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Fランク冒険者がみんな弱いと思ったら間違いだ 〜街の雑用をするヒマもなく事件を片付けてたら、いつの間にか最前線戦力でした〜  作者: 那由多
第4章 紙の勝利と、消える子どもたち

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第77話 木札の名簿と、薄れる文字

 翌朝、同じ壁の前に立って――俺は一度だけ目を瞬いた。


 昨日あった紙が、ない。

 糊の跡すら薄くて、まるで最初から何も貼られていなかったみたいに綺麗だった。


 風の匂いは冷たい。

 石灰の白と、倉庫の油と、街の埃。


 ……その奥に、薄い香油。


「消えてる」


 ミリアが、笑わずに言った。


 剥がされた、というより――“整えられた”。

 壁の方が先に綺麗になっている。


「昨日の人影、これやったのか」


 カイが壁を見つめ、手を出しかけてやめた。


「触らない。今日も“こっちが主語”にされる」


 ロウの声は淡々としていたが、目は硬い。


 俺は息を吸った。

 壁からは何も匂わない。整えられたあとの「空白」の匂いだけ。


 でも、そこから二本先の柱に――新しい紙が貼られていた。


 捜し人。

 別の名前。別の年齢。別の場所。


 増えている。しかも貼り替えが早い。


「……貼る意味はあるんだな」


 俺が言うと、ミリアが眉を寄せる。


「“貼った”って形が必要なのよ。

 探しました、って顔をするための紙」


 紙が、風でふわりと揺れた。


 乾いたインクの奥。湿った墨。香油。

 昨日と同じ混ざり方。


(やってる)


 誰かが、街の中で“書いて”、同じ街の中で“消して”いる。


 ロウが小さく言った。


「紙を追うのは無理だな」


「だから、紙じゃないのを残す」


 ミリアがすぐに言った。


 俺も頷く。


 紙は軽い。

 軽いから持ち上げられる。軽いから消せる。


 重いもの、残るもの、手元に残るもの。


 木。石。傷。――声。


 ◇


 ギルドの裏倉庫は、朝から忙しかった。


 荷車が二台、交互に入ってくる。

 箱の札が増える。紙束が増える。押収品の封蝋が増える。


 増え方が、嫌な増え方だ。


「おい、そっち、運ぶぞ」


 倉庫番の職員が手を振った。昨日の人だ。目の下の隈がさらに濃い。


「記録室へ回す。……今度は“写し”も付けろってよ」


「写し?」


 カイが聞き返す。


「二通必要だと。上から。

 ……紙が増えりゃ安全になるって顔してんだろうな」


 職員は言い捨てて、紙束を抱え直した。


 ミリアが俺を見た。

 目が言っている。


(紙が増えるほど、整える側が楽になる)


 俺は息を吐いた。


「……木札、作れますか」


 職員は一瞬きょとんとした。


「木札?」


「紙以外で記録を残したい」


 俺が言うと、職員は困ったように眉を下げた。


「工房……ああ、木箱の札作ってるところなら。

 けど、あそこは記録室の管轄だぞ。許可がいる」


「許可、取ります」


 ミリアが即答した。

 言い方が鋭い。いつもより。


 職員は肩をすくめた。


「……勝手にやるなよ。俺は知らん」


 知らない、という言葉が、今はありがたい。

 知らない形で残すのが、一番残る。


 ◇


 記録室は、ギルドの二階のさらに奥にあった。


 薄暗くて、紙の匂いが濃い。

 古いインクの酸っぱさ。乾いた埃。革表紙の油。


 そこへ、香油がひとすじ。


(ここも、いる)


