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Fランク冒険者がみんな弱いと思ったら間違いだ 〜街の雑用をするヒマもなく事件を片付けてたら、いつの間にか最前線戦力でした〜  作者: 那由多
第4章 紙の勝利と、消える子どもたち

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第79話 盾のない線と、お盆の盾

 夜が明けても、霧は薄く残っていた。


 倉庫街の通りは、朝の配達で少しずつ動き出している。

 木箱を積んだ荷車が軋み、縄が擦れ、犬が吠える。


 俺たちはその中を、木札の箱を抱えて歩いた。


 重い。けど、紙みたいに軽くないのが、今はありがたい。


「……監察官、全部持ってった」


 カイが歩きながら、悔しそうに呟く。


「残ったのは削り屑だけ。ひどい話」


「ひどいけど、想定の範囲よ」


 ミリアが淡々と言った。声は落ち着いているのに、目が冷えている。


「“残る形”を狙ったら、向こうは“残らない形”に寄せてくる。

 昨日のは、その最初」


 ロウが箱の取っ手を持ち替える。


「最初で、あの雑さか」


「雑になったぶん、見える」


 俺は息を吸う。


 木の匂い。削り粉。倉庫の油。

 その奥に、香油が――まだ薄く残っている。


(近い)


 昨日の男の匂いじゃない。

 監察官の匂いでもない。


 もっと「書く」匂いだ。


 けれど、今は追えない。追わない。

 追えば“騒ぎを起こすF”が主語になる。


 そういう仕組みは、もう見た。


 ◇


 ギルドに戻ると、裏口はいつもより慌ただしかった。


 押収品の箱が増え、帳簿が増え、運搬が増えている。

 増えているのに、どれも「安全」って顔をしているのが嫌だった。


 シルヴァの部屋に通されると、彼はすでに立っていた。

 窓を少し開けて、外の匂いを入れている。


「……戻ったか」


 短い声。目が疲れている。


 俺たちが木札の箱を机に置くと、シルヴァは指で蓋を押さえた。


「持っていかれなかった分、全部ここに」


 ロウが言う。


「監察官は“対象”と言ったのに、箱は残した。理由は不明」


「不明でもいい。残ったなら、こちらが動く」


 シルヴァは蓋を開け、木札の列を一枚だけ見た。


 刻まれた名前。年齢。場所。

 たった数行の刻みなのに、空気が重くなる。


「……増えたな」


 ミリアが頷く。


「貼り紙が増えたぶん。消えたぶん」


 シルヴァは息を吐いた。


「監察官には、“倉庫荒らしの確保”という報告だけが上がる。

 黒い墨の件は、紙で整えられる」


 カイが顔をしかめる。


「じゃあ、何も言わないの?」


「言う」


 シルヴァは即答した。


「だが、言い方を選ぶ。

 “正面から怒鳴る”のは、相手の仕事を助けるだけだ」


 視線が木札に落ちる。


「だから、これを増やす」


 俺は頷いた。


「木札を二重に」


「木だけじゃない。次は“石”も欲しい」


 シルヴァは言った。


「石板は城塞の管轄だが……小さな石なら作れる。

 街の石工に頼む。記録じゃなく、“ただの石の札”としてな」


 ただの石。

 ただの木。


 ただのものにしか、残らないことがある。


「それと」


 シルヴァが目を細める。


「今夜から、倉庫の夜番は“規定どおり”に戻る。

 お前たちは別件だ」


「別件?」


 ミリアが眉を上げる。


「治療所。――ノーラの様子を見てこい」


 その言葉で、やっと胸の中の冷たい部分が別の形になった。


 ◇


 治療所は、ギルドの奥の一角にある。


 薬草と消毒の匂い。湿った布。汗。

 そこは「戦いのあと」の匂いがする。


 ノーラは椅子に座っていた。


 肩はまだ固定されている。けれど昨日より顔色はいい。

 盾は傍にない。代わりに、空の手が落ち着かない。


「……帰ってきた」


 ノーラが俺たちを見るなり言った。声が少しだけ硬い。


「うん」


 俺が答えると、ノーラは視線を箱に落とした。


「……それ、木札?」


「そう」


