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Fランク冒険者がみんな弱いと思ったら間違いだ 〜街の雑用をするヒマもなく事件を片付けてたら、いつの間にか最前線戦力でした〜  作者: 那由多
第3章 Fランクなのにダンジョンデビュー。入口の線は、誰が守る

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第59話 墨の匂いと、塞がる前の息


 夕方、入口の詰所に戻ると、シルヴァが机の端に肘をついて待っていた。

 顔は疲れているのに、目だけが冴えている。


「今夜、もう一度“(かど)”を見る」


 それだけだった。

 説明が短い日は、だいたい急いでいる。


 ミリアが杖を握り直す。


「昼の箱、入口で出た。……奥が動いてる、って話よね」


「それと」


 シルヴァの視線が、紙束ではなく洞の入口へ向く。


「“上書き”が始まった。縄を消され、石灰を掃かれ、言葉を整えられた。

 現場も、紙も、同じ手口だ」


 ロウが、指に巻いた布を締め直した。

 昼の戦闘で擦れた場所が、まだ赤い。


 ノーラは借り物の丸盾を抱えたまま、足首の包帯を押さえる。

 痛みは顔に出してない。でも、立ち方が少しだけ慎重だ。


「護衛は?」


 カイが聞くと、入口の方から無駄のない足音が来た。


「呼ばれた」


 レイヴァンだった。

 《蒼灯そうとう》の三人は全員じゃない。今日はレイヴァンだけ。


「お前らが一緒だからな。無茶はさせん。……角までは見る」


「十分」


 シルヴァが短く言う。


 俺は鼻で息をした。


(……もう匂いがある)


 洞の湿気の匂いに混ざって、乾いた紙とインク。

 それと、薄い香油。昼の監察官がつけていた類の匂い。


 嫌な混ざり方だった。


 ◇


 搬送路の角へ向かう道は、夜の洞のほうが静かだった。

 静かなぶん、音が遠くまで響く。


 水滴の落ちる音。

 靴底の砂利。

 ノーラが一度だけ包帯の上から足首を押さえる音。


 俺は先頭で鼻を働かせた。


(……いる)


 黒い匂いじゃない。

 でも黒に繋がる匂い。

 墨。煤。油。乾いた布。……そしてインク。


 角を曲がった瞬間、全員が足を止めた。


 “片付けられている”。


 昨日打ち込んだ楔は、抜かれていた。

 縄の代わりに残しておいた木片も、丁寧に避けられている。

 石灰は掃かれて、床がやけに綺麗だ。


「……仕事が細けえ」


 バルドが低い声で悪態をつく。今日は詰所の警戒から外されて、ついてきていた。


 レイヴァンが壁に触れ、隠し石の縁を撫でた。


「戻してる。……だが、戻し方が雑だ。

 “見つけさせない”んじゃなく、“見つけても問題ない形”にしたい動きだな」


 ミリアが目を細める。


「問題ない形?」


「封鎖札が貼られている。

 ……誰が見ても“ここは封鎖した”って書ける形にしてる、ってやつだ」



(墨が新しい)


 古い通路の匂いじゃない。

 さっき塗ったばかりの、湿った墨の匂いがする。


「……開けます」


 俺が言うと、レイヴァンとバルドが隠し石をずらした。


 ぎ、と湿った音。

 暗い隙間。旧い通路の冷たい空気が漏れる。


 その奥から――墨の匂いが、はっきり流れてきた。


 ◇


 通路は短い。だが、短いのに“奥が広い”匂いがする。


 俺たちは規定の線を越えない位置で止まった。

 レイヴァンが半歩前に出て、壁越しに様子を見る。


 そして、誰かの手元の光がふっと揺れた。


 扉の前。


 封鎖扉の表面に、灯りが当たっている。


 人影がいた。


 背は高くない。動きが丁寧すぎる。

 手に、細い棒――筆みたいなもの。


 扉の印の上を、黒い線でなぞっている。


 “書いている”。


 墨で、封印を。


 ミリアが息を呑む。


「……封印を上書きしてる」


 バルドが歯ぎしりする。


「ふざけんな。誰だ、あれ」


 こちらに気づいたのか、筆の男がふっと振り返った。

 顔は布で半分隠れている。目だけが光を反射した。


「……まだ来るなって言ったのに」


 声は低い。若くも老けてもない。

 丁寧で、無感情。


 その声が、インクの匂いと同じ種類で、背中が冷えた。


 レイヴァンが低く言う。


「退け。そこは立ち入り禁止区域だ」


「禁止、ね」


 筆の男が小さく笑った。


「禁止が守られるなら、こんなことはしない」


 次の瞬間、筆先が扉から外れた。


 墨が、宙に弾ける。


 黒い飛沫は床に落ちず――空中で形を持った。


 小さな鳥。

 影コウモリより薄く、紙より速い。


「来る!」


 俺が言うより早く、ノーラが丸盾を構えた。


 盾は小さい。範囲が狭い。

 だからこそ、相手が“盾の外”を選べる。


 墨の鳥が、盾の縁をかすめて散る。

 散って、こちらへ――


「ライト・ピン!」


 ミリアの光の釘が床に刺さる。

 進路を縫う。止める。焼かない。


 だが、墨の鳥は“止められ方”を知っているみたいに、釘の隙間を抜けてくる。


「ロウ!」


 ロウの縄が跳ねた。一本、絡む。

 絡んだはずなのに、墨が薄くなって、するりと抜ける。


「っ……!」


 ロウの指が弾かれ、さっきの擦り傷が開いた。血がにじむ。


 ノーラが一歩前に出ようとして、足首が少し遅れる。

 その半拍で、墨の鳥がノーラの肩へ――


 俺は短剣で“叩いた”。


 刃で斬らない。柄で潰す。

 当たった瞬間、墨が散って、床に落ちる。


 落ちた墨が、じゅ、と石に染みる匂いを出した。


(核じゃない。墨そのものだ)


