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Fランク冒険者がみんな弱いと思ったら間違いだ 〜街の雑用をするヒマもなく事件を片付けてたら、いつの間にか最前線戦力でした〜  作者: 那由多
第3章 Fランクなのにダンジョンデビュー。入口の線は、誰が守る

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第66話 木札と、角の向こう



 日が落ちると、入口の灯りが急に頼りなく見えた。


 治療テントの外では、焚き火の火がぱちぱち鳴っている。

 助けた二人は温められ、うわ言みたいな声で同じ言葉を繰り返していた。


「……綺麗に……書いて……安全って……」


 その横で、ノーラが肩を固定されて座っていた。悔しさは顔に出さないのに、指先だけが落ち着かない。


「行くんだよね」


 ノーラが、俺を見上げて言った。


「……うん」


「ならこれ。持ってって」


 ノーラが差し出したのは、薄い木片だった。

 盾の縁に使ってた木を、治療師が削ってくれたらしい。


 そこに、ノーラの名前が刻まれている。


「紙みたいに消されにくいから。……迷ったら、触って」


 ノーラは笑おうとして、肩が痛んで顔をしかめた。


「私、行けないけど……私の分も、戻ってきて」


「戻るよ」


 俺が言うと、ノーラは小さく頷いた。



 カイが口を挟もうとして、今日はやめた。

 笑いにしないほうがいい空気だと、ちゃんと分かってる顔だった。


 ◇


 入口の詰所では、石板が用意されていた。

 大きな平たい石に、タガネ(刻み具)と小槌。城塞の刻印係が手袋をしたまま待っている。


 ガレスが短く言った。


「今夜の動きは、ここに刻む。紙は使わん。印も使わん。

 “誰が”動いたか、消されない形で残す」


 シルヴァが頷く。


「救出対象はヘンリク。未帰還一名。

 ……戻ったら、石板に刻む。戻らなかったら——」


 言葉が途切れた。

 途切れたけど、全員分かった。


 刻印係が石板に最初の一行を刻み始める。


 ――救出班:レイヴァン/バルド/レオン/ミリア/ロウ/カイ

 ――対象:ヘンリク


 ギ、と石を削る音がした。

 紙が擦れる音じゃない。消せない音。


 アルヴィンが少し離れたところで、その音を見ていた。胸の内側に抱えた紙束は、今夜は出さないらしい。



 そこへ、丁寧な靴音が近づいた。


「夜間行動とは、感心しませんね」


 監察官マルトンだった。

 灯りの下でも外套が綺麗で、香油の匂いが鼻につく。


「危険が増す。責任が増す。規定が——」


「規定はお前の紙に書いとけ」


 バルドが吐き捨てた。


 マルトンの口元がわずかに歪む。

 けれど声は丁寧なままだ。


「“記録に残らない英雄”になるのは、あなた方の自由です」


 シルヴァが冷たく返す。


「残る。石に残る」


 マルトンの視線が石板へ流れた。

 その一瞬だけ、香油の匂いの奥に、湿った墨の匂いが混ざった気がした。


 レイヴァンが短く言う。


「お前らもいる。無茶はさせん。……角までだ」


 “角まで”。

 線のこちら側。規定の範囲。


 それでも今夜は、その“角”の向こうに人がいる。


 ガレスが槍の柄を鳴らした。


「通すな。混ぜるな。出すな。……そして戻れ」


 俺は木札――ヘンリクの名前を握り、腰に結び直した。


 ◇


 洞へ入ると、灯りの色が変わった。

 紺色の湿気が、夜の冷えと混ざって皮膚に張りつく。


 先頭はレイヴァン。半歩後ろにバルド。

 その後ろに俺たち。ロウとカイは左右、ミリアは中央の少し後ろ。


 ノーラはいない。

 いないからこそ、余計に線が細く感じる。


 角へ近づくにつれて、匂いが増した。血の匂い。冷えた金属。焦げた布。

 そして、湿った墨。


(……いる)


