間話:腹が減っては現場は回らぬ――「アトランティス・大厨房」の設営
「……くぅ〜、最高だ。体が軽すぎて、このまま海に溶けちまいそうだぜ」
風呂上がりのガッツが、ふらつきながら広場へ出てくる。しかし、その足取りはどこか危うい。極限の空腹は、どんな魔法や休息よりも確実に職人の気力を奪う。俺たちの目の前にあるのは、アトランティスの保存食庫から掘り出された、カチカチに乾燥した古代の乾パンと、冷え切った水だけだった。
「一ノ瀬様、このままでは皆様の栄養バランスが崩壊し、明日からの作業効率が40%低下しますわ。……いいえ、ただ単に私が美味しいものを食べたいだけかもしれませんけれど。至急、プロ仕様の『厨房設備』を整えるべきですわね」
エレナの提案に異論はない。俺はすぐに、居住区の一角にある旧食堂跡地を指差した。
「よし、ここにアトランティス最高のレストランを仮設する! まずは床面だ。油や水で汚れる厨房の床には、清掃が容易で耐薬品性に優れた『塗り床』を施すぞ。ガッツ、下地のコンクリートを研磨しろ!」
厨房の作業は、見た目以上にシビアだ。俺たちは床一面に、抗菌作用のあるエポキシ樹脂を厚く塗り広げた。これにより、どんなに食材のカスが落ちても、ホースで水を流すだけでピカピカに洗浄できる『ウェットキッチン』の構造が出来上がる。
次に着手したのは、大量の煙と熱気を逃がすための『排気フード(換気ダクト)』の設置だ。アトランティスの建物は気密性が高いため、換気が悪いと一瞬で一酸化炭素中毒になってしまう。俺は天井を貫通させ、巨大なステンレス製のフードを取り付けた。
「フィラ、ダクト内の気流を魔法で加速させろ! ミーナ、お前はコンロの火力を担当だ。海底特産の大王イカを焼くには、並のガスコンロじゃ足りない。魔導コアから直結した『高火力ブースター』を組み込むぞ!」
さらに、忘れてはならないのが環境への配慮、『グリーストラップ(阻集器)』の設置だ。
「アトランティスの排水をそのまま海に流せば、せっかくの綺麗な海が油だらけになる。調理排水に含まれる油分や残飯を分離して回収するこの装置は、都市管理における『良心』そのものだ。これを設置しない現場は三流だからな」
排水溝の途中に、三層構造の沈殿槽を埋め込み、油だけを浮かせて回収する仕組みを整えた。これで準備は万全だ。
ジュワァァァァァッ!!
特注の巨大鉄板の上に、ミーナが仕留めてきた「大王イカ」の切り身が踊る。醤油に似た古代の調合タレが焦げる香ばしい匂いが、新設された強力な換気扇を通じて、アトランティス中に広がっていく。
「……たまらん。この匂いだけで、エール三杯はいけるぜ!」
ガッツが涎を垂らしながら、黄金色に輝くジョッキを握りしめる。
「はい、お待たせ! 特製・大王イカのガリバタ焼き、アトランティス風よ!」
ミーナが差し出した皿には、プリプリに太ったイカの身が山盛りになっていた。俺たちは、自分たちで作った頑丈なテーブルを囲み、プロ仕様の厨房が生み出す最高の「現場メシ」に食らいついた。
「……旨い。やっぱり、食事が現場の魂だな」
熱々のイカを口に運び、冷えたエールで流し込む。
完璧な防水、完璧な基礎、そして完璧な厨房。
俺たちの仕事が、この死んでいた都市に、少しずつ「生活」という体温を吹き込んでいくのを感じていた。
「所長、お腹いっぱい! ……あぁ、満足して寝ちゃいたいところだけど。エレナが『大変だ』って顔してこっちを見てるわよ」
ミーナがジョッキを置き、身構える。
エレナが投影したモニターには、アトランティスの外周を囲む「防護ドーム」に、巨大なヒビが入る様子が映し出されていた。
「一ノ瀬様、休息時間は終了のようですわ。都市の自航による圧力変化で、外壁ドームを支える**『テンション・リング』**が金属疲労を起こしています。……このままでは、アトランティスが海水の圧力で押し潰されてしまいますわ!」
今回の建築・土木用語解説
• 塗り床: コンクリートの上に樹脂などを塗り重ね、耐久性や清潔さを高めた床のこと。厨房や工場で多用される。
• ウェットキッチン: 床を水洗いすることを前提とした厨房設計。清掃性が高いのが特徴。
• 排気フード: コンロなどの上に設置し、煙や熱を効率よく集めて屋外へ排出するための覆いのこと。
• グリーストラップ: 厨房排水に含まれる油やゴミが公共の排水管や自然に流れ出ないよう、一時的に溜めて分離する装置。
• 導線: 人が動く経路のこと。厨房設計では、調理・配膳・片付けがスムーズに行えるよう、導線を短くすることが重要。
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