第53話 報告書の主語と、ひびの盾
——【霧紺の洞・異常発生の口頭報告】——
依頼主:トラヴィス冒険者ギルド(調査班)
内容:霧紺の洞・初層搬送路にて発生した異常(黒い変異個体)の状況を口頭報告。負傷・装備破損の確認。
条件:当該班(F〜B混成)
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依頼札というより、半分は呼び出しだった。
治療テントの消毒の匂いが鼻に残ったまま、俺たちは入口詰所へ向かう。
ノーラは包帯を巻いた腕をかばいながら歩いている。歩ける。けど、盾は抱えられない。
盾は、ひびが入ったまま、治療師のところに預けてある。
あの黒い泥――黒い匂いのするやつは、最後に犬が舐めて消した。
床も、壁も、匂いも、いつも通り「片付いた」。
片付くのは助かる。
……でも、片付くと証拠も残らない。
それが、胸の奥に残っていた。
◇
詰所の簡易机の前には、もう人が揃っていた。
シルヴァ。
騎士団のガレス。
Cランクのバルド。
そしてBランクパーティ《蒼灯》の三人――レイヴァン、イリス、グレン。
さらに、机の少し外側に――眼鏡の事務班、アルヴィンが立っていた。
紙束と台帳を抱えて、指先だけが忙しそうに動く。
俺たちを見ると、アルヴィンは一瞬だけ目を細めた。
「座って」
シルヴァが短く言った。
椅子は足りないから、俺たちは木箱に腰掛ける。
ノーラは傷を隠すみたいに腕を抱え、ミリアは黙って杖を膝に置いた。
「まず状況の確認だ」
シルヴァが言う。
「発生地点は“初層搬送路”、補給棚から入口側へ戻る途中。
壁から滲出。……だな?」
レイヴァンが頷く。
「そうだ。前線は俺たちが押さえていた。後方は規定通り荷物班――Fがいる。
その後方に出た。完全に裏を取られた形だ」
「変異個体の種別は?」
「スライム系。黒色。核あり。石灰で鈍化、刺突で核破壊」
レイヴァンが淡々と答えて、俺の方を一度だけ見た。
その視線が、変に重い。
イリスが、ノーラの包帯を見て言う。
「負傷は盾役?」
「火傷みたいな……やつです」
ノーラが笑おうとして、失敗した。
「盾は?」
グレンが聞く。
「縁にひび。修理が必要」
ロウが短く答える。
バルドが舌打ちした。
「……荷物班に“あれ”が噛みついた時点で異常だ。」
ガレスが腕を組む。
「街に持ち込ませないための線が、洞内で食い破られた。
……やり方が変わってきてる」
シルヴァは記録板に書き込み、顔を上げた。
「——で、問題はここからだ」
声が少しだけ冷える。
「証拠がない。残滓が消えた」
空気が、わずかに固くなった。
レイヴァンが目を細める。
「……犬か」
俺は黙った。
俺たちが説明しても、信じる信じないの前に、証拠がない。
犬は、いつも“回収”していく。
善意なのか、悪意なのか、まだ分からない。
分からないのが一番厄介だった。
◇
そこでアルヴィンが、紙束を一枚、机の上に置いた。
「では、報告書の文面案です」
声は丁寧だった。
丁寧すぎて、逆に腹が立つタイプの丁寧さ。
アルヴィンは淡々と読み上げる。
「『霧紺の洞・初層安全確認にて、変異スライム一体が搬送路側へ出現。
Bランクパーティ《蒼灯》およびCランク冒険者バルドの迅速な対応により排除。
搬送路当番は規定通り撤退し、入口線の維持を継続。負傷者軽微』——以上」
主語が、きれいに整っていた。
整いすぎていた。
ミリアが、ゆっくり目を細めた。
「……“搬送路当番”って、誰?」
「当番は当番です」
アルヴィンは眼鏡を押さえて言う。
「混乱を避けるため、個別名の列挙は控えます。現場の責任の所在を——」
「責任の話、好きね」
ミリアが被せる。
「功績は?」
アルヴィンの口元が、ほんの少しだけ歪んだ。
昨夜の恥を思い出す顔だ。
「功績は、正式報告書に付随します。
そして正式報告書は、規定に従って“取りまとめ”ます」
レイヴァンが静かに言った。
「……それは違う」
アルヴィンが目を向ける。
「何が、ですか」
「核を潰したのはFのレオンだ」
レイヴァンは淡々と言った。
「その前に、盾役が噛まれた。
俺たちが前線から戻る半拍より先に、Fが止めた。
それを書かない報告書は、現場の安全のためにも良くない」
イリスも頷く。
「誰が何をしたかが分からないと、次の対策が立てられないもの」
グレンが、矢筒を指で叩いた。
「“後ろが割れた”のが問題なのに、後ろの情報が薄い。変だよ」
アルヴィンの喉が鳴った。
……言い返したいのが顔に出てる。
でも相手はBランクだ。噛みつくには、相手が悪い。
「……承知しました。技術的情報として、“石灰による鈍化と核破壊”を追記します」
アルヴィンは一歩引いた。
でも、そこで止まらない。
