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Fランク冒険者がみんな弱いと思ったら間違いだ 〜街の雑用をするヒマもなく事件を片付けてたら、いつの間にか最前線戦力でした〜  作者: 那由多
第4章 紙の勝利と、消える子どもたち

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第84話 壁の向こうと、二つ目の鍵

 夜更け、倉庫街は音の質が変わる。


 昼の騒がしさが消える代わりに、縄が軋む音や、遠い戸締まりの音がやけに大きく聞こえる。

 灯りはあるのに、人の気配が薄い。――そういう時間だ。


「鍵は?」


 シルヴァが小声で言った。


 俺は掌を開いて、銅の鍵を見せる。

 煤みたいな黒い粉が、まだ溝に残っている。


 アメリアがそれを覗き込み、面白くもなさそうに呟いた。


「汚い鍵。好きじゃない」


「好きじゃなくても使う」


 ミリアが即答する。今日は刺がある。


 ロウが角を指した。通りの反対側、灯りの切れ目。


「監察の巡回が来る。今は動くな」


 俺たちは、木箱の影に身を寄せた。

 息を殺すというより、空気に溶ける感じで。


 通りを二人の騎士が歩いていく。鎧が擦れる音が遠ざかる。

 その後ろに、香りだけが遅れて残った。


(……また)


