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Fランク冒険者がみんな弱いと思ったら間違いだ 〜街の雑用をするヒマもなく事件を片付けてたら、いつの間にか最前線戦力でした〜  作者: 那由多
第4章 紙の勝利と、消える子どもたち

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第76話 配置転換と、捜し人の紙

第4章です。


 白い粉が、まだ靴に残っている。


 霧紺の洞の入口で撒いた石灰は、どれだけ擦っても完全には落ちない。

 落ちないのは、粉だけじゃない。あの「封鎖完了」という紙の匂いも、鼻の奥に薄く張り付いたままだ。


 ――なのに俺たちは、もう洞へは行かない。


 ギルドの裏口。荷車が出入りする方。

 朝の空気は冷たく、紙とインクの匂いが濃かった。


「今日からこっち、ね」


 ミリアが、いつもより低い声で言う。


 表の掲示板じゃない。

 裏の倉庫口に貼られた、小さな紙。


 “作業割り当て”。


 洞の入口線に立っていた面子が、見事に外されている。

 代わりに並んでいる文字は、どれも地味だ。


 ――押収品保管補助

 ――記録室運搬

 ――倉庫夜番(交代制)


 やることは山ほどある。

 でも、ここに回される意味も、だいたい分かる。


 見られたくないものの近くに置いて、縛る。

 便利だから使う。邪魔だから動かす。


 どっちもできる。


「……ふーん。倉庫番かぁ」


 カイが軽く言った。軽口の形だけで、温度が戻りきってない。


「洞よりマシだろ。……たぶん」


 ロウは短く言い、視線を倉庫扉の鍵に落とした。


 俺は息を吸った。


 湿った木材。油。金具。

 それに、乾いた紙とインク。


 ――その奥に、薄い香油。


(いるな)


 香油の匂いは、いつも「丁寧」だ。

 丁寧すぎる匂いは、距離を取っても残る。


 ミリアが俺の横顔を見る。


「……また?」


「まだ。薄いけど」


「薄い方が厄介よね」


 その通りだと思う。濃いなら、もう暴れている。

 薄いのは、整えてる途中だ。


 ◇


 倉庫街へ向かう道で、俺は足を止めた。


 壁に紙が貼られている。

 依頼札じゃない。捜し人の紙だ。


 ――捜し人

 東区 七歳 女児

 特徴:右の頬に小さなほくろ

 最後に目撃された場所:倉庫街南路地


 その下にも、もう一枚。

 その下にも、もう一枚。


 紙の端が、風でふわりと揺れた。

 揺れた瞬間、乾いたインクの匂いの奥に――湿った墨が混ざる。


(……同じだ)


 洞の封鎖札のときの匂い。

 紙が呼吸したときの匂い。


 ミリアが目を細める。


「増えてる。昨日は一枚だったのに」


「増えるのが早い」


 ロウが言った。


 カイが紙の端を押さえて、周りを見回す。


「子どもが消えるって、こんな……普通に貼っていいやつか?」


「普通じゃないから貼ってるんでしょ」


 ミリアが吐き捨てて、でもすぐに声を抑えた。


 俺は紙を見た。


 紙面の下の方。

 ほんの少しだけ、文字の輪郭が“揃いすぎている”。


 綺麗だ。綺麗すぎる。

 誰かが、後から整えたみたいな綺麗さ。


 触りたくない。

 触れば匂いが移る。匂いが移れば、相手に気づかれる。


 代わりに、息で確かめる。


 湿った墨。香油。

 そして、わずかに――石っぽい、黒い匂い。


「……紙が、また変だ」


 ミリアが小さく頷く。


「“捜し人”まで整える気ね」


 ロウが言った。


「つまり、捜すのを終わらせたい」


 腹の底が、冷たくなる。


 子どもが消えることも嫌だ。

 でもそれ以上に、「いなかったこと」にされるのが嫌だ。


 紙が薄れたら、声が消える。

 声が消えたら、線が消える。


 ◇


 倉庫街の中心。ギルド管理の保管庫。


 鍵を開けると、空気が変わった。

 紙と埃と油。木箱。縄。金具。


 奥には「押収品」の札が付いた箱が積まれている。

 貴族街の件で押さえたものも混じっているらしく、封蝋の匂いがする。


 ……封蝋の匂いの奥に、湿った墨。


(ここもか)


「遅いぞ」


 倉庫番の職員が顔を出した。目の下に隈。寝てない顔。


「今日中に、記録室へ回す分がある。運ぶぞ。丁寧にな」


「丁寧に、ね」


 ミリアがぼそっと言った。


 職員は聞こえないふりをして、紙束を差し出す。


「これ、搬出表。サインもらってこい」


 紙束が近づいた瞬間、俺の鼻の奥が、ぴり、と鳴った。


 乾いた紙。インク。

 その下で、湿った墨が――薄く糸を引いてる。


 糸?


