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Fランク冒険者がみんな弱いと思ったら間違いだ 〜街の雑用をするヒマもなく事件を片付けてたら、いつの間にか最前線戦力でした〜  作者: 那由多
第4章 紙の勝利と、消える子どもたち

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第89話 保護の名目と、欠けた月の紙


 朝の厨房は、夜より残酷だ。


 火の匂いが「生きてる匂い」になって、眠れなかった分だけ腹が鳴る。

 鍋の湯気が立つたび、昨日の地下の粉っぽさが舌の裏から剥がれていく。


 ヴァルターの厨房の隅――いつもの物置に、外套をかぶせた子どもが横になっていた。

 顔は見えない。見えない方が、たぶんいい。


 呼吸は浅い。でも止まっていない。

 それだけで、少しだけ胸の中の硬いものがほどける。


「……起きたら、最初に飯だ」


 ヴァルターが、鍋の蓋を指で叩いて言った。


「言葉はいらん。噛めれば生きる」


 ミリアが椅子に腰掛けたまま、小さく頷く。


 俺は机の上の印具を見た。欠けた月の金属。

 触ると指が冷えるのに、匂いだけが妙に重い。


 黒い粉。焦げた紙の灰。薬草。

 ――子どもの汗。


 ◇


 ノーラが来たのは、鍋の湯気が落ち着いた頃だった。


 肩の固定具はまだ外れていない。けれど足取りは前より静かで、床板が鳴らない。


「……まだ、いるんだ」


 物置の方を見て、ノーラが息を吐いた。


「うん」


 俺が答えると、ノーラはポケットから小さな木片を出した。

 削り跡の残る、薄い板。


「これ、昨日の……」


「違う」


 ノーラは首を振った。


「私のじゃない。今日の分」


 木片には、まだ何も刻まれていない。

 ただ、削った木の匂いだけが新しい。


「紙だと、消される」


 ノーラが小さく言う。


「だから、木。……名前、言えないなら、刻める」


 俺はその木片を受け取った。軽い。軽すぎる。

 でも、残るには十分だ。


 ミリアが目を伏せて言った。


「ノーラ、外はどう?」


「……増えてる。声」


 ノーラは一拍置いて続ける。


「『貼るな』って言われたぶん、みんな“口で”探し始めた。

 でも、その声を拾える場所が限られてる。――ギルドの裏と、教会の前」


「拾える声は残す」


 ミリアが頷く。


「残す声が増えると、向こうは焦る」


 ノーラが、物置の方をもう一度見た。


「この子のことも……消しに来る?」


 答えは、たぶん「来る」だ。

 だから俺は、違う答えを探した。


「来させない」


 ノーラは少しだけ笑いそうになって、やめた。

 笑いにするには、まだ重い。


 ◇


 昼前、シルヴァがヴァルターの厨房に入ってきた。


「城塞の医務室へ移す」


 短い指示。迷いがない。


「ここは良い場所だが、良すぎる。匂いが残る。

 “飯の匂い”は人を呼ぶ。呼ばれたら、面倒になる」


 ヴァルターが鍋をかき混ぜながら言った。


「言い方が腹立つな。……でも正しい」


 アメリアが、今日も違う武器を持っていた。

 短い片刃の小剣。刃は細い。抜けば静かに刺さるやつ。


「運ぶのは私がやる。街の中なら得意」


「目立つなよ」


 シルヴァが言うと、アメリアは肩をすくめた。


「目立たないのも得意。……たぶん」


 ミリアが杖を握り直す。


「城塞に行ければ、紙で触りにくい。――でも途中が危ない」


「途中で止められる」


 ロウが淡々と言った。


「“保護”って言葉で」


 その言い方が、嫌なほど当たってる気がした。


 ◇


 ギルドの裏口を出ようとしたときだった。


 石畳の向こうに、先に並んでいる影が見えた。

 二人、いや三人。


 先頭は眼鏡の男。袖が綺麗すぎる。靴の先が濡れていない。

 隣に、監察の腕章。

 そして少し後ろに、アルヴィンがいた。


 アルヴィンはこっちを見ない。

 見ないのに、肩だけが硬い。


「おや」


 眼鏡の男が、丁寧に笑った。


「ずいぶんと忙しそうですね。……Fランクの皆さん」


 ミリアの目が細くなる。

 アメリアは笑わない。ロウは一歩、角度を変える。


 シルヴァが先に前へ出た。


「用件は」


「保護です」


 眼鏡の男が、紙束を掲げる。


「昨夜、街で保護された“身元不明の未成年”について。

 監察部門が引き取ります。規定ですので」


 規定。

 その言葉は、いつも“通すための刃”になる。


 俺の舌の裏が、苦くなった。


 紙の匂い。

 乾いたインク。香油。――そして、湿った墨が薄く混ざっている。


(同じだ)