 墨が“新しい”。

 誰かが、ついさっきまでここで何かをしていた匂い。


 角を曲がった。


 壁の目地に、薄い黒い線が走っていた。

 昨日削ったはずの線が、綺麗に整え直されている。……見せるために。


 レイヴァンが壁へ手を当てる。


「綺麗すぎる。……“安全”だと言える顔だ」


 バルドが舌打ちした。


「安全なら帰ってきてる」


 ミリアが息を吐く。


「開ける前に確認。レオン」


 俺は鼻で息をした。


 壁の向こう。近い。近いのに、空気が違う。

 古い空気。乾いた空気。紙みたいな乾き。


「……います。二人。近い」


「ヘンリクか」


「……分からない。でも、木の匂いがある。刻んだ木の匂い」


 名前札。

 “消されない形”の匂い。


 ロウが短く言った。


「開けたら来る」


「来る前に開ける」


 バルドが石に手をかけた。


 ぎ、と音。

 壁がほんの少しずれた。


 その瞬間、墨の匂いが噴き出した。


 ◇


 最初に来たのは、糸だった。


 針みたいに細い墨の糸が、床を舐めるように走り――ロウの足元へ伸びた。


 狙いがいやらしい。

 縄を扱う人間の足。線を作る役の足。


「ロウ、退け!」


 ミリアが叫ぶ。


 ロウが足を引く。引くのが半拍遅れる。

 指の痛みのせいじゃない。床の湿りで踏ん張りが利かない。


 墨の糸が靴底に触れた。


「っ……!」


 冷たさが走る。

 触れただけなのに“持っていかれる”冷たさ。


 俺は石灰を掴んで、糸に叩きつけた。


 白が黒を噛むみたいに絡みつき、動きが鈍る。


 その瞬間、短剣で根を刺す。


 ぱちん、と糸が切れた。


 ロウが息を吐く。


「……助かった」


「今は喋るな」


 言いながら、自分の声が硬いのが分かった。


 糸は一本じゃない。

 壁の隙間から、二本、三本。


 床を這い、今度はカイの足へ。


「ちっ、来るの早っ……!」


 カイが跳ねて避ける。避けたはずなのに、糸が“影”みたいに薄くなって追ってくる。


 レイヴァンが大剣を抜かず、鞘で床を叩いた。


 ごん、と鈍い音。

 糸が一瞬だけ揺れた。


「撒け」


 短い命令。


 ミリアが光を床に刺す。


「ライト・ピン!」


 糸の進路が止まる。止まるが、切れない。


 バルドが歯ぎしりする。


「これ、切ると増えるやつだろ……!」


「増える前に固める」


 俺は石灰を、粉じゃなく“押し込む”ように床へ擦り込んだ。

 糸が白に絡め取られて、動きが鈍る。


 その隙に、レイヴァンが石を押し広げた。


 壁が開く。


 中は狭い空間だった。旧い通路の途中に作られた、溜まり場みたいな場所。


 そこに――人がいた。


 倒れている男が一人。

 もう一人は壁にもたれて座っている。息は荒いが、生きている。


「……ヘンリク!」


 座っていた男が、掠れた声で言った。

 その呼び方が、木札の匂いと一致した。


 倒れているのがヘンリクだ。


 ◇


 ヘンリクの体には、墨の線が巻きついていた。縄じゃない。糸でもない。

 “書かれた線”が、肉に食い込む手前で止まっている。


 ミリアが膝をつき、杖先を近づけた。


「……混ざってる。冷えが深い。今、無理に引っ張ると——」


「切るな」


 レイヴァンが即断した。


「切れば増える。……ほどける場所を探せ」


 バルドが舌打ちしながら周囲を見る。


「筆の野郎は?」


 その言葉に、空間の奥の闇が、少しだけ揺れた気がした。


 俺の鼻が鳴る。


(紙……?)


