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Fランク冒険者がみんな弱いと思ったら間違いだ 〜街の雑用をするヒマもなく事件を片付けてたら、いつの間にか最前線戦力でした〜  作者: 那由多
第3章 Fランクなのにダンジョンデビュー。入口の線は、誰が守る

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第57話 封鎖の上書き


 入口の詰所へ戻った頃には、空がもう明るかった。


 霧紺の洞の湿った匂いが、夜の冷えと混ざって肌に張りつく。

 封鎖扉の前で見た“呼吸”が、まだ胸の奥に残っている。


 俺たちが荷を降ろす前に、騎士団の見張りが布をめくった。


「来い。調査班、今すぐ」


 “今すぐ”って言い方は、だいたい良くない。


 ◇


 簡易会議の机には、紙が増えていた。

 記録板の横に、整った筆跡の報告書が一枚。――アルヴィンの字だ。


 シルヴァが、それを指で押さえたまま言う。


「今朝、これが“正規のまとめ”として回り始めた」


 ミリアが紙を覗き込んで、眉を動かした。


「……“壁面の崩落により小空洞を発見。危険のため応急封鎖を実施”」


 そこまで読んで、ミリアの指が止まった。


「……小空洞?」


 バルドが机の脚を蹴りそうな勢いで悪態を吐く。


「小空洞じゃねえだろ。街の地下の匂いが漏れてたんだぞ」


 レイヴァンは、紙を一瞥しただけで視線を外した。

 感情を出さない代わりに、“余計なものを信じない”目をしている。


 シルヴァが、低い声で言う。


「封鎖扉の文言がない。旧い通路の話もない。……つまり」


「“扉の存在”が紙の上で消える」


 ミリアが静かに言った。


 机の端で、アルヴィンが台帳を抱えて立っていた。

 顔は丁寧。声も丁寧。


「誤解です。調査中の情報は、確定するまで記載しないのが手順です」


 ミリアが目を細める。


「確定してから書いたら、もう遅いものもあるでしょ」


「だからこそ、余計な混乱を招かないように」


 アルヴィンは眼鏡を押さえた。

 いつもの仕草。落ち着いたふりの仕草。


 シルヴァが机を指で軽く叩く。


「混乱はもう起きてる。

 昨夜、封緘瓶を奪いに来たのがその証拠だ」


 アルヴィンのペン先が、紙の上でほんの一瞬だけ止まった。


 止まって、また動き出す。


「……その件は騎士団が取り調べ中です。事務が口を出す案件では」


「だから、口じゃなく手を出すな」


 シルヴァが言い切った。


 空気が冷えた。


 アルヴィンは小さく頭を下げた。

 形だけ。


「承知しました。では私は“所定の書式”を整えます」


 言葉は丁寧だったが、目は一度もこちらを見なかった。


 ――見ない。見ないまま、消す。

 そのやり方が、昨夜の影抜きと似ていて嫌だった。


 ◇


 アルヴィンが去ったあと、シルヴァは小さく息を吐いた。


「いいか。俺たちが見つけた通路と封鎖扉は、まだ“表”に出せない」


 ミリアが口を開きかけて、閉じる。


 シルヴァが続ける。


「出せば揉める。貴族と城塞とギルドで、どこが責任を取るかで止まる。

 止まってる間に、向こうが動く」


 バルドが歯ぎしりした。


「じゃあ、どうすんだよ」


「塞ぐ」


 シルヴァは短く言った。


「塞いで、見張って、証拠を増やす。

 別紙は別紙として残す。……だが、現場の封鎖が先だ」


 レイヴァンが頷いた。


「護衛は出す。最低限だが」


 嫌な匂いがする。



 ◇


 搬送路の角へ向かう途中、ノーラが小さく言った。


「……また、あの壁の前?」


「そう」


 ミリアは短く答える。


 ノーラの腕はまだ万全じゃない。盾も本来の大盾じゃない。

 それでも、彼女は一歩も引かなかった。


 ロウは縄を手の中で何度も撫でる。

 昨日の夜番で、影抜きが縄を抜けたことを覚えてる手つきだ。


 カイは軽口を言わなかった。

 言わない方が、逆に緊張が伝わる。


(……いる)


 黒い匂いじゃない。

 油。煤。乾いた布。

 そして――薄い香油。上品な匂い。


 嫌な混ざり方だった。


 ◇


 角を曲がった瞬間、全員が足を止めた。


 縄が、ない。


 昨日ロウが通路口に張ったはずの縄が、きれいに消えている。

 床の石灰も、薄く掃かれた跡がある。


「……切られてる」


 ロウが、床の端を指でなぞった。


 縄の繊維の欠片が、ほんの少しだけ残っている。

 刃物で切った跡。しかも一回で。


「誰か来たってこと?」


 カイが小声で言う。


「来た。しかも“片づけた”」


 ミリアの声が低くなる。


 レイヴァンが壁に手を当てる。


「隠し石は……戻されてるな。位置が微妙に違う」


 バルドが舌打ちした。


「……チッ。手際いいな。盗賊の残党だけじゃねえだろ」


 俺は鼻で息をした。


 匂いが“残ってる”。

 洞の湿気の中でも残る種類の匂い。


(インク……?)


