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Fランク冒険者がみんな弱いと思ったら間違いだ 〜街の雑用をするヒマもなく事件を片付けてたら、いつの間にか最前線戦力でした〜  作者: 那由多
第4章 紙の勝利と、消える子どもたち

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第88話 鉄の印と、臼の部屋


「夜まで待てない」


 ヴァルターの厨房で、シルヴァがそう言った。

 いつもみたいに落ち着いた声――じゃない。抑えてるだけの声だ。


「入れ替えた印は、今日の“次の段取り”で使われる。石に気づいたら、扉は二重に閉じる。

 閉じた扉は、鍵が揃っても開かない。……だから今夜、先に中を割る」


 ミリアが頷いた。口元が硬い。


「“先に”ってことは、出入りが増える前に……」


「そうだ。中の“手”が疲れてる時間帯は、向こうも荒くなる」


 荒くなる。

 その言葉が、今日は救いに聞こえてしまうのが嫌だった。


 アメリアが、椅子の背に腕を引っかけて言った。


「で、私の武器は? 細い通路なら、引っかけ棒は邪魔だよね」


 今日は手鉤じゃなかった。

 彼女の腰には、伸縮式の金属棍が一本。握ると、軽い音もなく伸びるやつ。


「叩くのは得意。壊すのはもっと得意」


「壊さないでください。」


 ミリアが即答すると、アメリアは肩をすくめた。


「はいはい。通す。折らない。曲げない。……難しい注文だね」


 ロウは、すでに縄を短く結び直していた。

 余分な布を落として、狭い場所用の“短い線”にする手つき。


 ユリシアは、入口の壁にもたれて眠そうに目を伏せている。

 けれど、息の乱れがない。起きてる。


「外は私が音を殺す。中はお前たちで黙れ。――以上」


 それだけ言うと、彼女は先に出ていった。


 ◇


 袋小路の行き止まりは、昼の顔に戻っていた。


 木箱。壁。行き止まり。

 でも、もう“ただの壁”には見えない。


 ユリシアが金属片を置く。

 今度は叩かない。指で滑らせて位置を決めるだけ。


「サイレント・サークル」


 耳の奥の膜が、ふっと厚くなる。

 遠くの物音が、輪郭を失っていく。代わりに、足元の砂利が妙に鮮明だ。


 シルヴァが顎をしゃくった。


「行け」


 外の見張りはバルド――“外側まで”。

 規定を盾にして、ここで目を光らせる役だ。


 俺たちは木箱をずらし、輪を出して、鍵を差し込む。


 がちゃり。


 冷たい空気が、下から押し上げてきた。

 湿った石の匂いに、灰の粉っぽさが絡む。


 ◇


 地下の一つ目の空間は、前に見たままだった。

 灰袋の山。道具。臼。黒い粉の箱。


 変わったのは――気配の密度だ。


(増えてる)