 書棚の間を抜けると、若い男が帳簿を抱えて立っていた。

 眼鏡。きっちりした髪。きっちりした声――のはずが、今日は少し尖っている。


「……また君たちか」


 アルヴィンだった。


 記録室付きの係。倉庫の札や封蝋の管理もやっている男。

 以前、現場で彼の“きっちり”が崩れて恥をかいたことがあった。

 その時から、こっちを見る目が少しだけ刺々しい。


「これ、搬出表。サインもらう」


 ロウが淡々と紙束を差し出す。


 アルヴィンは受け取り、視線だけで俺たちを測った。


「……余計なことはするな。今は敏感な時期だ」


「敏感にしたのは誰よ」


 ミリアが言い返しかけて、息を飲み込んだ。

 ここで火をつけると、主語がこちらになる。


 俺は代わりに言った。


「木札、作れますか」


「……は?」


 アルヴィンの眉が跳ねた。


「木札? 記録を? そんなの、規定に――」


「規定が紙を守るなら、紙が死んだときは誰が守る?」


 ミリアが、低い声で言った。


 アルヴィンは一瞬言葉に詰まり、それから嫌そうに息を吐いた。


「……Fが何を分かったふりを」


 その言葉の温度は、逆恨みに近い。


 俺は息をした。

 紙とインクの中に、湿った墨の匂いが微かに紛れている。

 ここで揉めるのは、相手の得。


「……作れないなら、別の人に頼みます」


 淡々と言っただけなのに、アルヴィンの眉間がきつく寄った。


「……作れる。作れるが――勝手に残すな。

 残すなら、上の印がいる。俺が責任を取る羽目になる」


 責任。

 それが彼の鎧だ。だから脆い。


 そのとき、扉がノックされた。


「アルヴィン」


 低い声。シルヴァだった。

 扉の隙間から入ってきた空気が、少しだけ冷える。


 アルヴィンが姿勢を正す。


「シルヴァさん。何か――」


「木札で残せ」


 シルヴァは、無駄なく言った。


「捜し人の紙。昨日の倉庫の異常。搬出表の写し。

 紙に書いたものは、紙のまま消える。――そうだろ」


 アルヴィンが言葉を失った。


 ミリアが、シルヴァを見た。

 驚きと、少しの安堵。


「……いいんですか」


「“いい”じゃない。必要だ」


 シルヴァは目を細めた。


「それと、刻むのはお前だ、アルヴィン。

 手が速い。字が綺麗だ。……だからこそ、残す方に回せ」



「……分かりました」


 返事は丁寧だった。


 ◇


 工房は記録室の隣にあった。


 木の匂いがする。

 鉋屑。樹脂。乾いた節。

 紙の匂いが薄くなるだけで、頭が少し楽になる。


 アルヴィンは無言で棚から細い木札を束で出し、机に並べた。

 小さな彫刻刀の刃を磨き、息を吐く。


「……どの順で刻む」


「失踪者。場所。日付」


 シルヴァが短く答える。


「紙の方は捨てるな。比較用に残す。だが、表には出すな」


 表。

 つまり、見せると“整えられる”。


 ミリアが口を開く。


「木札は、どこに置きます?」


「二つに分ける」


 シルヴァが言った。


「一つは記録室の奥。

 もう一つは……俺が預かる」


 預かる、がどれくらい危険な言葉か、ここにいる全員が知っている。

 それでもシルヴァが言ったということは、覚悟がある。


 アルヴィンが木札に刃を入れた。


 カリ、と乾いた音。

 木屑が小さく舞う。


 その音は綺麗だった。

 紙の上の“整い”みたいな綺麗さじゃない。

 引っかかりがあって、残る綺麗さ。


 ――アルヴィンは協力しているんじゃない。

 目の前で“紙が噛まれる”現象を見せつけられて、否定できなくなっただけだ。


 それでも、刃が進む。

 進んだぶんだけ、名前が残る。


 その瞬間。


 俺の鼻が、ぴり、と鳴った。


 紙の匂い。湿った墨。香油。

 工房の外、記録室の方から。


「来ます」


 俺が言った。


「何が」


 カイが身構える。


「紙の方。……今、動いた」


 シルヴァが一歩、扉の方へ寄った。

 扉を開ける前に、ミリアが杖を握る。


 俺たちが記録室に戻ると――


 机の上の紙束が、勝手に揃っていた。


 紙の角が、ぴたりと揃いすぎている。

 文字の線が、細くなっている。

 そして、名前の欄が、ほんの少しだけ薄い。


(整えてる)


