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付喪神(二)


 夜も更けて少しばかり湿り気を帯びた風が、どこからともなく部屋へと入り込み項を撫で上げる。その度に福兵衛が、「ひゃっ」とか、「うへ」とか言って飛び上がるものだから、又三郎も気が気ではない。

 二人は芳忠の計らいで、屋敷の一室で夜を明かすことになった。芳忠自身も、共に寝ずの番を務めると言ったのだが、この家の者で芳忠一人が幽霊らしきものを見ていないことから、彼が居ると顕れないのではないかという推理のもとに、別室で待機してもらうことにした。

 そもそも、芳忠に傍に居られたのでは込み入った話ができない。

 床の間に置いた刀掛台には件の刀が飾られている。初夏とはいえ、用心のために障子を締め切り、縁側の雨戸も閉めていた。八畳ほどの部屋を照らすのは行灯の明かり一つ。ぼんやりとした光は部屋の隅々にまでは至らずに、暗がりを作っている。時折どこからか入り込む風が、ほとほとと障子を揺らす。

 福兵衛はしきりに手ぬぐいで額を拭きつつ、忙しなく辺りを見回すことを繰り返していた。

 一方、又三郎はといえば、福兵衛が風の音にびくつく度にそちらを見遣る他は特に何をするでもなく、じっと床の間の刀を眺めている。己のなまくら刀は脇に置いたまま、胡座をかいた姿勢を保っていた。

 福兵衛が何度めかの、「ひゃっ」をやったところで又三郎が吹き出した。

「余麗屋、尻尾が出てるぞ」

 福兵衛の着物の裾からはふさふさとした茶色い尻尾が見えている。そればかりか耳にも毛が生え、目の回りなどは褐色の模様が浮かび上がっている。

 俗に妖町(あやかしまち)と呼ばれる場所で古手(ふるて)屋を営む余麗(よれ)屋福兵衛は化け狸であった。齢を重ねた古狸のくせに、何かに驚くとうっかり尻尾を出してしまう癖があった。

「なんだって、そんなにびくつくんだい。(あやかし)も幽霊も大した違いはねえだろうに」

「なに言ってんですかい旦那。あたしら妖は人を脅かすのが商売ですけどね、幽霊ってやつは人を恨んで出てくるんですよ、同じ化けるんでもまるで違うじゃありませんか」

 狸には、なにか独自の理論があるようだった。

「旦那のほうこそ、よく平気でいられますよ。気味悪くないんですかい?」

 問われて彼は形の良い眉を寄せ思案げに、ううん、と唸る。

「なあ、余麗屋。おかしいと思わねえか?」

「そりゃ、幽霊が憑いてるお刀なんておかしいに決まってんじゃありませんか」

「そう、そこなんだが、なんだってこの幽霊は刀に憑いてんだ?」

「そりゃあ、刀で切られたからじゃありませんか」

「刀で切られて、切った刀を恨むかね?」

「はい?」

「己を切った刀より、その刀で己を切った相手を恨むもんじゃねえかい?」

 人間に狸の耳と尻尾が生えた半端な姿を戻すことも忘れて、福兵衛は丸い顔を傾げた。

「それじゃ、このお刀に幽霊は憑いてないと旦那はお考えなんですかい?」

「そこがわからねえのさ」

 仮に誰かがこの刀で切られて死んだとしても、なぜ自分を切った相手ではなく刀の方にとり憑いてしまったのか。或いはその幽霊は刀ではなく、この家の誰かに恨みを持って化けたものか。はたまた、幽霊ではないなにかが刀に憑いているのかもしれぬ。

「存外、狸か狐が化けてるのかもしれねえな」

 口の端で笑う又三郎に、福兵衛は食ってかかった。

「あたしら狸の仕業なもんですか。幽霊に化けるような意地の悪いやつはきっと狐に違いありませんよ!」

 福兵衛が勢い余って拳を振り上げた時、不意に行灯の火が消えた。途端に辺りは闇に包まれる。

 バタバタという物音と、獣の鳴くような甲高い声に混じって、誰かのすすり泣きに似た音が聞こえる。

 闇の中で目を凝らし、音のする方を見る。

 そこだけが仄かに明るく、人の形をとって光っていた。

 白く浮かびあがる姿は女──といっても、随分と小さい子供のようである。白い着物には鮮血のような赤が散っている。

 少女は泣いていた。

「お前さん、何者だい? なんでそんなに泣いているんだい?」

 そっと語りかけると、少女は顔を上げ辺りを見回した。どうやら彼女の方からは又三郎たちが見えていないらしい。どこかで犬がガリガリと板を引っ掻くような音がしている。

「誰じゃ」

 少女は暗闇に向かって問いかけた。

「俺は又三郎ってんだ。お前さんの名前は?」

「椿」

「椿かい。良い名だな。歳はいくつだい?」

「わからぬ」

 椿と名乗る少女は、いやいやをする子供のように長く垂らした髪を揺らして、また泣き出した。

「嫌じゃ、嫌じゃ」

「何が嫌なんだい、どっか痛ぇのかい?」

 問いかけながら、又三郎は膝をついたままにじり寄る。足下どころか己の鼻先さえ見えない中で、椿の姿だけがはっきりとわかるのが不思議だった。

「そなたは何者じゃ。姿を見せよ」

 泣きべそをかいたまま辺りを見回し、椿は不満げに頬を膨らませた。

「俺はここだ」

 こちらが見えていないらしい少女の為に、近寄って振り袖に触れる。血のように見えた赤い点は、よく見ると椿の花を描いた染め模様だとわかる。

「済まねえな。こう暗くっちゃ、こっちの顔は見えねえだろうが、なに、俺はちょいとばかり妖だの神様だのに縁があってな、心配いらねえよ。ちょっくらお前さんに話を聞きてえだけなんだ」

