それは真でござるか」

「はい。御内儀(おないぎ)がご覧になったものは幽霊ではなく」

 又三郎の話が終わらぬうちに、夜着が大きくめくれ上がり、青ざめた顔の芳忠が姿を現した。手燭の火を枕元の行灯に移していた福兵衛が驚いて飛び上がる。芳忠は、又三郎に抱えられるようにして座っている椿に目を遣った。

「その者は?」

「刀に憑いていたのは幽霊ではなく、この椿という付喪神でした」

「つくもがみとな?」

「長く大事にされた物に憑く妖の類でして」

「化け物ではないか!」

 言うが早いか、芳忠はまた夜着を被って丸くなった。

 何故この家で芳忠が一人だけ幽霊を見ていないのか、又三郎はわかった気がした。恐らく家人が騒ぐ声を聞いても、芳忠はこうして夜着を被って出てこなかったに違いない。隣で福兵衛が声を殺して笑っているのが気配でわかる。さっきまで障子に挟まってもがいていたのはどこの誰かと言いたいところだが、又三郎は気づかぬふりを決め込んだ。

「どうする、余麗屋。幽霊ではないとはいえ、妖憑きの刀だぞ」

 水を向けると福兵衛は忽ち強かな商人の顔になる。

「ええ、こちらとしてもこのような曰く付きのもの、本当ならお断りしたいところなんですがね、折角のお祝い事ですからね、ご祝儀ということで」

 福兵衛は夜着の端をめくると片手を広げて見せた。

「五十両か」

「いえいえ、五両で」

 足下を見てふっかける狸親爺と、少しでも元を取りたい芳忠とで暫く攻防戦が続いた後、刀は十両で福兵衛が引き取ることに決まったのだった。


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