第52話 初層安全確認と、壁の脈
明けましておめでとうございます。
——【霧紺の洞・初層安全確認(荷運び枠)】——
依頼主:トラヴィス冒険者ギルド(調査班)
内容:霧紺の洞・初層の安全確認に伴い、封印札・石灰・補給物資の搬入/回収品の搬送補助を行う。
※戦闘域への前進は禁止。本隊の後方を維持し、異常兆候を確認した場合は即時報告・撤退。
条件:F〜Eランク(複数人)
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札を受け取った瞬間、カイが目を細めた。
「“荷運び枠”って、書き方が露骨じゃない?」
「露骨な方がいいわ。嘘は混ざらない」
ミリアが淡々と言う。
ノーラは盾のベルトを締め直しながら、笑って見せた。
「うん。運ぶだけなら、なんとかなるよ」
ロウは縄を指に絡め、ほどく。
いつもより丁寧だ。無意識に、緊張してる。
俺は鼻で息をした。
入口の空気は、昨日より少し重い。
“通したくない匂い”が、薄く広がっている。
◇
入口の詰所では、騎士団とギルド調査班が、朝から慌ただしく動いていた。
封印札の束。石灰袋。水袋。包帯。
そして“隔離の隔離”の札が貼られた木箱が、柵の奥で眠るように置かれている。
アルヴィンが紙束を抱えて歩き回っていた。
俺たちを見ると、いったん視線を外し、最後に仕方なく戻してきた――みたいな顔をする。
「……本日は“本隊同行”ですね。注意書は昨日渡しました」
「受け取ったわ」
ミリアが短く返す。
アルヴィンは頷いたが、頷き方が少しだけ硬い。
「余計な判断は増やさないでください。
……現場が混乱すると、報告書が荒れます」
「報告書より、命が失われる方が困るけど」
カイが小声で言って、ロウに肘で軽く突かれた。
そこへ、鎧の擦れる音。
「荷物班、揃ったか」
バルドが来た。Cランク。
目の下に寝不足の影はあるが、歩き方は安定している。
その後ろに、見知らぬ三人がいた。
先頭の男は、肩に大剣を背負っている。装備がいい。
視線が鋭くて、無駄がない。
「Bランクパーティ《蒼灯》だ」
バルドが紹介した。
「俺は護衛兼、連絡役。……で、そっちが荷物班のF」
Bランクの男――《蒼灯》のリーダーがこちらを見る。
「レイヴァンだ。よろしく」
短く言って、すぐ洞の入口へ視線を戻す。
隣の女性は、杖というより“短い錫杖”を持っていた。
回復役っぽい。
「イリス。後ろが崩れたら、前も崩れる。……だから後ろ、大事」
最後の男は弓手で、軽装。
周囲を見る癖が、ロウに近い。
「グレン。何か匂ったら、言って。早めに」
俺は頷いた。
「レオンです。……匂いは、言います」
バルドが鼻で笑う。
「言い方が嫌だな。現場が臭いみたいじゃねえか」
◇
洞に入ると、湿気が肌に貼りつく。
外より暗いのに、音がよく響く。
水滴の落ちる音。靴底の砂利。鎧の擦れ。
そして、奥の方で――金属音。
本隊がもう何かと当たっている。
「荷物班はこの距離を保て」
レイヴァンが言う。
「前へ出ない。遅れない。走らない。
――“後ろを守る”ってのは、派手じゃないが難しい」
「はい」
ノーラが、盾を少し前に出した。
その姿勢は正しい。
正しい、はずだった。
途中、洞の壁際で、巨大なコウモリが二匹――“変異”みたいに黒ずんだ個体――が飛び出した。
「来るぞ」
グレンが弓を引く。
矢が一発、喉に刺さって落ちる。
もう一匹はレイヴァンが大剣を抜かず、柄で叩き落とした。
落ちたところを、バルドが踏み込んで止める。
一連の動きが、早い。
無駄がない。
(……これが、上の現場)
思ってしまう。
俺たちは、同じ洞に立っているのに、見ている景色が違う。
◇
補給棚――初層外周の“線の内側”にある、物資置き場。
棚には封印札が貼られ、石灰袋が積まれ、縄が用意されていた。
ここまで来ると、外の空気はもう届かない。
ミリアが壁の目地を見て、顔をしかめる。
「……また線」
夜会地下と似た癖。
薄い刻み方。呼吸するみたいな湿気の流れ。
レイヴァンが視線だけでそれを見て、口には出さなかった。
代わりに、バルドがぼそっと吐く。
「見んな。……見たら頭が嫌になる」
ノーラが荷を降ろしながら言った。
「嫌でも見えるよ。だってここ、空気が変だもん」
俺も鼻で息をした。
黒い匂いは薄い。
でも、“何もない匂い”じゃない。
そして――嫌なところで混ざっている。
「撤収」
レイヴァンの声。
「荷は置いた。戻る」
◇
戻り道。
前方では本隊の戦闘音が続いていた。
でも、距離がある。俺たちが入り込む場所じゃない。
だからこそ、安心して……いいはずだった。
鼻の奥が、ちくりと鳴った。
(来る)
匂いが“動いた”。
「止まって」
俺が言うと、全員が反射で止まった。
レイヴァンが振り返る。
「何だ」
「……後ろ。匂いが変」
言い終える前に、ノーラが盾を前へ。
ロウが縄を構え、カイが石を握る。
