一 呪われた遅刻常習者の小さな願い ―2
今回もよろぴこ
――翌週。
この日も朝十時の約束をし、前回よりも更に早い八時に起きる。そして三十分ほどで支度も終わり、このまま出発すれば九時過ぎには到着だ。
遅刻どころか莉々よりも早く現地に入りだろう。
……という余裕が命取りだった。
「ははっ。これじゃ俺が一時間も待っちまうじゃねーか」
無駄に独り言を呟いてベッドに倒れ込む。
十時にしか来ないと決まってる相手を待つのなんて無駄でしかない。
四十五分ぐらい時間を潰して、十五分前到着でいいだろ。
それでも多少は早いけど、まあ誠意ってやつで――――
――次に意識が戻ると、時計はなんと十時過ぎを指し示していた。
「……………………えっ?」
いつの間にか……寝てしまっていたらしい!
なんとマヌケなことか、余裕をこいてたせいで最悪の結果を生んでしまった。
これじゃ「ウサギと亀」じゃないか。
何やってんだよ俺は……今日こそは絶対に遅れることができないってのに、結局こうやって一時間近く遅れることになっちまうとか……
電車に乗り自責の念に苛まれながら、ガタンガタンと揺れる車内でドア脇に寄りかかる。
あとはこれが滞りなく現地に到着することだけを願うだけだ。
現時点で時間は四十三分。
前回の到着タイムが五十八分。
あと十五分。ギリギリだ。たとえ五十七分に記録を更新したところで莉々は怒るだろうし、胸を張れたもんじゃない。
やはりあの時油断して二度寝してしまったのが痛手だった。
はあ……自業自得なんだろーけどさ、「待ち合わせをしたら絶対に一時間遅れる」ジンクスなんてマジで勘弁だ。返上させてくれ。
そんでもって「一時間早くなるジンクス」が欲しいもんだぜ。
そしたら莉々に……時間通りに俺の姿を見せてやれるんだけどな。
いつもひとのこと待たせてるくせに、いざ自分が待つ側になりそうになったらまさか二度寝なんてやっちまうとはな。最低だ。
昔莉々にもらったケータイストラップをぎゅっと握り締める。
だが今更何を祈ったところで無駄。
それなのに俺は責任転嫁のごとく自らのジンクスを呪い、そして新たなジンクスを願った。
そこで丁度、タイミングよく目的の駅に到着する。
俺は飛び出すようにして改札へと向け階段を駆け上った。
○
地下駅から出て待ち合わせの犬像へと走る。
十時五十七分。
なんとかギリギリ先週のタイムを更新をしたが、もちろん莉々は待ちぼうけだ。だが彼女は俺の姿に気付くと幽霊か何かを見たような表情を浮かべる。
「え………………鈴樹、アンタ……どして?」
「ど……どうしてって…………スマン…………うっかり二度寝しちまって」
まずは遅刻を謝らなきゃいけない。
頭を下げて莉々の反応を待つ。
なのに彼女のそれは俺の予想とはまったく違うものだった。
「や、やればできるんじゃん! 記録更新どころかまだ時間前よ?」
「……は?」
「ほら見て、まだ九時五十七分。時間前行動できるなんて見上げたものねぇ」
おかしい。
普段ならケチョンケチョンに怒られるハズの場面で、何故か笑顔で褒められている。
アナログな腕時計の短針を一目盛り分まちがえているのが真相だろうけど、そうか……俺が時間通りに来るだけで莉々はこうも笑顔で、嬉しそうにしてくれるんだな。
そんな見当違いな感想を浮かべつつも、やはり騙している気分になる。
勘違いしているとしてもやっぱり遅刻は遅刻だ。
「いや待て、待ってくれ。デジタルな時計でよーく見直してくれ。ほら十時五十七……八分になったとこだ。十一時に近いだろ? 一時間遅刻だろ?」
俺はケータイのデジタルな時計をかざして見せつける。
だが莉々はバカを見る目を向けてくるだけだ。
「ん? アンタ何いってんの、それズレてんじゃない? アタシの時計は正確よ。腕時計だけじゃなくてケータイもほら、まだ十時前じゃない」
言って彼女もスマホをカバンから取り出した。
そこに表示されている数字は――「09:58」……
とっさに自分のスマホを見直すが――「10:58」……
……あれ?
