第5話 仮パーティとFランクの仲間たち②
◇
東区の裏路地は、朝でも薄暗かった。
建物と建物の隙間に、鉄格子付きの階段がぽっかりと口を開けている。
「ここが、第3排水路入口か……」
重そうな鉄格子には、ギルドの封蝋が押されていた。
依頼票を見せると、同行していた衛兵が鍵を開ける。
「中でどんな魔物に遭遇しても、責任は取れねえからな。
死なない程度に頑張れよ」
「励ましになってない……」
ロウがぼそっと呟く。
俺たちは順番に階段を降りていった。
下水の匂いが、鼻を刺す。
水音と、どこからか聞こえるネズミの足音。
「うわぁ……」
ノーラが小さく呻いた。
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫……です。たぶん」
大盾を抱えた腕が、少し震えていた。
ミリアが小さな光球をいくつか生み出し、通路の上に浮かせる。
「——『スモール・ライト』。
よし、これで前は見えるはず」
通路は、人一人と盾一枚がぎりぎり並べるくらいの幅だった。
一段低くなった中央に下水が流れ、その両側に細い足場が続いている。
「カイが前。ノーラがそのすぐ後ろ。
レオンは逆側の足場から、前衛の横。
私とロウはその後ろからの支援。そんな感じで行こうか」
ミリアが手短に陣形を決める。
こういうところの手際は、さすがだと思う。
「了解」
「お、おう」
カイが短剣を抜き、慎重に進む。
俺も反対側の足場に立ち、前方に意識を向けた。
(気配……)
下水のざわついた空気の中に、何か粘つくような気配が混じっている。
けれど、昨日の黒い染みほどの“敵意”は感じない。
「どう?」
ミリアが小声で訊いてくる。
「まだ、遠いです。でも……いくつか、いますね」
「さすが。私には臭いしかわからない」
ミリアが鼻をつまむ。
ロウも同じように顔をしかめていた。
「神さまは、下水の臭いまでは何とかしてくれないんだよな……」
◇
少し進んだところで、最初のスライムが姿を現した。
「いた」
カイが短く告げる。
通路の真ん中、下水の上にぷかぷかと浮いている半透明の塊。
「普通のスライムっぽいな」
見た目は、村でも見たことのあるタイプに近い。
核らしきものは、うっすらと白っぽい。
「このくらいなら——」
カイが軽く飛び出す。
片足で水路の石の縁を蹴り、短剣を突き出す。
ぶち、と音がして、スライムはあっけなく弾けた。
「よし、一体」
「へぇ」
ミリアが感心したように声を漏らす。
「やるじゃん、カイ」
「だろ?」
カイが得意げに短剣を払う。
スライムの残骸は、すぐに下水に流されていった。
「今のやつは、普通でしたね」
「問題は、“普通じゃない”のがどれくらいいるか、だな」
ロウが呟いた通り、その答えはすぐに出た。
◇
三つ目の角を曲がったところで、複数の気配が一度に押し寄せてきた。
胸の奥が、ぞわりとする。
「止まってください」
思わず声が出た。
カイが足を止める。
「どうした?」
「前方……三体。スライムっぽいですが、その後ろに、もう少し嫌な気配が」
「嫌な、って?」
「昨日の黒いやつに近い感じです」
ミリアの表情が引き締まる。
「カイ、前方確認だけ。突っ込まないで」
「了解」
カイがそっと角から顔を出す。
すぐに戻ってきた。
「スライム三体、確定。
色が……ちょっと濃いかも。紫がかってる。
それと、そいつらの後ろの壁、なんか黒ずんでる」
「やっぱりか」
ミリアが小さく舌打ちする。
「ノーラは前に出て。スライムが飛びかかってきたら、盾で弾く。
レオンは、その横から核を狙って」
「わかりました」
「私は様子見で小さめの火球。ロウは、誰かが怪我したらすぐ回復」
「了解」
陣形を整え、一斉に角を曲がる。
そこには、たしかに三体のスライムがいた。
どれも、普通より色が濃く、体の中に黒い筋が走っている。
「ギ、ギギ……」
ぬらりと動いた瞬間、俺の背筋に冷たいものが走った。
(速い)
次の瞬間、一体が飛びかかってきた。
「ノーラ!」
「は、はいっ!」
ノーラが大盾を構え直し、前に突き出す。
スライムがドン、とぶつかり、盾の表面を滑り落ちた。
