第43話 貴族夜会と、通用口のFランク①
あっという間に、夜会当日になった。
朝からギルドの空気が、いつもよりちょっとだけ固い。
依頼掲示板の方じゃなくて、二階の方に人がよく出入りしている。
「Fランクなのに、貴族夜会なんて聞くと緊張するね」
ミリアが、腰のベルトを締めながら言った。
「しかも、正面じゃなくて通用口ですからね」
「“通用口だからこそ”、仕事があるのよ。
さ、行くわよ、通用口Fランク一行」
「なんですかその肩書き」
そんなやり取りをしつつ、装備を整える。
鎧はいつもより少し抑えめ。
でも、動きやすさ重視。
“使用人に紛れてもそこまで浮かない”くらいを狙った服装だ。
◇
夕暮れの貴族街は、いつもより明るかった。
夜会が開かれるヴァーロン子爵家の屋敷には、
すでに馬車が何台も着いている。
門の前には、洒落た服の人たちと、きっちりした鎧の騎士たち。
「こっちだ、Fランク諸君」
通用口側で待っていたのは、執務官のデルトだった。
「今夜も裏方をお願いする。
——こちらが、通用口から使用人廊下にかけての見取り図だ」
デルトが、簡単な図を広げる。
「君たちには、
・通用口
・使用人階段
・地下物置への階段
この三か所を中心に見張ってほしい」
「地下物置、ですか」
ロウが、図の端を指で叩く。
「そこに、何か?」
「“黒い物”は、全部ギルドに預けてある。
少なくとも、うちの倉庫にはもう残っていない。
だが——」
デルトは、少し言いにくそうに続けた。
「前回、黒い指輪を盗まれた伯爵家以外にも、
“似たような物”をこっそり持っている家は、まだある」
それは、まあ、そうだろう。
「今夜の夜会には、“危なそうな品を持ってきて、まとめて預ける”という話もある。
道中で狙われないように警備はしているが、
“中でこっそり何かされる”可能性もゼロではない」
「中で、ですか」
「本会場の方は、騎士団と上位ランクが見張る。
君たちはその周り——“裏方の線”を見ていてくれ」
「了解です」
いつもの“線のこちら側”だ。
◇
配置は、いつも通りバランス重視になった。
通用口の手前にノーラ。
使用人階段の前にロウ。
通路の角の物陰にカイ。
地下物置へ下りる階段の前に、俺。
ミリアは全体を見渡せる位置。
「黒い匂いがしたら、合図して」
「はい。
逆に、“石の匂いが一切しないはずの場所”から変な匂いがしたら、それも」
「それ、最近パターン化してきたわね……」
ミリアが苦笑する。
通用口から、人の出入りが続く。
料理を運ぶ使用人たち。
楽団の一行。
警備の兵士。
鼻をひくつかせる。
香辛料の匂い、焼いた肉の匂い、酒の匂い。
緊張した汗の匂い。
瘴気の匂いは——今のところ、感じない。
◇
夜会が始まると、屋敷全体が少し浮ついた空気になった。
使用人廊下を行き来する足音も、どこか軽い。
「中、見えます?」
俺は、扉の隙間からちらりと覗いた。
広間には、見覚えのある顔もいくつかあった。
ユークリッド伯爵とリネア。
例の“指輪男”もいる。
他にも、貴族街で噂を聞いたことのある家の紋章がいくつも。
音楽と笑い声。
その奥に、もう一つ、小さな会議室の扉がある。
「あっちが、“本題の話”する場所ね」
ミリアが、小声で言う。
「“危ない小物の扱いをどうするか”の」
「こっちは、“その前後で何かやらかす連中”を見る方ですね」
「そういうこと」
◇
しばらくは、何も起きなかった。
ただ、人が行き来して、酒と料理が運ばれ、
笑い声と音楽が続く。
途中で一度、リネアが使用人廊下側から顔を出した。
「レオン」
こっそり手を振る。
「ちゃんと隅っこにいる?」
「隅っこを守ってます」
「えらいわ。
今度、ちゃんとしたお茶会にも呼んであげる」
「“裏方じゃない方”ですか?」
「検討しておくわ」
そこへ、すかさずグレイソンが現れて、
リネアの肩を軽く押して戻していった。
「今はお仕事中ですので」
「いつもタイミングが絶妙ですね、あの執事さん」
「有能な人は、だいたいタイミングがいいのよ」
妙に納得してしまった。
◇
夜も深くなりかけた頃だった。
(……ん?)
鼻の奥に、ぴり、とした感覚が走る。
さっきまでと違う匂い。
古井戸の匂いに似ているが、もっと薄く、乾いている。
「ミリア」
「来た?」
「少しだけ、ですけど」
匂いの方向を探る。
(上から、じゃない。
下から——)
「地下の方です」
俺は、地下物置への階段に目を向けた。
さっきまで、人の出入りはほとんどなかった。
今は——階段の上に、微かな影がある。
誰かが、下から上がってくる。
足音は、静かすぎる。
普通の使用人なら、もっとバタバタしているはずだ。
「ノーラ、通用口一瞬見といて」
ミリアが素早く指示を飛ばす。
「ロウとカイは階段に寄って。
レオンは、そのまま待機」
「はい」
階段を上がってきたのは、二人組だった。
使用人服。
そのうち先頭の、細身でメガネをかけた男がトレイを持っている。
でも——匂いが違う。
(酒と料理の匂いの奥に、鉄と油と……
血の臭いが少し)
戦い慣れた人間の匂いだ。
「お疲れさまです」
俺は、できるだけ自然な声で言った。
「通路、通ります?」
「ええ、少し急いでいるので」
メガネの男が、にこりともせずに答える。
「本会場への追加分です。
——ここ、通してもらえませんか」
「その前に一つだけ、確認を」
俺は、一歩だけ前に出た。
「それ、本会場のどのテーブル行きですか?
