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Fランク冒険者がみんな弱いと思ったら間違いだ 〜街の雑用をするヒマもなく事件を片付けてたら、いつの間にか最前線戦力でした〜  作者: 那由多
第4章 紙の勝利と、消える子どもたち

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第83話 灰袋の運び屋と、黒い鍵


 朝の裏庭で、ノーラが「立つ」練習をしていた。


 盾はまだ戻っていない。肩の固定具も外れていない。

 それでも彼女は、足の裏だけで地面を掴むみたいに立っている。


「重心を上げるな。腰を落とせじゃない。――“抜け道”を作るな」


 ヴァルターが言って、竹箒たけぼうきの柄を床に軽く当てた。

 叩くというより、触れてズラす。厄介なズラし方。


 ノーラの足が半歩だけ流れた。

 そこで止まった。流れ切らずに戻した。


 ほんの少しだけ、顔が変わる。

 悔しさじゃなく、「分かったかもしれない」顔。


 俺はそのまま通り過ぎた。

 声をかけると、線が乱れる気がしたからだ。


 乱れるのは、向こうが得意だ。


 ◇


「動いた」


 昼前、袋小路の行き止まりでアメリアが言った。


 木箱の隙間に差し込んだ小さな金具が、ほんの僅かにねじれている。

 気づくのが難しい程度の違和感を、彼女は見逃さない。


「昨夜以外にも開いてる。……朝方かな」


 ミリアが壁を見た。


 ただの行き止まり。

 でも俺の鼻は、もう騙されない。


 古い石の湿気に混じって、燃えた紙の灰の匂い。

 その奥に、あの甘い油と湿った墨の気配が、薄く残っている。


「運びが増えてる」


 ロウが淡々と言った。


「頻度が上がると、雑になる」


「雑になったら、掴める」


 カイが小声で言って、唇を噛む。


 シルヴァは俺たちを一瞥した。


「今夜、もう一度ここを見る。

 開ける理由はまだ作れていない。だが――“鍵”が手に入るなら話は変わる」


 鍵。


 扉を壊して入れば、主語を渡す。

 正面から殴れば、向こうが紙で整える。


 だから、鍵だ。


 ◇


 夜。街の灯が落ち、倉庫街の影が伸びる頃。


 袋小路の手前で、俺たちは息を殺して待った。

 近すぎると匂いで気づかれる。遠すぎると見失う。


 アメリアは不思議な位置に立った。

 見えるのに、見えない場所。影の端っこだけを歩いてるみたいな立ち方。


「来るよ」


 俺が言ったのは、足音より前だった。


 布が擦れる、鈍い音。

 灰袋を担ぐときの音は、軽いのに重い。


 男が二人。昨日の下働きと同じ格好。

 無言で木箱をずらし、鉄の輪を露出させる。


 鍵穴に、何かが差し込まれた。


 がちゃり。


 壁が割れたみたいに、隙間が開く。

 吐き出された空気が冷たい。下水の匂いが強い。


 その瞬間――甘い汗の匂いが、一筋だけ混じった。


(下に、いる)


