空席
「皆さんにお知らせがあります。……昨日、この2-Bの生徒である北条星二くんが黒マントに襲われ、意識不明の重体となっており現在治療中とのことです。詳しい話しはまだ我々教師にも知らされておりませんが、学園長より暫く学園の敷地から出ないようにとの通達が改めてありましたので、くれぐれも放課後になっても街にはいかないようにお願いします」
朝のホームルームが始まると、担任の尼崎先生が神妙な面持ちで口にした。
その内容は普段なら何かある毎に騒がしくなるはずの2-Bの教室を沈黙させていた。
クラスメイト達の表情には戸惑いや恐怖が見て取れたが、その理由は単純である。
星二は綾香と参加した今年の高天原武闘会で優勝しており、準決勝や決勝後には倒れているとはいえ、その戦闘能力は全校生徒の中でもトップクラスであると疑っていなかったからだ。
それともう一つ。最初に襲われたという一年の熊矢は、武闘会で特に目立った活躍をしていないにも関わらず、重体どころか翌日から元気に登校していた。
その二つの理由により仮に黒マントと星二が戦った場合、多少の怪我はしても命に関わるような事態になるとは予想だにしていなかったのである。
その沈黙の中で雷牙は机に肘をついたまま顎に手を当て、何かを考えている様子で虚空を見つめていた。
また、星二の隣席である綾香は不安を宿した瞳で、主のいない空席を見て黙っている。
「それと今日は土曜日ですが、急遽午後の授業も行うことになりましたので、皆さん午前中で帰らないようにしてくださいね」
尼崎先生がそう言ってホームルームが終わらせた。
その後一時間目の授業が始まっても綾香の表情は変わらず、授業内容は右から左へと流れ、記憶に留まる事無かった。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴ると綾香はすぐ席を立ち、流歌を訪ねて2-Aのドアを開けて中に入っていく。
「るーちゃん、話しを聞きたいんだけど」
教室に入るなりまっすぐ流歌の所に行くと、綾香は挨拶もしないうちに話しを切り出そうとするが。
「あ。あーちゃん……何を聞きたいのかは何となく予想はついてるけど。まずはおはよー」
と、どこか疲れているような表情の流歌が先にそう言った。
「う、うん。おはよう。……って、そうじゃなくて! 星二の事、何か知ってるんでしょ?」
突然の挨拶に綾香は首を傾げながらも返したが、話しを中断された事を思い出し前置き抜きで問いかける。
「うん。……詳しい話しはここだと出来ないから、放課後に『SS』の待機部屋に来て欲しいかな」
少し声を小さくしてそう話す流歌は、綾香と目を合わせようとはしなかった。
普段とは違う流歌の様子に、綾香はそれ以上の追求はしない事にする。
「わかった。放課後に聞かせてくれるならそれまで待つよ」
綾香はそれだけ言うと、踵を返して自分の教室へと帰っていく。
その後ろ姿を流歌は静かに見守っていた。
「綾香嬢おかえり」
「ただいま? って、雷牙くんどうしたの?」
綾香が教室に戻ると何故か席の前に立っていた雷牙に出迎えられたが、その理由に心当たりはなかった。
とりあえず綾香が自分の席に座ると、雷牙は星二の席に座って綾香と向き合う。
「霜月のところに行ってたのだろう?」
「うん。よくわかったね」
「あのホームルームの後だしな。自警団関係者で身近なのは霜月だろうから、教室を出て行ったのを見た時にはそんな気はしてたさ」
雷牙は肩を竦めて綾香から視線を外す事無く答えるが、その表情は真剣だった。
綾香はその表情と言葉から、雷牙も自分と同じく星二の事を気にしているのだろうと察する。
「雷牙くんも星二の事が気になってるんだよね?」
「星二が転入してきた頃からもう付き合いは一ヶ月にもなるんだ、心配くらいするだろう? それに星二の強さは、練習相手をしてた俺もよく知っているからな……」
「それなら、詳しい話しは放課後に自警団の部屋で聞くことになってるから、雷牙くんも一緒に行く?」
「そういう事なら同行させて貰おう」
綾香と雷牙は最後に頷いて話しを終わらせる。
その後の授業は何事も無く淡々と進み、昼休みを迎えてようとしていた。
授業の間はなるべく星二の席を見ないようにしたり、不安に駆られそうになったら実は学園をあげてのドッキリで星二は何とも無い等と考え、なるべく気持ちが落ち込まないようにして過ごしてきた。