 アルヴィンが、反射で紙束に手を伸ばしかけて止めた。


「触るな!」


 ミリアの声が鋭い。


 次の瞬間、紙の隙間から黒いものがにゅるりと滲み出した。

 糸じゃない。もっと小さい。虫みたいな塊――墨喰い。


 墨喰いは紙の上を這い、真っ直ぐに木札の方へ向かった。


「こっちかよ!」


 カイが石灰袋を投げる。

 白い粉が舞って、墨喰いの動きが鈍る。


 でも止まらない。

 止まらないまま、木札の縁に触れ――


 じゅ、と嫌な音がした。


 墨喰いが、木を“噛めない”。


 噛めなくて、苛立ったみたいに跳ねて、今度はアルヴィンの手首へ飛んだ。


「っ!」


 アルヴィンが息を呑む。


「ロウ!」


「了解」


 ロウの縄が飛ぶ。

 墨喰いを床へ叩きつけて絡め取る。


 ミリアが杖を振った。


「ライト・ピン!」


 光の釘が床に刺さり、縄ごと墨喰いを縫い止める。

 墨喰いがじたばたと薄くなる。薄くなって、釘の隙間から逃げようと――


 俺は石灰をひとつかみ、叩きつけた。


 白が黒を噛む。

 動きが止まる。


 止まった中心に、昨日と同じ“核”がある。


 短剣は抜かない。

 柄でいい。


 こつん、と押し潰す。


 墨喰いは、ふっと力を失って、ただの汚れになった。


「……木に噛みつけなかった」


 カイが、信じられない顔をして言った。


「噛みつけない、っていうか……嫌がった」


 ミリアが低い声で言う。


 アルヴィンが手首を押さえた。

 皮膚が赤い。火傷に近い。


「……ちっ」


 彼は悪態をついた。

 でも、悪態の向きは俺たちじゃなく、床の黒だった。


 シルヴァが静かに言った。


「今のを見たな。だから木札だ」


 アルヴィンは黙って頷いた。

 悔しそうに。怖そうに。――それでも、刃を握り直す顔で。


 ◇


 その日の夕方まで、アルヴィンは木札に名前を刻み続けた。


 東区。倉庫街。南路地。

 七歳。八歳。六歳。

 小さな字が増えるほど、胸の奥が重くなる。


 紙の束は、その横で妙に整っていく。

 誰かが触っていないのに、角が揃い、字が細くなる。


 “問題ない形”に。


 でも木札は、整わない。

 刻みは刻みで、残る。


 ミリアが、木札の列を見つめてぽつりと言った。


「……これ、増え続けたら」


「増えさせない」


 俺はそう言っていた。


 大げさな誓いじゃない。

 空気を読んだ言葉でもない。


 ただ、目の前の線を守るだけだ。


 シルヴァが木札の束を二つに分け、片方を革袋に入れた。


「今日の分はここまで。

 明日からは、捜し人の紙を見つけたら、まず木札に写せ。紙は比較用に保管。触るな」


「触ったら、匂いが移る」


 ミリアが言う。


「匂いが移ったら、気づかれる」


 ロウが続けた。


 カイが口を挟む。


「……気づかれるの、こっちじゃなくて向こうってのがムカつくよな」


 その言葉に、アルヴィンは唇を薄く結んだ。


「Fの仕事じゃないだろ、こんなの」


 刺々しい言い方。

 でも今は、ただの悪口じゃない。


「Fでも、今ここにいる」


 ミリアが短く返す。


 アルヴィンは言い返さなかった。

 代わりに、木札の端を指でなぞり、ささくれに小さく顔をしかめた。


「……痛いな」


「痛い方が残る」


 俺が言うと、アルヴィンは一瞬だけ俺を見て、すぐに視線を逸らした。


「勘違いするな。俺は君たちの味方じゃない。……記録の味方だ。

 それと、明日上に聞かれたら“知らない”って言う。俺は俺を守る」


 その言葉は冷たかった。

 でも、冷たいぶんだけ本当だと思った。


 ◇


 夜、ギルドを出ると風が少し強かった。


 帰り道の壁。

 捜し人の紙は、また貼られていた。

 でも、角が揃いすぎている。字が綺麗すぎる。


 俺は見ないふりをして通り過ぎる。


 今日、残したのは紙じゃない。


 木だ。


 消される前に、残せたものがある。

 ――その事実だけが、今夜はほんの少しだけ胸を温かくした。


 そして、その温かさの奥で、鼻の奥が小さく警鐘を鳴らす。


 香油。湿った墨。


 誰かが、今夜もどこかで“書いている”。


 木札に刻まれた小さな名前たちが、静かに背中を押した。


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