ミリアが杖を上げた。
動きは早い。
――でも、相手は“動きに慣れてる匂い”だった。
壁の目地が、ぬらりと光った。
「っ……!」
黒い泥が滲む。
影ネズミじゃない。もっと重い。もっと粘る。
スライム――いや、“影を煮詰めた”みたいな黒い塊。
そして、速い。
「ノーラ!」
「うん!」
ノーラが盾で“線”を作る。
正しい位置。正しい角度。
なのに、黒い塊は盾にぶつからない。
盾の縁を“読んで”体を薄くし、横から回り込んだ。
「なっ――!」
ノーラが盾を回す。間に合わない。
黒い泥が腕に絡みついた。
「っ、く……!」
じゅ、と嫌な音。
革手袋の上からでも、熱と冷たさが同時に来る。
ミリアの杖先が光る。
「ライト・ピン!」
光が刺さる。
刺さるのに――黒が薄まらない。
「効きが……弱い!」
ロウが短剣で裂こうとする。
刃は入る。入るのに、切れない。
むしろ刃に絡んで、ロウの腕が引かれた。
「くそっ……!」
体勢が崩れる。
「ロウ!」
カイが石を投げる。
当たる。揺らぐ。――揺らぐだけ。
黒い泥は、ノーラの肘の内側へさらに食い込んだ。
盾の裏側。守りの隙間。そこを狙ってくる。
ノーラの歯が鳴る。
「だいじょ……!」
「喋るな!」
俺は叫んでいた。
黒い匂いが、皮膚の上じゃなく“中”へ入ろうとしてる。
ノーラの盾が、ぎし、と鳴った。
縁が耐えきれず、ひびが走る。
レイヴァンが一歩動こうとして――止まった。
本隊との距離。規定。線。
“前に出るな”の逆で、“後ろに戻れない”一瞬。
バルドが舌打ちする。
「チッ……! 後ろに出たのかよ!」
でも、届くのは半拍遅い。
(間に合え)
俺は背負い籠を投げ捨て、石灰袋を掴んだ。
袋の口を裂いて、黒い泥に撒く。
白い粉が舞う。
黒い泥が、びく、と縮んだ。
その一瞬だけ、動きが鈍る。
――中に、黒い芯が見えた。
(核)
足が勝手に前へ出る。
剣じゃない。抜いたら遅い。
腰の短剣で十分だ。
芯へ真っ直ぐ刺す。
「……っ」
冷たい布を貫いたみたいな抵抗。
次の瞬間、黒い泥が一気にしぼむ。
絡みついていた泥が、ノーラの腕から剥がれ落ちた。
「ノーラ!」
俺は膝をつく。
革手袋の縁から、赤く腫れた皮膚が覗いていた。
火傷に近い。熱が残っている。
ノーラが、苦笑して盾を見る。
盾の縁には焦げ跡。
ひびが一本、深く入っている。
「……ごめん。盾、また……」
「謝るな!」
声が固くなった。
ロウが息を切らしながら、短く言う。
「……正しく動いてた。正しく動いて、押し切られた」
ミリアが杖を握ったまま、唇を噛む。
「Fの線を、狙ってる……」
そこへ、バルドが駆け戻ってきた。
状況を見て、顔色が変わる。
「……おい。荷物班だぞ、ここ」
怒りの向きは、俺たちじゃない。
壁と、匂いと、仕組みの方。
レイヴァンが低く言った。
「初層の“安全確認”は、失敗だな」
その瞬間――
「……ワン」
通路の影に、黒い犬の影が現れた。
床に残った黒いシミへ鼻先を寄せ、ひと舐め。
黒が、すうっと消える。
回収。
犬は一瞬レイヴァンを見た気がした。
次の瞬間には、影ごと消えていた。
証拠が、消える。
残るのは、ノーラの腕と、ひびの入った盾だけだった。
◇
入口まで戻る道は、いつもより長く感じた。
ノーラは歩ける。
でも、腕をかばっている。
ミリアはずっと黙っていた。怒っているというより、冷えている。
ロウは縄を巻き直して、手首の赤い跡を見て見ぬふりをしている。
カイは軽口を探して見つけられず、口を閉じたまま歩いた。
入口詰所に着くと、治療テントへ直行になった。
「跡は残るかもね」
治療師が淡々と言う。
「でも動かなくなるほどじゃない。盾は……修理か、買い替えだね」
ノーラが、悔しそうに笑った。
「……またお金」
「……ああ」
俺は返すしかなかった。
外に出ると、シルヴァが待っていた。
顔を見ただけで、“聞かなくても分かってる”って顔だ。
「出たな」
短く言う。
「搬送路で。壁から」
レイヴァンが頷く。
「本隊が前で戦ってる間に、後ろが割れた。
……これ、仕込みだ」
バルドが拳を握る。
「Fの線を狙って、後ろから噛む。性格が悪い」
シルヴァは目を細めて、隔離テントの方を見た。
アルヴィンが紙束を抱えて、こちらをちらりと見て、すぐ目を逸らす。
「記録は俺が残す」
シルヴァが言った。
「残せる形でな。……残せないなら、残せる形を作る」
その言葉の意味は、まだ分からない。
でも、分からないまま頷いた。
「今日はここまでだ。荷物班は休め」
そう言ってから、シルヴァは俺を見る。
「レオン。明日も来い。鼻が必要だ」
「……はい」
夕暮れの霧が、洞の入口でゆっくり息をしていた。
線を引き直した。
引き直したのに、もう破られた。
薄いのに、通したくない匂いが、昨日より少しだけ濃い。
そして俺は思う。
明日は、もっとはっきり“出る”。
出て、誰かが、もっと痛い目を見る。




