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Fランク冒険者がみんな弱いと思ったら間違いだ 〜街の雑用をするヒマもなく事件を片付けてたら、いつの間にか最前線戦力でした〜  作者: 那由多
第3章 Fランクなのにダンジョンデビュー。入口の線は、誰が守る

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第71話 白い朝と、消える報告


 夜が明けても、白い粉は雪みたいに残っていた。


 踏めば靴底がきし、と鳴る。

 粉の上に残る足跡が、まだ“昨日の線”のままだ。


 入口の柵は軋んでいる。

 荷車は横倒しのまま。

 槍の先は、白くなっていた。


 黒は洞の奥へ押し戻した。押し戻しただけだ。

 いなくなった匂いじゃない。遠ざかった匂い。


「……カイ、どう?」


 ミリアが、治療テントの前で低い声で言った。


 カイは毛布にくるまって、壁にもたれていた。

 顔色は戻っていない。唇が少し紫に寄っている。


「……へーき。粉屋、引退するわ……」


 軽口を言おうとして、息が途中で途切れる。


 治療師が首を振った。


「喋るな。熱を逃がす。

 “冷え”は中に残ってる。動けば回る」


 カイは悔しそうに目を逸らして、黙った。


 ロウは指に布を巻き直している。血は止まっていない。

 ノーラは柵の内側で座らされていた。肩の固定はそのまま。声だけはまだ残っているみたいで、近くの子どもに水を渡していた。


「……昨日、木、効いたね」


 ノーラが、包帯の上の木片を見て言った。


「効いた」


 俺が短く答えると、ノーラは小さく頷いた。


 木は残る。

 石は残る。

 白は噛む。


 残るものと、噛むものだけで、昨夜は線を保った。


 ◇


 朝の光が洞の入口の縁を薄く照らした頃、奥から上位班が戻ってきた。


 鎧の音が増える。

 疲れた足音。

 そして、少しだけ違う匂い。


 焦げた札。古い湿気。金属。

 ――それと、湿った墨。


 レイヴァンが先頭にいた。顔はいつも通り硬い。

 その後ろに、見慣れないBランクの調査隊が二人。肩で息をしている。


 ガレスが一歩出る。


「封印は」


「応急で押さえた」


 Bランクの男が短く答えた。


「前室の“呼吸”は止めた。だが、根は深い。

 入口の異常は……こちらで見るべきじゃなかったな」


 その言い方が、嫌だった。

 “見るべきじゃなかった”――つまり、押し付けたってことだ。


 ミリアの目が細くなる。


 でも今は喧嘩をする時間じゃない。

 線がまだ生きている。誰も勝ってない。


 シルヴァが戻ってきた上位班の顔を一度だけ見て、すぐ入口の混乱の残りを見た。


「……よく持ったね」


 それだけ言って、俺たちの方を見た。

 目が笑っていないのに、声は少しだけ柔らかい。


「治療が先。次に記録」


 記録。


 その言葉が落ちた瞬間、俺の鼻の奥がちくりと鳴った。


(紙とインク)


 誰かがもう、紙を広げている匂いがする。


 ◇


 柵の外、詰所の横に机が並べられた。

 白い粉が舞わない位置に、わざわざ。


 監察官マルトンが、綺麗な外套のままそこに立つ。

 香油の匂いが、朝の冷えの中でも妙に強い。


 アルヴィンもいた。

 胸の内側に抱えていた紙束を、今は机の上に置いている。置いているだけで、落ち着かない指。


 マルトンが丁寧に言う。


「状況は収束しつつあります。まずは報告書を整えましょう。

 ――混乱が続けば、街の不安を招きます」


 “整える”。


 その単語が出た瞬間、背中が少し寒くなった。


 アルヴィンが紙を広げる。

 羽ペンを握る手が、昨日より硬い。


 紙の匂い。インクの匂い。

 そこに、湿った墨がほんの少し混ざっている。


(混ぜてる……)


