第9話 Fランク線を引く練習①
ギルドの歓迎会から、一晩明けた。
安宿の硬いベッドで目を覚ますと、腕がじんじんしていた。
昨夜、黒いスライムの飛沫を受けたところだ。
(……まだちょっとひりひりするな)
とはいえ、動かないほどではない。
村で薪割りを一日中やった翌日と比べれば、むしろ軽い。
階下の食堂に降りると、もう何人かが朝食をとっていた。
パンと薄いスープ、干し肉少々。冒険者としては、十分だ。
「おはよう、レオン」
先に来ていたミリアが、片手をひらひら振った。
隣の席にはカイとノーラ、ロウも座っている。
「おはようございます」
「ギルド最強と対等に話して、ついでに黒いスライムも真っ二つにしたFランクの朝はどう?」
「寝起きはいつも通りでしたけど」
「そういうとこだよねぇ」
ミリアがため息をつく。
カイがニヤニヤしながらパンをちぎった。
「しかし、“ギルド最強がFランク”っての、よく考えるとだいぶ頭おかしいよな」
「ギルド最強、って本当にそうなんですか?」
「噂レベルだけどね」
ミリアが肩をすくめる。
「“トラヴィスのギルドで一対一の決闘やったら、誰もアメリアに勝てない”って話。
Sランク候補だっただの、本当はどこぞの英雄パーティの元メンバーだの、いろいろ言われてる」
「真偽不明がすぎる……」
ロウがぼそっと呟いた。
「でもまあ、“強くて、わざとFに居続けてる”ってところまでは、ほぼ確定」
ミリアはスープをすすりながら続ける。
「ああいうのがいるとさ、“Fランク=雑魚”って思ってる連中の認識を、じわじわ歪ませられるのよ。
……まあ、それでも大半は“F=雑用”扱いだけど」
「アメリアさん、昨日も言ってましたよね。
“正しいこと”と“ランクを上げること”、両方諦めるなって」
「そうそう。あれ、けっこうな名言」
カイが指を鳴らす。
「レオンも聞いてたろ? “危ないとこに突っ込みたがる目”って言われてたやつ」
「覚えなくていいところだけよく覚えてるな、お前は」
ロウがツッコんだ。
「……でも、実際そうだから困るんですよね」
俺はパンをかじりながら、少しだけうなずく。
「黒い何かを見つけたら、どうしたって放っておけないですし」
ミリアがスプーンを置いて、俺の方をじっと見た。
「全部自分で何とかしようとするんじゃなくて、“ここから先は上に回す”って判断。
それできないと、いつか本当に死ぬからね」
「……はい」
口では返事をしながら、胸の奥には「でも」という言葉が引っかかっていた。
(でも、目の前で誰かが死にそうなら——)
そう考えてしまうのは、村での暮らしのせいだろうか。
冬の間に誰かが倒れたら、村全体に関わる。
“無理はするな”と言われても、誰かが前に出ざるを得ないときはあった。
「まあ、その“線引き”も含めて、今日から練習ね」
ミリアが立ち上がる。
「朝食べたらギルド行くよ。
アメリアさんから、ちょっと“伝言”があるらしいし」
「伝言?」
「受付に、“レオンとミリアが来たら二階へ通して”って言付けが来てた。
……逃げないでね?」
「なんで逃げる前提なんですか」
◇
ギルドに入ると、一階はいつものざわめきに包まれていた。
掲示板の前にはFランクの子どもたちが群がり、奥のテーブルではベテランらしき冒険者たちが朝から酒をあおっている。
「おはようございます、レオンさん、ミリアちゃん」
受付のリサが、いつもの笑顔で迎えてくれた。
「おはよう、リサ。アメリアさんから何か?」
「はい。
お二人が来られたら、二階の小会議室に来てほしいと。
すでにいらっしゃってます」
「ですよねー」
ミリアが苦笑する。
「じゃ、行こっか」
俺たちは二階へ上がった。
◇
小会議室の扉をノックすると、すぐに「どうぞ」という声が返ってきた。
中にいたのは、アメリア一人だった。
槍は壁に立てかけ、椅子に腰掛けてテーブルに何かを広げている。
「来たね」
アメリアは顔を上げ、軽く手を振った。
「昨日はご苦労さま。
歓迎会で黒スライムと戦うFランクなんて、なかなか見られないから、いいもん見せてもらったよ」
「できれば、ああいうのは歓迎会の外でお願いしたいですけど……」
ミリアがぼやく。
「ほんとにね。
こっちも、酒をゆっくり飲みたかった」
アメリアは冗談めかしてから、表情を引き締めた。
「さて。本題」
テーブルの上には、簡単な地図が広げられていた。
トラヴィス市と、その周辺。
そこに、赤い印がいくつも付けられている。
「市場」「空き地」「下水第3排水路」「空き家」「ギルド食堂」——
どれも、俺たちが黒い何かを見つけた場所だ。
