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Fランク冒険者がみんな弱いと思ったら間違いだ 〜街の雑用をするヒマもなく事件を片付けてたら、いつの間にか最前線戦力でした〜  作者: 那由多
第3章 Fランクなのにダンジョンデビュー。入口の線は、誰が守る

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第56話 「あっち」の意味


 夜が明ける前に、目が覚めた。


 寝た、というより、横になって目を閉じただけだった気がする。

 霧紺の洞の入口に張った仮設の詰所。ランタンの煤の匂い。石灰の乾いた粉っぽさ。

 そして、鼻の奥に残る、あの“影抜き”の粉の匂い。


 外が白み始めた頃、騎士団の見張りが布をめくった。


「起きろ。調査班から呼び出しだ」


 呼び出し。


 ミリアもロウもカイも、同じように眠りの浅い目で起き上がった。

 ノーラは包帯を巻いた腕を押さえながら、ゆっくり立つ。


「……行こ」


 ミリアが短く言って、杖を握った。


 ◇


 臨時の取り調べテントは、入口の柵の内側にあった。

 布一枚で区切っただけの場所なのに、空気が重い。


 中には、シルヴァとガレス、そしてバルド。

 《蒼灯そうとう》のレイヴァンも立っている。


 縄で縛られたまま、例の“運び屋”が木椅子に座らされていた。

 顔の布は外され、まだ若い男の目が落ち着かない。


 そして――その隅に、眼鏡のアルヴィンがいた。

 台帳を抱え、ペン先だけが忙しい。


 シルヴァが俺たちを見るなり言った。


「昨日の侵入経路を潰す。今すぐだ」


「……侵入経路、分かってるんですか」


 カイが聞くと、シルヴァの視線が椅子の男へ向いた。


「こいつが“あっち”って言った」


 男が口の端を歪める。


「……言ってねえよ。独り言だ」


「独り言でも口は口だ」


 バルドが低い声で言う。

 その一言で男の肩がわずかに跳ねた。


 ガレスが腕を組む。


「お前は何をしに来た。木箱か。瓶か」


 男はふん、と鼻で笑おうとして、途中で引きつった。


「……知らねえよ。俺は運び屋だ。取って来いって言われた。そんだけ」


「誰に」


「顔は見てねえ。声だけだ。金だけ渡された」


 ミリアが一歩前に出る。


「声の特徴は」


 男の視線がミリアに移って、すぐ逸れる。


「……上品だった。腹立つくらい丁寧でさ。

 でも、丁寧なやつほど平気で汚いこと言うんだよ」


 アルヴィンのペン先が、紙の上で一瞬止まった。


 止まって、また動き出す。


 シルヴァが言う。


「“どこへ運ぶ予定だったか”を言え」


 男は唇を噛み、目を泳がせた。


 そのとき、俺の鼻がちくりと鳴った。


(……黒い石)


 男の服じゃない。

 椅子の下。足元の布袋。


「その袋、どこから」


 俺が言うと、男がぎょっとした。


「な、なんだよ」


「黒い匂いがする」


 ミリアが即座に杖を持ち上げる。


「袋、開けないで。そこに置いて手を離して」


 男は反射で袋を抱えそうになって、ガレスの視線に刺されてやめた。


 ロウが縄を少し引いて男の動きを止める。


 シルヴァが袋を指差した。


「中身は?」


 男が吐き捨てるように言う。


「粉だよ。影抜きの粉。……あの通路、石灰撒かれてただろ。

 あれに混ぜて足跡消せって」


 カイが顔をしかめた。


「うわ、性格わる……」


 バルドが舌打ちする。


「道具も手口も、盗賊の残党と同じだな」


 ミリアが男を睨む。


「“あっち”って何。どこへ運ぶ予定だったの」


 男が一瞬だけ黙る。


 黙って、目が揺れる。

 昨日、黒い犬を見たときと同じ揺れだ。


「……洞の奥じゃねえ」


 低い声。


「初層の、搬送路の途中。……壁の裏。

 “封鎖扉”があるって言われた。そこへ置けって」


 空気が、一段重くなった。


 レイヴァンが低く言う。


「封鎖扉?」


「知らねえよ。俺は知らねえけど、案内役はそう言った」


「案内役?」


 シルヴァが問い返すと、男は口を歪めた。


「……下から来るやつがいるんだよ。街の下。

 “道”だけ知ってるやつ。顔は見てねえ。影みてえな奴だった」


 街の下。

 盗賊ルート。夜会地下。古井戸。


 全部が、一本の線で繋がりそうな嫌な感覚がした。


 ◇


「行くぞ」


 シルヴァが言い切った。


「レオン、お前の鼻が必要だ。ミリア、ロウ、カイ、ノーラも来い。

 レイヴァン、護衛を頼む」


 レイヴァンが短く頷いた。


「了解。……バルドも来い。現場が分かってる」


「ったく」


 バルドが悪態をつきながらも動き出す。


 アルヴィンが口を開いた。


「調査班の判断で動かれるのは結構ですが、記録の手順が――」


「後」


 シルヴァが即答した。


「今は穴を塞ぐ。紙は逃げない」


 アルヴィンの口元が、ほんの少しだけ固くなる。

 でも言い返さない。


 言い返せない相手には言い返さない。

 そこが、やっぱり嫌に手慣れている。


 ◇


 洞に入ると、湿気が肌に貼りつく。


 昨日と同じ道。

 同じ角。

 同じ搬送路。


 でも今日は、“見る”目的が違う。


 俺は鼻で息をした。


(……いる)