「『フレイム・ボルト』!」
ミリアの火球が、落ちてくるスライムを撃ち抜く。
蒸発とまではいかないが、体の一部が焼け、動きが鈍った。
「今です」
俺は一歩踏み出し、焼けた部分に剣を差し込む。
核の硬い感触を確かめ、そのまま叩き割った。
「一体!」
残る二体が、分裂するように広がってくる。
片方はノーラの方へ、もう片方は俺の足場へ。
「こっちは任せろ!」
カイが、ノーラの前に飛び出したスライムに向けて短剣を投げる。
短剣がスライムの核を正確に貫いた。
「レオン!」
「はい」
俺の足場に飛びかかってきたスライムが、予想以上の速度で懐に突っ込んできた。
普通なら避けきれない距離。
だが、足が勝手に動いた。
半歩だけ下がり、剣を斜めに構える。
スライムの体が刃に触れた瞬間、手首を返して撫で斬りにする。
中身が飛び散る前に、核だけを叩き割った。
「……ふう」
「おいおい、なんだその動き」
カイが目を丸くする。
「普通、あの距離から避けられねえぞ。
お前、本当にFランクか?」
「Fランクですよ。昨日登録しました」
「そこが問題なんだよ!」
カイとミリアのツッコミが揃う。
ロウは呆れたように肩をすくめた。
「……まあ、生きて帰れるなら文句はないけど」
◇
スライムたちがいた場所の壁は、たしかに黒ずんでいた。
昨日空き地で見た地面と同じように、触ると固く、乾いている。
「ここも、何かが滲み出た跡か」
俺が壁に手を当てると、胸の奥がまたざわついた。
(ここから、何かが……)
視線を下に滑らせる。
黒ずんだ壁の下、足元の端に、小さな何かが引っかかっていた。
「……これは」
そっと拾い上げる。
小さな木の板——いや、木の動物の形をしたおもちゃだった。
片耳が少し欠けた、木の犬。
首には、青い布が巻かれている。
「それ、もしかして——」
ミリアが目を見開く。
「雑貨屋の店先で見たやつに似てる。
“お手製のおもちゃ”って、リオのお母さんが言ってた」
「リオ君の……?」
胸がきゅっと締め付けられる。
おもちゃの木の表面には、小さな指で握りしめた跡が、かすかに残っていた。
「ここに、来てたんだな」
ロウが静かに呟く。
「空き地から、どこかを経由して、この下水まで。
その途中で、例の黒い何かに——」
「連れていかれた、って可能性もある」
ミリアの声が、少しだけ震えている。
「おい」
カイが壁の黒ずんだ部分を指さした。
「これ、ちょっと前に見たやつに似てる」
「見た?」
「そう。下水じゃなくて、もっと上の通路で。
拭き取られた後なのか、薄くしか残ってなかったけど……
その近くで、ネズミとか猫の死骸が、変な干からび方してた」
昨日のゴブリンを思い出す。
黒い染みに触れた瞬間、一気に干からびた体。
「やっぱり、繋がってるのね」
ミリアが小さく舌打ちする。
「リオの足跡が消えた空き地にも、同じような跡があった。
下水にもある。
黒いスライムみたいなのもいる」
「黒い“何か”が、街のあちこちから、じわじわと上がってきてるってことか」
ロウの言葉に、誰もすぐには返せなかった。
◇
「とりあえず、今日の依頼の範囲で行けるのはここまでだ」
少し先には、鉄格子の扉があり、鍵がかけられていた。
衛兵から渡された地図にも、“この先は許可者のみ”と書かれている。
「ここより先は、上位ランクか、専用の調査隊しか入れない。
FとEだけじゃ、勝手に進んだら怒られる」
「……わかってます」
行きたい気持ちはあった。
でも、今、ここで無理をして全滅したら、それこそ何も守れない。
俺たちは、依頼の目的だった“第3排水路のスライム数確認と駆除”を一通り済ませ、地上へ戻ることにした。
◇
ギルドに戻ると、リサが心配そうな顔で迎えてくれた。
「お帰りなさい。みなさん、ご無事で何よりです」
「スライム、ちょっと増えてたな」
カイが報告書の方を指しながら言う。
「普通のが十体くらい。
色の濃いのが三体。
壁に黒ずみあり、ってことで」
「わかりました。こちらでまとめて衛生管理局に提出しますね」
リサが手際よくメモを取りながら、俺の手元にある木の犬を見つけて目を丸くした。