 ミリアが短く言う。


「紙が消される。だから木に刻む」


 ノーラは唇を噛んで、小さく頷いた。


「……私、行けなかった」


 それは謝罪じゃなくて、悔しさの形だった。


「肩が固定されてるのに、勝手に立って、声出して……

 “線”作ったつもりだったけど」


 指先が膝を掴む。

 落ち着かない手。


「結局、何も止められてない」


 カイが言いかけて、止めた。

 軽口じゃ足りない空気だと分かった顔。


 ロウが淡々と言う。


「止めた。声で人を動かした。

 あれがなかったら、もっと怪我人が出た」


「でも……盾がなかった」


 ノーラはぽつりと呟く。


「盾があったら、私は止められたのにって、ずっと思ってる」


 その言葉の裏に、別の言葉が隠れているのが分かった。


 ――盾があっても、止められなかったらどうしよう。

 また割れたらどうしよう。

 自分が“線”ごと折れたらどうしよう。


 俺は息を吸って、吐いた。


「盾、修理は?」


 ノーラが一瞬だけ顔を上げた。


「……今、工房に出してる。

 でも、直っても……同じことになる気がする」


 ミリアが目を細める。


「同じにしなければいい」


「分かってる。分かってるんだけど……」


 ノーラは言葉を切った。

 悔しさを顔に出さない癖が、今日は邪魔だった。


 治療師が遠くで咳払いをして、ノーラに目配せした。

 “無理するな”って合図。


 ノーラは小さく手を上げて、やり過ごした。


「……私さ、引退って言葉、昨日初めて頭に浮かんだ」


 その瞬間、空気が一段冷えた。


 引退。

 まだ若いのに、それを考えるほど怖かったってことだ。


 ミリアが何か言いかけたけど、飲み込んだ。

 正論は、今いちばん刺さる。


 俺はただ言った。


「やめないで」


 ノーラが目を瞬いた。


「……え」


「線が変わる」


 俺が言うと、ノーラは苦笑しかけて、やめた。


「レオン、そういうとこ……」


 言いかけて、言葉を止めた。

 今日は、それを笑いにしない。


 ◇


 治療所を出たときだった。


 廊下の向こうで、声が上がった。


「だから、待てって言ってるだろ!」


「待ってられるか! 捜し人が増えてるんだぞ!」


 男の声と、女の声。

 そして、硬い足音。


 ギルドの食堂――裏の休憩所の方だ。


 ミリアが眉を寄せる。


「……揉めてる」


「見に行く」


 ロウが言い、俺たちは足を向けた。

 ノーラは一瞬迷って、椅子から立った。


「私も……行く。歩ける。走れないけど」


 治療師が何か言おうとしたが、ノーラは先に頭を下げた。


「無理はしない。見るだけ」


 その目は、少しだけ生きていた。


 ◇


 食堂は、朝の仕込みで皿の音が響いていた。


 そこで揉めていたのは、冒険者と、記録係っぽい男だった。

 紙束を抱えて、顔が青い。


「だから規定が――」


「規定、規定って! 子どもが消えてんだぞ!」


 冒険者が机を叩いた。

 酒は入っていない。だから余計に危ない。


 隣の席で、誰かが立ち上がった。


「やめろよ。ここは飯の場所だろ」


 その声が届く前に、冒険者が手を払った。


 机の上の木皿が飛ぶ。

 皿だけじゃない。木の盆――お盆も、宙を舞った。


 ――当たれば怪我だ。


 ノーラが反射で前へ出ようとして、肩が痛んで止まった。


「っ……!」


 その一瞬。


 厨房の端にいた、白髪混じりの男が動いた。


 エプロン。腕は太い。

 でも動きが軽い。


 男は飛んできたお盆を、手のひらで受けた――ように見えて、違った。


 受けるんじゃない。

 “面”で受けて、“角度”で逃がした。


 お盆がくるりと回り、床に落ちる。

 音は小さい。誰も怪我しない落ち方。


 男はそのまま、お盆を盾みたいに構えた。


 盾じゃない。

 でも、線ができた。


「……ここは飯の場所だ」


 低い声。怒鳴らない。

 なのに、空気が止まる。


 冒険者が固まった。


「……なんだよ、じじい」


「じじいでいい。飯を作るじじいだ」