 影抜きの粉。油。乾いた布。

 そして、薄い黒い匂い。


「こっち」


 俺が言うと、レイヴァンがすぐ後ろにつく。

 守り方が上手い。背中が落ち着く。


 補給棚の少し手前。

 壁の目地のあたりで、匂いが濃くなる。


「この辺です」


 俺が指を当てると、石が冷たい。


 ロウが縄で周囲を区切り、ノーラが丸盾で通路を狭める。

 昨日と同じ“作業場”ができた。


 バルドが壁を睨む。


「……ここか。確かに、石が削れてる」


 レイヴァンが指先で撫でた。


「新しい傷だな。爪じゃない。刃か、工具」


 ミリアが低い声で言う。


「……人が通れる“穴”があるってことね」


 俺は鼻を頼りに、壁の目地を辿った。


 ひとつだけ、匂いが“抜ける”場所がある。

 湿気の流れが、ほんの少しだけ逆向きになる場所。


「ここ」


 言った瞬間、バルドが舌打ちした。


「……チッ。ほんとに“鼻”だな」


 レイヴァンが大剣を抜かずに、壁の石を押す。


 ぎ、と嫌な音。


 石が、ほんの少しだけ動いた。


「隠し石か」


 レイヴァンが低く言い、ロウと一緒に石をずらす。

 重い。湿ってる。指が滑る。


 ずらした先に、暗い隙間が現れた。


 奥は――人が一人、横向きなら通れそうな細さ。

 そして、その先から、別の空気が漏れている。


 洞の匂いじゃない。

 街の地下の匂いだ。


「……繋がってる」


 ミリアが小さく言った。


 バルドが歯ぎしりする。


「やっぱりかよ」


 俺は隙間に顔を近づけた。


 匂いが広い。

 奥が“長い”だけじゃない。

 “空間”の匂いがする。


「この先……広いです」


 自分で言って、根拠が薄いのが嫌になる。

 でも、鼻はそう言ってる。


 レイヴァンが目を細めた。


「……空洞がある。奥が抜けてる」


 そして、バルドがぽつりと吐いた。


「……封鎖扉、ってのはこの奥か」


 ◇


 隙間の先には、古い石の通路があった。


 霧紺の洞の加工とは違う。

 角が丸く、排水の溝があり、壁に煤の跡が残っている。


 旧い。

 街の地下と同じ旧さ。


 ミリアが壁の線を見て、顔をしかめた。


「……線、ある」


 夜会地下で見たのと似た癖。

 薄い刻み。乱暴な上書き。


 レイヴァンが一歩だけ進んで、止まる。


「ここから先は、規定的にアウトだ」


 当たり前だ。

 Fが行ける場所じゃない。


 でも、目の前で“道”が見えてしまうと、戻るのが怖い。


 その奥。


 薄暗い通路の終わりに、扉が見えた。


 鉄と石で作られた封鎖扉。

 表面に、古い印――円と線。見覚えのある線の癖。


 そして、扉の周りの空気が、ゆっくり動いている。


 呼吸みたいに。


「……脈、打ってる」


 ミリアが言った。


 俺の鼻の奥が、危険信号を鳴らす。


 古井戸のときとは違う。

 もっと広い。もっと深い。

 “街”を丸ごと飲み込めそうな匂い。


「ここ、今は開いてない」


 レイヴァンが言う。

 でもそれは安心じゃない。


「開いてないだけだ」


 バルドが吐き捨てた。


「開いたら終わるやつだ」


 シルヴァが息を吐いた。


「……とりあえず、今は塞ぐ。証拠を残す」


 ミリアが杖を上げる。


「ライト・ピン。固定する」


 光の釘が、扉の周囲の線を縫い止めるみたいに刺さる。

 完全な封印じゃない。応急処置だ。


 ロウが縄を通路入口に張り、通ったら分かるようにする。

 カイが石灰を薄く撒き、足跡の“抜け”を潰す。


 ノーラは丸盾を抱えたまま、扉を見ていた。


「ノーラ」


 俺が呼ぶと、彼女は顔を上げた。


「……うん。分かってる。今は、立ってるだけ」


 それが、いちばん苦しい。


 ◇


「……ワン」


 小さな鳴き声。


 背中が冷える前に、もう分かってしまった。


 黒い犬の影が、通路の端に立っていた。


 いつも唐突で、いつも自然で、

 いること自体が説明になってない存在。


 犬は封鎖扉を見ていた。


 じっと。

 まるで「ここだ」と言うみたいに。


 そして、俺を見た。


 尻尾が、少しだけ揺れる。

 嬉しいのか、合図なのか、分からない揺れ。


 次の瞬間、犬は影ごと消えた。


 残ったのは、封鎖扉の脈と、冷たい湿気だけ。


 シルヴァが低い声で言った。


「……昨夜の運び屋が言った“あっち”は、ここだ」


 レイヴァンが頷く。


「そして、ここへ辿り着かせたくない奴がいる」


 ミリアが目を細めた。


「消したいのは、瓶じゃない。……“扉の存在”かもね」


 ◇


 入口詰所へ戻る途中、俺はふと気づいた。


 扉の前に立っていたとき、アルヴィンがいなかった。

 当たり前だ。現場に来ない人だ。


 でももし――

 もし、あの扉の存在が紙の上で消されるなら。


 “別紙”が必要になる。


 シルヴァは歩きながら、短く言った。


「この封鎖扉のことは、まず内部記録に残す。誰が何と言おうとだ」


 その言葉の「誰が」の中に、いろんな顔が混じって見えた。


 俺は、洞の入口の紺色の湿気を見た。


 線を引き直しても、追いつかない。

 証拠を残しても、消しに来る。


 でも、犬が指した方角はもうはっきりしてしまった。


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