第42話 不穏な夢と、貴族街からの招待②
◇
「夜会は三日後だ」
ガレスがまとめる。
「それまで、君たちには通常業務をこなしつつ、
“黒い噂”に耳を澄ませてほしい」
「黒い噂?」
「貴族街、なくし物通り、下町。
どこででも構わん。
“黒い石”“変な夢”“妙に安いお守り”——
そういった話を聞いたら、すぐにギルドに上げろ」
「“観察依頼”ってやつですね」
ノーラが言う。
「聞き取りと記録。
得意分野です」
「そうだな」
シルヴァが頷いた。
「君たちの観察依頼の達成件数は、
ギルドの中でも頭ひとつ抜けている」
「もう少し、頭ひとつ抜けていいのは戦闘力の方だと思うんですが」
「戦闘力も抜けてるから厄介なのよ、君は」
ミリアがため息をついた。
◇
会議が終わり、階段を降りていく途中で、
ふと一階の隅から聞き捨てならない単語が耳に入った。
「——またFかよ」
「しょうがねえだろ、“貴族が嫌がらない顔ぶれ”って条件なんだから」
中堅どころの冒険者たちだ。
E〜Dくらいだろうか。
「夜会の裏方、Fに回すってどうよ。
俺たちだって、貴族街の仕事してえのに」
「あっちはあっちで、面倒な注文が多いんだぞ」
「でもよ、報告書には“中堅以上の冒険者の協力もあった”って書かれるんだろ。
Fはまた、“協力のFたち”でまとめられてさ」
「それは……まあ、そうかもな」
苦笑まじりの声。
ミリアが、ちらりと俺の方を見た。
「気になる?」
「……半分くらいは」
正直に答える。
「“貴族の仕事やりたい”って気持ちは分かりますけど。
報告書の扱いについては、もう慣れてきましたし」
「慣れてほしくないんだけどね、本当は」
ミリアは苦笑した。
「“慣れてるならFに回しとけ”って話になりかねないから」
その辺りの線引きは、たぶん今後の問題だ。
◇
午後は、依頼掲示板の前で情報収集をした。
——【洗濯物の見張り】
——【荷物運び】
——【なくし物通り周辺の見回り】
いつものような、Fランク向けの依頼が並んでいる。
「この辺から、“黒い噂”に繋がりそうなものは……」
「“最近夢見が悪い家の掃除”ってのは、怪しさあるわね」
ミリアが、紙を一枚指で弾いた。
——【夢見の悪い家の掃除】——
依頼主:南区・二階建て長屋の住民一同
内容:家の中の片づけと窓の立て付け確認。
夜になると“変な気配”がするとのことで、
その原因になりそうな場所の確認もお願いしたい。
条件:Fランク
———————————————
「“変な気配”って、またざっくりした表現ですね」
「匂い係、出番よ」
「匂い係って公認になりましたね、完全に」
結局、その掃除依頼と、
“なくし物通り周辺の見回り”をセットで受けることにした。
◇
夢見の悪い家は、南区の細い路地の奥にあった。
木造二階建ての長屋。
壁は少し黒ずんでいて、窓の枠も歪んでいる。
「いらっしゃい、冒険者さん」
出迎えたのは、腰の曲がったおばあさんだった。
「いやねえ、最近、夜になると変な気配がしてさ。
若い子らが怖がるもんだから」
「変な気配、というのは?」
「誰もいないのに、階段を上がる足音が聞こえたり。
窓の外を何かが通ったり。
夢見も悪くてねえ」
「黒い犬、見ました?」
ミリアがストレートに切り込むと、おばあさんは首を傾げた。
「犬は見てないねえ。
でも、窓の外を通る影は、犬にしちゃ高い気がしたよ」
「人の高さ、ですか?」
「そうだねえ。
でも、人にしちゃ、音がしない。
そんな感じさ」
人の高さの影で、音がしない。
影抜き側の気配かもしれない。
(……)
家の中を一通り見て回る。
ほこりっぽい匂い、古い木の匂い。
夜になれば、風が抜けて音がするだろう場所もいくつかあった。
でも——瘴気の匂いは、薄い。
「“ここが本命”って感じではないですね」
ロウが肩をすくめる。
「窓の立て付けを直して、隙間風を減らすだけでも、だいぶ違いそうです」
「ついでに、変な飾りとか、“どこで買ったか分からないお守り”がないかどうかも見るわよ」
ミリアが棚をチェックする。
古びた人形。
欠けた壺。
色あせた布。
どれも、特に黒い気配はない。
「ここは、“噂の伝染”で不安になってるだけかもね」
「それはそれで、大事な情報ですけど」
「ええ、“黒い何か”が実際に入り込んでる場所と、
ただ噂に怯えてるだけの場所は、分けておく必要があるから」
おばあさんに、窓の隙間の直し方と、
夜に布を下ろしておく方法を教える。
「夢見がどうしても悪いときは、そのときだけギルドに相談してください。
“夢の相談”も、一応受け付けてますから」
「夢まで見てくれるのかい、今のギルドは」
おばあさんが、感心したように笑った。
◇
帰り道、“なくし物通り”の入口で、妙な声を聞いた。
「ねえ、おにいさん。
この石、見てかない?」
路地の端の簡易露店で、若い女が小さな布を広げている。
布の上には、色とりどりの石。
その中に、ひとつだけ——
曇った黒い石の飾りが混ざっていた。
「“悪夢よけのお守り”だよ。
最近、よく眠れない人が多いからね」
(……)
鼻をひくつかせる。
その石からは、うっすらと古井戸の匂いがした。
「すみません」
俺は、女に向き直る。
「その黒い石、どこで仕入れたんですか?」
「え?」
女は一瞬戸惑ったが、すぐに笑顔を作った。
「山の方から来た行商人からさ。
“霧の出る谷の石”だって言ってたよ」
「霧の出る谷」
ミリアの顔が、目に見えて険しくなる。
「霧紺の洞の近く、って意味かしらね」
「ちょっと、その石見せてもらっていいですか?」
「見るのはタダだよ」
女が黒い石を指先でつまみ上げる。
それを、俺はできるだけ慎重に受け取った。
指先に、ひやりとした感触。
(……これ)
古井戸の石や、ユークリッド家の倉庫の袋ほどではない。
でも、同じ系統の匂いがする。
「いくらですか?」
「値切らないなら、銀貨一枚」
「高いですね」
「“よく眠れるようになる石”だよ?