「ただし個人名は、責任の明確化が必要な場合に限ります。
昨夜のような――“不要な混乱”を繰り返したくないので」
棘が来た。
ミリアが一瞬、笑った。
笑ったけど、温度はゼロだった。
「逆恨み、って言葉知ってる?」
「私は合理性の話をしています」
アルヴィンは即答した。
「現場は感情で動きがちですから」
「感情で動いて守ったのよ、こっちは」
ノーラがぽつりと言った。
小さくて、震えてる声。
アルヴィンの目が、ほんの一瞬だけ揺れた。
揺れて、すぐ固くなった。
「……守ったのは、結果です」
言ってしまった。
言ったあとに「あ、言い過ぎた」と顔が一瞬だけ言っていた。
でも引っ込めない。
恥をかいた相手に、頭を下げたくない。
その感じが、すごくリアルで、すごく嫌だった。
◇
シルヴァが、机を指で軽く叩いた。
「アルヴィン。君の書式は分かった。
だが、俺は“別紙”を残す」
アルヴィンの眉が動く。
「別紙?」
「現場メモだ。内部記録」
シルヴァは、あくまで淡々と言った。
「誰がどの位置で、何を見て、どう動いたか。
再発したときのために必要だ。功績のためじゃない。対策のためだ」
ミリアが小さく息を吐いた。
レイヴァンは、少しだけ口元を緩めた。
「それでいい」
アルヴィンは、唇を薄く結ぶ。
でも――これもまた、相手が悪い。調査班の中心だ。
「……では、私は書式を整えます」
アルヴィンは丁寧に頭を下げた。形だけ。
去り際、俺と目が合った。
ほんの一瞬。
その目は、「お前のせいで余計な手間が増えた」と言っていた。
◇
報告が終わり、皆が散りかけたところで、レイヴァンが俺のところに来た。
「レオン」
「はい」
「……昨日の動き。あれは、何だ」
質問が短い。逃げ道がないタイプ。
俺は正直に言うしかなかった。
「匂いが動いたので、核があると思って。石灰を撒いて、見えたところを刺しました」
「“見えた”?」
「……たぶん、石灰で輪郭が出たんだと思います」
自分で言っていて、説明が薄いのが分かる。
実際は、もう少し“分かった”。
でもそれを言うと、もっと変になる。
レイヴァンは黙って俺を見たあと、視線をノーラの包帯へ移した。
「盾の修理代、出す」
「え?」
ノーラが目を丸くする。
「……いいです、そんな」
「違う。礼だ」
レイヴァンは淡々と言った。
「後ろが割れて、前が守れたのは後ろが止まったからだ。
盾が割れたのは、俺たちの不手際でもある」
イリスが頷く。
「盾は命を守る道具だもの。直せないのは困るでしょ」
グレンがぼそっと言う。
「……あと、盾が割れたままだと次は腕じゃ済まない」
ノーラが困ったように笑った。
俺は首を横に振りかけて――やめた。
受け取るのが楽だからじゃない。
ノーラの盾が必要だからだ。
「……ありがとうございます。借りた分は、返します」
「返さなくていい」
「返します。じゃないと、ノーラが怒ります」
ノーラが「え?」って顔をした。
ミリアが横で小さく笑った。
「返すのよ。こいつ、そういうとこだけ頑固だから」
レイヴァンは、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「……分かった。じゃあ借りだ。いつか返せ」
◇
夕方。
治療テントの前で、ノーラが小さく言った。
「……私、足引っ張ってるかな」
「引っ張ってない」
ロウが即答した。
「正しい位置に盾を置いた。正しく動いて、押し切られた。
押し切られたのは、お前のせいじゃない」
カイが珍しく真面目に頷く。
「そもそも、初層の搬送路で“あれ”が出るのがバグだろ。世界が悪い」
「世界が悪いって言い方、雑すぎる」
ミリアが言って、それでも目は少し柔らかかった。
ノーラは、少しだけ笑った。
関係は変わらない。
変わらないまま、傷とひびだけが残る。
そして――
俺は気づいていた。
今日の正式報告書には、たぶん俺たちの名前は載らない。
載ったとしても、“搬送路当番”の四文字で終わる。
それでも、守ったのは事実だ。
でも、事実が紙の上で消えるなら、次はもっと簡単に消される。
(……残せる形を作る)
シルヴァの言葉が、洞の湿気みたいにまとわりつく。
その夜、北門へ戻る道すがら。
遠くで、誰かがギルドの噂話をしていた。
「今日の霧紺の洞、Bの《蒼灯》がすげえの止めたらしいぜ」
「やっぱ上は違うなぁ」
俺は足を止めなかった。
ミリアだけが、一歩遅れて立ち止まって、空を見上げた。
怒っているというより――決めている顔だった。
そして俺は、鼻の奥に残る薄い匂いを確かめながら思う。
線は引き直した。
でも、引き直した先の壁が――昨日より少しだけ、強く脈打っている気がする。
明日も、同じ場所に立つ。
それだけは、変わらない。




