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Fランク冒険者がみんな弱いと思ったら間違いだ 〜街の雑用をするヒマもなく事件を片付けてたら、いつの間にか最前線戦力でした〜  作者: 那由多
第3章 Fランクなのにダンジョンデビュー。入口の線は、誰が守る

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第62話 引渡書と、消える印


 夜のうちに封緘した木箱は、朝の冷えの中でも温度が抜けきっていなかった。

 蜜蝋の匂いが、石灰の粉っぽさに混ざって鼻の奥に残る。


 詰所で水を飲んでいると、シルヴァが来た。いつもより顔が硬い。


「今日から流れを変える」


 昨日言っていた「流れ」が、本当に動く日だ。


「回収品、封緘物、別紙——全部、城塞側の保管庫へ回す。街中を通さない」


 ミリアが眉を動かす。


「騎士団預かりを強めるってこと?」


「強めるっていうか……“紙の道”を切る」


 シルヴァの言葉は短い。

 説明が短い日は、だいたい面倒が増える。


「運ぶのは……俺たちですか」


 カイが言うと、シルヴァは頷いた。


「お前らが一番“混ざり物”に早く気づける。……特にレオンだ」


 俺は反射で鼻を鳴らした。

 褒められた感じがしないのは、たぶん嫌な匂いがもう混ざっているからだ。


 ◇


 荷車は二台。

 ひとつは封緘瓶と台帳の木箱。もうひとつは回収品の木箱と封印札の束。


 騎士団の兵が四人つき、ガレスが前に立つ。

 そして最後尾に、眼鏡のアルヴィンがいた。台帳を抱えない代わりに、分厚い書類の束を抱えている。


「……引渡書です」


 アルヴィンが、顔を上げずに言った。


「城塞側へ移す以上、記録が必要です。受領印も。紛失や改竄の——」


「改竄は、もう起きてる」


 ミリアが淡々と返す。


 アルヴィンの口が一瞬だけ止まる。

 止まって、また動く。


「……だからこそ、規定の手順が」


 シルヴァが、アルヴィンの書類束をちらりと見た。


「その紙、出来るだけ出すな。風に晒すな。……持つなら胸の内側だ」


「……?」


 アルヴィンが怪訝な顔をした。

 しかし反論はしない。昨日から、彼の“正しさ”は何度も黒に汚されている。


 出発の前、俺は荷車の木箱に鼻を寄せた。


(……封緘は、まだ大丈夫)


 蜜蝋と石灰。封印札の糊。

 そして、薄い黒。薄いけど、閉じ込められている黒。


 問題は別だ。


 アルヴィンの抱えた紙束のほうから、乾いたインクの匂いに混ざって——昨日の封鎖扉で嗅いだ墨の匂いが、ほんの少しだけ漏れている。


 俺が何か言う前に、シルヴァが小さく言った。


「……顔に出すな」


 出てたらしい。

 俺は黙って頷いた。


 ◇


 城塞側の保管庫は、街の北側——門の内側にある石造りの倉庫だ。

 道は短い。短いのに、今日は長く感じた。


 人の目が多い。


 昨日の“紙から黒が出た”騒ぎは、もう噂になっている。

 口に出すのは小声でも、視線は正直だ。


「なぁ、あれ昨日のやつだろ」


「Fが止めたって……」


「いや、監察官が——」



 ガレスが前を歩きながら、振り返らずに言った。


「目を合わせるな。群衆は群衆だ。今は荷を守れ」


 ノーラが借り物の丸盾を抱え直す。

 肩の痺れと足首の痛みが残っているせいで、動きが一拍遅れる。本人も分かっている顔だ。


 ロウは縄を巻いた手を見て、指をきゅっと曲げた。

 擦り傷は閉じかけているが、力を入れると痛む。


 カイは、珍しく軽口を言わない。

 言わないで、周囲の影を見ている。


 そしてミリアは、杖を握ったまま、視線だけを動かしていた。


 ◇


 城塞の石倉庫は、門の内側でもさらに奥まった場所にある。

 入口には鉄格子。受領の机。騎士団の書記。


「引渡書を」


 書記が言う。


 アルヴィンが紙束を出した。

 胸の内側から。風に晒さないように。


 ……その瞬間だった。


 紙の角が、ふっと滲んだ。


 インクが滲むのとは違う。

 紙そのものが、黒く“染まりたがる”滲み方。


(来る)