スマホの時計なんてそうズレるもんじゃあない。それも二人の間で一時間も、だ。
突然浮上した謎に顔を見合わせる。
………………。
「でもほら、スズがまだ来てないし。あの子ってアンタが遅刻するのを見越して五十分ぐらい遅れて来るの。でもいないってことは待ち合わせ前。じゃない?」
楠のやつ、ちゃっかりしてやがんな。
あれだけ言っておきながらあいつだって俺のジンクスにあやかって遅刻してたのか。
けどこの場にいないとなると、そういう……ことになるのかな。
なんだか煮え切らない気持ち、遅刻したという自分の中では確立していた事実、その罪悪感を噛み潰す。
そこに突然、あらぬ方向から声がかかった。
「束原。おはよう」
っと、やっぱ楠いるじゃん。
この時間に居るってことは、俺の時計の方が正確なんじゃねえか。……って遅刻したって事になるから威張れた話じゃねえが。
「よう。ってか何で莉々とちがう場所で待ってたんだ?」
そう聞くと楠は眉をひそめて問い返してきた。
「? 束原はりりちゃんの居場所知ってるの?」
「……何言ってんだ。ここにいるだろ、目の前に」
妙な発言が飛び出し、しかし俺は笑い飛ばして莉々の絶壁のような胸を指差した。しかし楠はその指の先、遠く建物の中までじーっと細目で見つめ、首を傾ぐ。
「……………………どこ。いないじゃん」
目の前にいるだろ……何言ってんだこいつ? もしかして……いつもべったりの仲良し二人がついにケンカ? 目の前でシカト?
異例の事態を目の前にする俺なのだが、槍玉にあがっている莉々自身も腕を組んで妙な顔で俺を睨んでくる。
「ねえ鈴樹。アンタのそれ、新しいパントマイム? オチあるの?」
「お、オチってなぁ。俺はありのままのことを話してるだけだぞ」
「頭がどうにかなってるんじゃないの? そこに居ない人の幻覚を超スピードとか催眠術の類でみてるんでしょ」
無駄にパロディネタで返してくる莉々。
そんなことをやってるうちに楠は次の行動に出ていた。
「束原タイムにはりりちゃん来るかと思ったけど、さすがにちょっと電話してみる」
「っておい、そのりりちゃんは目の前にいるんだが?」
「そのネタつまんない。りりちゃんの前じゃやめてよね。そんなことで嫌われたりしたら私も泣くに泣けないから」
キッと睨まれる。
そしてそのまま楠はケータイを取り出し電話をかけはじめた。
「………………あ、りりちゃん? おはよ。今どこ? …………私は駅前だけど。うん、うん
…………え、何で? 束原が扉をすり抜けた? いや隣いるけど…………わかった」
いくらかやり取りを終えた楠は、怪訝な表情で俺にスマホを差し出してきた。
「電話かわれって」
「は? てかここに居――」
「だからそれつまんない」
「……………………~~~ッ」
俺は渋々と楠からスマホを受け取ると、この茶番にどういうオチが待ってるのかといくらか期待をこめながら耳をあてた。
「もしもし」
『ちょ、鈴樹ッ!?い、今場内でしょッ?!そこって電話していいワケッ?』
スピーカーから聞こえてきた声は――かなり焦りが見えるが紛れも無く、俺の目の前にいる莉々のそれだった。
いやしかし隣に居る莉々はスマホをいじるどころか、口を開いてすらいない。
『上映はまだよね? 開場まで時間があって……だからアタシ入れなかったし……』
「……上映? 映画のことか?」
莉々の声をした誰かに話を合わせて聞き返す。
その俺の言葉を耳にした楠は俺からスマホを奪い取った。
「りりちゃん? 今映画館にいるのね? …………うん、行くから待ってて。じゃ」
ややドヤ顔で通話を切った楠は、俺の二の腕あたりの袖を掴んで歩き出す。
「ほら、もうすぐ上映時間だし早く行くよ」
「っておいおい、待てっ、莉々がっ」
「だからそのりりちゃんは映画館なの」
聞く耳もたず楠はどんどん進む。
