第51話 初層搬送と、引き直した線
——【霧紺の洞・初層搬送補助】——
依頼主:トラヴィス冒険者ギルド(調査班)/城塞騎士団
内容:霧紺の洞の入口〜初層外周(補給棚)までの搬送路にて、封印札・石灰・補給物資の運搬補助。
※戦闘域への同行は禁止。本隊の後ろを維持し、異常兆候を確認した場合は即時報告・撤退。
条件:F〜Eランク(複数人)
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依頼札を見た瞬間、ミリアが小さく鼻で笑った。
「“初層外周”って書き方、好きね。『中に入るけど入らない』ってやつ」
「言い方」
カイが肩をすくめる。
「でも実際そうじゃね? 入るけど、戦わない」
「戦わない、じゃない」
ロウが淡々と訂正した。
「戦えない」
ノーラが盾のベルトを握り直す。
「……でも、やる。入口で止まらなかったんだもん。線を引き直すしかない」
俺は黙って札を見た。
入口線を一段内側に引く。
言葉は軽いけど、意味は重い。
“危ないものが、もう入口まで来てる”ってことだから。
◇
霧紺の洞の入口は、朝から忙しかった。
騎士団が柵を増設している。
調査班の机には紙が増え、封印札の束が積まれている。
そして――眼鏡の男、アルヴィンが、いつもより早口で誰かに指示していた。
「番号の貼り間違いは、保管庫で混乱になります。こちらは“隔離の隔離”ですよ。扱いを統一してください」
“隔離の隔離”。
昨日の箱のことだろう。
俺たちが近づくと、アルヴィンは一瞬だけ視線を向け、すぐに視線を外した。
露骨じゃない。露骨じゃないのが、逆に気になる。
「おはようございます」
ミリアが先に言った。
「……おはようございます」
アルヴィンは返した。返しただけだ。
それから、わざわざ紙を一枚差し出してくる。
——【搬送路当番・注意書】——
・本隊の後方を維持すること
・独断での戦闘介入を行わないこと
・異常兆候を報告した場合、当番は速やかに撤退し入口線へ復帰すること
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「昨日の“騒ぎ”が、よほど効いたんですね」
カイが小声で言う。
アルヴィンの眉がぴくりと動いた。
「効いた、ではなく、必要です。現場は――」
「現場は混乱する、ってやつ?」
ミリアが被せる。
アルヴィンは一拍置いて、眼鏡を押さえた。
「……“混乱させない”のが、仕事です」
言い切った声は丁寧だった。
でも、“こちら”を見てない丁寧さだった。
逆恨み――というほど露骨じゃない。
けれど、恥をかいた相手に対する“棘”が薄く残っている。
「注意書、受け取ったわ」
ミリアは紙を折って懐に入れた。
「じゃあ、私たちは“本隊の後ろ”に行く。以上ね」
アルヴィンは頷いたが、その頷きは「許可」みたいに見えた。
……変な気分だ。
◇
「来たな、荷物班」
洞の入口の少し内側、詰所みたいな場所で、バルドが腕を組んで待っていた。
Cランク。
前に山道で会ったときより、顔色がましだ。
でも目は相変わらず険しい。
「今日から初層まで入る。……と言っても、奥まで来るなよ」
「分かってます。補給棚までです」
俺が言うと、バルドが鼻で笑った。
「分かってる、って言い方は好きだ」
「嫌味ですか」
「現場じゃ“分かってるつもり”が一番死ぬ」
バルドはそれだけ言って、洞の奥を顎で示した。
「ついて来い。本隊は前だ。……昨日みたいに“外で影が出る”なら、中が無事な保証はねえ」
ミリアが小声で呟く。
「つまり、入門ダンジョンは終わった、と」
「終わってない」
バルドが聞こえたみたいに言った。
「終わってないから面倒なんだよ。
“入門の顔”してるまま、牙が増えてる」
嫌な言い方だった。
◇
入口をくぐると、空気が変わる。
湿気が肌に張りつく。
壁の色が青黒く、薄暗い光を吸い込む。
俺は無意識に鼻で息をした。
(……薄い)
黒い匂いは、まだ濃くない。
だけど、“何もない匂い”じゃない。
初層外周。搬送路。
言葉にすると安全そうなのに、足元は滑りやすく、壁はひんやり冷たい。
洞の中は、外より静かなのに、外より落ち着かない。