それくらいの価値はあるさ」
女の目が、少しだけ鋭くなった。
(これは、“ただのお守り売り”じゃないな)
「買います」
俺は、素直に銀貨を出した。
「えっ」
ミリアが小さく声を上げる。
「レオン、ここで買うの?」
「“どこから来て、どこに行ったか”をはっきりさせた方がいいですし。
あとで、ギルドに持っていきましょう」
「お兄さん、話が分かるねえ」
女は、にこりと笑った。
「他にも欲しくなったら、またここに——」
「ここには、もう出さない方がいいですよ」
俺は、わざと軽い調子で言った。
「黒い石は、最近いろいろ噂になってますから。
“ギルドが回収するかもしれない”って」
女の笑顔が、ほんの一瞬だけ固まった。
「……そうかい」
「そうなんですよ。
だから、山の方の行商人さんにも、
“ギルドに一度見せた方がいい”って伝えてくれると助かります」
女はしばらく俺の顔を見ていたが、
やがて肩をすくめた。
「善処するよ、お兄さん」
その声には、あまり気持ちがこもっていなかった。
◇
ギルドに戻り、黒い石のお守りをそのままシルヴァに渡す。
「“霧の出る谷の石”ね」
シルヴァが、石をひっくり返しながら言った。
「霧紺の洞周辺の物である可能性は高い。
形からして、“本命”というよりは“小分けの欠片”だけど」
「小分けでこれ、ですか」
「本体はもっと面倒なんだろうね」
シルヴァは石を布に包む。
「これは隔離庫行き。
さっきの女の露店については、“なくし物通りの巡回ついでに”目を光らせておく」
「行商人の話も?」
「もちろんだ。
霧紺の洞の調査隊にも情報を回しておく」
そう言って、シルヴァは記録板に何行か書き足した。
「——そうそう。
さっき、貴族街から正式な招待状が届いたよ」
「招待状?」
「君たち、《仮)レオン=ミリア隊》宛てだ」
シルヴァが、一枚の封筒を差し出す。
上質な紙に、貴族街の紋章。
中を開くと、丁寧な字でこう書いてあった。
『先日の黒い指輪騒ぎに際し、
当家ならびに貴族街の住民一同、
貴殿らFランク冒険者の迅速な働きに深く感謝する。
つきましては、ささやかながら次回夜会の“裏方”として、
再び力をお借りしたく存じる——』
「“感謝の言葉”と“裏方のお願い”がセットなのが、いかにも貴族ね」
ミリアが笑う。
「でも、こうしてちゃんと名前を出してくれるのは、
悪くないわ」
「そうですね」
俺は、封筒をそっと折りたたんだ。
「招待された以上、ちゃんと裏方の仕事はします」
「そうしてくれると助かる」
エドガーが言った。
「君たちが“線のこちら側”で動いてくれるおかげで、
上も動きやすくなる」
「“上も動きやすくなる”ってところが、また微妙ですけどね」
ミリアが肩をすくめる。
「まあいいわ。
——レオン、三日後の夜会までに、鼻、休めときなさい」
「鼻って、そんなに疲れるんですかね」
「疲れるわよ。
この街の変な匂い、だいたいあなた経由で来てるんだから」
言われてみれば、その通りかもしれない。
◇
ギルドを出て、夕暮れの街を歩く。
貴族街の方角を、ふと見上げると——
屋根の上に黒い影が見えた気がした。
犬のような、そうでもないような、曖昧な形。
目だけが、白く光っている。
黒い犬。
次の夜会でも、きっとどこかで見ているのだろう。
街の塔の中と、山の霧の向こう。
黒い石と、黒い犬。
全部が繋がるのは、まだ先のことかもしれない。
でも、線のこちら側でやるべきことは、
だんだん見えてきている気がした。




