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Fランク冒険者がみんな弱いと思ったら間違いだ 〜街の雑用をするヒマもなく事件を片付けてたら、いつの間にか最前線戦力でした〜  作者: 那由多
第3章 Fランクなのにダンジョンデビュー。入口の線は、誰が守る

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第69話 刻みを削るもの


 黒い波は、来るたびに少しだけ形を変える。


 糸で足を取る。

 鳥で声を奪う。

 面で押し潰す。


 そして今夜は――“削る”。


 白い粉の上を這っていた黒が、ふっと進路を変えた。

 槍の隙間でも、柵の隙間でもない。


 もっと嫌な方へ。


 入口の詰所の横。焚き火のそば。

 城塞が持ち込んだ、あの石板。


 救出班の名と、対象者の名を刻んだ石板。


(……そっちか)


 鼻の奥が、嫌に冷たく鳴った。


 ◇


 石板の前にいたのは、アルヴィンだった。


 いつもの帳簿じゃない。

 紙束でもない。

 今日は、タガネ(刻み具)と小槌を握っている。


 握り方が慣れていない。指が震えている。

 でも、その震えは逃げたい震えじゃなかった。


「……石は残るって、言いましたよね」


 アルヴィンが、誰に言うでもなく呟いた。


 俺は答える前に、黒が石板へ触れる匂いを嗅いだ。


 黒は石板の文字の“溝”に沿って染みていく。

 まるで水が刻みを埋めるみたいに。


 溝が埋まる。

 埋まれば、読めない。

 読めなければ――「誰が」も「誰を」も、なかったことにできる。


 アルヴィンの顔色が変わった。


「……消す気だ。石まで」


 ミリアが杖を握り直す。


「石なら安全、って思わせて、最後にそこを狙う。嫌なやり方」


 黒い面が、石板の下から薄く盛り上がった。

 面というより、ぬめる“布”みたいに。


 刻んだ文字の溝へ、じわじわ入り込む。


「アルヴィン、下がって!」


 ミリアが叫ぶ。


 アルヴィンは下がらなかった。

 代わりに、タガネを石に当てた。


「……残すなら、深くする!」


 ぎん、と石を叩く音。

 タガネが食い込み、文字の溝が深くなる。


 黒が、その溝に入りきれずに一瞬だけ弾かれた。


「……っ!」


 アルヴィンの腕が震える。

 事務屋の腕だ。戦いの腕じゃない。


 その震えを、黒は見逃さない。


 黒い糸が一本、石板からにゅるりと伸びた。

 狙いはタガネを握る指先。


「アルヴィン!」


 俺が動くより早く、ミリアが杖を振った。


「ライト・ピン!」


 光の釘が床に刺さり、糸の進路を縫い止める。


 止まる。止まるが、消えない。

 消えないまま、糸が薄くなって釘の隙間を抜けようとする。


 俺は石灰をひとつかみ、糸へ叩きつけた。

 白が噛む。糸が鈍る。


 その一瞬で、短剣の柄で叩いて“ずらす”。


 糸が石板から外れた。


「……ありが、」


 アルヴィンが言いかけて、口を噛んだ。

 礼を言う余裕を、自分で切り捨てた顔。


 代わりに、石を叩く。


 ぎん、ぎん。


 刻みが深くなる。

 黒が“埋める”より早く、溝が“逃げる”。


(……こいつ、意地だな)


 意地でも残す。

 残る形にする。


 その意地が、今夜は頼もしかった。


 ◇


 だが、黒は一手で終わらない。


 黒い面が、石板の表面を撫でるように広がった。

 文字の溝を埋めるんじゃない。


 “整える”みたいに、表面ごと薄く削ろうとしている。


 削れば、溝の深さも意味がない。


「……磨く気だ」


 ロウが低く言った。

 指はまだ痛そうなのに、目だけは冷えている。


 カイは少し離れたところで膝をついていた。

 腹を押さえた手が震える。顔色が戻らない。


「……やべぇな。石まで消すとか、性格悪すぎる……」


 軽口の形にしようとして、できてない声。


 レイヴァンが半歩前へ出た。


「押し返す。……石は壊すな」


 壊すな。

 でも守るには“壊す”が必要な時がある。


 俺は短剣を握り直した。


(字と同じだ)


