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Fランク冒険者がみんな弱いと思ったら間違いだ 〜街の雑用をするヒマもなく事件を片付けてたら、いつの間にか最前線戦力でした〜  作者: 那由多
第3章 Fランクなのにダンジョンデビュー。入口の線は、誰が守る

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第65話 消える名前


 救出した二人は、入口の治療テントに運び込まれた。


 意識のある男は、担架の上でまだ唇を震わせている。

 もう一人は、呼吸はしているのに目が開かない。皮膚の色が悪く、体温が低い。


「……黒が混ざってる」


 治療師が眉を寄せた。


「火傷じゃない。冷えが、内側に残ってる。

 今は温める。急に熱を入れると、逆に回る」


 ノーラが肩を押さえたまま、横で立っていた。顔色は平気そうに見えるのに、指先が少し白い。


「ノーラも座れ」


 治療師が言う。


「肩、もう一回やってる。今度は“戻る”だけじゃ済まない」


「……立てる」


 ノーラは言った。立ってるだけで頑張ってる声だ。


 ミリアが短く息を吐いて、ノーラの肘を掴む。


「座って。立つのはあとでいくらでもできる」


 ノーラは小さく笑おうとして、やめた。


 ◇


 治療テントの外では、騎士団とギルドの人間が集まっていた。

 ガレス、シルヴァ、レイヴァン、バルド。――そして監察官マルトンと、眼鏡のアルヴィン。


 マルトンは口を開いた瞬間から、丁寧だった。


「未帰還は遺憾です。ですが、救出はすでに行われた。

 これ以上、現場が混乱すれば——」


「混乱してるのは現場じゃない」


 ガレスが遮った。


「“戻るはずの班が戻らない”のが混乱だ。

 救ったから終わり、にはならん」


 マルトンは薄く笑った。


「人員を増やすなら、責任が増えます。規定上——」


「規定上、助けを待つ人間は死んでいいのか」


 バルドが吐き捨てた。


 マルトンの視線が一瞬だけ、バルドから外れた。

 言葉を選んだ目だ。


「……優先順位という話です」


 その言い方に、ミリアが目を細める。


「優先順位って、誰が決めるの?」


 答えは返ってこなかった。返さないのが答えみたいな沈黙。


 シルヴァが低い声で言った。


「未帰還が一名いる。救出班は出す。城塞も同意してる」


 ガレスが頷く。


「出す。今夜だ」


 今夜、という言葉が落ちた瞬間、アルヴィンの喉が小さく鳴った。

 怖いのか、悔しいのか、分からない音。


 俺は鼻で息をした。


(……墨が濃い)


 洞の湿気じゃない。紙とインクの匂いの奥に、湿った墨。

 それがこの輪の中心に、じわっといる。


 ◇


「で、未帰還者の名前は?」


 ガレスが言った。


 治療テントの中から、意識のある男が弱い声で答えた。


「……ヘン……。ヘン、リ……」


 そこで詰まった。


 男は自分の喉を掴むみたいにして、必死に続けようとする。


「ヘンリ……く……っ」


 出ない。


 ミリアが顔色を変える。


「ショックで言葉が——」


「違う」


 男が首を振った。青い顔のまま。


「……言えるはずなんだ。ずっと一緒だった。

 なのに、ここだけ……引っかかる……」


 バルドが舌打ちした。


「ふざけんな。名前だぞ」


 俺の鼻が、ちくりと鳴った。

 男が名前を言おうとするたびに、墨の匂いが一段濃くなる。


(消してる……?)