そして引っ張られる俺の後ろを、同じく現状が読めないまま莉々がついてくる。
「ま、待ってよ鈴樹! スズは待たないのッ?」
「そのスズさんに引っ張られてるんだっての!」
……わけがわからないまま一行は映画館へと向かった。
「おはよ、りりちゃん」
映画館の一階ロビーに着くなり楠は誰もいない空間に挨拶をした。
「お前……誰に話しかけてんだ?」
「誰ってりりちゃんでしょ」
その莉々は俺の後ろにいるんだが。しかも楠は続けて誰かへ返事をするようにして、
「え、束原? そこにいるでしょ。りりちゃんまで変なネタ言うんだ」
…………これは、どういうことだ。
この現象を真に受けると……俺の話している莉々は楠には見えていない。
楠の話している莉々は俺には見えていない。
まるで莉々が二人いるかのような状態だ。
「まーいいや。早くチケット買いに行こうよ。映画はじまっちゃうよ。……あ、りりちゃんはもうチケット買ったんだ? じゃ、私と束原で買ってくるから」
そうして楠はさっさと売り場へと向かってしまう。異様なことが起きている気はするのだが、俺も後ろの(俺に見えている)莉々もとりあえずチケットを購入する。
「行くよ。エレベータで八階だって」
言いながらエレベータに乗り込む楠。慌ててそれに続く俺。
鉄の箱に乗り込んでぱっと振り向くと、ついてきていたハズの莉々は途中で立ち止まって、何故か「信じられない」といった表情でこちらを見ていた。
『上へ参ります』
無情に響く機械的アナウンス、閉じ行く扉。しかし他の搭乗者に阻まれてしまいその閉まる扉を止めることはできなかった。
「く、楠? 莉々おいてきたぞ?」
やや焦りつつも小声で問いかけるが、その彼女は無表情のままこちらを睨んだ。
「いつまで言ってんの……わたしの隣いるでしょ」
「いや、だってほら……」
俺は何と言っていいのかわからず口ごもるが、楠はさらに俺の耳をひっぱって口を近づけてこう言ってきた。
「束原……遅刻したのにりりちゃんすっごく機嫌いいんだから……今日ってかなーりチャンスなの。わかったら真面目にりりちゃん口説くセリフでも考えて」
「く、口説くってお前なあ」
「しっ。本人に聞こえちゃうでしょ」
ってその本人はいねえだろ。
「あっううん、何でもないのりりちゃん」
誰もいない場所に向かっててを振って否定する楠。これが演技には到底見えない。
そして程なくしてエレベータは目的の八階へと到着する。
「ほら、さっさと席とって座ろ? りりちゃんが真ん中ね。言っておくけどポップコーンとかそういう音がなるのは禁止」
ドアが開いて人がはけるなり、楠は一人早足で場内に向かっていく。
一階に置いてきた莉々が気にはなる……が、今日はとりあえず訳のわからないままこの流れについていくしかないらしい。
俺は諦めて場内に続いて入り、楠のあとを追って緩やかな階段を下っていく。だがその途中で楠はいきなり何かを追いかけるように小走りになった。
ある列の中央あたり。ちょうどよく空いている席の前で彼女は止まると、なにやら困惑した表情を浮かべて中空の「誰か」と俺を交互に見ている。
「りりちゃん……? 束原は後ろにいるよ? 何それシカトなの?」
「何……言ってんだ、楠」
「束原もなんなの……? 二人とも喧嘩してるの? ほら隣同士で座ってよ……っ」
とても……今まで見た事のない切なそうな表情をして訴えかけてくる楠。意味はわからないがその言葉に従い、楠と一つ席をあけて座ることにした。
……とはいえ、見えない相手と話ができるほど俺は面白人間ではない。
やきもきする楠の視線を受けつつも、俺は間もなく開演する映画のためにケータイの電源を切り、腰を深くかけた。
――ようやく映画が始まる。
暫らく経ち、物語もそろそろ中盤かといった時、事件は起きた。
煌々と輝く銀幕。
