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Fランク冒険者がみんな弱いと思ったら間違いだ 〜街の雑用をするヒマもなく事件を片付けてたら、いつの間にか最前線戦力でした〜  作者: 那由多
第4章 紙の勝利と、消える子どもたち

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第96話 燃える写字房と、三本線の出口

 ぱち、ぱち、と音が増えた。


 火は、紙の部屋で育つのが早い。

 匂いが一段濃くなる。油、蝋、乾いた紙が焦げる甘さ――その奥に、喉を刺す黒煙。


「……来る」


 アメリアが、鉄板に刃を差し込んだまま言った。


 来る、は火のことじゃない。

 俺の鼻も、同じものを拾っていた。


 外から足音が増えている。

 善人の服の匂い。修道服の布。硬い歩き方。香油。――監察の“連れ”だ。


「ロウ、裏」


 シルヴァが短く言う。


「カイ、火種を袋へ。ミリア、棚を縫え。落とすな」


「了解」


 ミリアが杖を下げた。


「ライト・ピン」


 光の釘が床に刺さる。棚の脚元、倒れ方を縫う位置。

 棚がきし、と鳴っても、倒れ込む角度が変わる。


 カイは油瓶の上に濡れ布を被せ、布ごと袋へ押し込んだ。


「……臭い。これ、持って走るの嫌だ」


「嫌でも持つ」


 ミリアが即答する。刺じゃない。仕事の声だ。


 ロウが裏口へ回る途中で、縄を一度だけ壁に滑らせた。

 梁と梁に渡す線。人を捕まえる線じゃなく、“入ってくる足”を迷わせる線。


 その間も、アメリアは釘をこじっていた。


 鉄板が、ずるり、と外れかける。

 満ちた輪が打ち込まれた鉄。燃えない命令。


「アメリアさん、それ……」


 俺が言いかけると、アメリアは息も乱さず返した。


「重いけど、重いのは任せて。最強だから」


 冗談みたいに言うのに、嘘じゃないのが怖い。


 シルヴァが書く手の男――縄で拘束された男を見下ろした。


「喋るな。舌を動かすな」


 男は薄く笑った。喉の奥で笑う匂いがする。


「……燃えたら、慈善が襲われた話になる」


「そうだろうね」


 シルヴァは淡々と返す。


「だから燃える前に“残す”」


 帳面はすでにシルヴァの腕の下。

 欠けた月の印具はロウが押さえている。

 噛む黒の小粒はカイの布袋の中。


 残すものは揃っている。


 あとは――出る。


 ◇


 鉄板が外れた瞬間、火が一段大きく息をした。


 紙束が、ぱら、と崩れて火に食われる。

 熱が頬を叩く。


「行くよ!」


 アメリアが鉄板を肩に担ぎ、先に動いた。


 俺は床の継ぎ目――さっき見つけた踏み板の位置を、もう一度だけ目で確かめる。

 冷気の匂いは、ここから確かに上がっている。


 でも今は潜れない。

 煙が濃すぎる。火が近すぎる。


 潜った瞬間に戻れなくなる。


(今夜、“前室”は動く。だからこそ……今は焦るな)


