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Fランク冒険者がみんな弱いと思ったら間違いだ 〜街の雑用をするヒマもなく事件を片付けてたら、いつの間にか最前線戦力でした〜  作者: 那由多
第4章 紙の勝利と、消える子どもたち

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第95話 紙の刃と、燃える順番


 写字房の中は、紙の匂いで満ちていた。


 乾いた紙。湿ったインク。蝋。

 その全部の上に、薄い油の匂いが乗っている。


(火種……最初から燃やす気だ)


 暗がりから立ち上がった男は、指先が真っ黒だった。煤じゃない。染みついた黒。

 “書く手”の黒だ。


「……来たか。燃える前に来るとは、律儀だな」


 声は小さい。なのに、紙みたいにまっすぐ刺さる。


 男の背後――壁に打ち込まれた鉄板。

 満ちた輪の印が、嫌なほどきれいに残っている。


 机の下には油瓶が二つ。

 棚の裏にも、もう一つ……匂いがある。三つ目だ。


 シルヴァが低い声で言った。


「目的は三つ。火種を潰す。証拠を押さえる。――生きて出る」


「了解」


 ロウが縄を持ち直す。

 カイが紙束の山を見て、目を細めた。


「燃えたら、証拠が消える。……つまり、相手の勝ち筋は“火”だね」


 ミリアが一度息を吐く。怒りを吐き出すみたいに。


「なら、火を勝たせない」


 その言い方は硬いのに、迷いがない。


 アメリアが半歩前に出た。

 さっきまで“奉仕の人”の顔だったのが、今はちゃんと“先輩”の顔になっている。


「燃やすなら順番があるよ」


 彼女は男を見て、淡々と言った。


「燃やす前に、まず隠す。隠す前に、まず運ぶ。

 ――あなた、焦ってる」


 書く手の男の目が、ほんの僅かに動いた。

 “当たった”匂いがした。インクの匂いが一瞬だけ濃くなる。


「黙れ。Fのくせに」


 男が指を鳴らす。


 紙束が、ざわり、と浮いた。

 風がないのに紙が立つ。折れて、尖って、刃になる。


(紙の刃……!)


 でも狙いは俺じゃない。ミリアの杖先だった。

 呪文を止めるなら、口より手。


「ミリア!」


 俺が声を上げるより早く、アメリアが棒を振った。


 叩かない。切らない。

 “払う”。


 紙の刃が、空中でふわりと向きを変えて壁に当たる。

 刺さらない。紙は紙だ。刺さらない角度にされただけ。


 アメリアが軽く言う。


「ミリア、火種。ロウ、男の手。カイ、紙の山を崩さないで」


「……了解、先輩」


 ミリアが素直に返す。

 それだけで、空気が一段整った。


 ◇


 ミリアは杖を下げ、机の下へ光を滑らせた。


「ライト」


 淡い灯り。眩しくない。

 油瓶の位置が見える。


 ミリアは“攻撃”じゃなく、“止める釘”を選んだ。


「ライト・ピン」


 光の釘が床に刺さる。

 油瓶のすぐ横。転がる方向を縫う位置。


 瓶が倒れても、転がり切らない。

 割れる前に止まる。


「……よし」


 ミリアが小さく呟く。


 カイがすぐに布袋を投げた。

 濡らした布――蝋の匂いがする。教会で拝借したやつだ。


「これ被せる。落ちても割れないように」


「助かる」


 ミリアが短く返す。今日は刺が出ない。


 その間にロウが動いた。


 縄を投げる。狙いは男の胴じゃない。

 男の“手首”――鉄板に触れる手だ。


 だが男は、紙の刃をもう一枚飛ばして縄を切ろうとした。


 切れない。紙だ。

 ただ、紙の刃が縄に貼りついて絡む。


「……っ、うざい」


 ロウが眉を寄せた。


 絡む紙は“刃”じゃない。

 “拘束”だ。


 紙が縄を邪魔する。

 紙が線を嫌う。だから、線を紙で汚してくる。


(嫌なやり方……)


 俺は鼻で息をした。


 インクの匂いが濃い。

 紙の匂いも濃い。――その奥に、甘い油が動く匂い。


(棚の裏……火種、三つ目がある)


