第1話 泥だらけの着工(チャッコウ)
「……なんだ、この現場の体たらくは」
辺境領主リアナの屋敷の前。俺――一ノ瀬 聖は、腰に手を当てて深くため息をついた。
目の前に広がるのは、ただの泥の海ではない。
無造作に放り出された錆びた石工道具、腐りかけの木材、そして何より、どこから手をつけていいか分からないほどに堆積した「ゴミ」の山だ。
「あの……聖様? どうかなさいましたか?」
不安げに首をかしげるリアナ。その瞳はまだ潤んでいるが、俺の「不敵な笑み」に少しだけ希望を見出しているようだ。
「お嬢さん。建築ってのはな、ただ石を積むことじゃない。現場の状態は、そのまま建物の寿命に出るんだ。こんな泥とゴミにまみれた場所じゃ、いい仕事はできねえ」
俺は地面に転がっていた、折れたシャベルを拾い上げる。
前世の現場なら、今頃「特安日パトロール」で、即座に工事停止命令が出るレベルだ。
「おい、そこのデカい奴。お前がここの頭か?」
俺が声をかけたのは、屋敷の裏手で不機嫌そうに座り込んでいた、一人のドワーフだった。
身長は俺の腰ほどしかないが、横幅は二倍はある。丸太のような腕には、土と泥が深く染み付いていた。
「……あ? なんだぁ、見ねえ面だな。リアナ様、こんなヒョロい人間をどっから連れてきたんだ」
ドワーフが面倒そうに立ち上がる。鼻から吐き出された鼻息で、足元の泥が少し飛んだ。
「彼は聖様よ。私の招待した……その、建築の専門家です」
「専門家ぁ? 笑わせんじゃねえ。この『呪われた土地』に何人専門家が来たと思ってやがる。石を積めば沈み、杭を打てば折れる。ここは、大地の精霊に見放されたクソ溜めだ」
ガッツと呼ばれたそのドワーフは、地面を力いっぱい踏みつけた。
グチャリ、と嫌な音がして泥水が跳ねる。
「……呪い、か。お前ら職人は、自分の技術不足を全部呪いのせいにするのか?」
「なんだとぉ、テメエ!」
ガッツが巨大な槌を掴み、俺を睨みつける。
だが、俺は一歩も引かない。現場監督を十年やってりゃ、血気盛んな職人なんて見慣れている。
「ガッツさん、言ったな。石を積めば沈むと。当たり前だ。この地盤の『N値(地盤の硬さ)』を測ったか? 泥の層の下にある支持層まで杭が届いてねえんだよ」
「えぬ……? しじ……?」
「専門用語はいい。要は、お前の仕事が『雑』だってことだ」
俺は【スキル:神の目(不陸検知)】を起動した。
視界に走るグリッド線。屋敷の周辺、地下三メートル地点にある強固な岩盤層が、青くハイライトされる。
「ガッツ。お前、土工のプライドがあるなら、まずこの現場を掃除しろ」
「掃除だと? 俺は穴を掘るのが仕事だ! 掃除なんてガキの遊び――」
「掃除ができねえ奴に、丁寧な仕事が出来るかよ」
俺はガッツを無視して、泥の中に足を踏み入れた。
スーツの裾が泥に浸かるのも構わず、俺は落ちていた廃材をテキパキと仕分け、一箇所に集め始める。
「聖様! お洋服が汚れてしまいます!」
「いいんだリアナ。これも仕事のうちだ」
俺は【スキル:脳内BIM】を展開する。
屋敷を中心とした半径五十メートルの最適排水ルートを一瞬で算出。
どこに溝を掘れば、この泥濘が乾き、重機の代わりとなる魔物たちが動きやすくなるか。
「……ふん、見てろ」
俺はシャベルを振るった。
ただのシャベルじゃない。【スキル:爆速竣工】の補正がかかった俺の動きは、職人たちの目には残像に見えたはずだ。
無駄のない動きでゴミを拾い、邪魔な石をどかし、最適な位置に排水溝を掘っていく。
ただの掃除ではない。それは、現場の「氣」を整え、最も効率的な導線を作る「儀式」に近い。
三十分後。
「……な、なんだこりゃあ……」
ガッツが呆然と声を漏らした。
さっきまで足の踏み場もなかった泥の広場が、魔法でも使ったかのように整然としていた。
ゴミは種類ごとに整理され、屋敷の周囲には一本の淀みない溝が掘られ、溜まっていた水が勢いよく流れ出している。
そして、何よりも驚くべきは――。
「……完璧な、水平……?」
ガッツが地面を見つめる。
泥だらけだったはずの地面が、まるで職人が数日がかりで整地したかのように、真っ平ら(フラット)になっていた。
そこには、俺が打ち込んだ数本の木杭と、それに結ばれた一本の糸。
「水糸」だ。
「これが『遣り方』だ。建物の基準だよ。ガッツ、お前の腕なら、この糸からきっかり三メートル下に岩盤があるのが分かるはずだ。そこまで掘れ。話はそれからだ」
俺は泥を拭い、ガッツの前に立った。
ドワーフの男は、俺が描いた完璧な「現場のライン」を食い入るように見つめ、やがてプルプルと震えだした。
「……この短時間で、これだけの基準を出しやがったのか……人間の細腕で……」
「魔法じゃねえ、技術だ。……やるのか、やらねえのか」
ガッツはしばらく沈黙した後、鼻を大きく鳴らした。
そして、愛用の巨大なシャベルを肩に担ぐ。
「……ケッ。気に入らねえな。だが、これだけ綺麗な『お膳立て』をされて動かねえのは、土工の名が廃る」
ガッツがニヤリと笑った。その顔には、先ほどまでの侮蔑はなく、同じ「現場」に立つ者への敬意が混じっていた。
「よぉ、大所長! 掘ればいいんだな、地下三メートルの岩盤まで!」
「ああ。一ミリの誤差も出すなよ」
リアナが、信じられないものを見るような目で俺たちを見ていた。
頑固で有名だったドワーフの親方が、たった三十分の「掃除」で、若造の指示に従い始めたのだ。
「聖様……あなた、本当に何者なのですか?」
「ただの現場監督ですよ、リアナ様」
俺は空を見上げた。二つの月が綺麗に見える。
現場が綺麗になれば、自然と心も整う。
「さあ、着工だ。まずはこの屋敷の沈下を止める。……工期通りにな」
俺は脳内の工程表を更新した。
第一工程:地盤改良。
予定完了まで、あと――四十八時間。
異世界での俺の「初現場」が、いよいよ本格的に動き出した。
今回の建築用語解説
• 不陸: 地面の凹凸や、水平でない状態のこと。
• 4S: 整理・整頓・清掃・清潔。現場管理の基本。
• 遣り方: 建物の正確な位置や高さを決めるための仮設の囲い。
• 水糸: 水平を確認するために張る糸。
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