伝言板
携帯電話にすっかり慣れてしまって、来るのかどうか
わからないなんていう待ちぼうけの不安はほとんど
無くなってしまった今の世。
友人と一緒にいるのに当たり前のように無言のまま
必死でメールを打っている姿。電車の中で1車両に
いるすべての人々が何やら携帯を操作している光景。
何の違和感もなく見過ごせるようになったのはいつの
頃からだろうか。とても日常とは思えない光景が
ある時から日常となっていくものなんだな。
その昔、携帯電話なんて無かった頃、待ち合わせ場所
には、駅の改札を出たどこそこという具合に曖昧な
約束をしたものだった。
何分、何十分、待てども待てども来ない人を待っていると
ふと、目に入ってくるのが駅の伝言板。白いチョークで
いろいろなことが書いてあった。いかにもまじめそうな
角張った文字で「先に行っている。カズオ」なんてのも
あれば、思い切り卑わいな言葉を乱雑に書いてあるもの。
「地面に頭が落ちた」何だか意味がありそうなんだけど
よくわからない弱々しい文字。
さあ、もうこれ以上は我慢できない。僕も書いておこうかなと
伝言板に向かおうとすると肩を叩かれる。
「ごめんなさい」とさして悪そうには思えない表情だけど
「いいよ」と笑顔で応じる情けない僕。
待つのは辛いけれど、待つことでいろんなものを見ることが
出来たような気がする。それは目に映る風景だけではなくて
人の心だったり、想像の世界だったり。
大学生の頃、高田馬場駅で2時間ぐらいポン女の娘を待った
ことがある。最初のうちは、さして気にするでもなく、しかし
そのうちに振られたんじゃないかなと不安になって、でも不思議な
もので1時間もすると女の子を待つのが目的ではなくて
待っていること自体が目的のような錯覚に陥ってしまう。
そして、また目に入る伝言板。
「白いチョークで綴られた言葉たち、
それぞれの言葉から物語が想像され、
何とも言えない人生劇場が垣間見られたものでした。」
(昭和復刻舎より)
携帯電話で便利になったぶんだけ、大切な無駄な時間を
失ってしまったような気がする。