 焦ると、紙が勝つ。

 その言葉が頭に残っていた。


「レオン!」


 ミリアが呼ぶ。


 俺は頷いて走った。


 扉を抜けた瞬間、外の空気が冷たくて甘かった。

 煙が肺から抜ける。代わりに街の匂いが戻ってくる。


 ユリシアが路地の入口に立っていた。眠そうな顔なのに、目だけが起きている。


「……外、来てる。修道服ふたり。あと香油ひとつ」


「足止めできる?」


 シルヴァが聞くと、ユリシアは肩をすくめた。


「殺さないならできる。……音、落とす?」


「落とせ。こっちは撤収」


 ユリシアが金属片を路地に滑らせる。


「サイレント・サークル」


 音が薄くなる。

 叫びじゃなく、囁きが死ぬ。向こうの“合図”が通らない。


 次の瞬間、写字房の窓が赤く膨らんだ。

 火が表に出た。


 修道服の男が「火事だ!」と叫びかけたが、声が奇妙に遠い。

 叫びは残る。けれど“整える囁き”が届かない。


 つまり、パニックを揃えられない。


 ――ユリシアの術は、そういう嫌らしい使い方ができる。


「こっち!」


 ロウが裏口側から戻ってきた。


「裏は塞いだ。縄じゃなく、扉の内鍵を噛ませた。

 しばらく開かない」


「いい」


 シルヴァが頷く。


「ガレスの詰所へ。証拠と捕虜を渡す」


 俺たちは路地を抜けて走った。


 ◇


 詰所の前は騎士が増えていた。

 火の匂いはすでに街へ広がっている。鐘の音が鳴り始めた。


 ガレスが俺たちを見るなり、顔をしかめた。


「お前ら……やったな」


「やった。燃やされた」


 シルヴァが帳面を机に叩いた。


「慈善写字房は満ちた輪の工房だ。鉄板の印も押さえた。これが現物」


 アメリアが肩の鉄板を――どん、と置いた。床が少し鳴る。


 詰所の騎士が息を呑んだ。


「……鉄に印……」


「燃やされても消えない形にしたかったんだろ」


 ガレスが唸る。


「捕虜は?」


「こいつ」


 ロウが縄を引いて、書く手の男を前に出す。


 男はまだ笑っている。

 でもその笑いは、さっきより薄い。火が通りすぎた匂いがする。


 ガレスが兵に命じる。


「地下牢へ。口と手を縛れ。舌を動かさせるな」


 兵が頷き、男を連行する。


 ここで一息――のはずだった。


 けれど、俺の鼻が息を許さなかった。


(……来る)


 冷たい湿気の匂いが、石畳の下から上がってくる。

 下水の湿気じゃない。霧紺の洞に近い湿り方。


 それに混じって――子どもの汗の匂い。


 近い。今、動いている。


 俺は思わず、詰所の床を見た。

 床じゃない。外。通りの端にある排水溝。


 そこから、冷気が漏れている。


「シルヴァ……今、運びが動いてます」


 シルヴァの目が細くなる。


「帳面に“前室 今夜”があった。……もう始まってるか」


 ガレスが即座に言う。


「騎士を出す。だが街の中で大人数は動かせん。混乱する」


「混乱は相手の餌だ」


 ミリアが低く言った。


 そしてアメリアが、いつも通りの軽い声で言う。


「じゃ、少人数で折る。

 街の中は私が得意。」


 詰所の騎士が一瞬固まって、慌てて頭を下げた。

 アメリアは気にしない。気にしない顔が一番強い。


 シルヴァが決める。


「レオン、匂いを追え。どの線だ」


 俺は息を吸った。


 帳面の三本線。袋小路、教会裏、染物屋裏。

 そのどれかから、本線へ繋ぐ。


 鼻に混ざる匂い――染料の酸味が、わずかにある。


(染物屋裏……)


「染物屋裏です。今、そこから冷気が上がってます」


「よし。行く」


 シルヴァはガレスに言った。


「騎士は表の線を張れ。逃げ道を塞げ。

 俺たちは下を止める」


 ガレスが頷く。


「生きて戻れ。……街を燃やすなよ」


「燃やすのは向こうだ」


 シルヴァが言い捨てて、走り出した。


 ◇


 染物屋裏は、鼻が痛くなる匂いがした。

 酢みたいな酸味と、濡れた布。そこに黒い湿りが混じっている。


 狭い路地の奥に、半地下の扉。

 鍵穴の周りに、薄い黒の滲み。


 “ここを通った”匂い。


 アメリアが俺の肩を軽く叩いた。


「先に言っとく。ここから先、無理したら私が怒る」


「……はい」


 俺が言うと、アメリアは満足そうに頷いた。


「よろしい」


 ユリシアが路地の入口に金属片を置く。


「サイレント・サークル」


 今度は路地だけが静かになる。

 街の遠い鐘の音は聞こえるのに、ここだけ音が落ちる。


 ロウが扉の前に縄を滑らせた。

 扉を開ける線じゃない。扉が開いたときに“閉じられる”線。


 カイが囁く。


「罠?」


「罠なら、音がする。音はない。……だから逆に怖い」


 ミリアが淡い灯りを指先に灯す。


「ライト」


 眩しくない。影を伸ばさない。

 中を覗ける程度。


 扉が開いた。


 冷気が、顔を撫でた。

 洞の湿気。霧の匂い。青黒い石の匂い。


 階段を数段下りた先で、足音が聞こえた。


 ――布擦れ。革紐。小さなすすり泣き。


(子ども……)