「ミリア、棚の裏にも油がある」


「……分かった!」


 ミリアが灯りをずらす。

 棚の影に、陶器の小瓶。倒れたら割れる。火が走るタイプ。


 アメリアが男の前に立ったまま、振り返らずに言った。


「レオン、棚の裏の瓶、あなた取れる?」


「取れます」


 俺が動こうとした瞬間。


 書く手の男が、鉄板に指を添えた。


 ――じわ。


 鉄板から黒が滲んだ。床へ落ち、線になる。

 輪が描かれる。命令の“場”。


 空気が重くなる。


 膝に鉛が入ったみたいに、身体が「従う方向」を探し始める。


「……伏せろ」


 男が小さく言った。


 声は小さい。

 でも輪が、その声を“街の正しさ”に変える。


 ミリアの杖が、わずかに下がりそうになる。

 ロウの縄を持つ手も、迷う。


 俺も、息が詰まった。


(揃えられる……!)


 その瞬間、アメリアが棒を床に当てた。


 カン、と鳴りそうな音を――鳴らさない。

 床に“押す”だけ。


 輪の線の上。

 そこへ、アメリアが棒の先で木片を滑らせた。


 いつの間にか、アメリアの袖から薄い木片が出ていた。

 井戸で母親が握っていた、あれに近い匂い。


 木が、黒を嫌がらせる。


 輪が一拍、滲んだ。


「……っ」


 身体が軽くなる。

 命令が“揃い切らない”。


 アメリアが淡々と言う。


「命令って、綺麗に書けないと効かないんだよ。

 ほら、あなた雑になってる」


 男の目が歪む。

 怒り――じゃなく、焦りだ。


 ユリシアの声が、外から薄く落ちた。サイレント・サークルの外からなのに届くくらい、短い言葉。


「スクリプト・キャンセル」


 床に広がりかけた輪が、ほどけて消えた。

 命令の重さが抜ける。


 シルヴァが一歩踏み出す。


「今だ。レオン、火種を取れ」


「はい」


 ◇


 棚の裏へ滑り込む。


 紙の匂いが鼻に刺さる。

 でも油の匂いはもっと刺さる。燃える匂いは強い。


 陶器の瓶は小さい。

 倒れたら割れる。割れたら走る。


(落とすな)


 俺は剣を抜かない。手が増えるだけだ。


 木粉の袋を開け、瓶の周りへ薄く落とした。

 木の粉が“滑り止め”になる。黒が嫌がって、瓶の周りのインクの滲みも薄くなる。


 そのまま、瓶を両手で包むように掴む。

 持ち上げる。息を止めない。止めたら震える。


 棚の影から出た瞬間――紙が飛んできた。


 刃じゃない。紙の束。

 視界を塞ぐ。鼻も殺す。


(煙幕みたいに……)


 紙束が顔に当たりそうになったところで、アメリアの棒が横から入った。


 棒が紙を叩くんじゃない。

 紙の“風”を殺す。落とす。


 紙束が床に落ちる。


「レオン、走らない。歩いて」


 アメリアの声は軽いのに、命令じゃなく指示だ。

 聞ける声。


「はい」


 俺は瓶を抱えたまま、ミリアのいる机の下へ運ぶ。


 ミリアが即座に、釘を一本増やした。


「ライト・ピン」


 瓶の置き場の四隅に、光の釘。

 転がらない。倒れない。


 カイが布袋を被せる。


「これで火種、三つ目」


 ミリアが頷く。


「あと一つ……油瓶がもう一つ、匂いがしたはず」


「机の下、二つ。今押さえてる」


 カイが言う。


 つまり火は、いったん止めた。


 ――なのに、安心できない。


 書く手の男は“火”を止められることも計算してる顔だ。

 計算の顔をして、次の手を引く。


 男が、机の引き出しを引いた。


 紙が見える。帳面。

 でも紙じゃないものも見えた。――黒い小粒。歯の形。


(噛む黒)


