交錯
「さあ、着いたわよ」
ボルドーの港町はにぎわいを見せていた。
船を下りるものや積み荷をする水夫などでごった返している中、豪華客船から飛び降りるようにして、娘が背後を振り返りながら、大きく手を振った。
白いレースのワンピースを身につけ、彼女が微笑む姿は天使のようだ、と、付き添いの男はいつも思うのだった。
付き添いの男は彼女の下男で、名をクロードといった。
「クロード、何してるの。早くいらっしゃい」
せかす小悪魔は、カリンといい、ヴォルフラム家の一人娘。
「はいはい。お待ち下さい」
クロードは荷物を抱えると、その見窄らしい身なりからは想像もできないような、また華奢な体つきであったのに、大きなトランクをひょいと抱え、船の足場を軽い足取りで降りてきた。
「早く来なさい。こんなところをお父様の部下に見つかったら、もう後がないわ」
「逃げられないって事ですね。承知しておりますが……」
主人のわがままにここまで尽くせるのは、ひとえに彼女への好意からだ、とクロードは考える。
彼らはオランダからわざわざこのボルドーまで愛の逃避行をしてきたのだから。
「今、こんなところで捕まりたくないわ。ねえクロード! あなたもそう思うでしょう」
「ええ、想いますね。想いますがね、カリンお嬢様」
「お嬢様はやめてって言ってるでしょ、カリンでいいのよ……」
と彼女から命令されるたび、クロードはため息を付いた。
「正式にあなたのお父上からおゆるしがでるまで。私はあなたを主人と思ってお仕えしたいのです」
さあ行きましょう、とクロードはさっさと彼女よりも早くその場を離れ、ふくれっ面をして石ころを蹴る彼女もとうとうあきらめ、彼の後に従う。
どこかで壁を作ってしまっているクロードに、カリンは腹を立てていた。
――お願いだから、クロード、主人だなんてもうよして。私はあなたの女なのよ。
いつだったか、そう彼に気持ちを伝えたことがあった。
しかしクロードは軽く笑い飛ばしてこう言うのだ、
「なにを申されます。お嬢様はお嬢様で、私はしがない下男。あなたに愛されるのはうれしいですし、私もあなたをにくからず思いますが、あなたを主人と思わなくなるのはいやです」
――では、どうすればいいの。どうすればあなたは、私をあなたの女と想うのです!
「そんなことは私にもわかりません」
つれない返事しかかえさない、クロード。
だからこそなのか、カリンは思い切った行動――駆け落ちという行為に走った。
「逃げるのはいやです」
とあくまでも彼女の父親との戦いを臨むクロードの腕を引っ張って、オランダを抜け出すカリンの姿に、クロードは何を想ったのだろうか……。
ボルドーの町も、パリ同様革命戦争の影響をうけてだろうか、落ち着きが失せてしまっていた。
町の中では市場もごった返し、繁華街では歌いながらの行進が流行していたようで、活気と言うよりひどいありさまだった。
カリンはクロードを追いかけるだけで必死、やっとの思いで追いつくと、急に立ち止まったクロードの背中に激突する。
「クロード、ちゃんと前を見て歩きなさい」
「立ち止まっていただけですよ……」
クロードはそれだけ言うと、指で前方の方を示した。
いわゆる竜騎隊が町の中を徘徊しているのが見えたために、クロードは警戒したのだろう。
「こんなところに、フランス兵が……」
それは……戦争の予感をさせる、悲劇の前触れでもあったのだ、カリンは表情を曇らせ、クロードの手を強く握りしめると、クロードの方もやはり強く握り返してくれた。
「お嬢様にもしものことがあっても、だいじょうぶ」
との意思表示だった。
革命軍を指揮したのはナポレオン・ブオナローティ。
のちに百日皇帝と呼ばれるこの男、冷徹で優しさのカケラも見せなかった。
皇后ジョゼフィーヌをのぞいては。
ジョゼフィーヌに骨抜きとされたナポレオン、彼女へ近づくものがあると知り、警戒したと聞く。
名を、ルジェ・ド・リールという音楽隊の隊長は、ストラスブールでラ・マルセイエーズを作曲した有名な男であった。
カリンとリールの運命が、ここで交錯することになろうとは、彼らは露ほどにも想わなかった……。
リールのことは、ネタ不足で起用してしまった・・(´Д`υ)