 俺の喉の奥がざらついた。


 ロウが、ほとんど音を立てずに手で合図する。

 “今”。

 捕まえるなら、扉の外だ。下へ逃げられたら終わる。


 ミリアが杖を握り、カイが石灰袋の口を緩めた。


 アメリアが、手鉤をくるりと回した。

 音がしない。金属が擦れるはずなのに、空気だけが動く。


 男が灰袋を一つ、地下へ下ろした瞬間だった。


 アメリアの手鉤が伸びた。


 引っかけたのは喉じゃない。足首でもない。

 腰の革帯だ。


 男の体が、意地悪な角度で引き戻される。


「――っ!」


 声が出かける。出させない。


 ロウの縄が、男の肘に絡んだ。

 関節を折らない位置。けれど動けない位置。


 もう一人が反射で振り向き、懐から小瓶を投げた。


 床に落ちて割れる。

 湿った匂いが広がり、黒い糸がにゅるりと走った。


 狙いは俺じゃない。ミリアでもない。

 ――喉だ。声を封じる糸。


「ライト・ピン!」


 ミリアが短く唱えた。


 光の釘が石畳に刺さり、糸を縫い止める。

 糸は止まる。止まったまま、薄くなって隙間を探る。


 カイが石灰を叩きつけた。

 白が黒を噛んで、糸が一瞬だけ鈍る。


 その隙に、もう一人の男が扉へ飛び込もうとした。


 俺の体が勝手に前へ出る。


 短剣は抜かない。

 抜けば金属音が響く。響けば人が集まる。


 だから足。


 男の踏み込み脚の膝裏を、踵で蹴る。


 派手じゃない。倒すというより、落とす。


 男の体が崩れたところへ、アメリアの手鉤が“首の手前”で止まった。

 見せるだけ。刺さない。


「行きたいの、下?」


 アメリアが笑わずに言った。


 男は歯を食いしばった。


「……離せ」


「黙って。声、残るから」


 アメリアの言い方は軽いのに、男の肩が震えた。

 怖がってるのが分かる震え。


 ミリアが追い釘を打つ。


「ライト・ピン!」


 糸の逃げ道が塞がる。

 黒が薄くなりながら、地面に貼りつくみたいに萎む。


 ロウが男の手首を押さえた。


「鍵」


 男の指が握っていたのは、小さな銅の鍵だった。

 表面に黒い煤みたいなものが薄く付いている。


 シルヴァが言った「鍵」が、こんな形で手に入るとは思わなかった。


 もう一人は縄で縛られて、呻きながらこちらを睨んだ。


「……Fのくせに、目立ちたがりか」


 声が出た瞬間、俺は少しだけ安心した。

 喉が無事なら、まだ“消されてない”。


 ミリアが冷たく返す。


「目立ちたいのはそっちでしょ。紙で整えて、煙で消して」


 男は鼻で笑った。笑い方が乾いている。


「紙? 煙? そんなの、ただの段取りだろ」


「段取り?」


 カイが聞き返すと、男は口の端を歪めた。


「上が書くために、下が混ぜる。

 俺らは運ぶだけ。……灰も、墨も、手もな」


 その言葉の最後だけ、ほんの少しだけ低くなった。


 ――手。


 俺の喉の奥が、またざらつく。


「手って何」


 ミリアが詰めると、男は黙った。

 黙ったまま、扉の隙間を見た。


 下に逃げたい目。

 下で守られていると思っている目。


 シルヴァが短く言った。


「十分だ」


 その声には「これ以上しゃべらせるな」が混じっていた。


 今ここで騒げば、監察が来る。

 監察が来れば、男も鍵も“問題ない形”で回収される。


 だから、ここで終える。


 ロウが縄を締め直し、カイが割れた瓶の欠片を布で包んだ。

 紙じゃない。石とガラスは残る。


 俺は鍵を掌に乗せた。冷たい金属。


 煤の奥に、湿った匂い。

 そして――ほんの一瞬だけ、甘い汗が鍵から立った。


(……近い)


 さっき感じた匂いと、同じ種類だ。


 ◇


 帰り道は遠回りした。


 ギルドへまっすぐ戻ると、見られる。

 見られたら紙になる。


 シルヴァは言った。


「今夜はギルドに連れていかない」


「どこへ?」


 ミリアが問うと、シルヴァは一瞬だけ躊躇して、答えた。


「ヴァルターのところだ。

 “飯の場所”は、記録より残る」


 アメリアが肩をすくめる。


「引退盾の台所、便利だね」


「便利にするために、あいつは引退したわけじゃないだろうが」


 シルヴァの声が少しだけ尖った。


 それでも決めたなら、迷わない。

 迷ったら、向こうの仕事が進む。


 ◇


 ヴァルターの厨房は、夜でもあったかい匂いがした。


 火の匂い。湯気の匂い。塩の匂い。

 紙の匂いがしない。だから息がしやすい。


 縛った男を隅に座らせると、ヴァルターが眉をひそめた。


「……面倒を持ち込むな」


「面倒じゃない。戻ってこない子が増える」


 ミリアが言うと、ヴァルターは鼻で息をした。


「飯が不味くなる話だな」


 そして、男に目を向ける。


「喋れ。喋らないなら、水だけ出す。飯は出さない」


 脅しなのに妙に現実的で、男が一瞬だけ笑った。

 笑って、すぐに顔を戻した。


 アメリアが手鉤を机に置く。


 音が、軽い。


「ねえ。下には誰がいるの。

 子ども? それとも、ただの灰置き場?」


 男は顔を背けた。


 ミリアが息を吐く。


「……レオン」


 呼ばれて、俺は頷いた。


 俺は男の近くにしゃがみ、鍵を鼻の高さまで上げた。

 鍵の匂いを、もう一度確かめる。


 煤。湿った墨。甘い汗。

 それと、薄い薬草の匂い――子どもに塗る軟膏みたいな匂いが、ほんの少し。


「……下、病人がいる」


 言った瞬間、男の呼吸が変わった。


 ロウが淡々と言う。


「反応した。嘘じゃない」


 男が舌打ちした。


「……知らねえよ。俺は運びだ。

 袋を落とすな、鍵をなくすな、それだけだ」


「袋の中身は?」


 ミリアが詰める。


「灰。紙の灰。あと……黒い粉。混ぜて使う」


「何に」


 男は黙る。

 黙ったまま、厨房の火を見た。


 ヴァルターが言った。


「火は好きか。燃えるのは早いぞ。紙も、人も」


 男の喉が動いた。


「……字だよ」


 絞り出すみたいな声だった。


「上が“字を揃える”ための墨。

 ……その墨を挽く手が、要る」


 ミリアの目が細くなる。


「その“手”が、子ども?」


 男は答えなかった。

 答えないのが答えだった。


 シルヴァが椅子の背を叩いた。


「鍵は残す。男も残す。

 紙にしない場所で、紙にされない形で」


 俺は掌の中で鍵を握り直した。


 冷たいのに、汗の匂いが残る。

 誰かの汗が、下の石の湿気の中に閉じ込められている匂いだ。


 扉は、ただの扉じゃない。


 下には、灰を運ぶ理由がある。

 墨を作る理由がある。

 そして――子どもを攫う理由が、もう輪郭だけ見えてしまった。


 その輪郭が、嫌なほどはっきりしているのに。


 俺は、まだ鍵を回していない。


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