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Fランク冒険者がみんな弱いと思ったら間違いだ 〜街の雑用をするヒマもなく事件を片付けてたら、いつの間にか最前線戦力でした〜  作者: 那由多
第3章 Fランクなのにダンジョンデビュー。入口の線は、誰が守る

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第74話 封鎖札と、木の裏


 夕方の霧は、昼より重い。


 霧紺の洞の入口は、赤い空を背にして口を開けていた。

 押し戻したはずの黒は見えない。けれど――匂いだけは、まだ“いる”。


 湿った墨。乾いた紙。

 それに、薄い香油。


(嫌な混ざり方だ)


 入口の前には人が集まっていた。


 騎士団の兵が柵の内外に立ち、ギルドの職員が机を置き、

 その中央に「札」を持った男がいる。


 封鎖札。

 綺麗な紙。綺麗な文字。綺麗な印。


 綺麗すぎるものは、嘘になりやすい。


 シルヴァが、俺たちにだけ聞こえる声で言った。


「手を出すな。……まず嗅げ」


「はい」


 ミリアもロウも、短く頷いた。

 カイはいない。治療テントで寝かされている。今日ここに立ってる線は、昨日より細い。


 ノーラは柵の内側。肩を固定したまま、列の端を見ている。

 声は出せる。でも、長くは持たない顔色だ。


 少し離れた“外側”に、レイヴァンがいた。

 規定を守る位置。なのに、目は角の向こうまで測っている。


 バルドは入口線の近くで腕を組み、機嫌悪そうに見張っていた。


 そして――


(香油)


 白い粉を踏まない場所に、監察官マルトンが立っている。

 綺麗な外套。丁寧な顔。丁寧すぎる距離。


 見るだけ。入らない。

 でも、匂いは近い。


 ◇


「霧紺の洞入口、封鎖を宣言する――」


 封鎖札の男が声を張る。

 紙が風に揺れ、そのたびインクの匂いが広がる。


 そのインクの奥に、墨が混ざる。

 昨日の“字”の匂いだ。


 紙の下の方、封蝋の横。

 黒が、うっすら滲みかけた。


 ――封。


 今度は“書かれかけ”じゃない。

 最初から、そこに居座るつもりの濃さ。


 ミリアが息を吸った。


「……来る」


 俺は小さく頷いた。


 封鎖札の男が、入口の柱へ札を貼ろうと一歩踏み出す。


 その瞬間だった。


 紙の端が、ふっと波打った。

 風じゃない。紙が勝手に呼吸した。


 黒い滲みが、字の形に沿って動く。


 「封」が、綺麗に整い始める。


(整える気だ。ここで)


 札が貼られたら、紙の上では“終わる”。

 終わってないのに、終わったことにされる。


 ――その瞬間が一番危ない。


「待ってください」


 俺の声が、思ったより硬かった。


 封鎖札の男が振り向く。


「何だ、Fか。今、忙しい。早く終わらせるんだ」


 バルドが舌打ちした。


「終わってねぇから騒いでんだろ」


 男が眉をひそめる。


「封鎖札を貼れば終わる。規定だ」


 規定。

 紙。

 整えるにはちょうどいい言葉。


 シルヴァが一歩だけ前へ出た。


「札を貼る前に確認する。昨日、紙に混ざった。今日も匂いがある」


 男が苛立つ。


「匂い匂い……。時間が――」


「時間がないなら、なおさら」


 ミリアが鋭く返した。


「紙は湿気で剥がれるし、破れたら混乱が増える。木板に貼ってから固定した方が早い」


 男が一瞬、言い返しかけて止まった。

 確かに合理的だ。


 その背後で、マルトンの香油が、ほんの少し濃くなる。


(嫌がった?)


 ガレスが槍の柄を鳴らした。


「木板でいい。昨夜、木と石灰で線を保った。今日も同じでいい」


 封鎖札の男が舌打ちし、渋々頷く。


「……分かった。板を持ってこい」


 ◇


 板はすぐ来た。

 荷車の補修用の薄い板を一枚。昨日の名残で、端に石灰が白く残っている。


 男が紙を板に当てる。


 その瞬間――紙の「封」の字が、ぴたりと止まった。


 綺麗に整いかけていた黒が、嫌そうに薄くなる。

 薄くなって、逃げ道を探すみたいに――紙の外へ滲み出た。


 にゅるり。


 黒い糸が一本、紙の端から伸びて、男の指へ向かう。


「っ……!」


 男が反射で手を引く。

 引いた拍子に紙が揺れ、黒がさらに“整おう”とする。


 ミリアが即座に杖を振った。


「ライト・ピン!」


 光の釘が床に刺さり、糸の進路を縫い止める。

 止まる。止まるが、糸は薄くなって抜けようとする。


 抜ける前に、俺が石灰をひとつかみ叩きつけた。


 白が黒を噛む。

 噛まれた黒が、動きを鈍らせる。


 ――でも、紙の上の「封」は、まだ“整おう”としている。


(字だ。字を壊せばいい)


