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Fランク冒険者がみんな弱いと思ったら間違いだ 〜街の雑用をするヒマもなく事件を片付けてたら、いつの間にか最前線戦力でした〜  作者: 那由多
第3章 Fランクなのにダンジョンデビュー。入口の線は、誰が守る

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第60話 安全宣言と、滲む墨

!祝60話!


 朝の霧が薄い日ほど、嫌な匂いがよく分かる。


 入口の詰所へ呼ばれて歩く途中、洞の湿気に混ざって――乾いた紙とインクの匂いがした。

 昨日、封鎖扉の前で嗅いだ“新しい墨”と同じ種類。


 ミリアが小さく舌打ちする。


「来るわね、これ」


「来てる」


 俺は鼻で息をして、そう答えた。


 ◇


 臨時の会議テントは、いつもより人が多かった。

 騎士団の兵。ギルドの調査班。上位ランクの冒険者。

 そして、綺麗な外套を着た監察官マルトンと、その背後に眼鏡のアルヴィン。


 マルトンは机の上に一枚の書類を置き、丁寧に言った。


「昨夜の“騒ぎ”は把握しました。

 よって本日付で、霧紺の洞入口の運用を“平常”へ戻します」


 ミリアの眉が動く。


「平常?」


「過度な警戒は噂を育てます。噂は暴動を呼ぶ。

 危険は危険として、しかし“正しい形”で扱う必要がある」


 正しい形。

 またその言葉だ。


 シルヴァは机に手を置いたまま、声を低くした。


「昨日の扉を見たのか」


「見ました」


 マルトンが即答する。


「封鎖は“適切に施されている”。扉は閉じている。

 壁面の補強も確認しました。よって――」


 彼は書類の上に羽根ペンを置いた。


「“安全”です」


 空気が、少しだけ凍った。


 バルドが低い声で吐き捨てる。


「……安全なわけねえだろ。あの扉、息してたぞ」


「“息”とは比喩ですか?」


 マルトンが眉一つ動かさずに言う。


「憶測で人は動きます。噂話で街は燃えます。

 だから事実以外は報告書に載せない」


 アルヴィンが一歩前に出る。


「現場の方々にはご理解を。記録は規定に基づき整えます」


 ミリアが口を開きかけた瞬間、シルヴァが小さく手で制した。

 怒鳴っても、ここでは勝てない。


 シルヴァが代わりに言う。


「封緘瓶と別紙は騎士団預かりのままだ」


 マルトンの視線が棚の方向へ滑った。


「確認印が必要です。

 “証拠”を名乗るなら、扱いは正規の手順で――」


「正規の手順で、問題が消えるのは見た」


 シルヴァが淡々と言った。


 マルトンの口元が、ほんのわずかに固まる。

 その一拍の間に、俺の鼻が拾った。


(……このインク)


 マルトンのペン先の匂い。

 昨日の封鎖扉の前で嗅いだ墨と、同じ。


 俺はシルヴァの袖を軽く引いて、小声で言った。


「そのペン……扉の墨と同じ匂いがします」


 シルヴァの目が一瞬だけ細くなった。

 驚いた顔じゃない。腹の底で何かを確かめた顔。


「……分かった。」



 会議が終わる前に、外が騒がしくなった。


「集合! 監察官の通達がある!」


 入口の柵の前に、人が集まり始めていた。

 帰還班、荷車、検疫の当番、見物半分の冒険者たち。


 マルトンは立ち上がり、外套の襟を整えた。


「現場で説明します。余計な誤解を生まぬために」


 余計な誤解。

 その言い方が、一番余計だと思った。


 レイヴァンが、俺たちの横に来て短く言う。


「お前らもこい。一緒に行くぞ」


 それだけで、背中が少し落ち着く。

 守り方の上手い人間の距離だ。


 ◇


 入口の柵の前に、簡易の台が組まれていた。

 マルトンが上に立ち、アルヴィンが台帳を抱え、ガレスが兵を並ばせる。


 マルトンはよく通る声で言った。


「霧紺の洞は、引き続き注意が必要です。

 しかし現時点で、入口の運用は安定している。封鎖も確認されました。

 よって本日より――」


 俺の鼻が、ちくりと鳴った。


(来る)


 洞の匂いじゃない。

 台の上。紙の匂い。インクの匂い。

 その奥に、薄い黒――血に混ざる前の、嫌な匂い。


 マルトンが続ける。


「……不要な警戒を縮小し、上位班による管理を――」


 彼が、宣言文の巻紙に羽根ペンを当てた。


 その瞬間、インクが滲んだ。


 普通の滲み方じゃない。

 黒が、紙の上で“広がりたがる”滲み方。


「……っ」


 アルヴィンのペン先が止まり、顔色が一瞬だけ変わる。


 マルトンが不快そうに言った。


「インクが悪い。替え――」


 言い切る前に、紙の上の黒が“羽”になった。


 薄い黒い鳥が、三羽。


 紙から剥がれて、空中に浮いた。


 そして――人の顔へ向かった。


「下がれ!」


 ガレスの怒号と、俺の声が重なる。


 群衆がどっと後ろへ引いた。

 引けないやつがいる。荷車の押し手、若い見張り、台帳を抱えたアルヴィン。


 ノーラが反射で丸盾を上げる。

 でも丸盾は狭い。


 黒い鳥が、盾の外側をすり抜けて――ノーラの肩へ。


「ノーラ!」


 俺は短剣を抜くより先に、石灰袋に手を伸ばしていた。


 袋の口を裂く。

 白い粉を、台の下から一気に撒いた。


 白の中で黒が輪郭を失う。

 鳥が“紙に戻る”みたいに、ふらつく。


「ライト・ピン!」


 ミリアの光の釘が、床に刺さる。

 逃げ道を縫う。焼かない。止める。


 ロウが縄を投げる。

 絡む――が、黒い鳥は薄くなって抜けようとする。


「っ……!」


 ロウの指が弾かれ、血がにじむ。


 鳥がその血の匂いに反応した。

 嫌な向き方をする。


(血に混ざる)