 黒が“綺麗に”整えられる形を作ろうとするなら、

 綺麗にさせないのが正解だ。


 俺は石板の端に膝をついて、刃先を当てた。

 狙いは、刻まれた名前の溝じゃない。


 溝の“縁”。


 縁を、ほんの少しだけ荒らす。

 削るというより、ざらつかせる。


 石に引っかき傷が増える。


 綺麗じゃなくなる。

 均一じゃなくなる。


 黒い面が、ぴたりと動きを止めた。


 嫌がっている。

 石の表面が“整わない”のが嫌なんだ。


 ミリアが息を吐く。


「……整えることに意味がある。逆に言えば、整えられなきゃ弱い」


「字と同じだ」


 俺が言うと、ミリアは短く頷いた。


 アルヴィンが、目を見開いたまま言う。


「……じゃあ、私は……」


「深く刻め」


 シルヴァの声が背後から飛んだ。


 シルヴァが来ていた。

 目が笑っていない。今夜ずっと“守り”の目だ。


「深く刻め。荒く削れ。……“綺麗な記録”にするな」


 アルヴィンが、少しだけ笑った。


 泣きそうな笑いだ。

 でも、笑った。


「……最悪ですね、それ」


「最悪でいい」


 シルヴァが短く言う。


「残るほうが大事だ」


 ◇


 石板の周りで押し返している間に、入口の黒い波がまた膨らんだ。


 槍の線が揺れる。

 木の壁が軋む。


 ガレスの怒号が飛ぶ。


「入口線、持て! 後ろへ押すな! 街へ出すな!」


 だが現実は、理想ほど綺麗に整わない。


 黒い波が、柵の足元を舐めた。

 糸が伸びる。今度は二本、三本。


 “同時に”来る。

 誰かの半拍を狙って、連鎖で崩す。


 ミリアが叫ぶ。


「ライト・ピン!」


 光の釘が床に刺さる。

 糸を止める。止めるが、数が多い。


 ロウが歯を食いしばり、荷車の板を引きずって塞ぐ。

 縄じゃなく木で塞ぐ。

 でも足が一歩遅れる。


 遅れた。


 黒い糸がロウの足首に触れた。


「っ……!」


 ロウの体が半歩崩れる。

 その崩れに、黒い波が合わせてくる。


 ――連鎖。


 俺は石板から跳ねた。


 白い粉をロウの足元へ叩きつける。

 糸が鈍る。


 短剣の柄で叩いてずらす。

 ロウの足が自由になる。


 その瞬間、レイヴァンの鞘が落ちた。


 ごん。


 黒い波の縁が崩れる。

 崩れた黒が、また寄ろうとする前に、バルドが剣を盾みたいに当てて押す。


「押せ! 押し返せ!」


 押す。

 押すしかない。


 その背後で、カイがふらりと立ち上がろうとして――また膝をついた。


「……っ、くそ……手が冷てぇ……」


 冷えが回っている。

 もう“根性”でどうにかなる段階じゃない。


 俺が目を向けた瞬間、レイヴァンがカイの襟を掴んだ。


「後ろ」


「……まだ……」


「もう下がれ。」


 命令みたいで、でも一番優しいやつ。


 カイが唇を噛んで、後退した。

 悔しそうな背中が、今夜ずっと刺さる。


 ◇


 黒い波が一瞬だけ引いた。


 引いた、というより――息を整えた。


 洞の奥で、紙を擦る音がした。

 筆先が走る音。


 誰かがどこかで、また“整えて”いる。


 その気配が、今ははっきりする。


 そして、掲示板の方を見た。


 「整」の字を削った紙。

 そこに、別の文字が滲みかけていた。


 ――封。


 封じる。

 封じたことにする。封じて見せる。封じて閉じ込める。


 嫌な字だ。


 アルヴィンが、息を飲んだ。


「……また書いてる」


「書かせるな」


 ミリアが低い声で言う。


 俺は、掲示板の紙を見た。

 紙に触るのは危ない。裂けば増える。


 でも、字は壊せる。


 壊せるのは分かった。

 問題は――次だ。


 洞の口が、また深く呼吸した。


 黒い波の奥が、盛り上がっている。

 影兵じゃない。糸でも鳥でもない。


 もっと大きい形。


 白い粉の上に、黒が“輪郭だけ”立ち上がった。

 肩が広い。腕が太い。頭が高い。


 ――オーガ級の影。


 バルドが、喉の奥で笑うみたいな音を出した。


「……やっと“それっぽい”のが来たな」


 レイヴァンは笑わない。

 ただ、鞘を握り直した。


「倒すな。崩せ。……通すな」


 倒すより、通さない。

 それが今夜の戦い方だ。


 俺は息を吸った。


 オーガ級の影の匂いの奥に、ほんの少しだけ――香油の匂いが混ざっている。

 上品な匂い。昼の監察官が纏っていた匂いに似ている。


 気のせいにしたくない匂い。


 黒いオーガが一歩、前へ出た。


 白い粉が、きし、と音を立てた気がした。


 入口線が、次で割れる。


 そういう“手触り”が、足元から上がってきた。


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