 ミリアが机に近づく。


「報告に、入口線のこと書くのよね。こっちが持った」


 マルトンは丁寧な笑みを崩さない。


「もちろん、騎士団の迅速な対応として記載します」


「“騎士団”だけ?」


 ミリアの声が冷える。


 アルヴィンが一瞬だけ、こちらを見た。

 目が揺れている。書きたい目だ。


 マルトンが続ける。


「封印再固定はBランク調査隊。入口の維持は騎士団。

 ギルドの補助員――F〜Eの者は、補助として記録します」


 補助。




 バルドが舌打ちしかけて、飲み込む。

 レイヴァンは何も言わない。何も言わないが、目だけが硬い。


 ノーラの肩の固定。

 カイの紫の唇。

 ロウの指の布。


 それを見て、“補助”。


 ミリアが一歩前へ出た。


「名前、書きなさいよ。誰が線に立ってたか」


 マルトンは紙を見ずに言う。


「名前は、必要な範囲で」


「必要よ」


 ミリアが言い切った。


「消えたら困るのは、現場だから」


 マルトンの口元がわずかに薄くなる。

 丁寧な仮面の下で、感情が擦れる匂いがした。


 アルヴィンが、喉を鳴らして羽ペンを動かしかけた。


 その瞬間。


 紙の上に、黒い滲みがふっと現れた。


 ほんの一画。

 でも“字”の形だ。


 ――封。


 紙の上に「封」の字が書かれかけている。


 アルヴィンの手が止まる。


「……っ」


 ミリアが気づいて、目を細めた。


「また……」


 俺は机の縁に手をついて、紙に触れない距離で息をした。


 紙は裂けない。

 裂けば増える。


 でも字なら――壊せる。


「ミリア」


「分かってる」


 ミリアが杖を振る。


「ライト・ピン!」


 光の釘が床に刺さり、机の脚の影に伸びかけた黒い糸の逃げ道を縫い止めた。

 止まる。止まるが、紙の上の「封」は消えない。


 マルトンが丁寧に言う。


「……何をしているのですか」


「紙に混ざってる」


 ミリアが低い声で言った。


「見えないふりしないで」


 マルトンは、丁寧なまま視線を逸らした。

 紙じゃなく、人を見ている。誰が強いか、誰が弱いかを測る目。


 俺は短剣を抜かなかった。

 抜いたら“攻撃”になる。


 だから、削るのは紙じゃない。

 言葉だ。


「紙、やめた方がいいです」


 俺が言うと、マルトンが初めて俺を見た。

 香油の匂いが、少し濃くなる。


「……代替案は」


「石」


 俺が言った瞬間、アルヴィンが息を呑んだ。


 シルヴァが机の横へ来て、淡々と言う。


「石に刻む。城塞の刻印係を呼べ。

 それなら“封”されにくい」


 “されにくい”。


 言い切らないのが、現場の言葉だった。


 ◇


 石板が運ばれてきた。

 昨日と同じ、重い平たい石。


 刻印係がタガネと小槌を置く。


 ぎ、と石を削る音がする。

 紙の擦れる音より、ずっと落ち着く音。


 アルヴィンがその前に立った。

 手が震える。腕が頼りない。けれど、目だけは逃げない。


「……書きます」


 言い方が、今日は丁寧じゃなかった。

 意地の声だった。


 刻印係が一度だけ頷く。


「名を言え」


 ミリアが先に言った。


「レオン。ミリア。ロウ。カイ。ノーラ。

 ――それと、レイヴァン。バルド。ガレス」


 アルヴィンがタガネを当てる。

 ぎん、と叩く。


 石に字が刻まれていく。


 黒い滲みが、石板の縁にふっと寄ってきた気配がした。

 寄ってきて、溝へ入りたがる匂い。


 アルヴィンが歯を食いしばる。


「……深くする」


 ぎん、ぎん。


 溝が深くなる。

 深い溝は、簡単には埋まらない。


 マルトンが口を開く。


「そこまでして残す必要が——」


「必要だ」


 ガレスが遮った。


「昨夜、ここで線が割れたら街は死んでた。

 残す必要はある。残さねば、また割れる」


 その言葉が、机の上の紙よりずっと重かった。


 マルトンは黙った。

 黙ったまま、綺麗な靴の位置を少しだけずらす。白い粉を踏まない位置へ。


 白が嫌いなのか。

 木が嫌いなのか。

 それとも――偶然か。


 俺は偶然にしたくない匂いを、覚えた。


 ◇


 刻みが終わると、石板の文字は不格好だった。

 筆みたいに綺麗じゃない。曲がっている。深さも揃っていない。


 でも、それでいい。


 綺麗に整えない。

 整えさせない。


 アルヴィンが石板を見下ろして、小さく言った。


「……残った」


 勝った声じゃない。

 生き残った声だった。


 ミリアは石板を一度だけ見て、すぐ紙の方へ目を戻した。

 紙の上の「封」は、いつの間にか薄くなっている。


 薄くなって――無かったことにされる前の薄さ。


「……やっぱり、紙はダメね」


 ミリアが呟く。


 シルヴァが低い声で言った。


「紙は便利だ。便利なものは、狙われる。

 だから残る形を持つ」


 残る形。


 木札。

 石板。

 白い粉。


 残るものを増やせば、消す側は面倒になる。


 だけど――面倒なだけで、止まるとは限らない。


 洞の入口から、湿った墨の匂いがまだ薄く漂っている。

 完全には引いていない。


 そして、香油の匂いは、相変わらずこの近くに残っている。


 ノーラが柵の内側からこちらを見た。

 包帯の上の木片に触れて、口だけで笑う。


「……戻ったんでしょ?」


「戻った」


 俺が言うと、ノーラは小さく頷いた。


「なら、次も戻る」


 その言葉が、今朝の一番強い札だった。


 俺は短剣の柄を握り直して、洞の暗い入口を見た。


 黒はまだ書いている。

 でも、こっちは刻める。


 刻んで残して、整えさせない。


 ――そういう戦い方があると、昨夜と今朝が教えていた。


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