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Fランク冒険者がみんな弱いと思ったら間違いだ 〜街の雑用をするヒマもなく事件を片付けてたら、いつの間にか最前線戦力でした〜  作者: 那由多
第4章 紙の勝利と、消える子どもたち

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第90話 インク・リヴィールと、消せない命令

!祝90話!!!!


 城塞の医務室は、静かすぎて落ち着かない。


 薬草の匂いは強いのに、紙の匂いがない。

 代わりに石と鉄の冷たさが鼻に入ってきて、頭が冴えてしまう。


 例の子ども――外套の中で眠っていた子は、薄い粥を口にしてから、少しだけ目が動くようになった。

 まだ言葉は出ない。出せないというより、出す順番を忘れてるみたいな目だ。


 治療師が、包帯の下の手首をそっと見せた。


 黒ずんだ輪の跡。

 擦ってできた汚れじゃない。皮膚の下に、墨が染みたみたいな色がある。


「……これは?」


 俺が聞くと、治療師は淡々と言った。


「“墨痣ぼくあざ”。粉と汗が傷に入った。時間が経つと熱を持つ。

 ただ、薄くなる癖もある」


 そう言って、治療師は小さな木片――ノーラが持ってきたのと似た、薄い木を取り出した。

 木の端に水を含ませ、輪の跡に軽く当てる。


 ――じわ。


 黒ずみが、ほんのわずかに滲む。

 布に移る。皮膚から離れるみたいに。


 ミリアが息を止めた。


「木で……抜ける?」


「全部じゃない。けど“嫌う”」


 治療師は短く答えた。


「黒い粉は、木の成分に反応する。だから、あの子は木を触らされなかったはずだよ」


 俺は、昨日の臼の部屋を思い出した。

 石と鉄と粉。木がほとんど無かった。


 あれは偶然じゃない。


 ◇


 昼過ぎ、ガレスが医務室に来た。鎧は着ていないが、歩き方だけは騎士団だ。


「例の紙だ」


 彼は布に包んだ書類を机に置いた。

 あの眼鏡の男が持ってきた“保護の規定”。


 ミリアが嫌そうに指先で端をつまむ。紙の乾いた匂いに、香油の薄さが混じっている。


「これ、燃やされる前に取れたのは大きい」


「燃やすのは簡単だが、残すのが難しい。……だから今日は、残す」


 ガレスは視線を横に投げた。


 ユリシアが窓辺に立っていた。眠そうな目のまま、紙を見下ろす。


「調べて。『印』が本物かどうか」


 ガレスが言うと、ユリシアは頷きもしない。


「……見るだけ。触らない。触ると向こうが喜ぶ」


 指を鳴らす代わりに、彼女は紙の上に小さな金属片を一枚置いた。

 紙じゃないものを、紙の上に置く。


「インク・リヴィール」


 派手な光は出ない。


 でも――紙の角に押された“欠けた月”の印が、薄く浮いた。

 浮く、というより「二重に見える」。


 表の黒。

 その下に、もう一枚、湿った黒が貼りついている。


 ミリアが眉をひそめた。


「……二重?」


「上塗り」


 ユリシアが短く言う。


「普通のインクの上に、“別の黒”を薄く乗せてる。

 紙の字は綺麗。けど匂いは汚い」


 ガレスが歯を噛む。


「つまり、公式の紙に――あの黒が混じってる」


「混じってるというか、混ぜてる」


 ユリシアは紙をめくらずに続けた。


「印を押した人間が、“押した”だけじゃない。

 “染み込ませた”。消したいものを、消せる黒で」


 俺は紙の印を見た。


 欠けた月の形が、俺たちが奪った印具と同じ欠け方をしている。

 なのに、下の黒は別物だ。


 ……同じ形で、別の黒。


 ミリアが小さく言った。


「印具が一つじゃない」


「か、押したあとに“黒”を足してる」


 ロウが淡々と補足する。


 ユリシアが、紙の端に視線を落とした。


「もう一つある」


 そう言って金属片をずらすと、紙の余白に、細い線が浮いた。


 欠けた月じゃない。

 満ちた円に近い、薄い輪。


 ミリアの目が細くなる。


「……二段構え」


 ガレスが低く言った。


「封鎖の印と、命令の印……か」


 俺は、嫌な予感が形になるのを感じた。


 扉が二枚だった。

 紙の印も二枚。


 同じ段取りが、地上と地下で揃っている。