 俺たちは息を合わせた。


 角を曲がると、運び役が二人。

 手押し車に、布を被せた籠が二つ。


 籠の中の匂いが、子どもだと分かる。

 怖くて息を止めてる匂い。


 運び役の片方が、低い声で言った。


「急げ。火が上がった。上が騒げば、下は通る」


 もう片方が笑う。


「騒ぎは紙が作る。紙が勝つ。……俺らは運ぶだけだ」


 運ぶだけ。

 その言葉が腹の底を冷やす。


 アメリアが、息を吐いた。


「……運ぶだけなら、落としていいよね」


 言い方は軽いのに、目が笑ってない。


 シルヴァが指を二本立てた。


 “奪取”。倒すんじゃない。籠を取る。


 俺は匂いで距離を測る。

 運び役は黒を持っている。だが輪を敷く暇はなさそうだ。急いでいる。


 ミリアが杖を床へ向ける。


「ライト・ピン」


 光の釘が一本。運び役の足元じゃない。

 手押し車の車輪の前――“進めない場所”に刺さる。


 車輪が止まる。

 止まった瞬間、運び役の息が乱れる。


「何だ!?」


 運び役が籠に手を伸ばした。


 籠じゃない。籠の下の革紐――固定具に手を伸ばす。


(外す気だ。逃げる気だ)


 ロウの縄が飛んだ。


 手を取らない。紐を取る。

 固定具の結び目に縄を絡め、逆方向へ引く。


 結びが、ほどけない。

 代わりに“締まる”。結びが固くなる。


 運び役が苛立ち、黒い小瓶を床へ落とそうとする。


 ――輪を敷く気だ。


 だがカイが先に石灰を床へ撒いた。


 白が広がる。

 黒が落ちても、線になりにくい床になる。


「落としても、走りにくいよ。ごめんね」


 ごめんね、が嫌味じゃなく本音っぽいのがカイの悪いところだ。


 運び役が舌打ちして、ポケットから欠けた月の小札を出す。


 ――印で“抜け道”を作る気だ。


 アメリアが一歩で距離を詰めた。


 顎も手首も取らない。

 小札を持つ“指”だけを、剣の背で弾く。


 落ちた小札を、俺が木粉の上に踏みつけた。

 木が黒を嫌がらせる。札の匂いが鈍る。


 アメリアが淡々と言った。


「街の中で私の前で札を振ると、こうなるよ」


 運び役が目を見開く。


「……アメリア……!」


 シルヴァが短く言う。


「籠を取れ」


「はい」


 俺は籠の布を剥がした。


 中にいたのは、男の子。女の子。

 小さな手が震えている。口は閉じたまま。目だけが必死に開いている。


 俺は木片――井戸で拾った削り木を一つ、手のひらに乗せて見せた。


「これ、握れる?」


 子どもは一拍遅れて、木片を掴んだ。


 掴めた。


 ミリアが膝をつき、柔らかい声で言う。


「歩ける? 走らなくていい。――今、戻る」


 子どもが小さく頷く。


 その横で、ロウが運び役の懐から木札を引き抜いた。

 三本線。欠けた月。満ちた輪。――そして走り書き。


 《前室》

 《霧紺》


 ミリアが息を止めて、吐いた。


「……やっぱり前室へ運ぶ」


 シルヴァが頷く。


「今夜、動く。……間に合うかどうかは、次の線次第だ」


 アメリアが籠をひょいと持ち上げた。


「子どもが軽いんじゃない。私が強いだけ」


 言い方がいつも通りで、妙に安心した。


 ◇


 地上に戻ると、鐘の音が大きくなっていた。

 写字房の火は、遠くの空を赤く染めている。


 街は騒いでいる。

 でも“揃って”はいない。ユリシアのサイレント・サークルが、囁きを殺したからだ。


 ガレスの兵が走り回り、井戸の母親たちが互いに声を掛け合っている。

 さっきまで声を出せなかった人たちが、今は声で線を作っている。


 俺は子どもたちの手にある木片を見た。


(木は残る。紙は燃える。……だから残す)


 アメリアが俺の横を歩きながら、ぽつりと言った。


「レオン。今日、あなた良かった。

 “最短”って、焦って前に出ることじゃない。戻れる道を残すことだよ」


「……はい」


 返事をした直後、俺の鼻がまた冷たい匂いを拾った。


 まだ終わってない。

 前室は、もっと奥で呼吸してる。


 俺たちは二人を救った。

 でも帳面には“子5”。まだ足りない。


 足りない、という現実が、胸を冷たくする。


 ミリアが杖を握り直した。


「次の線、どこ?」


 シルヴァが俺を見る。


 俺は息を吸って、街の風の中を読む。


 霧の匂いが、ほんの少しだけ強い方向がある。

 青黒い石の匂い――霧紺へ向かう本線の匂い。


「……こっちです」


 指を差すと、アメリアが先に歩き出した。


「じゃ、行こ。夜勤続行」


 その背中は、近い。

 でも頼もしい。


 火の赤が空に残る中、俺たちは次の冷たい匂いへ走った。


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