四 二人の距離 ―1
最終章です。あけおめでことよろです。
――ヴヴッヴヴッ
「んっ?」
夜、風呂あがりで部屋に戻るとスマホが震えていた。
「莉々のどーでもいいメッセージか……楠からのお誘いか」
ぶつぶつと呟きながらそれを手にして操作してみるとやはりその二択というのは読み通りで、後者からのチャットメッセージを受信していた。
『おきてる?』
男友達からのメッセージなんかは全く届かない自分の人望に辟易しつつ、そんな俺にこうも積極的にかまってくれる楠の面倒見のよさに感謝する。
「どうした」
こちらも短く返事をすると、彼女は問答無用で通話を要求してきた。
「もしもし?」
『夜にごめん束原』
「いいよ。てか通話してくるって珍しいな」
口数少なくいつもチャットで済ませたがる楠からの通話。これはよほど重要な用事か。
心構えをして椅子に腰掛けると、電話の向こうからわずかながら緊張が伝わってくる。
『あの……束原って貯金ある?』
「は? ちょ、貯金?」
『二万ぐらい。ない?』
……いきなりなんだ?
「あるにはあるけど」
『再来週の土曜、一泊二日で卒業旅行とかどうかな』
そ、卒業旅行ぅ?
これまでの学生生活でまったく縁の無かった「旅行」という単語、しかもそれが友達だけの集まりっていうところに異様なまでの魅力をおぼえる。
なんだか一気に大人として独り立ちするような感覚。
これから大学生になるんだからあながち間違いでもないが。
『一応わたしのイトコも保護者がわりについてくるから。安心して』
「へぇ、イトコいたんだな」
『その話は広がらないから、どうする』
やけに話を急いでる感があるな……しかし楠がよからぬことを考えているわけでもなさそうだしなぁ。
「うーん……」
『どうせ学校も受験シーズンで自由登校でしょ』
「まーなぁ。……ちなみにどこいくんだ?」
特に考えもなく詳細を聞いてみる。
『群馬か栃木あたりかな。っていうか束原、乗り気じゃないね』
ぎくっ。
「そ、そんなこともな――」
『わたしこれでも束原のこと応援してるよ』
「……え?」
何の話だ?
『ゲーム会は良かったけどもう一捻り』
「ひ、一捻りって何のことだぁ……?」
とぼけてみるが電話の向こうの声は追求の手を弱めない。
『あれってりりちゃんと上手く遊べるように考えたプランでしょ』
ぎくぎくっ。
なんて鋭い奴なんだ、こいつは。
「一捻りって……わ、悪くなかっただろゲーム会も」
『途中から束原、二人分のりりちゃんの声に負けてたでしょ』
ぎくぎくぎくっ。
『どっちのりりちゃんと喋ってるのかもわかってなかったよね』
「………………はい」
隠してもしょうがないので正直に答える。
すると楠はそれを責めることなく続けてきた。
『あれを参考にわたしもプランを考えたの』
「楠も……考えてくれてるのか」
『そう。そこで旅行』
なるほどな。
そこまで考えてくれてるなら任せるか……
「…………わかった、俺はOKだ」
『りりちゃんも誘って予約もとるから後は任せて』
「ああ、頼んだ」
『スマホ充電用の電池も忘れないで』
「そりゃもちろんだ」
その点はさすがにぬかりない。
『それじゃ』
用件を伝え終えた楠はさっさと通話を切る。
卒業にはまだ早いけど……卒業旅行か。
自信たっぷりに言う楠のことを信じて、楽しみに待つとしよう。
○
出発日。
現地集合と言われ、バスツアーの乗り場に到着する。
「……あれ?」
バスは朝七時過ぎ発だって言われたのに莉々も楠もいない。
「っかしぃな。場所もあってるんだけど……」
思いながら莉々に電話をしてみる。
――トゥルル……
数回のコール、そしてぷつっとそれが途切れて受話される。
『おはよ』
「おう、おはよう」
『なに、また遅れるっての? やめてよね、バスは待ってくれないんだから』
開口一番から失礼なやつだ……