さっき、別の便が通ったはずなんですけど」
一瞬、男の目が細くなる。
「……そんな細かいこと、Fランクの皆さんには関係ないでしょう?」
メガネの奥で、冷たい光が揺れた。
「少し急いでいるので早くしてもらえませんか。
Fランクの皆さんにはわからないと思うのですが、これは大事な仕事なんですよ」
(“Fランクの皆さん”……)
ミリアが、横で小さく息を呑むのが分かった。
「そうかもしれませんけど」
俺は、できるだけ穏やかに続ける。
「でも、“通用口から本会場に直接運ばない”って決まりは、
Fランクにもちゃんと説明されてるんですよ。
いったん控えに回して確認してから、って」
「……そんな取り決め、こちらは聞いてませんがね」
男の口調に、わずかに棘が混ざった。
「上の方から“直接持ってこい”と言われているんです。
細かい段取りは、ギルドと騎士団の方で勝手にやってくださいよ。
Fランクが口を挟む話じゃないでしょう?」
「Fだからこそ、言われた通りにしないと怒られるんです」
これは本音だ。
「もし手違いだったら、あとで責任取るのは俺たちですから」
「責任、ねえ」
男が、鼻で笑った。
「Fの責任なんて、“札ひとつ減らされて終わり”でしょうが。
どいつもこいつも、上の都合よく使われてるのに、気づきもしやしない」
(……)
ミリアが、さっと目を細める。
「変ね」
低い声だった。
「ギルドの札の話なんて、
屋敷の中の人がそこまで詳しく知ってるものかしら?」
「うちの使用人たち、ギルドの仕組みにそこまで明るかったかしらねえ」
ロウも、壁に寄りかかったままぼそっと言う。
「俺たちがFってことも、
どこで聞いたんだ?」
「その安っぽい装備と、
通用口に立たされてる時点で分かりますよ」
メガネの男が、今度はあからさまに口角を歪めた。
「上の連中は偉そうな札ばっか刻んで、
危ない現場は、ぜ〜んぶFに回す。
——滑稽じゃありません?」
言葉はまだ“使用人”の体裁を保っている。
でも、目だけは完全に笑っていなかった。
(もう、十分怪しいな)
そう思った瞬間——男が、トレイを前に押し出した。
銀色の蓋が、こちらに向かって倒れてくる。
視界を覆う形だ。
(あ、目隠し)
トレイの裏に、血と金属の匂い。
俺は、足元を見た。
先に動いたのは、足だ。
一歩、右に。
床の感触で、男の重心の位置を読む。
銀の蓋が視界をかすめる。
その向こうから、短剣の光。
刃が通る前に、腕を取る。
「っな——」
男の手首を、できるだけ優しくひねる。
力を入れすぎると折れるから、そこだけ気をつける。
短剣が、床に落ちた。
「カイ!」
「はいよ!」
カイが、もう一人の男の腰に飛びつく。
木剣が、背中の何か硬いもの——隠していた短剣の柄を叩いた。
金属音。
男の腕が痺れて、もう一本の短剣が転げ落ちる。
「くそっ……!」
「ここまでです」
ノーラが、いつの間にか通用口から戻ってきていて、
盾で二人の前を塞いだ。
「この先に通す許可は、出ていません」
「てめえら……」
俺に腕を押さえられた男が、低く唸る。
「Fのくせに……そんなに本気で守って、何になる」
「何になるかは、あとで考えます」
本気でそう思った。
「今は、“ここを通さない”ことだけです」
「縄、持ってきた」
ロウが駆け寄り、二人の手首に素早く縄をかける。
男たちは、床に座らされたまま、こちらを睨み上げた。
「笑えるよな」
さっきのメガネの男が、わざとらしく肩をすくめる。
「上でふんぞり返ってる連中は安全なとこで札ばっか刻んで、
危ない夜番やら押収品やらは、ぜ〜んぶFに回してよ。
——俺ら盗賊と、“扱い”変わんねえぞ?」
「自分で言っちゃうんですね、“盗賊”って」
ミリアが、眉をひそめた。
「今のは、黙っといた方がまだマシだったわよ?」
「どうせ騎士団に渡されりゃ、バレるこった」
男は、口角だけで笑った。
「捨て駒同士、仲良くやろうぜ。
お前らはギルドに捨てられる。
俺たちは“先生”に捨てられる。
違いがあるとしたらよ——
捨てられる前に、どんだけ好き勝手できたか、くらいだ」
「その話の続きは、
ギルドでゆっくり聞きます」
ロウが淡々と言って、縄を引いた。
男は舌打ちしながらも、それ以上は何も言わなかった。