 俺は目を落とす。

 紙の端。封蝋の横。……紙の繊維の隙間から、黒いものがごく細く滲んでいる。


 墨というより、糸だ。


「ミリア」


「見えた」


 ミリアは杖を握った。


「ロウ、カイ。箱を置いて。今、紙が――」


 言い終わる前に、黒い糸がにゅるりと伸びた。


 狙いは俺の指じゃない。

 紙の一番上の行。名前の欄。


 そこへ、ぴたりと貼り付こうとする。


(消す気だ)


 ロウが反射で前へ出る。


「触らせるな」


 ミリアの声が短く切れた。


「ライト・ピン!」


 光の釘が床に刺さり、糸の進路を縫い止める。

 糸は止まる。でも薄くなって、釘の隙間から抜けようとする。


「……しぶとい!」


 ミリアが一本追加で打つ。

 ライト・ピン。ライト・ピン。短い詠唱。速い。


 ロウが縄を投げて、糸の根元側――紙の端に絡める。

 カイが石灰袋を開いて、白を床に撒いた。


「白いの、好きじゃないんだろ?」


 軽口が、今は頼もしい。


 白が黒を噛む。

 糸の動きが鈍る。


 俺は短剣を抜かない。

 柄でいい。刃は、紙を裂く。


 紙を裂けば、相手の言い分が立つ。

 “Fが書類を壊した”って整えられる。


 だから、ずらす。


 石灰をひとつかみ、糸に叩きつける。

 次に、柄で叩いて“糸を名前欄から外す”。


 外れた一瞬、糸の根元が見えた。


 紙の繊維に絡んだ、小さな黒い粒。

 核。


(ここだ)


 俺は紙を裂かない角度で、核だけを押し潰す。


 柄で、こつん。


 次の瞬間、糸がふっと力を失って、床に落ちた。

 墨みたいな残滓が、じわりと広がる。


「……終わった?」


 職員が青い顔で言った。


「終わってない」


 ミリアが即答する。


「今の、“紙を整える”動きよ。しかも、倉庫の中で」


 ロウが残滓に石灰を足しながら言う。


「……誰かが、ここでやってる」


 俺は息をした。


 湿った墨。香油。

 そして――どこか遠くじゃない。すぐ近くに“書く人間の匂い”。


 そのとき。


「……ワン」


 短い鳴き声。


 倉庫の影に、黒い犬の輪郭がすっと浮かんだ。

 残滓に鼻を寄せ、ひと舐め。


 黒が、吸い取られるみたいに薄くなる。

 犬は尻尾を一度だけ振って、影ごと消えた。


 職員が息を呑む。


「い、犬……?」


「見間違いだと思っとけ」


 ロウが低く言った。

 でも、その声が「見間違いじゃない」と言ってる。


 ミリアが杖先を下げて、静かに言った。


「……人は襲わない。黒だけ舐める。

 ますます分かんないわね、あれ」


 分からない。

 分からないけど、少なくとも――黒を増やす側じゃない動きに見える。


 ◇


 箱の搬出は続いた。


 職員は震える手で紙束を持ち直し、恐る恐る名前欄を見た。

 そこに、ちゃんと字が残っているのを見て、少しだけ顔色が戻る。


「……これ、報告、必要ですよね」


「必要」


 ミリアが言う。


「でも紙に書くと、また整えられる。

 “残る形”で残せる?」


 職員は困った顔をした。


「石板は……城塞の管轄だし……」


「木でもいい」


 俺は袋の中の薄い木片に指を当てた。

 ささくれが刺さる痛み。


 紙は薄れる。

 石は重い。

 木は、手に残る。


「木なら、紙より消しにくい」


 職員はぽかんとしていたが、ロウが淡々と言った。


「木札に刻める係がいる。ギルドの工房だ」


 ミリアが小さく頷く。


「……ギルドの中で、紙じゃない記録を増やす」


 それは反抗というより、保険だ。

 でも今の相手には、それが一番嫌なはずだ。


 ◇


 倉庫を出ると、夕方の風が冷たかった。


 帰り道、さっきの捜し人の紙の前に人影があった。

 背中だけ。帽子。丁寧な手つき。


 紙の端を持って、剥がしている。


 俺の鼻が鳴る。


 香油。湿った墨。


(……まただ)


 ミリアも気づいたのか、息を殺した。

 ロウが肩を僅かに動かす。カイは石灰袋を握り直す。


 でも、追わない。

 追った瞬間、“騒ぎを起こすF”が主語になる。

 それは相手の得意分野だ。


 人影は紙を丸めて、路地の角へ消えた。

 白い粉の上を、踏まずに。


 残った壁は、妙に綺麗だった。

 糊の跡さえ、拭き取られたみたいに薄い。


 そのすぐ近く、木箱を修理する職人の露店があった。

 かんなの屑が風に舞って、乾いた木の匂いが一瞬だけ強くなる。


 ――その瞬間。


 鼻に残っていた湿った墨の匂いが、ほんの少しだけ引っ込んだ。


(……木)


 俺は知らないふりをして歩き出す。


 消される前に、残さないといけないものが増えた。


 紙の上の「封鎖完了」なんて、どうでもいい。

 この街で消えていくのが、紙じゃなく人なら――なおさらだ。


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