一 呪われた遅刻常習者の小さな願い ―1
よろぴこ
「――……ほんっっっっっっっとにアンタってさぁ……ッ!」
都内有数の待ち合わせスポットである犬像の前。そこで俺の中学からの『ツレ』、酉淵莉々(とりぶち りり)は周囲からの注目を集める怒声を響かせた。
原因は俺の遅刻だ。毎回恒例のイベントと化しているソレのせいで今日もこうして集まって早々に叱られているのだ。
「いや、その、俺だってわかってんだよ……」
「は? 何が」
莉々の冷たい視線が刺さる。
「いつも遅れて……悪いなって。まぁ前回については運が悪かっただけだが――」
「今日のどころか前回の正当化までしよーっての?」
「……運が悪かったけど…………目覚ましの電池切れが……俺が悪いです。はい。でも聞いてくれよ。今日はちゃんと十時待ち合わせだからって八時半には起きたんだ」
「それでなんで到着が十一時なのよ。ここまで電車で三十分でしょ。グズすぎ」
視線だけじゃなく冷たい物言いも刺さる。
「俺にもわかんねぇんだ……寝グセがなかなか直んねぇで苦戦したり、靴下に穴開いてたりでけっきょく家出たのが九時五十分だったんだけど――」
「既に遅刻確定じゃない」
「そーだけどさ。でも一時間遅刻のジンクスは回避できそーだったじゃん?」
俺の遅刻は必ずといっていいほどきっかり『一時間』。悪魔に呪われているのかと思うほどだが、そんなものは見えない以上真偽のほどは確かじゃない。
「なーにが『一時間のジンクス』よッ! 『回避できそーだったじゃん?』とかドヤってさ、ちょっとは反省したらどーなのッ!」
……ごもっともです。
「まーその……なかなか電車こないし、しかも降りようとしたら人ごみに流されて一駅余計に乗せられちまってな」
「あーもうわかったわかった、言い訳はケッコー。もう喋るな」
成り行きを話し終わるものの、莉々の機嫌は合流早々に最悪だ。
彼女がこうして俺の遅刻に腹を立てるのは毎度のことだ。それなのにまた一緒に遊びに行く約束をするのには理由がある。
俺たちが付き合ってるから?
んなわけはない。俺はどっちかというと嫌われているだろう。
ツルみはじめて早六年、なあなあで続いてきた関係だ。たとえ俺が出掛け際に寝グセを気にしたり、靴下選びに時間をかけようとも、こいつにとって俺は腐れ縁に過ぎないのだ。
じゃあ何故かというと、俺たち二人を同時に遊びに誘う存在がいるからだ。
「……はい、二人とも仲直り」
小さく、弱々しい声が二人の間から聞こえてくる。
楠涼。
俺と莉々、共通の友人といったとこだ。同じ中高を経て今に至る。
いつも遊びに誘ってくれて、俺たちの間を取り持つために適度に傍観し適度に仲裁を入れてくれる。楠がいなかったら莉々とは喧嘩別れしてそうだ。
「スズ……アタシもーこいつの遅刻に我慢できないよッ」
「りりちゃん、一時間遅れるってわかってるなら一時間遅く来ればいいんじゃない?」
俺のジンクスをふまえた解決案がとびでる。
「いいじゃんそれ」
そう思って話に乗っかるも、莉々は俺の顔を押しのけながら否定した。
「ダーメ。そんなことしたらつけあがってさらに一時間遅れるっしょ」
「でもりりちゃん、いつも束原のことまじめに一時間待ってるのは大変でしょ。しかも一月の寒空の下でだよ?」
「そ。だからもう許さない。金輪際こいつとは遊びに行かない」
血の気の引くような発言が飛び出た。
これは前回の待ち合わせで目覚ましが鳴らずにたっぷり一時間も待たせてしまい、その末に突きつけられた条件だった。
『次また遅れたらもう遊んでやらない』
という内容のだ。
しかし莉々の俺を切り捨てるような発言に、楠は「待った」をかけた。
「今日の束原タイムは……五十八分だったよ。ギリ一時間切ってる」
「同じよーなもんだよッ」
「ねぇりりちゃん、ワンチャンあげようよ。束原タイム短くなっていくかもだよ」
本当なら俺がやるべきことなのに、食い下がってくれる楠。
そして莉々は考えこみ――
「……わかった。スズがそこまで言うなら……」
「うん、ありがとね。りりちゃん」
「莉々も楠も、わりぃな。俺なんかのために……」
申し訳なく思いながら頭を下げると、莉々は声を荒げた。
「スズに免じて、だよ! 次回のノルマは五十八分だから一分でも遅れたら今度こそ終わり。わかってんでしょーね!」
ずずいと凄まれてつい後ずさりそうになるが、一歩でも引き下がれば誠意のない男に見えてしまうだろう。俺は逆に莉々に向けて一歩、踏み込んだ。
「男、束原鈴樹、次こそお前のために全力を尽くしてやんよ!」
「そ……そう。ならいいんだけど……」
俺の剣幕に驚いたらしく、莉々は気圧されてもごもごと口ごもってしまった。
もう遅刻はできない。どんな事故があろうとも、どんな障害があろうとも、だ。
「ほんとに……絶対、遅れないでよね……アタシだって怒りたくないし……」
急におとなしくなってしまった莉々を横目に、楠はにんまりと笑うと、
「じゃぁ気をとりなおして、出発しよ」
今日の目的地へ向けてテクテクと歩き出した。
――総合運動場。その巨大な施設の一角であるスケート場に到着。
レンタルのスケート靴をゲットし、外用の靴からそれに履き替え、ロッカーのある部屋からリンクサイドへと躍り出た。
「おわっと……っと……?」
躍り出た……と言いたかったが、久々のスケート靴の履き心地に困惑してしまう。
「や、やっと来たのね」
その声に目をやると、リンクへの小さな階段に腰掛けた莉々の姿があった。ところが一緒に行動していたハズの楠の姿がない。
「スズは……あっち」
その言葉を受けてリンクを見ると、確かにちっこいのが一人で華麗に周回をしている。
「んでお前は氷の上に立つこともできねーで座ってんのか」
呆れ気味に返してみると、彼女は図星をさされたのか大げさに否定する。
「なっ、そんなことないって! アンタが転ぶのを観察しよーとしてるだけ!」
「言ってろ言ってろ。俺は二回ほどやったことあるし」
俺はキョドる莉々を尻目に悠然と氷の上に舞い降――
ズシャアッ!