「それは……?」
「リオ君のおもちゃ、だと思います」
俺が答えると、ギルド内の空気が少しだけ変わった。
近くにいた冒険者たちが、ちらちらとこちらを見る。
「第3排水路の、黒ずんだ壁の近くに落ちてました。
リオ君がそこまで来ていた可能性が高いです」
「……そうですか」
リサは、ほんの一瞬だけ表情を曇らせると、すぐに書類に追記した。
「この情報も、すぐに衛兵と共有します。
雑貨屋の方にも、ギルドから伝えておきますね」
「俺たちから、直接届けに行ってもいいですか?」
気づけば、そう口にしていた。
「レオン?」
「おもちゃを見つけたことくらい、俺たちから伝えたいです。
“ここまで来ていた”ってだけでも、知ってほしいので」
リサは少し驚いたように目を瞬かせ、それから微笑んだ。
「……わかりました。では、こちらの報告書の写しを持っていってください。
お母さんも、きっと少しは安心するはずです」
「安心……かどうかは、わからないけどね」
ミリアが小さく呟く。
それでも——
「何もわからないよりは、マシです」
俺は木の犬を握り直した。
◇
雑貨屋の前に立つと、昨日よりも店先が寂しく見えた。
おもちゃの並びが、少し崩れている。
「あの……」
店に入ると、カウンターの奥からお母さんが顔を出した。
目の下には、くっきりとした隈ができている。
「冒険者ギルドから来ました。
昨日の捜索依頼で——」
言いかけて、俺は木の犬をそっと差し出した。
「これを、下水の中で見つけました」
お母さんの目が、一瞬で見開かれる。
「それ……リオの……」
震える手で、おもちゃを受け取る。
指先が、木の傷跡をなぞった。
「リオ、いつもこれ握りしめてて……
“犬のぽん太”って名前つけて……」
声が、途中で途切れた。
涙が、ぽろぽろと零れ落ちる。
「ここまで、来ていました」
俺はゆっくりと言葉を選ぶ。
「空き地から、どこかを通って、下水まで。
まだ、どこにいるかまではわかりません。
でも——リオ君は、途中までは自分の足で来ていたはずです」
「歩いて……来てた……?」
「はい。引きずられた跡はありませんでした。
だから、何かを追いかけていったのか、自分の意思で——」
お母さんは、木の犬を胸に抱きしめた。
「……ありがと、う……ございます」
かすれた声で、それでもはっきりと。
「見つけて……くれて……教えてくれて……
それだけでも……少し、安心……しました」
安心、という言葉を、やっと口にできたような表情だった。
「必ず、見つけます」
口が、勝手に動いた。
「いつになるかは、わかりません。
でも、街の中で何かあったら、必ず動きます。
俺たちは——冒険者ですから」
ミリアが横で、小さく頷いた。
「ギルドにも、ちゃんと言ってあります。
調査隊も動くはずですし、私たちも、他の依頼の合間に探し続けます」
「本当に……ありがとう……」
お母さんは、俺たちに何度も頭を下げた。
◇
店を出て、しばらく無言で歩いた。
夕方の陽が、街を赤く染めている。
「……勝手な約束、しちゃいましたね」
「ううん。あれでよかったと思う」
ミリアが、少しだけ笑った。
「“必ず見つける”なんて、本当は言い切れない。
でも、それでも言ってくれる冒険者が、一人くらいいてもいいでしょ」
「……はい」
胸の奥に、小さな重さと、小さな火が宿るのを感じた。
「それにね」
ミリアが空を見上げる。
「あんたなら、本当に見つけそうな気がするんだよね。
変な気配に好かれてるし」
「最後の一言いります?」
「いる。大事」
カイたちとの合同パーティでの下水探索。
黒ずんだ壁、変異したスライム、リオの“犬のリオ”。
全部が、ひとつの線になるには、まだ時間がかかるかもしれない。
それでも——
Fランク冒険者として、目の前の依頼と、街の“嫌な気配”の両方に向き合っていく。
《仮)レオン=ミリア隊》の本当の仕事は、たぶんそこから始まるのだろう。
そう思いながら、俺は剣の柄にそっと手を添えた。
Fランクがみんな弱いと思っている人たちに、届くくらいの力を——
いつか、ちゃんと証明できるように。




