第55話 封緘瓶の夜番と、影抜きの結び目
——【封緘瓶の護衛(夜番)】——
依頼主:トラヴィス冒険者ギルド(調査班)
内容:霧紺の洞入口・調査班詰所にて、採取済み封緘瓶(別紙用証拠)の保管警戒。
無断接触・無断搬出入の防止。異常兆候があれば即時通報。
※追跡・洞内深追いは禁止。検疫線の維持を優先。
条件:F〜Eランク(複数人)
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依頼札を見たカイが、乾いた笑いを出した。
「……はいはい、また夜番。Fって便利だなぁ」
「便利で済めばいいんだけどね」
ミリアの声は淡々としているのに、どこか硬い。
俺は封緘瓶を見た。
小さなガラス瓶。蜜蝋の封。封印札。
あの黒い犬が舐めなかった、あの“残せる形”。
残せるってことは――消したい誰かがいるってことでもある。
◇
霧紺の洞の入口に作られた詰所は、夜になると一段狭く見えた。
灯りはランタン二つ。
騎士団の見張りが外に一人。
中には、調査班の机と、封緘瓶を入れた木箱が一つ。
シルヴァは机の上に紙束を置き、俺たちを見た。
「俺は今夜、城塞側の会議に呼ばれてる」
「……この時間に?」
ノーラが眉を上げる。今日は借り物の丸盾を抱えていて、頼りない感じがする。
「“証拠が残った”って聞けば、動く連中がいる。止めるための会議だ」
シルヴァがさらっと言う。
止めるため。
でも、止めたいのは魔物だけじゃない気がした。
「封緘瓶はここに置く。持ち歩かない。見せびらかさない。……守れ」
「はい」
ロウが短く頷く。
そのとき、入口の外で紙をめくる音がした。
アルヴィンだ。
相変わらず紙束を抱えて、相変わらず丁寧な顔をしている。
「封緘瓶は、所定の保管庫へ移送すべきです」
開口一番、それだった。
目は笑ってない。
笑ってないのに、口調だけが丁寧で、余計に刺さる。
「保管庫は街の中だ」
シルヴァが言った。
「今は入口の外で起きてる。入口で守る方がいい」
「“守る”……」
アルヴィンが小さく息を吐いた。
「それを、Fの当番で?」
言った。
言ってから、ほんの一瞬だけ口元が歪む。
恥をかかされた分を、まだ畳めてない。
ミリアが、机の縁を指で軽く叩いた。
「Fじゃなくてもいいなら、あなたが一晩抱えて寝たら?」
「私は事務班です。現場で抱えて寝るのは仕事ではありません」
「現場で守るのも仕事じゃないって言いたい?」
「……言葉尻を捉えないでください」
アルヴィンは眼鏡を押さえた。
その仕草が、なんだか“落ち着いたふり”に見える。
シルヴァが一歩前に出た。
「アルヴィン。今夜ここで封緘瓶が消えたら、君の書式は永久に役に立たない」
アルヴィンは一瞬だけ固まって、すぐに頭を下げた。
「……承知しました。では、夜番の手順を」
彼は紙を一枚差し出す。
——【封緘瓶保管・注意書】——
・封緘瓶に触れるのは調査班立会いの時のみ
・当番は封緘瓶の木箱から二歩以上離れないこと(交代時を除く)
・異常があれば“即時通報”。独断処理は禁止
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「二歩って……近いな」
カイが小声で言う。
「近い方がいい。今日は」
俺が言うと、アルヴィンの目が一瞬だけこちらへ刺さった。
刺さって、すぐ逸れた。
その視線は、「余計なこと言うな」といっているように感じた。
◇
夜。
洞の入口から漂う紺色の湿気が、冷たく肌に貼りつく。
外は霧が薄く、星が見えたり隠れたりしていた。
俺たちは木箱のすぐ横――“二歩以内”に座った。
ノーラは丸盾を膝に置き、背中を少し丸めている。
ロウは縄を手元でほどいては巻き直している。
カイは退屈を誤魔化すみたいに小石を指で転がしていた。
ミリアは杖を膝に、目だけを動かしている。
俺は鼻で息をした。
(……変)
洞の匂いじゃない。
石灰でも蜜蝋でもない。
乾いた布。油。煤。
そして、どこかで嗅いだ“結び目”の匂い。
なくし物通り。
盗賊の布袋。
あの結び方。
「来る」
小声で言うと、全員の空気が一段沈んだ。
「匂い?」
カイが口を動かすだけで聞く。
「うん。……人」
ミリアが杖を少し持ち上げた。
「ロウ、縄」
ロウは返事をしない。返事をしないまま縄を床に滑らせる。
通路幅いっぱいじゃない。人が通る“癖”だけに引っかける線。
ノーラは盾を立てない。
立てると影が大きくなって、相手が見えやすくなる。
その判断が、正しいかどうかは――まだ分からない。
俺は木箱の前に、石灰を薄く撒いた。
白い粉の上を歩けば、足跡が残る。
相手が“影抜き”なら、そこも読んでくるかもしれない。