「ちょっ、今のすごい痛そうだったけど大丈夫ッ?」
「いっっっってぇー……腰からいったぞ…………って、ん?」
こちらに差し出された手の主、酉淵莉々の妙な恰好に俺はようやく気付いた。
「お、おい莉々?」
「なによ、ほら、手貸してやるわよ」
「そうじゃなくてさ、なんでお前…………スカートなんて穿いてきたんだ……?」
スケート場に行く上でもしスカートを選択するのであれば、下にスパッツやタイツでも穿くべきなのだろう。しかし目の前にあるのは扇情的な黒タイツとうっすら透けて見える白い布。
俺の視線を察した莉々は顔を赤くし、しかしとっさに立つこともできず階段に腰かけたまま足を閉じて、俺をキッと睨みつけてきた。
「なんでそんなとこに目がいくのよ……エロ男」
「い、いやいや無理言うなよ。てかそもそもお前の服チョイスがおかしいんだが」
「どこがッ? フィギュアスケートとかこんなカッコしてんじゃん」
「どんだけイメージ先行だよ。やせ我慢してねーでコート持ってこいよ」
「あ、アタシは寒くなんかないし、美しさ重視…………っくし!」
ああ言えばこう言うだけどやっぱ寒いのは寒いよな。それにコート着たとこで下はスカート。加えてド素人だから転びまくるだろうし風邪ひく――
「束原がりりちゃんの手をとって一緒に練習すればいいんだよ」
振り向くと楠がにやにやといやらしい笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「外周の壁のとこで他の人のジャマにならないように、まずは立つ練習から。束原はしっかりりりちゃんをサポートしてあげて。一日の長、でしょ」
「…………だってよ。どうする?」
「………………コート取ってくる……」
――四時間後。
「うん、満足」
足首をくりくり回しながら言う楠。それとは対照的に――
「………………へくしっ! ……さぶっ」
ガタガタと震えながら青い顔をして不満そうな顔を浮かべる莉々。
始終みっちりと訓練に付き合わされるかと思いきや、莉々はものの三十分ほどでダウンした。屋内スポーツだからとスケートの寒さをあなどっていたんだろう。何度も転んでスカートとタイツをびっしょりと濡らし下半身から体温が急速に奪われてゆくのに耐えきれず、休憩エリアのストーブの前でほとんどの時間を過ごすハメになったようだ。
結局莉々は一人で立てるようにすらなっていない。
「なんでこんなスポーツが平然と流行ってるのよ……」
難癖のつけどころがヒドい。
「まあ次はちゃんと濡れていいズボン穿いてこい」
「あんな寒いだけのところ……に、二度と行くもんか…………くしっ!」
氷上で舞う莉々をちょっとは見たかったなと思いながら、喫茶店を探す楠に続いた。
それから入った店内の禁煙席のテーブルに三人で陣取ると、今日のハイライトを振りかえることなく楠は次回の予定を口にした。
「来週は映画行きたい」
「気が早いな楠。俺も莉々も疲れてそれどころじゃねーが」
「スズは観たいのあるの? ……っくし!」
「うん。アクションかラブストーリー、どっちがいい?」
俺のツッコミは完全にスルーされたまま話が進む。
「……ラブストーリーってもコイツと一緒じゃねぇ」
莉々の視線がちらりと俺の方に向けられる。
まったく失礼きわまりない。
「束原もいい?」
「へぃへぃ、雰囲気の欠片もないアクション映画、な」
というわけで次の休みも予定が入っちまったらしい。
ま、いいけどな。
「――アタシちょっとお手洗い。……へぷしっ!」
くしゃみをしながら莉々が去る。
その途端、楠がこちらに身を寄せ声を潜めた。
「束原、次こそ頼んだよ」
「なん……だって?」
普段から表情を変えない楠がやけに真剣な顔つきで迫ってくる。
「今度遅刻したらりりちゃんはしばらく束原と遊ばない。会いたくても自分が一度言ったことはなかなか曲げない子だもん」
「まぁ……いーんじゃねぇの。休みの日にあいつに振り回されなくてせいせいするぜ」
女二人の遊びにどうにか俺を加えようとする楠に、俺は無駄に反発してみせた。
すると彼女は滅多にみせないキツい目つきで睨んでくる。
「………………本気じゃないよね」
「さぁどうだかねぇ」
はぐらかすように答えると、楠は眠そうなジト目に戻ってコーヒーに口をつける。
「じゃあこの後も束原のこと振り回してあげるから」
――その予告通り、俺は女子二人のウィンドウショッピングを眺める苦行に二時間近く付き合わされることになってしまうのだった。
さっきはあんなこと言ったけど……次の日曜はもう遅れるわけにはいかない。
今回はここまで。
コンゴトモヨロシク