 紙束の匂い。羽根ペン。乾いた革の手袋。

 そして、さっき嗅いだ香油。


 頭の中に、眼鏡の男の姿がちらついて、すぐに消した。

 決めつけるには早い。

 早いけど、嫌な匂いは嫌な匂いだ。


「ここ」


 俺が隠し石の縁を指さすと、レイヴァンとバルドが石をずらした。


 ぎ、と音。

 暗い隙間。旧い通路の冷たい空気。


 そして――隙間の奥、床に。


 薄い足跡。


 石灰を掃いたはずなのに、掃き切れていない。

 “軽い足”の跡がひとつ、ふたつ。


「……通ったな」


 レイヴァンが低く言った。


 ミリアが唇を噛む。


「誰が。いつ。どっちへ」


 答えが出る前に、俺の鼻がちくりと鳴った。


(来る)


 匂いが動いた。

 壁の目地が、ぬらりと光る。


「下がって!」


 俺が言うのとほぼ同時に、黒い泥が滲み出した。


 昨日のスライムより小さい。

 でも、数が多い。


 影ネズミ――いや、ネズミの形をした“影”が、床を滑るように走る。


「ノーラ!」


「うん!」


 ノーラが丸盾で通路を塞ぐ。

 範囲が狭い。狭いからこそ、寄せられる。


 影ネズミは盾にぶつからない。

 盾の縁を読んで、左右へ散る。


「ロウ!」


 ミリアが叫ぶ。


 ロウの縄が跳ねる。

 一匹、二匹、絡む。


 ――絡んだはずが、影が薄くなって、するりと抜けた。


「……っ!」


 ロウの腕に、縄の反動が戻る。

 指の皮が擦れて、血がにじむ。


 カイが石を投げた。石灰をまぶした石。

 一匹に当たって、影が泡立つ。


 でも止まらない。

 泡立ちながら、まだ走る。


 ミリアの杖先が光る。


「ライト・ピン!」


 光の釘が床に刺さり、影の動線を縫い止める。

 焼かない。壊さない。止める。


 その間に、影が盾の裏へ回り込もうとする。


「ノーラ、後ろ!」


 俺が叫んだ瞬間、ノーラが盾を引く。

 引いた分、通路が開く。


 ――一匹が、ノーラの足首へ噛みついた。


「っ……!」


 声が漏れた。

 噛みつく力は弱い。だけど冷たい。中へ入ろうとする冷たさ。


 ノーラが膝をつく。


「ノーラ!」


 カイが駆け寄ろうとして、別の影がカイの足元へ滑った。


 危ない。


(核をーー)


 俺は石灰袋を裂いた。


 白い粉を床へ薄く撒く。

 影の輪郭が浮く。黒の中心が一瞬だけ濃くなる。


 短剣を抜く。抜いた瞬間が一番遅いから、最短で。


 核へ刺す。

 一匹。二匹。三匹。


 刺した感触は、冷たい布。

 次の瞬間、影がしぼむ。


 ノーラの足首に噛みついていた影が消え、冷たさが抜けた。


 ノーラが息を吐く。


「……大丈夫。まだ動ける」


 強がりじゃない。

 でも、痛みを隠す顔だ。


 レイヴァンが一歩前に出て、通路の奥を見た。


「……時間稼ぎだな、これ」


 バルドが舌打ちする。


「俺らがここで揉めてる間に、通路の向こうで何かしてる」


 ミリアが、床に残った影の残滓を見て言った。


「犬が来ない。……回収しないってことは」


「“回収する価値がない”か」


 レイヴァンの声は淡々としていた。


「……あるいは、回収してる暇がない」


 俺は通路の奥を見た。


 黒い匂いが、薄く伸びている。

 でも、追うのは規定的に無理だ。

 無理なだけじゃない。追ったら、戻る線が切れる。


 ミリアも同じことを考えたのか、唇を噛んでから言った。


「……塞ぐ。ここで塞ぐしかない」


 ◇


 レイヴァンとバルドが隠し石を戻し、ロウが縄ではなく“楔”を打つ。

 木の楔。抜けば抜ける。でも抜いたら音が出るやつ。


 ミリアが光の釘を、石の継ぎ目に沿って打ち込む。

 完全な封印じゃない。けれど、“手間”が増える。


 カイが石灰を、今度は掃かれにくいように目地へ擦り込んだ。


 ノーラは足首を押さえながら、通路の前に立った。

 盾が小さくても、立つ場所は変えない。


 俺は鼻で息をして、もう一度匂いを確かめた。


 インク。香油。乾いた革。

 洞の湿気の中でも消えない、妙に“室内っぽい”匂い。


(……誰だ)


 分からない。

 分からないまま、嫌な確信だけが増える。


 ◇


 詰所に戻ると、シルヴァが待っていた。

 俺たちの顔とノーラの足首を見て、眉を寄せる。


「またか」


「小型の影が出ました。数が多い」


 ミリアが淡々と言う。


「それで時間稼ぎされて、その間に通路を通られた。縄は切られてた」


 シルヴァの目が細くなる。


「……消しに来たか」


「消したいのは、証拠だけじゃない」


 ミリアが言う。


「扉の存在。通路の存在。……それを“なかったこと”にしたい」


 シルヴァは短く頷いた。


「だから、別紙を増やす。

 そして現場は、俺が押さえる」


 その言い方は、命令というより決意だった。


 少し離れた机で、アルヴィンが台帳を開いていた。

 こちらを見ないまま、羽根ペンを動かす。



 今、俺たちは“呼ばれている”。


 便利だからじゃない。

 線のこちら側が、もう逃げられないからだ。


 霧紺の洞の入口を見た。


 紺色の湿気が、今日もゆっくり息をしている。

 その息が、昨日より少しだけ近い。



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