 ◇


「で、どうする」


 ガレスが聞いた。


 “どうする”の主語が、もうギルドだけじゃない。城塞が混ざってきた。


 シルヴァが言った。


「今日のうちに動く。地下の“作業場”は確認済み。扉も開けられる。

 問題は、動く理由と、残す記録だ」


「記録は残す」


 ガレスは即答した。


「ただし紙は危険だ。――今見た通り」


 ユリシアがぼそっと言う。


「紙は燃える。墨は走る。……だから石か鉄」


 ミリアが頷いた。


「石札」


 俺たちは、互いに顔を見た。


 ギルドで始めたやり方。

 “紙の外”に残すやり方。


 ガレスが顎を引く。


「よし。城塞の命令は鉄札に刻む。

 石工にも回す。二重で残せば、向こうは整えにくい」


 シルヴァが短く息を吐く。


「……助かる。だが、向こうも焦る」


「焦らせたのは俺たちだ」


 ガレスはそう言って、医務室の奥――眠る子どもの方角を一度だけ見た。


「焦って雑になった瞬間を、掴む」


 “雑”は、ここまで来ると希望みたいな言葉だ。


 ◇


 その頃、ノーラはギルドの裏で“声”を拾っていた。


 夕方、医務室に顔を出したノーラは、疲れた顔で、それでも背中がまっすぐだった。


「増えてる」


 第一声がそれだった。


「張り紙が無いから、母親たちが――名前を、口で言う。

 でも言う場所が決まってきた。教会の前と、井戸の近く。……人が集まるから」


「井戸?」


 ミリアが眉を上げる。


 ノーラは頷いた。


「古井戸じゃない。街の共同井戸。

 水汲みの列って、声が混ざるの。……聞いてる人も混ざる」


 “混ざる”。

 その言葉が、嫌なほど今の街に合う。


 ノーラは続けた。


「それと、噂。灰袋を運ぶ影が、袋小路だけじゃなくて、教会の裏でも見えたって」


 ロウがすぐに反応する。


「出入口が複数ある」


「うん。袋小路が塞がれても動けるようにしてる。……段取りがいい」


 ノーラは悔しそうに、でも誇らしげに言った。


「でもね。段取りがいいほど、“見張る場所”も増える。

 私は……そこだけは、できる」


 ヴァルターの教えが入っている顔だった。

 盾がなくても、線を引ける顔。


 ◇


 医務室の窓が、かすかに鳴った。


 誰かが外を通っただけの音。

 でも俺の鼻が、先に拾った。


 香油。乾いた紙。――薄い墨。


(来てる)


 ユリシアが面倒くさそうに言った。


「……この部屋、今“聞かれてる”」


 ミリアが息を止める。


「え、盗聴?」


「術じゃない。人」


 ユリシアは窓の外を見ずに言う。


「耳を置く人間がいる。だから――」


 金属片を指先で弾いた。


「サイレント・サークル」


 空気がまた、少し厚くなる。

 外の気配が、遠のく。


 ユリシアがようやく窓の方を見て、短く吐き捨てた。


「……今日は“紙”じゃなくて、“人”で来た。焦ってるね」


 焦っている。

 焦って雑になっている。


 ガレスが立ち上がった。


「今夜、動く。鉄札と石札を二重で残す。

 地下へ入る班は――ギルドの動ける者。城塞は地上の線を作る」


 シルヴァが頷く。


「レオン、ミリア、ロウ、カイ、アメリア。

 ノーラは残って声を拾え。――“残す役”は必要だ」


 ノーラは悔しそうに頷いた。

 悔しいのに折れないのが、今は頼もしい。


 ミリアが医務室のベッド脇の木片を見た。


 子どもが爪で刻んだ欠けた月。臼の丸。黒い点。

 そして、さっき新しく刻まれたものが一つ。


 ――三本線。


 道を示すみたいな、三つの筋。


「これ……」


 ミリアが呟く。


「出口が一つじゃない。三つあるって言ってる」


 ロウが頷いた。


「教会裏、袋小路、あと一つ。……まだ掴めてない場所だ」


 俺は木片を手に取った。

 木の匂いが、薬草の匂いに混ざる。


 木は嫌われる。

 だから残る。だから、見える。


 外で煙が上がっている。

 今夜もきっと、紙が燃える。


 でも今夜は、紙じゃなく――鉄と石と木で、命令と証拠を残してから、扉を開ける。


 扉の向こうの臼の音を、今度こそ止めるために。


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