 焼却場の匂いに似てる。

 あの欠けた月の印具の匂いにも近い。


 ミリアが一歩前に出る。


「規定なら、どの規定? 条項を言って」


 眼鏡の男は笑みを崩さないまま言った。


「細部は書いてあります。――ここに」


 紙束の一番上。

 綺麗な字。揃った行。


 そして、角に押された印。


 俺の心臓が一段、冷える。


 欠けた月。


 昨日奪った印具と、同じ欠け方だ。

 なのに“公的な紙”の顔をしている。


 ミリアの声が低くなる。


「……それ、どこで押したの」


「必要なところで」


 眼鏡の男が、さらっと言う。


 アメリアの小剣が、鞘の中でわずかに鳴った。

 抜かない。鳴らしただけで、十分だ。


 ロウがアルヴィンを見た。


「アルヴィン。お前、これ知ってるのか」


 アルヴィンが、やっと顔を上げた。

 目が疲れてる。怒ってるのか、怯えてるのか、どっちとも取れる目だ。


「……俺は、運んだだけだ」


 その言い方が、運び屋と同じだった。


 シルヴァが淡々と言う。


「保護は城塞が行う。子どもは医務室へ。これは騎士団の案件だ」


「おやおや」


 眼鏡の男は首を傾げる。


「冒険者ギルドが“城塞案件”を勝手に――」


 言い終える前に、通りの奥から足音が来た。


 硬い靴音。鎧の擦れる音。

 ガレス――騎士団の副官が、二人の兵を連れて現れた。


「勝手に、とは?」


 ガレスの声は短い。

 短い声ほど、逃げ道がない。


 眼鏡の男の笑みが、ほんの少しだけ薄くなる。


「いえ。規定の確認です」


「確認なら、こちらがする」


 ガレスが紙束を取り、さらっと一枚めくった。


 そして、眉間に皺。


「この印……いつから監察の紙は“欠けた月”になった」


 空気が止まった。


 眼鏡の男の口角が、ほんの僅かに下がる。

 その表情だけで、「触れてほしくない」と分かる。


 ミリアが、杖先を紙の端に近づけた。


「ライト」


 小さな光。派手じゃない。

 でも紙の上のインクが――わずかに泡立った。


 黒い墨の匂いが、一瞬だけ濃くなる。


 眼鏡の男は、やっと息を吐いた。


「……今日は引きます」


 柔らかい声のまま、柔らかくない言葉を置く。


「ただし、城塞に移したことは記録に残ります。

 残れば――後で整えられますから」


 脅しに聞こえるのに、事実でもあるのが嫌だった。


 眼鏡の男が踵を返す。

 監察の腕章が後に続き、アルヴィンだけが一瞬遅れた。


 すれ違いざま、アルヴィンが小さく言った。


「……気をつけろ。上が、焦ってる」


 それだけ言って、目を逸らした。


 ◇


 城塞の医務室は、匂いが違う。


 紙じゃない。鉄と石と薬草。

 そして、人の手の匂いがする。働く手の匂い。


 子どもは温い粥を数口、口に入れた。

 飲み込むたび、肩がほんの少しだけ落ち着く。


 ノーラの木片を、俺はそっと差し出した。


「……これ。刻める?」


 子どもはしばらく見ていた。

 怖がってる目じゃない。――迷ってる目だ。


 それから、ゆっくり頷いて、爪で木片を引っかいた。


 ギ…ギ…と、弱い音。

 木は削れる。紙みたいに消えない。


 出来上がったのは、下手な線。

 でも線は線だった。


 ――欠けた月。


 ミリアが息を止めた。


「……同じ印を、見たのね」


 子どもは小さく頷いた。

 そして、もう一つ。臼みたいな丸を描いて、真ん中に黒い点を落とす。


 臼。黒い粉。

 それから、指で自分の手首を押さえた。


 手首には黒ずんだ輪の跡があった。

 輪、というより“締め付け”の痕。


 俺は思わず、木片の端でその痕に触れた。


 ――じわり。


 黒ずみが、ほんの少しだけ薄くなる。


 ミリアが目を細めた。


「木……効く」


 俺は頷いた。


「木は、黒に嫌われる」


 子どもは、少しだけ息を吐いた。

 吐いた息が、ちゃんと震えていた。


 震えがある。

 震えてるなら、まだ戻れる。


 ◇


 医務室を出るとき、ガレスがシルヴァに言った。


「監察の紙に、あの印が混じるのはまずい。

 城塞でも調べる。……ただ、動きすぎるな」


「動かないと、消される」


 シルヴァが返す。


 ガレスは口を引き結んで、視線だけで頷いた。


 外に出ると、焼却場の方角に薄い煙が上がっていた。

 今日は昼なのに、煙が黒い。


 紙じゃないものが燃えている色だ。


 ミリアが呟いた。


「……整える速度が上がってる」


 アメリアが小剣の柄を軽く叩く。


「じゃあ、こっちも上げる。

 扉の向こう、まだ残ってるんだよね」


 俺は、医務室の窓を一度だけ見上げた。


 木片に刻まれた欠けた月。

 小さな線だけど、消えない線。


 あの臼の音を止めるには、次は“奪った鍵”だけじゃ足りない。

 城塞の線。ギルドの線。街の声の線。


 線を増やすたび、向こうはもっと乱暴になる。

 乱暴になれば、見えるものも増える。


 ――その前に、消されるものも増える。


 だから、早く。

 でも、派手にやらない。


 そんな面倒なやり方が、今は一番正しい気がした。


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