黙ってそれを見つめる人々。
トイレなどに行かない限りは誰も微動だにしない静寂と秩序に守られた空間。そこに突如として人影が堂々と前を横切ってくる。
そいつは座ってる人たちの脚にぶつかることなくスッスッと歩いて来て、俺のすぐ横で立ち止まり見下ろしてきた。
「アンタ……その、これ……今日のこれ……どーなってるワケ!?」
映画の途中、かなりいいところだというのに迷惑を考えず怒鳴るのは――
「……なん……だと?」
待ち合わせの時点からずっとおかしなことになっている酉淵莉々。その人だ。
一階ロビーに置いてきたハズの彼女は非常識にも今こうして上映の最中に乱入をし、その上周りの人の視聴を邪魔してきている。
「ねえッ! なんとか……なんとか言ってよ…………」
なんとか言えと言われても……上映中だぞ。
周りの人だってうるさいと思ってるだろ。
そう思い周囲を見回してみるも、誰一人として莉々の奇行に目もくれない。それどころか、上映中にキョロキョロ辺りを見回している俺のほうが不審がられてる。
一つのバカバカしい妄想のような、だが納得のいく可能性が浮かぶ。
「まさか……」
横に立ち尽くす莉々にとりあえず「隣に座れ」と無言でジェスチャーをし、残りの上映時間を静かにやり過ごすことにした。
横では莉々が何か話しかけているがすぐに黙るハズ。という読み通り、彼女はむすっとした表情で背もたれに身体を預けると、隣にいる楠に向けて一人で話をはじめた。
それからさらに数十分。アクション大作は最後に二転三転してから次回作へのフラグを立て、長いスタッフロールを経て幕を閉じた。
明るくなる場内。
席を立ち散り行く人々。
スカッとする内容だったのだが、上映前の妙な雰囲気を引きずったままの楠は暗い雰囲気を全身にまとってのっそりと立ち上がる。
まだ俺は立たない。
途中乱入をし隣に座っている莉々も、巨大な緞帳を見つめたまま動かない。
俺はそんな彼女に向け、よく聞こえるように耳元で一言だけ声をかけた。
「莉々、俺のことは絶対に気にするな。またすぐ会える」
「……えっ、ちょ……」
小声で莉々が抗議をしようとするが、先は聞かずにさっさと歩き去ることにした。
信じがたいことだが……それしか考えつかない。
○
近くにある喫茶店に入り注文した品をトレーに載せて席を探す。すると楠がまたも見えない人間を追いかけるようにして、窓際のカウンター席へと向かった。
なるほど、「俺は」そこか。
「大丈夫だ楠。俺たちは喧嘩してるわけじゃない」
「……え? じゃあ何なの」
「じきにわかる。それまで莉々のことは気にせず黙って座っててくれ」
ゆっくりと座るようにジェスチャーをする。
「わけがわからないけど………………わかった」
彼女は仕方ないといった顔をして席に着いた。
これはドッキリなんかじゃない。
俺も、莉々も、楠も、みんなが大真面目なんだ。
だから楠を「関係ない」と突っぱねたりはしない。
彼女もまた友達として一緒に相談しなきゃならない。
楠はちらりと隣の空席の主を伺うと、カバンから小説を取り出して静かに読み始めた。
俺たちが席に着いてからおよそ一時間。
予想通り慌てふためいた様子で、アイスコーヒーの乗ったトレーを手にして莉々が階下から現れた。
「れ……鈴樹ぃ! なんで上映中に先に行っちゃうのよ……」
この反応も予想通り。
その解説をするためにもこうやって落ち着ける店に入ったのだ。
「莉々、とりあえず座れよ」
「……うん」
莉々を座らせると、本を読んでいた楠が顔をあげた。
「まさか束原……そういうことなの? りりちゃんは……たった今来たの?」
彼女の手にあるファンタジー小説。そのような出来事が今、実際に俺たちの身に起きている。
「俺と莉々の時間だけが、一時間ズレてるんだ」
次回もまた コンゴトモヨロシク…… です