 鼻の奥に薄い油が引っかかる。

 近くにいる。けれど姿が見えない匂いは、たいてい厄介だ。


 シルヴァが短く言う。


「今だ」


 ◇


 袋小路の行き止まりは、相変わらず“ただの壁”の顔をしていた。


 木箱をずらす。鉄の輪。鍵穴。

 昨日見た手順を、同じ順番で辿る。


 鍵を差し込むとき、手が少しだけ重くなる気がした。

 金属の重さじゃない。ここから先が“紙にならない場所”だと、体が理解してる重さ。


 ――がちゃり。


 音は小さいのに、腹の底に響いた。


 扉が開くと、冷たい湿気が顔に当たる。

 下水の臭いに、石の青い匂いが混じる。


 アメリアが手鉤を構えた。


「入る?」


「入る。ただし“深追い”はしない」


 シルヴァが先に言った。

 命令というより、確認だ。


 ミリアが杖先に小さな光を灯す。強い光じゃない。

 足元が見える程度の、控えめな灯り。


 俺たちは階段を下りた。


 ◇


 地下は、思ったより“生活”の匂いがした。


 灰の乾いた匂い。濡れた縄。古い木箱。

 それから、薄い薬草。――子どもに塗る軟膏みたいな匂いが、遠くで揺れている。


「……当たりね」


 ミリアが吐息で言った。


 階段を下り切った先は小さな空間で、壁際に灰袋が積まれていた。

 紙を燃やした灰だけじゃない。黒い粉が混ざってる匂いがする。


 ロウがしゃがみ込み、床を指でなぞった。


「足跡が多い。運び手だけじゃない」


 俺も床を見る。泥の跡が小さい。

 大人の足跡に混じって、軽い足の跡がある。


 ……靴の跡じゃない。

 裸足に近い。


 喉の奥が、嫌な形で乾いた。


 アメリアが、壁の隅に立てかけられた道具を持ち上げた。

 木の棒。布。小さなうすみたいな石。


「これで挽くんだ」


 淡々と言ったのに、声だけ少し低い。


「挽いて、混ぜて……“字を揃える墨”にする」


 シルヴァが奥を見た。


「音がしない。今は作業していない時間帯か」


「時間帯を選んでる」


 ロウが言う。


「監察が上で紙を焼く時間と、運びが動く時間。……段取りが綺麗すぎる」


 綺麗すぎる段取り。

 紙の字と同じだ。


 ◇


 通路は二つに分かれていた。


 一つは灰袋の奥へ。

 もう一つは、石の壁に沿って曲がり、さらに暗くなる。


 俺の体は後者を選びたがっていた。

 匂いが、そっちへ続いている。


 けれどミリアが肩越しに言う。


「レオン、先に“帰り道”」


 ロウが頷く。


「出口を確認してからだ」


 正しい。

 正しいのに、焦る。


 シルヴァが短く指示した。


「十歩だけ。戻れなくなるところへは行くな」


 十歩。

 それなら、まだ線の内側だ。


 俺たちは暗い方へ十歩進んだ。


 曲がり角の先――石壁に、扉があった。


 ただの木の扉じゃない。

 鉄で補強された古い扉。鍵穴が二つ。


 そして扉の表面に、何かが“書いて”ある。


 紙じゃない。

 塗り込めた黒い墨が、乾いたまま残っている。


 ミリアが目を細めた。


「……文字?」


「文字というより、印だ」


 シルヴァが小声で言う。


「“封鎖完了”の類を、石と鉄に書いている」


 俺は息を吸った。


 灰と薬草と湿気の奥に、子どもの汗みたいな甘さが濃くなる。

 この扉の向こうだ。


 ロウが扉の鍵穴を覗き込んだ。


「鍵穴が違う。俺たちの鍵は外側用だな」


「二つ目が要る」


 ミリアが言う。声が尖らないように抑えている。


 そのとき、扉の向こうから、微かな音がした。


 ――こつ。こつ。

 石に何かを擦る音。臼の音に似ている。


 息を呑む音も混じった。小さい。小さすぎる。


 アメリアの指が、手鉤の柄をきゅっと握った。


「開ける?」


「今は開けない」


 シルヴァが即答した。迷いがない。


「ここで扉を壊したら、戻る道ごと塞がれる。

 それに……中で何が起きても、俺たちが“説明できない”」


 説明できない、は“紙にされる”と同じ意味だ。


 ミリアが悔しそうに唇を噛む。


「……でも、いる」


「いる。だから、鍵を作る」


 シルヴァは扉の黒い印を見た。


「刻み方が雑だ。急いでる。……隠したいのは、扉じゃない。中身だ」


 俺は扉の前にしゃがみ込んで、鍵穴の匂いを嗅いだ。

 金属の匂い。油。煤。――そして、黒い粉。


 昨日手に入れた鍵と同じ匂いが、ほんの少しだけ混じっている。


「……鍵、ここにもある」


「確信?」


 ロウが聞く。


「ある匂いがする」


 俺が言うと、アメリアが短く息を吐いた。


「あなたの鼻、便利」


「便利にされたくないときほど便利になる」


 俺が言うと、ミリアが小さく笑いそうになって、やめた。


 ◇


 戻るとき、ミリアが一度だけ足を止めた。


 灰袋の山の横。壁際に小さな木箱があった。

 蓋が半分開いていて、中に――黒い粉が入っている。


「持って帰る?」


 カイが小声で言う。


 シルヴァは首を振った。


「全部は危険だ。だが、欠片は要る。紙じゃない証拠として」


 ロウが布を裂き、ほんの少しだけ粉を包んだ。

 俺はその上に、削り屑をひとつまみ落とした。


 黒が、嫌がるみたいにわずかに動く。

 生き物じゃないのに、そう見える。


 ミリアが目を細める。


「……木、効くわね」


「効く。だから、使う」


 俺が言うと、シルヴァが頷いた。


「今夜はここまで。扉の位置、作業場、灰の搬入ルート。

 全部、紙にせずに残す。――石で」


 アメリアが通路の角を見た。


「犬、来ないね」


 誰も返事をしなかった。

 来ない方がいいのに、来ないと不安になる。そういう存在だ。


 ◇


 地上へ戻った瞬間、空気が軽く感じた。


 湿気が減っただけだ。

 なのに、肺が広がる。


 袋小路を元に戻し、木箱を寄せた。

 行き止まりの顔に戻す。


 最後に俺は、壁に掌を当てた。

 冷たい石の向こうで、小さな臼の音がまだ続いている気がしたから。


 扉は二つ。


 外の扉の鍵は手に入れた。

 中の扉の鍵は、まだ向こう側にある。


 そしてその向こうに、戻ってこない子どもたちがいる。


 ミリアが小さく言った。


「……明日から、動き方を変える」


「どう変える」


 カイが聞くと、ミリアは答えた。


「“探す”んじゃなくて、“鍵を拾う”」


 ロウが頷く。


「鍵は落ちる。急いでるなら、必ず落ちる」


 アメリアが手鉤を肩に担ぐ。


「落としたら、私が拾う」


 シルヴァは前を見たまま言った。


「拾った鍵で、次は扉を開ける。

 扉の向こうを“見た”という事実を、紙にされない形で持ち帰る」


 俺は無言で頷いた。


 喉の奥に残った甘い匂いが、消えない。

 消えないのは良い。――忘れない。


 忘れなければ、紙にされても戻ってこれる。


 戻るために、鍵が要る。


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