 男はお盆を少しだけ傾けた。


「喧嘩は外。ここではやるな」


 冒険者が唇を噛む。

 でも足が動かない。


 理由は分かる。

 踏み込んだ瞬間に“止められる”距離と角度に立たされている。


 ノーラが、息を呑む音がした。


「……盾じゃないのに」


 その声は、悔しさじゃなくて驚きだった。


 男がちらりとノーラを見る。


「肩、やったのか」


「……はい」


 ノーラが小さく答える。


「盾は?」


「修理中です」


 男はお盆を下ろして、鼻で息をした。


「修理で戻るのは形だけだ。

 中身を変えないなら、また同じところで割れる」


 ノーラの指先が止まった。


 刺されたみたいな顔。

 でも、逃げない顔。


「……中身って、どうやって」


 男は言いかけて、止めた。


 その瞬間、食堂の奥からシルヴァが現れた。

 いつからいたのか分からない顔で。


「ヴァルター」


 シルヴァが言った。


 男――ヴァルターが軽く顎を引く。


「呼び戻したのはお前か」


「街が、少し危ない」


 シルヴァの言い方は淡々としていたが、目は冗談を言っていない。


「引退した盾にまで声をかける程度にか」


 ヴァルターはお盆をひとつ叩いて、笑いもしないで言った。


「……面倒な街になったな」


 ノーラが一歩、前に出た。

 肩が痛むはずなのに、足が勝手に出たみたいな動き。


「弟子にしてください」


 食堂の空気が、また止まった。


 ヴァルターが目を細める。


「何を言っている。俺は引退している。弟子は取らん」


「でも、今の……」


 ノーラは言葉を探し、悔しそうに飲み込んだ。


「盾がなくても線が作れるって、初めて分かった。

 ……私、盾がないと何もできないって思ってた」


 ヴァルターは一拍置いて、ノーラの肩の固定具を見る。


「その肩で言うか」


「言います」


 ノーラの声は震えていた。

 でも、逃げる震えじゃない。


 ヴァルターはため息をついた。


「……明日、朝。裏庭」


「え」


「立ち方だけ見てやる。

 それで嫌なら帰れ。……俺も面倒が減る」


 ノーラの顔が、一瞬だけ明るくなった。

 すぐに引き締めて、深く頭を下げる。


「お願いします!」


 ヴァルターはお盆を厨房に戻しながら、ぼそっと言った。


「礼はいい。飯をちゃんと食え。

 線は腹から作る」


 ノーラが小さく笑った。痛みで顔をしかめながら。


 ミリアが、俺の横で小さく息を吐いた。


「……良かったじゃない」


「うん」


 ◇


 食堂を出ると、掲示板の前がざわついていた。


 依頼札じゃない。

 新しい通達の紙が貼られている。


 ――捜索に関する張り紙は混乱を招くため、以後禁止。

 ――情報提供は監察部門へ。

 ――違反した紙は撤去する。


 綺麗な字。揃った行。丁寧な言い回し。


 “問題ない形”。


 ミリアの目が冷たくなる。


「……禁止?」


 カイが唇を噛む。


「つまり、探すなってこと?」


 ロウは紙を見ずに言った。


「紙を貼ると、主語が生まれる。

 主語が生まれると、困る」


 俺は息を吸った。


 乾いたインク。

 その奥に、湿った墨。香油。


(書いてる)


 同じ匂いが、紙の上に乗っている。


 俺は何も言わず、木札の箱に手を置いた。

 木の角が掌に当たる。


 痛い。

 でもその痛さは、残る痛さだ。


 紙が消えても、木は消えにくい。

 木が削られても、削り屑は残る。


 残る形を増やすしかない。


 通達の紙が、風でふわりと揺れた。


 その揺れの向こうで――一瞬だけ、倉庫の角の暗さみたいなものが見えた気がした。


 犬の影かもしれない。

 ただの見間違いかもしれない。


 分からないまま、線だけが増える。


 でも今日は、一つだけ増えた線がある。


 盾じゃないお盆で作られた線。

 ノーラが、そこに立とうとしている線。


 俺は木札の箱を抱え直して、霧の残る通りへ出た。


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