でも、読まれてもいい。読ませた上で止めればいい。
◇
音がした。
砂利を踏む音じゃない。
布が擦れる音。影が滑るみたいな音。
そして――白い粉の上に、足跡がひとつ。
裸足でも革靴でもない。
妙に軽い、薄い足跡。
(……影を薄くしてる)
俺の背中が冷える。
次の瞬間、ランタンの灯りが一瞬だけ揺らいだ。
誰かが影を切った。
影の中から、黒い影――人の形がぬるりと浮かぶ。
顔は布で隠れている。
手は細い。迷いがない。
一直線に、木箱へ。
「止まれ」
俺が言うより早く、ロウの縄が跳ねた。
――絡んだ。
絡んだはずなのに、影の男は“絡まった縄”をするりと抜けた。
「うわっ、抜けた!」
カイが思わず声を上げる。
男が指先で何かを弾いた。
粉が舞う。黒い粉。
石灰じゃない。
“影抜き”の粉――夜会地下で嗅いだ、あの嫌な匂い。
男は、その粉の中を滑るように木箱へ手を伸ばした。
「ノーラ!」
「うん!」
ノーラが丸盾を突き出す。
でも丸盾は範囲が狭い。
男は盾の外側に体をずらし、盾の縁の向こうから手を差し込む。
――木箱の蓋が、指一本分だけ浮いた。
その瞬間、俺の鼻が叫んだ。
(蜜蝋が割れる匂い)
「ミリア!」
「ライト・ピン!」
光の釘が、木箱の蓋の隙間へ刺さる。
蓋が“閉じる側”へ固定される。完全じゃない。けど、開かせない。
男が舌打ちした。
「チッ……」
そして男は、木箱ごと抱えようとする。
無茶だ。
でも、力じゃない。持ち方が“慣れてる”。
カイが小石を投げた。
ただの石じゃない。石灰をまぶした石。
男の手に当たる。
白が付く。
男の動きが一瞬止まった。
その“一瞬”で十分だった。
俺は剣を抜かなかった。
抜けば光が反射して、相手の逃げ道を作る。
腰の短剣で、手首を叩く。
刃じゃない。柄で。
「……っ!」
男の手から力が抜ける。
次に、足。
踏み込みの膝。
関節が“逃げる角度”に入る前に、内側から押さえる。
男の体が崩れた。
そこへ、ロウの縄がもう一度飛ぶ。
今度は輪郭じゃない。骨を縛る。
ノーラが盾で逃げ道を塞いだ。
ミリアが杖先を男の喉元に向ける。
「動いたら刺す。……光でね」
男は動かなかった。
……いや、動けなかった。
◇
しばらく、誰も喋らなかった。
ランタンの火がぱち、と鳴る。
男の布の結び目が、目についた。
あの結び方。
なくし物通りで見た布袋と同じ癖。
ミリアが低い声で言った。
「……盗賊ルート」
男が小さく笑った。
笑い方だけが、露骨に悪い。
「……へぇ。鼻が利くな、F」
声が若い。
「何のため?」
ミリアが問う。
「木箱? それとも瓶?」
男は答えない。
代わりに、視線だけが木箱へ行く。
木箱の蓋の隙間。
そこから、蜜蝋の匂いが微かに漏れている。
俺は言った。
「消したいんだろ。中身」
男の目が一瞬だけ動いた。
当たりだ。
ロウが縄を締め直す。
「誰の指示だ」
「知らねえよ。俺は運び屋だ」
男が吐き捨てる。
カイが、小声で呟く。
「……運び屋って言う割に、木箱の開け方うまかったな」
男の口元が歪む。
そのとき――
「……ワン」
小さな鳴き声。
通路の影に、黒い犬の影が立っていた。
いつもみたいに突然で、いつもみたいに“そこにいるのが当然”みたいで。
犬は男を見た。
次に木箱を見た。
それから、俺を見た。
男が、ぞくっと震えた。
「……なんだよ、それ」
初めて、男の声に怯えが混じった。
犬は何もしない。
ただ、見ている。
そして――ゆっくり、洞の奥の方角へ顔を向けた。
まるで「こっちだ」と言うみたいに。
次の瞬間、犬は影ごと消えた。
男は、消えた影を見たまま呟いた。
「……あっち、かよ」
独り言だった。
でも、十分だった。
◇
騎士団の見張りが駆け込んできて、男は拘束された。
少し遅れて、シルヴァも戻ってきた。
会議帰りの顔だ。疲れてる。でも目は冴えている。
「……やったな」
シルヴァは短く言って、男の結び目を見た。
「この結び方。盗賊の道具だ」
「やっぱり繋がってる」
ミリアが言う。
シルヴァは封緘瓶の木箱に手を置き、蜜蝋の匂いを確認した。
「無事だ。……よく守った」
その言葉だけで、胸の奥の冷えが少しだけ戻った。
アルヴィンは――少し離れたところで、騎士団の報告を聞きながら台帳を開いていた。
こちらを見ないまま、羽根ペンを動かしている。
書かれる主語が何かは、まだ分からない。
でも、今夜は少なくとも一つだけ確かなことがある。
封緘瓶は残った。
そして、“消したい誰か”が、動いた。
霧紺の洞の入口は、逃げない。
逃げないぶん、逃げ場もない。
俺は洞の暗がりを見た。
さっき犬が向いた方角――奥。
壁が、昨日より少しだけ強く脈打っている気がした。