「そうじゃねーよ。バスターミナル着いたけど誰もいねーんだが。時間あってるよな?」
端的に確認すると莉々は驚きの声をあげた。
『えっ……えぇぇえぇ? アンタもう着いたの?』
「いいだろ別によぉ」
『時間通りじゃん。奇跡じゃない?』
「………………ダメか?」
『そじゃなくて……アンタあのジンクスとかいうのどーしたのよ』
……あっ、言われてみればそうだな。
あれだけいつも莉々のこと待たせてたのに、今日は言われたバスの時間に間に合ってるのは不思議なもんだ。
「わかんねーけど、とりあえず間に合ってるんだからいいだろ」
『そういうもの?』
「遅れない日だってあるってこったろ」
ジンクスだのなんだの言って「呪い」なんて無かったんだ。ならいくら考えても仕様のないことだ。とりあえずは直近の問題に目を向けよう。
「でだ、今ターミナルいるんだが同じ行き先っぽい人が誰もいない件について」
『…………アンタ気付いてないの?』
気付く……? 何の話だろう。
「なんだ、俺の気付かないうちに実は周りには人がいっぱいいたりすんのか?」
ふざけて返してみると、莉々は小さくため息をついた。
『ホントのバスの出発時刻って実は八時なワケ』
「…………マジ?」
『マジ。アンタがバスに遅刻したらマズいからって早く呼ばれただけよ』
……くっそーすっかり騙された。
『だからこのまま八時まで待たなきゃダメね』
まあいいか。いつも莉々を待たせてるんだ、たまに待つ側になったからって不満を言うわけにはいかねえしな。
「しょーがねぇ。ここ寒いしあっちの待合所に入って座ってようぜ」
八時にしか来ないだろう楠とバスを一時間も寒空で待つ意味はない。
俺は莉々に呼びかけると、通話越しに彼女は『うん』と小さく返事をした。
待合所に入ってホットの紅茶を二つ買い、ベンチに座って片方を左脇に置く。
「アイスティしか無いけどいいかな」
『はいはい、そういうのいいから』
置いた紅茶がパッと消え、すぐ隣にギシッと体重がかかるのをベンチ越しに感じる。
『ありがとね』
久しぶりに莉々の素直なお礼を聞いた気がする。考えてみれば最近はずっと怒らせてばかりだった。これは今回の旅、幸先がいいのかもしれない。
しかし――
「莉々、お前なんで七時に来てんだ?」
率直な疑問を口にする。と、通話の向こうから『へ?』と頓狂な声がかえってきた。
『そりゃ待ち合わせ時間なんだから来るでしょ?』
「楠の考えはわかってて、実際の待ち合わせが八時だってのは知ってたんだろ? そんで俺は一時間も遅刻する」
『遅刻しなかったじゃん』
「そりゃ今回は、だろ。…………自分で言うのもアレだけど、いつも俺に待たされてるんだし、もし俺が偽の待ち合わせ時間に来たとこで待たせときゃいいじゃん」
いつも遅刻してる俺がバカをみたとこで、ほぼ自業自得だ。
実際俺が莉々の立場だったらそうする可能性が高いだろう。楠のように。
なのに電話の向こうの声はしばらく押し黙り、とても答えづらそうにしている。
『…………その、なんだろ』
「なんだかわかんねーのに来たのか」
『い、いやそーじゃなくて……ほら、きのうあんま眠れなくてさ!』
「遠足前の子どもか」
『そーそー……ってコラ! まぁその早起きしちゃったからなんとなく、ね』
なんとなくで一時間も寒空の下で待つとか、スゲェなこいつ。
感心していると不意に左腕に体重がかかるのを感じた。
「り…………莉々?」
思わずどぎまぎしてしまうが、極力平静を装いながら体重の主に話しかける。
姿は見えないけどたった今となりで同じ時を過ごし、密着しているハズの彼女は、俺なんかよりもずっと平静といった調子で『ん?』と返してきた。
「その……なんだ、ぐ……具合でもわりーのか?」
『あはは。お気遣いドーモ。でもなんともないよ。ちょっと眠いかなってくらい』
「朝早かったもんな。俺もねみーよ」