 噛むためじゃない。

 “投げる”ための動きだ。


 男は噛まない。噛めない。

 代わりに、小粒を床へ落として踏むつもりだ。


 踏めば、黒が走る。輪が“雑に”広がる。

 ここが一瞬で命令の場になる。


 アメリアが先に動いた。


 棒を投げる。

 投げるのに、音がしない。


 棒は男の足元の手前に転がり、男の踏み込みを止めた。

 棒そのものが“線”になった。


 アメリアは空いた手で、机の端を叩く。


 机が揺れ、引き出しが一度閉まる。

 男の指が挟まりそうで挟まらない、ぎりぎり。


 ――怖い距離感。


 最強の先輩は、派手にやらない。

 派手じゃないのに、相手の段取りを折る。


 男が怒鳴りかける。


「貴様――!」


 その瞬間、ロウの縄が男の肘を取った。

 手首じゃない。肘。力の向きが変わる位置。


 カイが横から布を当てる。口じゃない。指先だ。

 黒い小粒を掴めないようにする。


 ミリアが短く言う。


「ライト」


 淡い光で、黒い小粒の位置を照らす。

 見えれば踏めない。踏めなければ走らない。


 男が呻く。


「……こんな、Fどもが……!」


 アメリアが男の目の前に立ち、少しだけ声の温度を下げた。


「Fだから、じゃない。ここが街だから。

 街で新人たちに何かあれば、私が怒る」


 その言葉に、男の顔が歪んだ。


「ギルド最強……だから、街に縛られてるんだろうが」


 アメリアは笑わない。


「縛られてるんじゃない。守ってる」


 短い返し。

 その短さが、アメリアらしい。


 シルヴァが男の胸元から帳面を抜いた。

 紙の匂いが濃い。新しい。まだ湿っている。


「……証拠、押さえた」


 男がそれを見て、初めて本気で焦った。


 帳面があると、整合が崩れる。

 紙で勝つ相手には、紙が弱点になる。


 男は体を捻って逃げようとする。


 だが逃げ道は、ロウが“線”で塞いでいた。

 梁と梁に渡した縄が、蜘蛛の巣みたいに薄く張られている。


 男が一歩動くたび、紙の刃が絡む。

 絡んだ紙は、縄に引っかかる。


 男の“書く黒”が、初めて自分の足を取った。


 ◇


 帳面を開くと、最初のページに三本線が描かれていた。


 袋小路。教会裏。染物屋裏。

 その三本のさらに奥へ伸びる一本線――霧の印。


 ミリアが息を止める。


「……霧紺」


 シルヴァがページをめくる。

 数字。記号。短い走り書き。


《搬送:子 5》

《欠け月:2》

《満ち輪:1》

《前室 今夜》


 前室。

 霧紺の洞の“手前”。


 俺の鼻が、床の継ぎ目の冷たさを拾う。

 ここは地下と繋がっている。しかも、今夜動く。


「この下です」


 俺が言うと、男が笑った。


「……分かるのか。犬みたいな鼻だな」


 ミリアの目が鋭くなる。

 でも口は荒くならない。


「犬の話は今じゃない。――下はどこに繋がる」


 男は答えない。


 答えない代わりに、舌の裏を動かした。

 噛む黒――じゃない。飲み込む黒。


(消す気だ)


 口を叩くんじゃ遅い。


 アメリアが、男の顎じゃなく――喉元の少し下、鎖骨のあたりを指で押さえた。


 力じゃない。角度だ。

 飲み込む動きができない角度。


 男の舌が止まる。


 アメリアが淡々と言った。


「飲み込むのも禁止。今日はね」


 カイが布を口に当てる。

 ロウが縄を締め直す。動きを“安全な形”にする。


 最強の先輩は、顎をつくだけじゃない。

 相手の逃げ方を全部、先回りで潰していく。


 そのとき――上で、ぱち、と音がした。


 火の匂いが、急に濃くなる。

 写字房の外からじゃない。中だ。


(誰かが……別の火種を)


 ミリアが顔を上げる。


「まだある!」


 棚の奥。紙束の下。

 見えない場所に、油の匂いが走る。


 書く手の男が、口の端だけで笑った。


「……燃えるのは紙だけじゃない。信頼も燃える」


 アメリアが男を見下ろし、静かに言った。


「信頼は燃えないよ。燃えるのは嘘だけ」


 シルヴァが即断する。


「撤収準備。鉄板を外す。帳面は持つ。男も連れて出る。

 ――レオン、床を見ろ。穴を探せ」


「はい」


 俺は鼻で息をして、冷気の強い継ぎ目を探した。


 床の一枚が、ほんの僅かに浮いている。

 木の匂いが薄い。――開く板。


(ここ)


 次の場所が、足元にある。


 でも今夜は、ここで潜れない。


 火の匂いが強すぎる。

 紙の部屋は、火に勝てない。


 アメリアが鉄板の釘に刃を差し込みながら、振り返って言った。


「大丈夫。逃げないよ。

 ――前室も、霧紺も、扉も。逃げるのは人だけ」


 その言い方が、怖いほど落ち着いていた。


 そして、写字房の灯りが一段揺れた。

 揺れ方が“燃え始め”の揺れだった。


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