 俺の鼻が鳴る。


「止めて」


 言ったが、止めるのは言葉じゃない。


 滲みは紙の端から走り、受領印の欄へ伸びた。

 受領印の欄だけが、黒く汚れる。


 書記が顔をしかめる。


「……印が押せませんが」


「押せる。押すな」


 ミリアが即断した。


 アルヴィンが青い顔で言う。


「これでは受領が成立しません。記録が——」


「成立しない方が困る人がいるなら、成立させたらもっと困る」


 ミリアの声は冷たい。


 次の瞬間、紙の黒が“羽”になった。


 薄い黒い鳥が一羽。

 昨日と同じ。だけど、今回は静かだ。叫び声も出ない。


 黒い鳥は、受領の机の上を滑るように飛び——押印用の印章へ向かった。


「……っ!」


 アルヴィンが反射で手を伸ばしかける。

 伸ばしかけて、止めた。


 止めた隙が、危ない。


 黒い鳥が印章に触れた瞬間、印章の表面に黒い筋が走る。

 “印”が汚れる匂いがした。


 ガレスが怒鳴る。


「下がれ! 印章に触れるな!」


 騎士が槍を構える。

 だが槍は紙を突けない。突けば破片が飛ぶ。


 ノーラが丸盾で机の前に立とうとして——一歩が遅れた。


 黒い鳥が、盾の縁をすり抜けてノーラの顔へ向かう。


「ノーラ!」


 石灰袋を掴んで、机の脚に叩きつける。

 袋が裂け、白い粉が舞う。


 白の中で黒が輪郭を失い、鳥がふらついた。

 その一瞬で、短剣の柄で“叩く”。


 黒が紙みたいに折れて、床に落ちた。


 落ちた黒が石の床に染みる前に、カイが追い撒きする。


「白いのは正義だ、白いのは……!」


 口調は軽いのに、声が硬い。

 場を保つための声。


 ロウが縄を投げた。

 鳥の残り滓に縄が絡む。絡んだ瞬間、縄の繊維が黒く染まりかける。


「っ……!」


 ロウが手を引いて離した。

 指の傷が開いて、血がにじむ。


 黒がその血の匂いに反応して、床の点が少しだけ動いた。


(まずい)


 ミリアが杖を床へ向ける。


「ライト・ピン」


 光の杭が床に刺さり、黒い点の動線を止めた。

 止めただけで、消えない。


 消えないから、怖い。


 ◇


 騒ぎの中で、荷車の前輪が——ぎし、と鳴った。


 音が嫌だ。

 木が軋む音じゃない。細い糸が切れる音だ。


 次の瞬間、荷車の車軸の下から黒い“糸”が伸びた。

 墨の糸。封鎖扉の前で見た、あれ。


 糸は車軸に絡み、くい、と引いた。


 荷車が傾く。


「うわっ!」


 兵が反射で支えようとして、間に合わない。

 荷車は重い。木箱は固定してあるが、傾いた瞬間に“中身の気配”が動く。


 封緘瓶の木箱が落ちる。

 落ちたら終わる。割れたら、黒が外に出る。


 ノーラが、丸盾を捨ててでも荷車に飛びついた。


「っ……!」


 肩で受ける。

 痛みが顔に出た。遅れた分、無理をした分が一気に来た顔。


 でも、荷車は止まらない。


 ロウが縄を投げようとして、指が言うことをきかない。

 血が手のひらで滑って、縄が抜ける。


 カイが荷車の反対側に回り込むが、人の多さで足が止まる。

 避けないと、巻き込む。


 俺は息を止めた。


(墨、濃いところ)