「はなし?」

「椿と言ったな。お前さん、どうして泣いているんだ?」

「ここは嫌じゃ。気持ちが悪い」

「気持ち悪いのかい、この部屋が嫌なのかい? それともこの家か」

「違う、違う。ここが嫌じゃ」

 又三郎は宥めるように、頭を振って駄駄を捏ねる少女の手を取る。人の肌のように柔らかい感触はあるのに、ぞっとするほど冷たかった。

 やはり幽霊なのかと思ったものの、ならばこれほどしっかりと触れることができるものなのか、疑問が残る。見れば着物の裾から小さな足先も出ている。

 思案する又三郎の耳に、突然バリバリという破裂音が飛び込んできた。何事かと、咄嗟に椿を引き寄せ庇うように抱きしめる。

 獣の咆哮のようなものが聞こえ、次いで福兵衛の切羽詰まった声がする。

「だっ旦那っ。たすけてくださいよう。捕まった。あたしゃ捕まっちまいましたよ、たすけてくださいよっ」

 いったい何に捕らえられたというのか。声のする方に目を凝らしてみても、又三郎には何も見えなかった。

「余麗屋、どこだ?」

「わかりませんよ、そんなこた」

 狸のくせに夜目も利かないのかと又三郎は呆れたが、さすがに閉め切って月明かりも差さない部屋の中では無理もないと、思い直す。

 腰に下げた袋から火打ち石を出し、手探りで打ち付けるが、何度やってもどうにも上手くいかない。

「余麗屋、お前さんなんぞ明るいものに化けられねえのかい? 狐みてえに狐火は出せねえのか?」

「馬鹿言っちゃいけませんよ、旦那。狐に出来て狸に出来ないなんてこたぁありませんよ」

 福兵衛が言い終えるか終えないうちに、目の前が俄に明るくなって、又三郎は眩しさに目を細めた。腕の中で椿が身を堅くしているのがわかる。

 部屋の天井にぽっかりと月が浮かんでいた。

「お月様じゃ。なんと摩訶不思議なことよ」

 椿は又三郎にしがみついたまま、呆けたように呟いた。

 部屋の中は明るくなったが、福兵衛の姿はなかった。狸が月に化けたものか、それは狸の見せる幻影に過ぎないのかは判別できないものの、又三郎はこの隙に障子を開け、外へと続く雨戸を開けた。湿った風が入り、新月に近い、僅かに細く残った月が雲間に見え隠れしている。本物の月はあてにならないほどの明るさしかないが、庭に灯籠があり、火が灯っていた。

「おい余麗屋、ちょいとこっちに来てくれ」

「勘弁してくださいよ旦那。動けないんですよう」

「……どうなってんだ?」

 狸の状態がさっぱりわからないまま、又三郎は懐紙を裂いて縒ったものの先に行灯の油を浸して、庭へ降りた。縁側までついてきた椿の頭を軽く撫で、そこで待つよう言い置いて庭の隅へ向かう。石灯籠から種火を貰って戻り、行灯に火を入れると漸く人心地がついた。

「もういいぜ、余麗屋」

 瞬く間に偽物の月は消えてなくなり、行灯のぼんやりとした明かりだけが部屋を照らす。又三郎は種火を手燭に移して、福兵衛の姿を探した。椿が廊下から恐る恐る覗いているのを見て、手招く。少女はすぐに駆け寄り又三郎にしがみついた。

 見回すと部屋の隅に何か蠢くものを見つける。黒っぽい毛玉のように見えたそれは、近づくと狸であった。部屋と廊下の境を仕切る障子に頭から突っ込んで動けなくなっていたのだ。

「何やってんだ、余麗屋?」

「見りゃわかるでしょ。こいつに捕まっちまったんですよ!」

 腹の周りを何かに捕まれているのだと訴え、狸は手足をじたばたと動かしている。

「そうかい、お前さんを捕まえたのはな、障子だ。障子の(さん)だ」

「へっ?」

 木枠に丸い腹がつっかえているのだ。

「狸じゃ!」

 椿が廊下へ回って狸の顔を確かめ、

「狸じゃ!」

 また言った。

「ひいぃ、幽霊っ」

 じたばたともがく狸の頭を、椿は小さな手でぺし、と叩いた。

「誰が幽霊じゃ」

「へっ?」

(わらわ)は付喪神じゃ」


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