 壁に貼りついたように、薄い紙が何枚も重なっている匂い。

 ここに紙を持ち込むのは、わざとだ。


 カイが小声で言った。


「……気分悪い。ここ、頭がぼやける」


 ロウも眉を寄せる。


「俺たち……何でここに……」


 その“抜け方”が、嫌だった。

 疲れじゃない。意識が削られる抜け方。


 ミリアが歯を噛む。


「……名前。呼んで。自分の名前」


 俺は腰の木札を掴み、指で撫でた。


 レオン。

 木に刻んだ“残る形”。


「レオンだ」


 声に出すと、頭の霧が少しだけ晴れた。


「ミリア」


「ミリアよ」


「ロウ」


「ロウ……」


「カイ」


「カイだ、くそ……!」


 レイヴァンは短く言った。


「レイヴァン」


 バルドも吐き捨てる。


「バルドだ」


 名前を口に出すだけで、空間が少しだけ現実に戻る。

 ……“消されるもの”に対抗できるのが、こんな原始的なことなのが腹立つ。


「ヘンリク」


 俺は倒れている男の木札を探し、胸元で見つけた。

 黒い線がその木札だけ避けているのが、はっきり分かった。


「……木、嫌いなんだな」


 カイが苦笑して、でも笑いきれない顔をした。


 ◇


 ほどける場所は、あった。


 墨の線は、ヘンリクの腕じゃなく“床の線”に繋がっている。

 床に書かれた細い円。そこから線が伸びている。


(核)


 匂いが濃い。中心がそこだ。


「ミリア。床の円、見える?」


「見える」


「そこ削れば、線が弱くなる」


「削る? 石を?」


 バルドが眉を上げた。


「やるしかない」


 俺が言った瞬間、闇の奥から声がした。


「……まだ早い」


 低い声。丁寧で無感情。

 昨日、扉の前で聞いたのと同じ種類の声。


 闇から、墨を固めたみたいな“兵”が立ち上がった。

 影兵。顔がない。数が多い。


 今度は入口じゃない。狭い場所だ。逃げ道が細い。


「押す。潰す。撒け」


 レイヴァンの短い指示。


 バルドが前に出て、斬らずに“ぶつけた”。

 刃で裂くと増える。だから盾みたいに剣を使って押し倒す。


 ミリアの光が床に刺さる。


「ライト・ピン!」


 影兵の足元が縫い止められ、動きが鈍る。


 ロウは縄を投げない。投げられない。

 代わりに、壁際の木片を蹴って“道を塞ぐ”。線じゃなく障害物で止める。


 カイが石灰を撒く。

 白が舞い、影兵の輪郭が崩れる。


 その隙に、俺は床の円へ短剣を当てた。

 刃先で“削る”。石の上の黒い線を削り取る。


 削った瞬間、ヘンリクの腕の線が、びく、と緩んだ。


「いま!」


 ミリアが叫ぶ。


 バルドがヘンリクを抱え上げる。

 レイヴァンが前に出て、影兵を鞘で叩き落として道を作る。


 だが――影兵の一体が、カイの脇腹へ滑り込んだ。


「っ……!」


 カイが息を詰める。

 浅い。浅いのに、冷たい痺れが腹の奥へ入ろうとする。


 ミリアが顔色を変える。


「カイ!」


「平気……じゃねぇけど、立てる!」


 立てる。

 でも、声が少し震えていた。


 レイヴァンがカイの肩を掴み、乱暴に引き戻した。


「立つな。動け」


 それが一番優しい言い方だと、この人は知ってる。


 ◇


 撤収。


 狭い空間から、角へ戻る。

 壁を閉じる前に、俺は一度だけ振り返った。


 闇の奥で、筆の先みたいな細い光が揺れた気がした。

 紙を擦るような音。書く音。


「……整えれば、全部“安全”になる」


 低い声が、遠くで笑った気がした。


 次の瞬間、壁の隙間が勝手に“綺麗に”閉じた。


 俺たちが閉じたんじゃない。

 向こうが閉じた。


「……っ」


 ロウが石に手を当てる。


「これ、開かない……」


 バルドが舌打ちした。


「ふざけんな。戻る道——」


「戻る道はこっちだ」


 レイヴァンが、角の反対側――搬送路の奥を指した。


 匂いが、動いている。

 墨が、空間の外へ滲み出している。


 “出口”を塞いで、別の方へ押し出す。

 そういう形に、上書きされた。


 ミリアが唇を噛む。


「……入口へ波が来る」


 その言葉が落ちた瞬間、洞の奥で――深く息をする音がした。


 霧紺の洞が、ひとつ大きく呼吸したみたいに。


 そして、搬送路の先の闇が、ぬらりと光った。


 小型じゃない。

 糸でも鳥でもない。


 “面”で来る匂い。


 俺は短剣の柄を握り直した。


 救えた。

 救えたのに、終わってない。


 終わってないどころか――ここからが、本当に割れる。


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