 シルヴァがアルヴィンを見た。


「紙」


 アルヴィンが反射で、胸の内側の書類束を出しかけて、止めた。

 昨日から、学んだ動き。


「……砂板、あります」


 城塞の書記が、机の上に小さな板を出した。砂を薄く敷いた、書くための板。


「これなら紙じゃない。刻めます」


 アルヴィンが震える指で、砂板の上に木の棒を走らせた。


 ヘン――


 そこまで書いたところで、砂の上の溝が、すうっと崩れた。


 風が吹いたわけじゃない。

 砂が勝手に“埋まる”みたいに戻る。


 アルヴィンの顔が、はっきり青くなった。


「……消える」


 ガレスが歯を食いしばる。


「文字そのものを——」


 ミリアが低い声で言った。


「“成立”を壊す気ね。名前が残らなきゃ、未帰還も“なかったこと”にできる」


 マルトンが、丁寧に咳払いをした。


「……過度な推測は——」


「推測じゃない」


 シルヴァが言い切った。


「今、目の前で消えた」


 マルトンは口を閉じた。閉じたまま、視線だけを動かす。

 まるで「誰が見ているか」を測るみたいに。


 その仕草が、嫌に“室内っぽい匂い”と合っていた。


 ◇


 俺は一歩前へ出て、息を吸った。


(……木)


 湿気と鉄と血の匂いの奥に、乾いた木の匂いが一筋ある。

 古い。削れた。握りしめられた匂い。


「……あります」


 俺が言うと、全員がこちらを見た。


「名前、残ってるやつ。紙じゃない。砂じゃない。

 ……木に、刻んだ匂いがします」


「どこだ」


 レイヴァンが短く言った。


 俺は治療テントの方を指した。

 担架の横、荷袋の口。そこに小さな木片がぶら下がっている。


 兵が慎重にそれを外し、こちらへ持ってきた。


 木札。

 薄い木に、刃物で刻んだ文字。


 ——ヘンリク。


 刻みだから、滲まない。

 消すなら削るしかない。


 意識のある男が、それを見て息を吐いた。


「……そうだ。ヘンリク。

 ……俺、言えなかった……」


 その声が、泣きそうで、腹が痛くなった。


 ミリアが唇を噛む。


「木に刻んだの、正解だったわね……」


 アルヴィンが木札を見つめたまま、小さく言った。


「……紙より、強い」


 その言葉は、妙に重かった。


 ◇


「救出班を出す」


 ガレスが宣言した。


「未帰還者――ヘンリクを回収する。生死は問わない。

 ただし、見捨てない」


 マルトンが口を開く。


「規定上、Fは——」


「お前らが一緒だからな」


 レイヴァンが、マルトンを見ずに言った。声は低い。


「無茶はしない。……角までだ」


 短い言葉に、余計な反論を挟む隙がなかった。


 バルドが続ける。


「俺が前に出る。レイヴァンもいる。

 Fは線の運用。……ただし、レオンの鼻は要る」


 俺の鼻のことを、俺以上に当たり前に言うのが腹立つ。

 でも、止められないのも分かってる。


 シルヴァが頷いた。


「紙は使うな。名前は木札に刻め。記録は“別紙”じゃなく“刻印”で残す」


「刻印……?」


 アルヴィンが目を上げた。


「印章は汚れました」


「なら、石に刻め」


 シルヴァは淡々と言った。


「遅い? 遅い方がいい。

 消されないなら、それでいい」


 ガレスが兵に命じる。


「石板とタガネ(刻み具)を持ってこい。

 今夜の動きは、城塞が“刻んで残す”」


 その命令で、ようやく空気が“守り”の方向に揃った。


 マルトンだけが、丁寧な顔のまま、ほんの少し唇を薄くした。

 「整える」余地が減った顔だ。


 ◇


 準備が始まった。


 石灰袋が追加され、封印札は紙じゃなく布に縫い付けたものが出てくる。

 縄は使いどころを選ぶため、短く切って束にする。

 ノーラは治療師に肩を押さえられて、歯を食いしばった。


「……行けないの?」


「ダメだ」


 治療師が言い切った。


「次は腕が落ちる。お前が守りたいものが守れなくなる」


 ノーラは悔しそうに笑って、でも頷いた。


「……分かった。じゃあ、ここを守る」


 その言葉が、いちばん強かった。


 俺は木札――ヘンリクの名前を握った。


 指に木のささくれが刺さる。

 でも、その痛みが現実で、少しだけ落ち着く。


 洞の入口を見た。


 湿気がゆっくり息をしている。

 その息の中に、墨の匂いが混ざっている。


 それでも、木の匂いは残っている。


 消せないものも、まだある。


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