 粉が舞った痕跡が新しい。

 人の出入りが増えたときの、足の動線の匂いがする。


 ロウが床を指でなぞる。


「裸足の跡、増えてる」


 ミリアが小さく息を吐いた。


「急かしてる……」


 俺たちは二つ目の通路へ向かった。

 十歩、じゃない。もう戻る前提で、必要な分だけ。


 角を曲がると、例の扉がある。

 鉄で補強された古い扉。鍵穴が一つ、押し当てる面が一つ。


 俺は黒鍵を差し込んだ。回す。


 次に、布に包んだ本物の印具を取り出す。

 欠けた月の金属。冷たいのに、指にまとわりつく黒の癖。


「ミリア、灯り」


「最小で」


 彼女の杖先が、淡く光る。

 明るくしない。影を増やさないための光。


 俺は印具を、扉の“面”に押し当てた。


 ……沈む。


 押し返してこない。

 代わりに、扉の内側で何かが“外れる”音がした。小さく、確かに。


 ロウが囁く。


「開く」


 扉が、わずかにずれた。


 ◇


 隙間から流れてきた空気は、灰より重かった。


 粉っぽい。

 苦い。

 歯の隙間にまとわりつくような、黒い粉の匂い。


 そして、薬草。

 安い軟膏の匂いが、ここでは隠しようもなく濃い。


 扉を開けると、狭い部屋だった。


 石の臼が並んでいる。小さな臼。小さな杵。

 その前に、子どもがいた。


 数はすぐに数えられない。

 みんな顔に粉がついていて、目だけが異様に白く見えた。


 臼を回す音は小さい。

 でも止まらない。止めると怒られる種類の音だ。


 部屋の隅には、監督役らしい男が一人。

 フードじゃない。顔は見える。目が乾いてる。


 男の指先が、黒い。煤じゃない。染みた黒だ。


「……何だ」


 男が言った。声は大きくない。

 大きくなくても、部屋の中には刺さる。


 子どもたちが一斉に肩をすくめた。

 それだけで、この部屋の支配が分かる。


 アメリアが、金属棍を半分だけ伸ばした。

 音を立てない長さ。


「通るよ」


 いつもの軽さで言って、軽さがない。


 男の手が動いた。


 黒い糸が、床から伸びる。

 糸というより、湿った線が“生えてくる”感じだ。


 狙いは俺たちじゃない。


 臼を回してる子どもたちの――喉。


 声が出る前に、出せなくする動き。


「ライト・ピン!」


 ミリアが、床へ釘を打つ。

 光の釘が二本、三本。糸の進路を縫う。


 でも黒は薄くなって、釘の“間”をすり抜けようとする。


 ロウが縄を投げた。糸に絡めるんじゃない。

 糸が伸びる“根元”へ、短く叩きつける。


 黒が一瞬だけよれる。


 その一瞬で、アメリアの棍が走った。


 叩かない。潰さない。

 線を“弾く”だけ。


 黒い糸が、壁に当たって散る。散った粉が、床に落ちる。


 男が舌打ちした。


「……Fが、何しに来た」


「掃除」


 アメリアが言う。冗談じゃない声で。


 男の黒い糸が、今度はこっちへ伸びた。

 空気を裂くみたいに速い。


 カイが身を引くのが遅れた。


 糸が、腕をかすめる。


「ッ……!」


 痛みの声じゃない。

 熱にやられた声だ。


 皮膚が赤くなる。

 ノーラのときの火傷に近い。


 ミリアの顔が一瞬だけ歪む。


 俺は袋を開けた。石灰じゃない。削り屑。


 木の粉を、糸の進路へ叩きつける。


 黒が縮む。嫌がるみたいに、細くなる。

 芯が見えた。


(そこ)


 短剣の柄で、芯だけを押し潰す。


 糸が、汚れに戻って落ちた。


 男の目がわずかに動いた。

 “今の手順”を見てしまった目だ。


「……なるほど」


 男は後ろへ退く。退き方が慣れている。

 部屋の奥の石壁――小さな扉の方へ。


 追えば、深いところへ誘導される。

 今はそれをする日じゃない。


 シルヴァが低く言った。


「子どもを出す。最短で」


 ◇


 子どもたちは動かない。動けない、じゃない。動かない。


 慣らされている。

 動いた瞬間に何が来るか、知ってる目をしている。


 ミリアがしゃがんで、いちばん近い子に、できるだけ柔らかい声で言った。


「大丈夫。今から出る。……痛いところ、ある?」


 返事がない。

 でも、子の指先が小さく震えた。


 震えが向いたのは、臼じゃなく――手首。


 黒い粉と汗で、輪の跡みたいな黒ずみがある。

 締め付けられた痕。


(……輪じゃない。でも似てる)


 同じ系統の“持ち運び方”だ。


 俺は息を吸って、薬草の匂いが濃い方を見る。

 部屋の端。座らされている子が一人。


 臼を回していない。

 回せないくらい、弱っている。


「……この子」


 俺が言うと、ミリアが頷いた。迷いがない。


「連れて出る。……全員は無理でも、まず一人」


 それが現実だ。

 でも現実にしないと、誰も出せない。


 アメリアが、金属棍を床に置いた。

 そして自分の外套を脱いで、子どもに掛ける。


「顔、見えない方がいい。煙の上じゃなくても」


 抱き上げる。軽い。軽すぎる。

 抱き上げた瞬間、子どもの手がアメリアの袖を掴んだ。


 声は出ない。

 でも掴む力は残っている。


 ロウが部屋の入口へ向き直った。


「戻る。今」


 男の気配が、奥で動いた。

 呼びに行く動き。段取りを回す動き。


 ここで長居したら、“綺麗に処理される”側に回る。


 ◇


 扉を閉めるとき、俺は一度だけ振り返った。


 臼を回していた子どもたちが、こちらを見ていた。

 目だけが白い。粉の中で、目だけが残る。


 その足元を、小さな影が横切った気がした。


 犬の形。

 でも確かめる余裕はない。


 地上へ戻る階段の途中で、ユリシアの結界の“厚み”がまた耳に触れた。

 外の世界の音が、遠い。


 バルドが入口の影で待っていた。

 俺たちの抱えているものを見て、目が一瞬だけ大きくなる。


「……マジかよ」


「声を出すな」


 シルヴァが低く言うと、バルドは唇を噛んで頷いた。

 Cの癖に、こういうとき妙に素直だ。


 ヴァルターの厨房に戻ると、火の匂いがやけに強く感じた。


 ミリアがすぐに薬草を探す。

 カイは腕を押さえながら、笑おうとして失敗した顔をする。


「……熱い。けど、腕があるだけマシだな」


 その軽口が、今日はちゃんと場を保った。


 アメリアが外套の中の子どもに言う。


「大丈夫。ここは飯がある。……飯がある場所は、簡単には消えない」


 子どもは小さく息を吸った。

 それだけで、部屋の空気が少し戻る。


 シルヴァが、机に本物の印具を置いた。


「中は見た。外へ出した。

 これで“無いこと”にはできない」


 ミリアが静かに言った。


「……でも、まだ残ってる」


 俺は頷いた。


 あの部屋の臼の音が、耳の奥に残っている。

 止めたかった音だ。


 止めるには――次はもっと大きい線が要る。


 その線を、紙で潰されない形で作らないといけない。


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