 けれど、ここで紙を切ったら、間違いなく騒ぎになる。

 「Fが封鎖札を破った」――それだけで整えられる。


 俺は短剣を抜かず、板の角を指で探った。


 木のささくれ。

 昨日から残った、小さな欠け。


 その欠けで、紙の上の「封」の――縦の芯を、ほんの少しだけ“擦った”。


 切らない。裂かない。

 ただ、綺麗に書けないようにする。


 ざり、と紙が鳴る。


 次の瞬間、黒い「封」がふっと輪郭を失った。


 綺麗だった線が、綺麗じゃなくなる。

 整えられなくなった黒が、行き場を失って、紙の端へ逃げる。


「……っ、なんだ今の!」


 封鎖札の男が青い顔で叫ぶ。


 バルドが男の腕を掴んで、乱暴に後ろへ引いた。


「動くな。余計なことすんな」


 男は何か言い返そうとして、喉がひくついた。

 指先が白くなっている。冷えが触れている。


 ロウが板を支える。

 ミリアが「ライト・ピン」を一本増やし、糸の逃げ道を潰す。


 そして――


「……ワン」


 短い鳴き声。


 黒い犬の影が、板の下にすっと現れた。

 紙の端から滲んだ黒へ鼻を寄せ、一舐め。


 黒が、すうっと薄くなる。


 糸は鳥になり損ねたまま、犬の口へ吸い込まれるみたいに消えた。


 犬は尻尾を一度だけ振って、影ごと消えた。


 残ったのは、板に貼られた封鎖札。


 そして――綺麗に整え損ねた「封」の字の、薄い汚れ。


 ◇


「……何が起きた」


 封鎖札の男が震える声で言った。


 ガレスが短く答える。


「紙に混ざり物がいた。板に貼ったのは正解だ」


 ミリアが冷たい声で言う。


「そのまま紙で貼ってたら、もっと増えてた」


 男は唇を噛み、渋々頷いた。

 震える手で釘を打ち、板ごと柱へ固定する。


 封鎖札は、貼られた。


 “封鎖完了”の形が、入口に出来上がる。


 周りの人間が、ほっとした顔をする。

 ほっとするのが、早すぎる。


 紙に書かれたら終わり――そんなわけがないのに、紙がそう思わせる。


 その外側で、マルトンが小さく口を開いた。


「……無用な騒ぎでしたね。封鎖は完了した」


 丁寧な声。

 でも香油が、また少し濃い。


 ミリアが睨み返す。


「完了? 匂いは残ってる」


「匂いは主観です」


 マルトンは笑みを崩さない。


「街の秩序のために、これ以上の混乱は――」


「混乱を招いてるのは、誰ですか」


 ミリアの声が鋭い。


 マルトンは答えず、ただ視線だけを板へ向けた。

 整え損ねた「封」の汚れを、見ている。


 見ているのに、見えないふりをする目。


 そして、踵を返す。


 白い粉を踏まない歩き方で。


 香油が遠ざかる――はずなのに、匂いはまだ残る。

 残る匂いの方向は、入口じゃない。


(……裏だ)


 ◇


 封鎖札の板が固定された後、人が散り始めた。


 ほっとする声。

 もう大丈夫だ、という声。


 でも、俺の鼻は逆にうるさくなる。


 板の裏。

 柱と板の間。


 湿った墨が、そこに溜まっている。

 溜まっているだけじゃない。薄く広がって、何かを“隠す”形を作っている。


 俺は板の縁へ指を伸ばした。


 木のささくれが指先に刺さる。

 痛みが現実を引っ張る。


 板の裏の石に、指が触れた。


 ――冷たい。


 洞の湿気と違う冷たさ。

 石の冷たさの奥に、もう一枚、違う冷たさがある。


 空洞。

 壁の向こうの空洞の匂い。


(……扉だ)


 俺は息を殺して、もう一度触れた。


 石の継ぎ目が、ある。

 自然な目地じゃない。作った目地。


 その目地の上を、黒が薄く撫でて“無かったこと”にしようとしている。


 だが、板が木だから、黒は綺麗に整えきれない。

 薄い汚れが、逆に目地を浮かせている。


「……シルヴァさん」


 俺は小さく呼んだ。


 シルヴァが近づき、板の裏に視線を落とす。


「見つけたか」


「あります」


 俺が言うと、シルヴァは一度だけ頷いた。


 その頷きは、嬉しさじゃない。

 “面倒が確定した”頷きだった。


 ミリアが横から覗き込む。


「……扉。ほんとに?」


「匂いが、壁の向こうに繋がってる」


 ロウが低い声で言った。


「……封鎖札、逆に目印になったな」


 その瞬間、洞の奥が――深く呼吸した気がした。


 入口は封鎖された。

 紙の上では終わった。


 でも、扉はここにある。


 そして――香油の匂いは、まだ完全には消えない。


 俺は木板の縁を指で押さえた。


 残る形にしたせいで、見えたものがある。

 見えたせいで、次が来る。


 そういう匂いが、足元から上がってきていた。


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