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Fランク冒険者がみんな弱いと思ったら間違いだ 〜街の雑用をするヒマもなく事件を片付けてたら、いつの間にか最前線戦力でした〜  作者: 那由多
第3章 Fランクなのにダンジョンデビュー。入口の線は、誰が守る

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第64話 戻らない帰還班


 印章室を飛び出した瞬間、城塞の石の匂いが一気に薄まった。

 代わりに来るのは、霧紺の洞の湿った空気――と、その奥に混ざる薄い黒。


 角笛がもう一度鳴った。短く、切るように。


「霧紺の洞、入口で異常! 帰還班が戻ってない!」


 伝令の声が、追いかけてくる。


 ノーラが肩を押さえたまま早足になる。歩幅が小さい。小さいのに、無理に速い。

 ロウは指を握って開いてを繰り返している。縄を投げるための確認みたいに。


 ミリアが低い声で言った。


「……戻ってない、って、どこで途切れたの」


「入口の検疫線まで来てない」


 伝令が答える。


「最後の合図が――搬送路の角の手前だ」


 角。

 また、あそこ。


 でも、同じじゃない。

 “戻ってこない”は、ただの異常じゃなくて人命だ。


 ◇


 入口の柵の前は、すでに小さな戦場みたいになっていた。


 荷車が止められ、列が崩れている。

 帰還予定だった班の名前が叫ばれ、返事がない。


 騎士団の兵が槍を立て、ギルドの調査班が机を片づけ、上位ランクが鎧を鳴らして集まっている。


 その中央で、監察官マルトンが“落ち着いた顔”を作っていた。


「……未帰還は、あくまで未帰還です。遭難と決めつけるのは——」


「黙れ」


 ガレスの一言が、空気を切った。


「ここは現場だ。決めつける前に拾う。拾わねば死ぬ」


 マルトンは口元を引き締め、アルヴィンをちらりと見た。

 アルヴィンは台帳を抱えていない。今日は紙束だけだ。胸の内側に抱えて、顔色が悪い。


 バルドも来ていた。舌打ちして前へ出る。


「……ったく。帰還班は誰だ」


 騎士団の兵が答える。


「Cランク混成の回収班だ。前線じゃない。入口寄りを回る役だ」


 回収班が戻らない。

 つまり、入口寄りがもう入口寄りじゃない。


 ガレスが即断した。


「救出班を出す。規定は後だ。線は守る。……しかし今は拾う」


 マルトンが口を開きかける。


「その救出の記録は——」


「生きて戻ってから書け」


 シルヴァが低い声で遮った。


 ◇


 洞へ入る。


 入口の灯りが背中で遠ざかると、湿気が濃くなった。

 霧紺の洞の石は、濡れているのに冷たい。


 先頭はレイヴァン。半歩後ろにバルド。

 その後ろに俺たち。ノーラは真ん中。倒れたらすぐ支えられる位置。


 ミリアが小声で釘を刺す。


「線のこちら側。深入りしない。……でも、見捨てない」


 矛盾してる。

 だけど矛盾を抱えたまま進むしかない。


 角が近づくにつれて、匂いが濃くなった。


 血。鉄。焦げた布。

 そして墨――新しい墨の匂い。


(昨日の筆……)


 頭の中に、封鎖扉の前で線をなぞっていた男の背中が浮かぶ。


 角を曲がった。


 そこにあったのは、戦闘跡じゃなかった。


 “途中で消えた”跡だった。


 石灰の筋が乱れ、荷を引きずった跡が途切れている。

 足跡も、ある一線で薄くなって、そこで終わっている。


 バルドが低く言う。


「……持っていかれたな」


 レイヴァンが壁を見た。


「壁が濡れてる。……違う。濡れ方が不自然だ。ここだけ“墨”だ」


 壁の目地が、薄く黒い。

 石に書いた線。消そうとしても消えていない線。


 俺の鼻が、ちくりと鳴った。


(ここ、抜ける)