眠気を思いだしたせいで睡魔がまぶたを攻撃し始める。今こんなとこで寝てしまったらバスの時間を寝過ごしてしまいそうだ。
『……鈴樹。ちょっと寝ていい?』
「マジで言ってんのそれ」
『マジマジ。リリさんはアンタが時間通りに来て安心したから気が抜けちゃったの』
それを言われたら弱い。
いつも待たせてるんだからたまには我がままぐらい聞いてやるか。
「……じゃあ七時五十分に起こすわ」
『うん。よろしこ』
………………はぁ。
もったいない。
非常にもったいない。
惜しむべくは、莉々の姿が見えないこと。
こんなおいしいシチュだというのに寝顔のひとつも見えないなんて――
『ねえ鈴樹』
「は、はいぃっ?」
『なんかこうしてるとさ……あの頃を思い出すよね』
あの頃……
あの頃か……
「……いつだ?」
『ほら、中学のときよく二人で授業抜け出してさ、屋上でこんな風にのんびりしたじゃん』
「あぁー…………」
『ね?』
「……って、したことねえけどぉ!」
思わずノリツッコミをかましてみると、莉々は堰を切ったように笑い出した。
『あっはははッ! たしかに! ないよねぇー』
「バカ言ってねえで寝るなら寝ろ。しばらく通話切るぞ」
『ういうい』
瞬間、莉々とのコミュニケーションの糸が切れる。
だけど、俺の肩には彼女の体重と温もりが伝わっている。
今、確かに俺たちはここに居る。その事実は時間の力でさえ歪曲できない。
○
八時。
同じ行き先らしいバスツアー客がちらほらと集まりだす。
もう楠が来てもいい頃なんだが――
とりあえず莉々との通話を要求しながら彼女の身体を揺らして起こす。と、すぐにイヤホンから眠そうな声がかえってきた。
『…………おはよ。何時?』
「八時二分だ。でも楠がまだ来てねーんだよ」
『スズがまだ?』
「どうする。もしあいつが遅刻なんてやらかしたら」
『シャレにならないわ。電話してみる。一旦切るね』
――プッ
通話が切られる。そのまましばらく待っていると、再び莉々の携帯からの通話リクエストが飛んでくる。
「どうだった?」
五分遅刻か、十分遅刻か。バスにさえ間に合えば割とどうにでもなるのだが、イヤホンから聞こえてきた声は困ったような様子だ。
『す、スズ風邪で来られないって……』
……はぁっ?
『二人で楽しんできて、だって……』
「んなバカな! 俺たちだけじゃチケットだって持ってねーしどうしろと?」
まさかの主催の欠席。
何もかもを楠に任せていたから、いざ放任されたところで対処のしようが――
「……ん?」
膝の上に突如小さな紙があらわれる。これは……チケットだ。
「り、莉々さん、これは一体?」
置いた張本人である、姿の見えない隣人に問いかける。すると彼女も呆れたように通話口の向こうでため息をついた。
『昨日二人で会ったときに渡されたの。先に渡しておくね、とかいってアンタの分も』
「……あいつめ」
最初からこのつもりだったんだ。
いとこを含めて四人で行くってのも、風邪で休むってのもとんだ大ウソ。元から俺たち二人の旅行にさせるつもりだったんだ。
これがあいつの作戦、ってことになる。
「二人で旅行……か」
改めて呟いてみるとこれまたどうして、妙にエロスを感じる。でも若い男女二人きりの旅行なんて莉々が嫌がるだろうし、仕方がないけど中止して帰――
『行こっかぁ』
……は………………?
この状況を認識しておいてなお、莉々はイベントに乗り気な姿勢をみせてくる。
『今更キャンセルしたとこでツアー代はかえってこないもん』
「なーるほど……な。それもそうか」
俺たちに選択権はないようだ。
二人だろうがなんだろうが行くしかない。二万円はドブには捨てられないからな。
一時間前にここへ来た莉々の残像が俺の居た位置に体重を預けたのを見届け、待合所を後にした。
旅行にしゅっぱつー。いぇー。