 “倒す”相手じゃない。

 “撒かれた”ものだ。


「石灰!」


 俺が言うと、カイが反射で袋を裂いた。


 白い粉が舞う。

 墨が白に吸われるみたいに固まり、動きが鈍る。


 その間に、レイヴァンが半歩だけ前へ。


 線を越えないギリギリで、壁に大剣の鞘を叩きつけた。


 ごん、と鈍い音。


 筆の男の足元の灯りが揺れ、手元がぶれた。


「……邪魔をするな」


 初めて、男の声に苛立ちが混じった。


 男は筆を振り、墨をもう一度弾く。


 今度は鳥じゃない。


 床に落ちた墨が、細い“糸”になって這った。

 縄じゃない。影でもない。墨の糸。


 糸は、足首を狙ってくる。


「ノーラ、下!」


 ノーラが盾を下げようとして間に合わない。


 墨の糸が、包帯の上から足首に絡む。


「っ……冷た……!」


 ノーラの膝ががくんと落ちた。


 痛みじゃない。中へ入ろうとする冷たさだ。


 ミリアが歯を噛む。


「ライト・ピン!」


 光の杭が床に刺さり、糸の動線を止める。

 でも糸は“止まるだけ”で、切れない。


 俺は迷わなかった。


 包帯のすぐ外側、墨が一番濃いところ。

 短剣の先で、そこだけをすくい取るように削ぐ。


 墨が、ぺり、と剥がれる。


 剥がれた瞬間、冷たさが抜けた。


 ノーラが息を吐く。


「……大丈夫。まだ……立てる」


 立てる。

 でも、立つまでが遅い。


 その差が、今夜は痛いくらい見えた。


 ◇


 筆の男は、こちらを見たまま、扉へ向き直った。

 筆先を、最後に一度だけ扉に当てる。


 黒い線が、古い印の上を“綺麗に”整えた。


 封印が、綺麗になった。


 ……綺麗になりすぎて、気持ち悪い。


 男が低い声で言った。


「これで誰が見ても“安全”だ。」


 その言葉に、ミリアの目が鋭くなる。


「……見せるための封印?」


「見せるための報告書」


 男がぽつりと返して、ふっと笑った。


 次の瞬間、灯りが消えた。

 男の気配が、墨の匂いと一緒に薄くなっていく。


「待て!」


 バルドが踏み出しかけて、レイヴァンが腕で止めた。


「追うな。線を切るな」


 正しい。正しいから腹が立つ。


 闇の向こうで、筆の男の足音が一度だけ響いて、消えた。


 ◇


 残ったのは、扉の前の“綺麗な線”と、薄い墨の匂い。


 ミリアが、扉を遠目に見て言った。


「……あれ、封じてるんじゃない。隠してる」


 シルヴァが息を吐く。


「“扉の存在”を紙の上で消すための封印だ。

 現場の封鎖まで、上書きされる」


 ロウが指の血を布で押さえながら、低く言った。


「じゃあ、俺たちが見たものは……」


「別紙に残す」


 シルヴァは即答した。


 俺は鼻で息をして、床に落ちた墨の固まりを見た。


 石灰を吸った黒い塊。

 動かない。だが匂いは残る。


「……持ち帰れます」


 俺が言うと、シルヴァが頷いた。


「封緘だ。今すぐ」


 ミリアが小瓶を出し、蜜蝋を温める。

 ロウが震える指で黒い塊を拾い、瓶に落とす。


 蜜蝋で封をする。封印札を貼る。


 ――残る形。


 その瞬間だった。


「……ワン」


 通路の影に、黒い犬がいた。


 いつもみたいに突然で、いつもみたいに自然に。


 犬は瓶を見た。

 舐めない。

 代わりに、扉の方をじっと見た。


 そして、こちらを見る。


 尻尾が、ほんの少しだけ揺れた。


 嬉しいのか、合図なのか、分からない揺れ。


 次の瞬間、犬は影ごと消えた。


 ◇


 詰所へ戻る道は、短いのに重かった。


 ノーラは足首を押さえながら歩く。

 歩ける。けど、踏み込みが浅い。


 ロウは指の血を止めながら、黙って縄を巻き直している。

 ミリアは杖を握ったまま、一度も振り返らない。


 シルヴァが、入口の灯りの下で小さく言った。


「明日、“上”は綺麗な封印を見て『安全』と言う」


 ミリアが吐き捨てるように言う。


「言わせない」


「言わせないために、残す」


 シルヴァが封緘瓶を見た。


「そして、守る。……今夜みたいに」



 俺は鼻の奥の危険信号を無視しないように、湿った空気を吸い込んだ。


 墨の匂いが、まだ残っている。


 あれはただの盗賊じゃない。

 ただの魔物でもない。



 そして、扉は――綺麗に塞がれたふりをして、まだ息をしている。


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