第48話 入口検疫補助と、押収品の影
第3章の始まり。
翌朝、ギルドの掲示板の前は――いつもより人が多かった。
依頼札が増えたわけじゃない。
“同じ札を見上げる顔”が増えている。
誰も大声では言わない。
けれど空気は、昨日の山道の件を引きずっていた。
黒い輪。
人に張り付いて、街に“持ち込ませる”やり方。
あれを見たあとだと、どんな依頼札も少しだけ薄気味悪く見える。
「レオンくん、ミリアさん。二階、呼ばれてます」
受付のリサが、ぱたぱたと帳簿を閉じて言った。
「例の件で、ですね」
「はい。たぶん“入口”の話です」
◇
小会議室には、エドガーとシルヴァ、それから騎士団のガレスがいた。
机の上には、黒い輪の欠片(銀皿の上)と、霧紺の洞の簡易地図。
「昨日の件でな」
ガレスが、地図の“入口”あたりを指で叩く。
「霧紺の洞の入口に、臨時の検疫所を作る。今日から稼働だ」
「検疫……」
ミリアが眉を上げる。
「帰還者と荷物のチェックってことですか?」
「そうだ」
エドガーが頷いた。
「“洞から街に戻るもの”が、全部危険になり得る。だから入口で止める」
シルヴァが続ける。
「黒い石、黒い輪、黒い瘴気。どれも“混ざってたらアウト”。
……で、困ったことに、混ざってるかどうかは目で見ても分からない場合がある」
視線が、自然とこっちに向いた。
「レオン。鼻、頼む」
「鼻が頼りにされる日が来るとは」
「もう来てるよ。昨日も今日も」
ミリアがあっさり言った。
「……ただ」
エドガーが一拍置く。
「洞の中に入るのは基本C以上だ。
Fは入口の線。検疫所の内と外を分ける」
“内と外”。
洞の中へ行くんじゃない。
洞の入口に作られる線の話だ。
「だから今日は、正式に依頼として出す」
机の上に、リサが持ってきた札が置かれる。
——【霧紺の洞・入口検疫補助】——
依頼主:トラヴィス冒険者ギルド/城塞騎士団
内容:霧紺の洞入口の臨時検疫所にて、帰還者・荷物の検疫補助。
黒い石・黒い輪・異常な瘴気が疑われる場合は隔離し、上位班へ報告。
危険を感じた場合は追跡・深入りをせず、検疫線の維持を優先すること。
条件:F〜Eランク(複数人)
———————————————
「これ、札だけ見ると“雑用”っぽいですけど」
カイが札を覗き込む。
「昨日の続きって考えると、普通に怖いやつだよな」
「怖いからFに回る、って構図が見えるのも怖いわね」
ミリアが小声で言って、すぐ息を吐いた。
「……でも、受ける。受けるしかない」
「うん」
ノーラが盾のベルトを握る。
「入口で止めないと、街が危ない」
ロウも短く頷いた。
「線が崩れたら終わりだ」
エドガーは、俺たちの顔を順に見た。
「頼む。
“入口で止める”のは派手な仕事じゃない。だが、派手な仕事より大事なことがある」
「はい」
俺はそう答えて、札を取った。
◇
霧紺の洞の入口は、街から半日もかからない。
なのに空気が違う。
風が冷たい。湿っている。
土と石の匂いの奥に、薄く“霧”の匂いが混じる。
入口前には臨時の柵とテント。
騎士団の詰所。ギルドの調査机。
出入りする冒険者の列。
「……なんか、戦場前の野営地みたいですね」
カイが口笛を吹く。
「入門ダンジョンの入口とは思えない」
「“入門”って言葉が、今日から軽くなるわね」
ミリアが笑わずに言った。
ガレスがこちらへ歩いてくる。
「検疫線はここだ。帰還者と荷物は柵の内側で止める。
怪しいものは隔離テントへ。
Fは“入口線”を維持しろ。……余計な英雄ごっこはするなよ?」
「はい」
それが一番難しい。
◇
昼前。
帰還者の列が途切れた頃、今度は“荷物だけ”が運び込まれてきた。
「回収品だ。洞の入口近くで拾ったものも混ざってる」
騎士が言う。
木箱が二つ。布袋が三つ。
どれも汚れていて、湿っている。
「……匂い」