「……やっぱり、増えてるんですね」
「うん。
ここ一ヶ月で、“黒ずんだ跡”や“不自然な干からび方をした死骸”の報告が増えてる。
そのうち半分くらいに、君たちの名前が絡んでる」
「半分……」
苦笑するしかなかった。
「昨日やっと、ギルド上層も“正式に調査隊を出す”って決めた。
ただ、準備やら何やらで、すぐには街全体を回れない」
アメリアは、地図の端を指で叩いた。
「だから、頼みがある」
「俺たちに、ですか」
「そう。
正式な“黒い何かの討伐依頼”は、まだFランクには回せない。
でも——」
アメリアは小さな革袋を二つ、テーブルの上に置いた。
「【観察依頼】なら出せる」
「観察依頼?」
「黒い跡を見つけたら、場所と状況を記録する。
できれば、どういうときに出てきたか、どんな匂いがしたか、音はどうだったか。
戦うかどうかは、君たちの判断に任せる。
ただし——」
アメリアの目が、すっと鋭くなった。
「“線”は、自分で決めておくこと」
ミリアが小さく頷く。
「その線、どれくらいに置けばいいです?」
俺が訊ねると、アメリアは少しだけ考えてから答えた。
「まず、“見たことがある”レベルなら、戦ってもいい。
昨日の黒スライムとか、下水の変異スライムとかね。
ただし、二つ条件を足す」
「条件?」
「一つ。必ず複数人で対処すること。
単独で突っ込まない。少なくとも二人以上」
それは、たしかに当然だ。
「もう一つ。“匂いが違う”と思ったら、絶対に深入りしないこと。」
「匂い……ですか」
「君、危ない気配に敏いだろう?
“これまでの黒いやつと違う”って直感が鳴ったら、それ以上近づいちゃいけない。
印だけ付けて、すぐギルドか衛兵に知らせる。
——これを“線”にしよう」
胸の奥で、なにかが引っかかった。
(それでも、目の前で誰かが襲われてたら——)
言いかけたところで、アメリアが先に言った。
「目の前で誰かが喰われそうになっていたら、話は別。
そのときは、考える前に動いていい。
そのために、ギルドには治癒魔法使いや私みたいなのがいるんだから」
少しだけ、肩の力が抜けた。
「……わかりました」
「よろしい」
アメリアは満足げにうなずくと、革袋の中身を見せてくれた。
小さなビンが二本と、金属板が二枚。
「これは?」
「ビンの方は、簡易の中和薬。
黒い液体を浴びたとき、すぐに塗れば多少はマシになる。
完全に防げるわけじゃないけど、薄い飛沫くらいならどうにかなる」
「じゃあ、昨日のこれにも」
俺が自分の腕を指さすと、アメリアは肩をすくめた。
「昨日のはもう手遅れ。
でも、次からは早めに使いなよ」
ビンを一つずつ、俺とミリアに手渡す。
「こっちは?」
金属板の方は、指先より少し大きいくらいの薄い板で、片面に魔法陣のような刻印が彫り込まれていた。
「簡単な“記録板”。
黒い跡を見つけたとき、これを近くの壁や地面に押し当てると、痕跡の一部が板に写る。
調査隊に渡せば、魔法的な解析がしやすくなる」
「そんなものがあるんですね」
「まあ、試作品だけどね。
Fランクに配るにはちょっと贅沢なんだけど、“ギルド最強推薦枠”ってことで」
「自称しましたね、今」
ミリアが小声でつぶやく。
「周りが勝手に言ってるだけだよ。
私としては、“面倒事を引き受ける係”くらいのつもりなんだけどね」
アメリアはそう言ってから、真顔に戻った。
「とにかく。
黒いやつは、確実に街の中で動いてる。
でも、全部を上からは見張れない。
だから——下から見える目が、どうしても必要なんだ」
「……Fランクの目、ですか」
「そう。
街の裏道や、子どもたちの遊び場や、雑用でしか入らない場所。
そういうところにこそ、最初の変化は現れる。
君たちは、その“最初の変化”を見つける役目を、もうしっかり果たし始めてる」
ミリアが、ちらりと俺を見た。
「聞こえた? レオン。
“事件を呼ぶ体質”が、正式に役目にされたよ」
「それ、やっぱり褒められてる気があまりしないんですが」
「褒めてるよ、一応」
アメリアは微笑んだ。
「ただし、もう一回言う。
“線”を忘れないこと。
自分で“ここから先は上に投げる”って決めたら、そのラインは守る」
「……はい」
本気の目で言われると、自然と背筋が伸びる。
「よし。じゃあ、今日からは“観察依頼”も兼ねて、いつものFランク業務をがんばってね」
「結局、雑用もがんばれってことですね」
「そういうこと」
ミリアが苦笑し、アメリアはくすりと笑った。
土日は12時にも投稿します。よろしくお願いします。




