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Fランク冒険者がみんな弱いと思ったら間違いだ 〜街の雑用をするヒマもなく事件を片付けてたら、いつの間にか最前線戦力でした〜  作者: 那由多
第4章 紙の勝利と、消える子どもたち

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第93話 共同井戸の輪とギルド最強


 共同井戸の方角から、声が漏れていた。


 怒鳴り声じゃない。泣き声でもない。

 それなのに、胸の奥がざわつく。


 人が集まっているときの匂い――汗と布と土。

 そこに、乾いた紙とインクの匂いが混ざっている。香油も少し。

 さらに、その奥に“黒い粉”の気配がある。


(……いやな混ざり方だ)


 俺が立ち止まると、ミリアも足を止めた。杖を握る指が、わずかに強くなる。


「ノーラの伝言、当たってるわね」


「はい。井戸の周り、輪が敷かれてます」


 見えるわけじゃない。

 でも鼻の奥が「ここに線がある」と言っている。石畳の上に、薄い“場”がある匂いだ。


 ロウが通りの端で、視線だけ動かして周囲を確認する。


「逃げ道、二つ。荷車が一台、もう一台……裏に回してあるかも」


 カイが唇を尖らせる。


「隠す気満々だね。慈善の顔して」


 慈善。確認。保護。

 言葉は綺麗なのに、匂いは汚い。いつもそうだ。


 そのとき、後ろから足音が来た。

 軽いのに、周りが自然に道を開ける足音。


「遅い」


 アメリアだった。


 ギルド最強。

 それなのに、今日の格好はやけに“街の人”だ。派手な鎧もなければ、目立つ武器もない。腰に短い棒一本。支え杖みたいな長さ。


 通りすがりの人が、アメリアに気づいて息を止める。

 母親が子どもの肩を抱き寄せ、小声で囁く。


「……アメリアさんだ……」



 アメリアは俺たちを見て、いつも通りの調子で言う。


「ここ、気持ち悪いね。静かすぎる」


 静かすぎる。

 たしかにそうだ。人がこれだけ集まっているのに、音が揃っている。


 “揃う”――満ちた輪の匂い。


 ミリアがいつもより少し丁寧な声で言った。


「輪を剥がせますか?」


「剥がすのはユリシアの仕事。私は――崩す」


 崩す、という言い方が妙に具体的だった。


「声が出る前に潰されてる。だから、声が出る隙を作る」


 アメリアはそう言って、共同井戸の方へ顎で示す。


「見て。あれ、輪の中心」


 井戸の縁。白い布を敷いた台。紙束。

 その角に押された丸い印――満ちた輪。


 そして読み上げているのは、若い書記風の男。

 少し後ろの日陰に、袖の綺麗な眼鏡の男が立っている。靴は濡れていない。目線は列全体を撫でるように動いていた。


「……安全確認のため、未成年者は一時的に“確認”を受けます。抵抗は危険ですので――」


 声は柔らかい。

 でもその声を“柔らかいまま通す”仕掛けが、石畳に敷かれている。


 輪の中にいる母親たちが、声を飲み込んでいるのが分かった。

 怒りが喉まで来ているのに、最後の一押しができない。できないようにされている。


 アメリアが小さく息を吐いた。


「じゃあ行くね」


「……列に?」


 カイが驚いた顔をする。


 アメリアは軽く頷く。


「強い人が前に立つと、相手は“式”にしたがる。

 だから今日は、普通の顔。普通の手。普通の人で行く」


 普通の人。

 その言い方が、なぜかしっくりきた。


 アメリアは母親と子どもの列に、自然に混ざった。

 威張らない。押さない。空気を変えない。


 でも、列の温度がほんの少しだけ上がる。

 「助けが来た」じゃなくて、「助けを呼んでいい」温度。


 日陰の眼鏡の男が、視線を動かした。

 香油の匂いが一瞬濃くなる。


(合図)


 その合図に反応して、腕章の男が列の端から動く。

 母親の肩に手を置いて、低い声で言う。


「静かに。確認が済めば終わります」


 終わらせる側の声だ。


 アメリアが、その手を見て、にこりと笑った。


「ねえ、確認って具体的に何するの?」


 柔らかい声。

 でも“逃げ道を削る質問”だった。


 腕章の男が眉をひそめる。


「規定です」


「規定の番号、言える?」


 言い淀み。

 その一瞬で、輪の中の母親の背中が少しだけ起きる。


 俺はその隙を逃さず、指先で木粉の袋を開けた。


 石畳の輪の線へ、こぼれ水に混ぜるように落とす。

 白い木の粉が薄く散る。


 黒が、ぴくりと嫌がった。


(効く)