鼻が、ちくり、とした。
黒い石そのものの濃さじゃない。
でも、確実に“同系統”が混ざっている。
「この布袋」
俺が指すと、ミリアがすぐに頷いた。
「隔離。開けるのはここじゃない」
「はいはい、隔離テントね」
カイが肩をすくめて、布袋を持ち上げた――瞬間。
袋の口が、勝手にきし、と動いた。
「……え?」
次の瞬間、袋の隙間から黒い影が跳ねた。
小さい。
でも速い。
鼠――いや、“鼠の形をした影”だ。
「影ネズミ……!」
ミリアの声が一段低くなる。
影ネズミは三匹、四匹、五匹。
袋から溢れて、柵の外――つまり街の方向へ走ろうとする。
「ノーラ!」
「うん!」
ノーラが盾を地面に立て、逃げ道を塞ぐ。
それだけで“線”ができる。
影ネズミは盾にぶつからない。
けれど盾の縁を回り込もうとして――
「ロウ!」
ロウが一歩、前へ。縄が空を切る。
影を“縛る”みたいに絡め取り、地面へ落とした。
ただし落ちても、影は潰れない。
じゅる、と広がろうとする。
「カイ、踏むな! 踏んだら靴に染みる!」
「うわ、最悪!」
カイは踏むのをやめて、代わりに石を投げつけた。
影が揺らぐ。形が崩れる。
「ミリア!」
「分かってる!」
ミリアの杖先が光る。
「ライト・ピン!」
白い針の光が、影ネズミの“頭”の位置――いや、核みたいな場所に刺さった。
影が、きゅ、と縮む。
残りの影ネズミも、同じように光で止められていく。
……でも、一匹だけ。
一番小さいやつが、盾の影をすり抜けて、地面を滑った。
街へ。
(通すな)
足が勝手に動く。
剣じゃない。
短剣を抜く暇すら惜しい。
腰の石灰袋を掴み、地面へ叩きつける。
白い粉が舞った。
影ネズミが、びく、と止まる。
そこに、ロウの縄が落ちた。
締めるんじゃない。
“輪郭”を固定するだけ。
ミリアの光が最後に刺さり、影がほどける。
「……止まった」
ノーラが息を吐く。
盾の前には、黒いシミみたいなものだけが残った。
「ねえ、これ……“入口の外”だよね?」
カイが笑えない顔で言う。
「洞の中じゃない。
なのに、これが出た」
「そうね」
ミリアが布袋を睨む。
(“安全なはずの場所で起きた”ってことが問題なのよ)
俺は、袋の結び目を見る。
見覚えのある結び方だった。
なくし物通りの布袋に、似ている。
(……また線が繋がってる)
そのとき。
「……ワン」
短い鳴き声。
黒い犬の影が、隔離テントの陰に一瞬だけ現れた。
黒いシミに鼻先を近づけ、ひと舐めして――消えた。
回収。
まるで、最初からそういう役割だと言わんばかりに。
◇
夕方。
隔離テントで、シルヴァが布袋を調べていた。
「影ネズミか……」
彼は眉間に皺を寄せたまま記録板に「入口検疫」「押収品」「影ネズミ発生」と書き込む。
「小さいけど、嫌な発生だね。
“洞の外”でこれが起きるのは、運用側からすると最悪に近い」
「最悪、ですか」
「入口の線が、もう揺れてるってことだから」
シルヴァは袋の結び目を見て、ふっと息を吐いた。
「……結び方、これ。盗賊ルートの布袋に似てる」
ミリアの目が鋭くなる。
「やっぱり繋がってるんだ」
「断言はできない。けど、匂いは嘘をつかないだろ?」
シルヴァの視線が、俺に向く。
「レオン。今日のは、どんな匂いだった」
「薄いです。でも……“通していい匂い”じゃなかった」
「十分だ」
シルヴァは頷いた。
「今日は入口で止められた。
でも、いつまで入口で止め続けられるか――」
洞の暗い入口を見た。
「入口は逃げない。
逃げないぶん、逃げ場もない」
外に出ると、夕暮れの霧が薄く漂っていた。
紺色の霧の向こうで、何かが“呼吸”している気がする。
そして、どこかで――
「……ワン」
聞こえた気がした。
確かめる前に風が向きを変え、匂いは消えた。
俺は、また入口の線へ戻った。
第3章の始まりです!