「補給物資はここまでだ」
バルドが指差す。
壁際に木棚があり、石灰袋と封印札が積まれている。
すでに何度か運び込まれているのか、棚の木が湿気で膨らんでいた。
「置いたら戻る。戻るまでが仕事だ。いいな?」
「はい」
ノーラが頷き、カイが背負い籠を降ろす。
ロウは棚の周りを一度だけ見回した。
逃げ道の確認だ。
ミリアは、棚の端の石壁を見ていた。
「……これ」
彼女が指で示す。
石壁の目地。
そこに、薄い線が刻まれている。
魔法陣、ってほど大きくない。
でも、線の癖が――夜会地下で見たやつに似ていた。
「同系統……」
ミリアの声が低くなる。
バルドが不機嫌そうに言った。
「見んな。見るな。……余計なもんが頭に入る」
「余計じゃないわよ」
ミリアは言い返さず、ただ杖を握り直した。
俺は壁に顔を近づけた。
匂いは、まだ薄い。
だけど――
(ここ、息してる)
壁が呼吸するみたいに、湿気の流れがゆっくり動いている。
気のせいかもしれない。
気のせいであってほしい。
◇
「撤収!」
バルドの声で我に返る。
俺たちは荷物を置き、空の籠を背負い直して戻り始めた。
戻りの通路で、前方から金属音が響いた。
剣と爪がぶつかる音。
魔法の光が一瞬だけ壁を照らす。
本隊の戦闘だ。
俺たちは“戦闘域に入るな”と言われている。
でも、音は勝手に届く。
「……結構やってるな」
カイが小声で言った。
ノーラが盾を少し強く抱え直す。
「初層、だよね……?」
「初層だ」
バルドが吐き捨てる。
「だから厄介なんだ。ここで詰まったら、“初心者が詰む”ってことになる。
……上はそれを嫌がる」
「上、って」
ミリアが言いかけて、飲み込んだ。
聞かなくても分かる。
ギルドの上層。貴族。城塞。看板。面子。
そういうのが、洞の湿気より嫌にまとわりつく。
そのとき――俺の鼻が、ちくりと鳴った。
(来る)
匂いが動いた。
薄いのに、鋭い。
「止まって」
俺が言うと、全員が反射で止まった。
バルドが振り返る。
「何だ」
「……匂いが、変」
俺が言い終える前に、ミリアが杖を構えた。
「来るなら小さいやつ。入口線まで戻るわよ」
ロウが縄を手に取り、ノーラが盾を前に出す。
カイが石を握る。
――何も起きない。
壁も床も、普通のまま。
音は奥で続いているだけ。
「……気のせいか?」
カイが小声で言う。
俺は首を横に振った。
「気のせいじゃない。
でも、“まだ出てない”だけ」
自分で言って、嫌になった。
バルドが舌打ちする。
「……戻るぞ。今の話は、シルヴァに言え」
「はい」
俺たちは歩き出した。
歩き出した瞬間、背中側――さっきまで立っていた壁の目地が、ほんの一瞬だけぬらりと光った気がした。
振り返る前に、風が動いて匂いが散った。
見間違いだと言い聞かせるには、鼻が正直すぎる。
◇
入口詰所に戻ると、シルヴァがすぐに捕まえた。
「どうだった」
ミリアが先に言う。
「補給棚の壁に、線がある。夜会地下と似てる」
シルヴァの眉が深くなる。
「……やっぱり同系統か」
「それと」
俺が続けた。
「戻りの途中で、匂いが動きました。出てはないけど、動きだけ」
シルヴァは短く頷いた。
「分かった。記録する。……入口線を一段内側に引いたのは正解だ」
その言葉は、褒めじゃなかった。
“間に合ってない”の裏返しだった。
ちょうどそのとき、アルヴィンが紙束を抱えて通りかかった。
俺たちを見る。
見て、すぐ視線を外す。
でも、口だけが動いた。
「……本日から“搬送路当番”も記録に組み込みました。
勝手な判断は増やさないでください。お願いします」
丁寧に言った。
丁寧に言って、釘を刺した。
ミリアは何も言わなかった。
言う代わりに、俺の袖を軽く引いた。
「行こ。今日は終わり。明日も同じ場所に立つ」
「うん」
関係は変わらない。
でも、線の位置が変わった。
線が内側に引かれたってことは、俺たちが立つ場所が、昨日より危ないってことだ。
霧紺の洞の入口を見た。
紺色の湿気が、今日もゆっくり息をしている。
薄いのに、通したくない匂いが混じる。
そして俺は、確信に近い嫌な予感を抱いた。
――明日は、“まだ出てない”が、出るかもしれない。