 輪が完全に壊れるわけじゃない。

 でも“揃える力”が一拍だけ乱れる。


 同時に、路地の影――ユリシアが金属片を置く音がした。


「サイレント・サークル」


 空気が厚くなる。

 叫びが消えるんじゃない。囁きが死ぬ。


 日陰の眼鏡の男が、口を動かした。

 いつもなら列に“整った言葉”が滑り込むはずの瞬間。


 ……入ってこない。


 輪が揃えようとするのに、揃えるための囁きが届かない。

 輪だけが空回りする。


 母親が息を吸った。


「……返して」


 小さな声。

 でも、声だ。


 輪が濃くなる気配。石畳の黒い匂いが、じわっと立ち上がる。

 声を嫌って、揃え直そうとする。


 ミリアが杖先を下げた。


「ライト」


 淡い光。眩しくない。

 輪の中心――井戸の縁の一点が“見える”ようになる。


 ユリシアが続ける。


「スクリプト・キャンセル」


 輪がほどけた。


 墨が水に落ちるみたいに、石畳から薄く滲んで消えていく。

 場の重さが抜け、列が「それぞれの体温」に戻る。


 その瞬間を待っていたみたいに、ガレスが鉄札を掲げて割って入った。


「城塞命令! 未成年者は城塞が保護する! 監察は下がれ!」


 今度は通る。

 通すべき声が通る。


 腕章の男の目が揺れた。

 揃っていた“正しさ”が崩れて、ただの人間の目になる。


 その横で、日陰の眼鏡の男が一歩だけ動いた。

 袖の内側が、僅かに揺れる。


(噛む黒)


 匂いが来た。あの歯みたいな小粒の匂い。


 だが、アメリアはもう男の横にいた。


 短い棒を“支え杖”のふりをして、男の肘の内側へ差し込む。

 肩から崩す。噛む角度そのものを消す。


 アメリアが小さく囁いた。


「今日は噛ませないよ。」


 男の目が怒りで濁った。

 でも、その怒りは遅い。


 騎士団が列を解体し、子どもを母親の後ろへ戻していく。

 荷車が押さえられ、幌がめくられた。


 革紐。小瓶。黒い粉。

 “確認”の道具じゃない。“運ぶ”道具だ。


 母親の一人が震える声で言った。


「……やっぱり、連れて行くつもりだったんだ……」


 アメリアがその母親の隣にしゃがみ、目線を合わせた。


「うん。だから止めた。あなたの声、戻ったでしょ」


 母親が、泣きそうな顔で頷く。

 アメリアが立ち上がって、周囲に聞こえるくらいの声で言った。


「大丈夫。ここから先は、ちゃんと守る」


 ◇


 後始末は早かった。


 ガレスが腕章の男を拘束し、騎士団の若い兵が何度も頭を下げる。

 空っぽだった目が、痛そうに揺れている。


 ミリアが荷車の荷の匂いを嗅ぎ、顔をしかめた。


「……インクが湿ってる。新しい紙が近くにある匂い」


 ロウが幌の木枠を指先で叩いた。


「ここ、木が少ない。わざと避けてる」


 木を避ける。黒が嫌うから。


 俺は日陰の方を見た。

 眼鏡の男は――もういない。


 代わりに、アメリアが袖口から一枚の紙を滑らせて、ミリアに渡した。

 満ちた輪の印が押された“通達”の一枚。


「取ってきた。……紙ってほんと、軽いね」


 軽いのに、人を重くする。


 ミリアが紙を見つめ、匂いを確かめる。


「蝋の匂い。教会裏……写字房ね」


「俺も同じ匂いを拾ってます」


 インクと蝋。紙の乾き。

 そして、薄い薬草。地下の匂い。


 アメリアが肩を回して言った。


「じゃ、行こ。燃やされる前に、紙の心臓を抜く」


 恐れ多いのに、身近な先輩の口調だ。

 それが不思議と、心を軽くした。


 母親たちの声が、ようやく街の音に戻っていく。

 泣き声も、怒鳴り声も、全部“生きてる音”だ。


 俺たちはその音を背に、教会裏へ走った。


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