昼休みの始まりを告げるチャイムが聞こえ、綾香は弁当を取り出そうとして鞄を開けると、その表情を曇らせる。
ホームルームの話しですっかり忘れていたのだが、鞄の中にはピンクの弁当箱と青い弁当箱の二つが入っていた。
以前、流歌が2-Bの教室へきて昼食を一緒に食べた時、星二用の弁当を持ってきており悔しい思いをした事があって、今日は星二の分も弁当を用意していたのだ。
弁当を渡したらどんな顔をするのだろうか? 美味しいと言ってくれるだろうか? 等々と色々考えて今朝までは昼休みを楽しみにしていたはずだった。
それがいざ弁当を用意した日に、星二が黒マントに襲われ生死の境目を彷徨っているなど、弁当を用意している時には考えもしない事態だったのは間違いない。
綾香は小さくため息をつきながらピンクの弁当箱を取り出す。
「北条先輩は大丈夫なんですか!」
突然2-Bの教室に大声が響き、中に居た生徒達が驚いてドアを見るとそこには宮村有紗の姿があった。
有紗は大きく肩を動かして、呼吸が少し荒くなっているのは一年の教室から走ってきたのだろうと思わせる。
「宮村さん、とりあえずこっちに」
一先ず綾香は弁当を置いて、有紗を教室の中にいれるため席から手招きする。
有紗は怪訝な表情を浮かべ、誘われるまま綾香の元へと移動した。
「鈴崎先輩、教えて下さい! ホームルームで北条先輩が襲われたと聞きましたが、先輩は無事なんですよね!?」
「宮村さん少し落ち着いて。私も詳しい事はまだ知らないの」
立ったまま机に両手をついて綾香に詰め寄る有紗。
綾香は慌てる事無く落ち着いて、有紗に今の現状を伝えようとしていた。
しかし、興奮気味の有紗は落ち着くどころか、ますますヒートアップする。
「まだって何ですか!? 一体何を知ってて何を隠してるんですか! 大体何で北条先輩が襲われなきゃならないんですか!」
「少し落ち着いてってば! それに私だって知らないんだから、答えれるわけないでしょ!?」
有紗の剣幕に触発されるように綾香の声も大きくなっており、クラスメイトから注目を浴びるが当の二人は周りを気にした様子は無い。
購買に行こうか食堂に行こうか迷っていた雷牙は、その二人を見かねて近寄っていく。
「二人とも少し落ち着いたらどうだ? 皆から変な目で見られているぞ。それに宮村、詳しい事は俺も綾香嬢は知らなくてな、放課後に話しを聞くことになっている」
雷牙は二人に声をかけ、周りを見ろ。というように頭をクイっと動かし放課後の予定を有紗へと説明する。
綾香と有紗にしてみれば思ってもいなかった雷牙の介入によって、冷静さを取り戻したのか周りを見ていた。
有紗は上級生の教室で大声をあげていたことに気づき、はっとした顔をしておろおろし始めている。
「あ、雷牙くん。ごめん、私も少し熱くなっていたみたい」
「全く、綾香嬢が取り乱してどうするんだ? それと宮村、さっき言った通り今の俺達は詳しい事を知らない。放課後になったらまたこのクラスに来い」
綾香が苦笑を浮かべてバツが悪そうにし顔を少し俯かせる。
雷牙は有紗へ改めて事情を説明すると。
「わ、わかりました。……皆さんお騒がせいたしました」
と、有紗が頭を下げた。
その後、有紗は教室から出て行こうとして、何度か机にぶつかった上に、ドアにぶつかって鼻を打ったらしく、涙目になっている。
突然2-Bにやってきた時は普通に歩いていたのに、教室を出て行くにはぶつかって歩く有紗の様子をみてクラスメイト達は暖かな眼差しで見守っていた。
「それにしても、どうすればあんなに机にぶつかって歩けるのかが不思議だ」
「……うーん。なんでだろうね?」
先程まで話ししていた雷牙と綾香ですらそんな事を口から漏らしている有様だった。
「とりあえず話しは放課後だな。さて、俺は購買にでも行ってくる」
「あ、雷牙くん。もし良かったらお弁当食べる?」
有紗の登場により多少時間を食ったとはいえ、まだ昼休みの時間は充分ある。
綾香は購買に行こうとした雷牙へ青い弁当箱を見せて提案した。
「弁当が二つ? そうか、本来は星二へ持って来たものだろう? いいのか俺が貰っても」
「……うん。星二が居ない以上、捨てるのも勿体ないからね」
「そういう事ならありがたく貰っておこうか」
雷牙はその弁当が誰のために作られた物かを察し一言断ると、綾香から弁当を受け取る。
それから、二人は弁当を食べながら放課後の予定を話し、午後の授業が早く終わる事を祈っていた。