 車軸の下。糸が出ている“根”の匂いが濃い。


 短剣で切っても、糸は薄くなって逃げる。

 だから、先に“白”で固める。


 俺は石灰を、車軸の下に叩き込んだ。

 粉を撒くんじゃない。押し込む。


 墨の糸が、びく、と縮む。

 白に絡め取られるみたいに動きが鈍る。


 その瞬間、短剣を“刺す”。


 糸の根元へ。


 刺した感触は、布でも石でもない。

 冷たい紙を貫いたみたいな、嫌な抵抗。


 次の瞬間、墨の糸がぱちん、と切れた。


 荷車の傾きが、止まった。


「……っ、止まった!」


 ガレスが叫ぶ。

 兵が一気に荷車を支える。


 ノーラが荷車に肩を当てたまま、息を吐いた。


「……まだ、いける」


 声は強がりじゃない。

 でも、腕が震えていた。


 その震えが、俺には痛いほど分かった。


 俺が動かなければ、ここで割れていた。

 割れていたら、何が出たか分からない。


 それが分かるから、余計に息が重い。


 ◇


 騎士団の書記が、汚れた印章を見て顔をしかめた。


「印が……」


「印は替えろ」


 ガレスが即答した。


「この印章は隔離。机ごとだ」


 書記が青い顔で頷く。

 城塞の人間は、決断が早い。紙より早い。


 アルヴィンは、汚れた引渡書を見て呟いた。


「……受領が、成立しない」


「成立しない方が、今はいい」


 シルヴァが言った。


「成立したことにされて、あとで“誰が運んだか”だけ消される」


 ミリアが静かに息を吐く。


「……主語が消えるの、紙だけじゃない。印まで消しに来る」


 書記が震える声で言った。


「これでは、保管庫が機能しません……」


「機能させる」


 ガレスが言い切った。


「機能しないなら、守れない。守れないなら城塞が落ちる」


 その一言で、周囲の空気が変わった。

 噂や体裁じゃない。守りの言葉になる。


 シルヴァが俺たちを見る。


「今日の黒、封緘する。……“紙から出た黒”と、“車軸の糸”だ」


 ミリアが小瓶を出す。蜜蝋を温める手が、少しだけ震えている。

 怒りじゃない。疲れの震えだ。


 ロウが床の黒い欠片を拾おうとして、指が痛んで一瞬止まった。

 止まった手を、カイが黙って支える。


 ノーラは肩を押さえたまま、笑おうとしてやめた。


「……ごめん、私、遅い」


「遅いんじゃない」


 ミリアが言った。声は低い。


「相手が“遅れた瞬間”を狙うのが上手いだけ」


 それが慰めじゃないのが、余計に痛い。


 ◇


 封緘瓶の木箱は、城塞の石倉庫に入った。

 鍵が掛かり、鎖が掛かり、見張りが増えた。


 それでも、安心の匂いはしなかった。


 受領印は汚れた。引渡書も汚れた。

 紙の上で、また“整え”が始まる。


 アルヴィンは汚れた紙を見つめたまま、ぽつりと言った。


「……私の字で、後から“成立した”ことにされるかもしれない」


 ミリアが目を細める。


「あなたが書かなきゃいい」


「書かなければ、別の誰かが書きます」


 アルヴィンの声は震えていた。


 シルヴァが言った。


「だから、お前は“書かされる側”から、“見た側”に回れ。

 ……見たなら、別紙に残る」


 アルヴィンは返事をしなかった。

 返事の代わりに、眼鏡の奥の目が一度だけ揺れた。


 ◇


 帰り道、ノーラの肩の痺れが増したのか、歩幅がさらに小さくなった。

 ロウは指の痛みを隠して縄を巻き直している。

 ミリアは杖を握ったまま無言。カイも無言。


 俺は鼻で息をした。


 城塞の石の匂いに混ざって、墨の匂いがまだ残っている。

 紙の匂いと混ざって、消えない匂いだ。


 ふと、城壁の上に小さな影が見えた気がした。


 犬の形。

 黒い犬の影。


 見上げた瞬間には、もういなかった。

 見間違いだろう、と思うことにした。


 でも、鼻の奥の危険信号は止まらない。


 扉の息より、紙の滲みより——

 今日は「印が汚れた」匂いが、いちばん嫌だった。


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