 俺は息を止めて、ロウの手首の近くを短剣の柄で叩いた。

 鳥を潰すんじゃない。軌道をずらす。


 ずれたところへ、レイヴァンの鞘が飛ぶ。

 ごん、と鈍い音。鳥が紙みたいに折れて落ちた。


 落ちた黒が、床に染みる前に――カイが石灰を追い撒きした。


「ほらほら、白くなれ白くなれ!」


 軽口の形をしてるけど、声が硬い。

 場を持たせるための声だ。


 残り二羽が、今度はアルヴィンの台帳へ向かった。


 まるで「書くもの」が好きみたいに。


「うわっ……!」


 アルヴィンが一歩下がる。

 下がった拍子に台帳の端が開き、紙が風を受けた。


 黒い鳥が、その紙へ“貼りついた”。


 紙の上で黒が走る。

 文字の間を縫うように、妙に“綺麗に”。


 ――見せるための黒。


 紙の上で黒がどんどんと溢れ出てくる。



「レオン、あれ、紙の上だと増える!」


「分かってる!」


 俺は台の脚を蹴って、台の上の巻紙をひっくり返した。

 マルトンの宣言文が、地面に落ちる。


 そこへ石灰。

 白が黒を吸って、鳥が形を保てなくなる。


 最後の一羽が、ノーラの肩を掠めた。


「っ……」


 ノーラの顔が一瞬だけ歪む。



 俺はノーラの肩口を見て、短剣の先で“黒い濃いところ”だけを削いだ。

 布と一緒に、ぺり、と剥がす。


 ノーラが息を吐いた。


「……ごめん、遅れた」


「謝るな」


 言葉が先に出た。

 謝る場面じゃない。


 ◇


 黒は消えた。

 消えたけれど――床の白い粉の上に、黒い滲みが点々と残った。


 そして、台の上にはもう一つ残ったものがある。


 “安全”と書きかけた宣言文。

 その「安」の字が、黒く汚れて読めない。


 マルトンが、喉を鳴らした。


 丁寧な顔を取り戻そうとして、取り戻せていない。


「……些細な異常です。

 現在、現場の対応で鎮静化しました。よって――」


 群衆の中から、誰かが言った。


「今の、紙から出たぞ」


「安全って言った直後だぞ」


 ざわめきが広がりかける。


 マルトンは声音だけを固くした。


「余計な憶測は避けてください。

 “安全”とは、危険がゼロという意味ではありません。

 管理できるという意味です。現に今だって対応できたでしょう。」


 ……言葉の上で、また上書きが始まった。


 ガレスが一歩前に出て、群衆に怒鳴った。


「退け! 入口線を崩すな!」


 兵が動き、人の波が少しだけ落ち着く。


 マルトンは紙束を抱え直し、言った。


「本日の通達は、後ほど“整えた形”で掲示します。

 現場は引き続き、騎士団とギルド調査班が管理する」


 結局、縮小はできなかった。

 でも、口ぶりは「最初からそうする予定だった」みたいだ。


 アルヴィンは台帳を閉じ、唇を薄く結んだ。

 自分の紙が汚れたのが嫌なのか、目撃者が増えたのが嫌なのか――分からない。


 シルヴァは俺たちにだけ聞こえる声で言った。


「……見たな」


「見ました」


 俺は頷く。


「紙から出た。つまり、洞だけじゃない」


 シルヴァの目が一段暗くなる。


「インクの線が、どこかで繋がってる」


 ◇


 撤収の途中、ノーラが肩を押さえて言った。


「……また、私」


「お前のせいじゃない」


 ロウが、血のにじむ指を布で押さえながら即答する。


 カイが珍しく真面目に息を吐く。


「今日のは、場所が悪い。人が多すぎる。

 止めるって、燃やすより難しいぞ」


 ミリアが杖を強く握った。


「燃やせたら楽なのにね。

 ……でも燃やしたら、“安全宣言”ごと燃えちゃう」


 皮肉が混じる。

 でもその皮肉は、笑いにならなかった。


 レイヴァンが、洞の入口を見て言った。


「入口で出るのは、忠告だろう。

 “お前らが動くなら、こっちも動くぞ”ってやつだ」


 俺は鼻で息をした。


 匂いが残っている。

 マルトンの香油。アルヴィンのインク。

 そして、紙から滲んだ黒の匂い。


 全部が、同じ場所で混ざっている。


 シルヴァが言った。


「今夜、もう一度、封緘する。

 今日の黒も、残す形にする。……誰が嫌がろうが」


 誰が、の中に何人もいる気がした。




 入口の霧が、ゆっくり息をしている。

 その息が、昨日より確かに近かった。


いつも読んでくださりありがとうございます。

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