 空気がほんの少しだけ逆向きに流れている。

 洞の湿気じゃない、古い空気。


「この壁……」


 俺が言い終わる前に、ノーラが一歩前へ出た。

 肩を押さえたまま、壁に手を当てる。


「……人の匂い、する。近い」


 近い。

 壁一枚、の感覚は合ってる。


 ミリアが息を吐いた。


「隠し石……じゃない。上書きされた“隠し線”」


 ロウが縄を握り直す。


「開けると、来る」


「来る前に、開ける」


 レイヴァンが短く言った。


 バルドが石に手をかける。

 力任せじゃない。目地を探して、こじる。


 ぎ、と湿った音。


 壁が――ほんの少し、ずれた。


 その瞬間。


 墨の匂いが、噴き出した。


 ◇


 黒い“糸”が飛び出した。


 細い。針みたい。

 狙いは分かりやすい――足首。


「下がれ!」


 レイヴァンの声が飛ぶ。


 ノーラが反射で足を引く。

 引くのが――遅れる。足首がまだ痛い。


 墨の糸が、ノーラの靴の縁に触れた。


「っ……!」


 冷たさが走る。

 触れただけなのに、持っていかれる感覚。


 俺は迷わなかった。


 石灰を掴んで、糸に叩きつけた。

 白が黒を噛むみたいに絡みつき、動きが鈍る。


 その瞬間、短剣で“根”を刺す。


 ぱちん、と糸が切れた。


 ノーラが息を吐く。


「……ありがと」


 言った声が少し震えていた。


 だが、糸は一本じゃなかった。


 壁の隙間から、もう二本。三本。

 床を舐めるように這い、今度はロウの手元へ伸びる。


 縄。

 “線”を狙ってくる。


「ロウ、手を引いて!」


 ミリアが叫ぶ。


 ロウが歯を噛み、縄を投げるのをやめた。

 代わりに、足で踏んで固定する。正しい。……でも、きつい。


 墨の糸がロウの足元へ絡み、ぐい、と引いた。


「っ……!」


 ロウの体が半歩崩れる。

 崩れた分だけ、壁の隙間が開く。


 開いた隙間の向こうから――声がした。


「……たす、け……!」


 生きてる。

 近い。近いのに、壁一枚。


 バルドが舌打ちする。


「救出する。今!」


 レイヴァンが壁を押し広げる。


 その瞬間、黒い影が“落ちてきた”。


 鳥でもネズミでもない。


 人の形に近い。

 でも顔がない。墨を固めたみたいな“兵”だ。


 影兵。


 影兵は、こちらへ飛びかからず――壁の隙間を塞ぐように立った。


 救出の邪魔をするために。


「……邪魔すんな!」


 バルドが斬りかかる。

 刃が入った。入ったのに、影兵は“裂けるだけ”で倒れない。


 裂けた影が、墨の糸になって床へ散った。


「切ると増える!」


 ミリアが叫ぶ。


 レイヴァンが一瞬だけ動きを止め、判断を変えた。

 大剣を振り下ろさない。柄で叩く。押し倒す。


「押せ。潰せ。撒け」


 短い指示が飛ぶ。


 カイが石灰を撒く。

 白の上で、影兵の輪郭が崩れる。


 ミリアの光が床に刺さる。


「ライト・ピン!」


 影兵の足元が縫い止められる。

 止まる。止まるが、まだ息をしている。


 ノーラが丸盾を構えようとして、肩が一瞬だけ抜けたみたいに顔が歪んだ。


「っ……!」


 盾が落ちかける。


 その半拍を、影兵が見逃さない。


 影兵の腕が伸び、ノーラの肩口へ――


 俺は短剣の柄で叩いた。

 叩いて、ずらす。ずらして、ノーラを後ろへ引く。


「無理すんな」


 言った声が、自分でも硬かった。


「……無理してない。立ってるだけ」


 ノーラは笑おうとして、やめた。

 立ってるだけが、いま一番きつい。


 ◇


「こっちだ!」


 壁の隙間の向こうから、また声。今度ははっきり。


 隙間の中に、倒れている男が見えた。

 鎧の肩。回収袋。血の匂い。


 ロウが踏ん張る。


「開ける……今!」


 足元の墨の糸を踏みつけたまま、ロウは指で石の縁を引っかけて壁をずらした。

 指の傷が開く。血がにじむ。

 でも止まらない。


 壁が開いた。


 中は、旧い通路――じゃない。

 旧い通路の途中に作られた、狭い“溜まり場”みたいな空間だ。


 そこに、帰還班が二人倒れていた。

 一人は意識がある。もう一人は、ぐったりしている。


 意識のある方が、青い顔で言った。


「……扉が……息を……。それで、こいつが……書いて……」


 “書いて”。

 筆の男。


 ミリアが膝をついて、倒れている男の首元に手を当てた。


「生きてる。……でも冷えてる。黒が混ざってる」


 レイヴァンが背中越しに言う。


「運ぶ。いまここで止めるな」


 バルドが呻く。


「もう一人は?」


 意識のある男が、唇を震わせた。


「……引きずられた。奥へ。……線の向こうへ……」


 奥。

 線の向こう。


 助けた。

 でも、まだ全員じゃない。


 影兵が、また形を整えようとした。

 石灰の白の上で、黒が寄り集まる。


(核)


 俺は息を止めて、寄り集まる中心を探した。


 影の中心は、壁の隙間――“書いた線”の上だ。


 線が核になってる。


 俺は短剣でその線を削いだ。

 石の上の黒い線を、刃先で“削り取る”。


 削った黒が、ふっと力を失う。

 影兵の輪郭が一瞬、崩れた。


「いま!」


 ミリアが光の杭を追加する。

 止める。止めるだけ。倒さない。


 レイヴァンとバルドが、救出した二人を抱える。

 ノーラが肩を押さえながらも、出口側へ体を寄せて道を作る。


 ロウは血のにじむ指で、墨の糸を踏みつけたまま離れない。

 カイがそのロウの肩を叩く。


「撤収! 撤収! 英雄ごっこは後!」


 軽口の形をした合図。


 俺たちは“線のこちら側”へ戻るように、壁を閉じた。


 閉じた瞬間――中から、かすかな笑い声が聞こえた気がした。


 墨の匂いに混ざって、丁寧な匂いが一瞬だけした。


 ◇


 入口まで戻る間、救出した男が、息を吐きながら言った。


「……あいつ……封印を……綺麗にしてた……。

 綺麗にすると……“安全”って言えるから……」


 ミリアの目が冷える。


「見せるための封印。見せるための安全」


 ガレスが入口で待っていた。

 救出者を見て、顔色が変わる。


「……生きてるか」


「二名。もう一名は奥へ引きずられた」


 レイヴァンが簡潔に報告する。


 ガレスの拳が、槍の柄をぎり、と握りしめた。


「奥へ……」


 シルヴァが低い声で言った。


「……線の向こうだ。もう、“こちら側”だけじゃ拾えない」


 その言葉が落ちた瞬間、洞の入口の湿気が――ひとつ、深く息をした気がした。


 そして、誰も笑っていないのに、どこかが笑っている気がした。


 俺は短剣の柄を握り直した。

 守る線が割れかけている。

 割れる前に、拾わなきゃいけないものが、まだ残っている。


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