第3話 沈まぬ屋敷、驚異のジャッキアップ
「総員、配置につけ! ここが今回の現場の『クリティカルパス(最重要局面)』だ。一秒の遅れ、一ミリの誤差が、屋敷の崩壊に直結すると思え!」
朝日が昇ると同時に、俺の怒号が響いた。
今日行うのは、不同沈下によって右側に十五度も傾いたリアナの屋敷を、再び水平へと戻す『ジャッキアップ工事』だ。
石造りの巨大な建物を持ち上げる。現代日本なら油圧ジャッキを数十台並べてコンピューター制御する大仕事だが、ここにはそんな機械はない。
「ボス! 準備は万端だぜ。この『スライム・ジャッキ』、本当にうまくいくんだろうな?」
ガッツが不安げに、屋敷の土台の下を指差す。
そこには、俺の指示で集められた百体近くの『土色スライム』が、特製の鋼鉄製シリンダーに詰め込まれていた。
スライムはほぼ水分であり、魔法的な弾力を持つ。魔法で圧縮をかければ、それは一級品の「油圧(スライム圧)ジャッキ」へと変貌するのだ。
「ああ。ガッツ、お前らドワーフはシリンダーの固定を確認しろ。フィラ! お前たちハーピーは屋根の四隅にロープを張り、バランスが崩れそうになったら全力で保持だ!」
「合点承知! 空からのバランス調整なら任せなさい!」
フィラたちが空で円を描く。
「……聖様、本当によろしいのですか? この屋敷は、父が遺した唯一の……」
リアナが震える手で俺の袖を掴む。
俺は彼女の手を優しく、だが力強く握り返した。
「リアナ。図面は俺の頭の中にある。俺を、……俺たちの現場を信じろ」
「……はい!」
俺は【スキル:脳内BIM】を全開にした。
視界に、屋敷全体の「応力分布」が透過して表示される。どこに負荷がかかっているか、どこを先に上げれば壁が割れないか、すべてが数値で流れ込んでくる。
「ジャッキアップ、開始! 第一班、三・二・一……圧をかけろ!」
ドワーフたちが魔力でスライムを圧縮する。
グググ、と地響きのような音が鳴り、沈み込んでいた屋敷の右側が、数ミリだけ浮き上がった。
「止め! ……水平確認。右奥、あと二ミリ足りない。第二班、修正しろ!」
俺は【スキル:神の目】で確認しながら、細かく指示を飛ばす。
建物を垂直に上げるのは容易ではない。少しでもバランスを崩せば、石造りの壁は一瞬で「せん断破壊(斜めヒビ割れ)」を起こし、瓦解する。
「フィラ、北西の角が沈みすぎる! 少し引き上げろ!」
「了解っ! いくよ、みんな! せーの!」
空と地上、ドワーフとハーピー、そしてスライム。
本来交わることのなかった種族たちが、俺の脳内にある「完成図」に向かって、必死に汗を流している。
数時間が経過した。
俺のシャツは汗で張り付き、喉は枯れ果てている。だが、目は離さない。
「あと五ミリ……三ミリ……一ミリ……。よし、ジャッキストップ! 全箇所、水平固定!」
静寂が現場を包んだ。
傾いていた屋敷が、今、完全に水平を取り戻していた。
壁の亀裂はシーリング(高粘度スライム補修材)で仮止めされ、建物は昨日打ち込んだ二十本の石柱杭の上に、しっかりと鎮座している。
「……あ、ああ……」
リアナが口元を押さえ、膝をついた。
彼女の目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
「屋敷が……お父様の屋敷が、真っ直ぐに……呪いが、解けたんだわ……!」
「違うぜ、お嬢さん」
ガッツが汗を拭い、誇らしげに鼻を鳴らした。
「呪いを解いたんじゃねえ。この『ボス』が、俺たちの腕を使って、力ずくで書き換えたのさ。この土地の運命ってやつをな!」
職人たちから、地鳴りのような歓声が上がった。
フィラたちは空で舞い踊り、ドワーフたちは互いの肩を叩き合う。
俺はふらつく足でリアナの元へ歩み寄り、汚れた手で彼女に「合格」のサインを送った。
「工期通りだ。これで、この家はもう二度と沈まない」
「聖様……っ!」
リアナが俺の胸に飛び込んできた。泥と汗の匂いがするはずなのに、彼女は離れようとしない。
「ありがとうございます……。私、あなたを信じて良かったです……!」
柔らかな感触と、耳元で囁かれる感謝の声。
転生前の現場では、竣工しても「はい、次の現場へ行け」と言われるだけだった。こんな風に、誰かの幸せを肌で感じることなんてなかった。
「……ああ。だが、まだ終わりじゃない。次は内装の補修と、周辺の整地(外構)だ。理想の街への『着工』は、ここからなんだからな」
俺は彼女の背中を優しく叩きながら、空を見上げた。
不毛だった辺境の地に、今、確かな「基準点」が打たれた。
俺たちの快進撃は、まだ始まったばかりだ。
今回の建築用語解説
• ジャッキアップ: ジャッキを使って構造物を持ち上げること。傾いた建物を直す「沈下修正工事」などで使われる。
• クリティカルパス: 工程表の中で、全体の工期に直接影響する最も重要な経路のこと。
• 不同沈下: 建物が不揃いに沈むこと。壁のひび割れや、ドアの開閉不良の原因になる。
• 水平: 傾きがなく、真っ平らな状態。現場監督が最もこだわる数値の一つ。
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