第39話 貴族会議と隅っこのFランク②
◇
前の方では、議論が続いていた。
「押収品はギルドが預かっている、ということだが——」
一人の貴族が手を挙げた。
見覚えのない顔だ。
「それはつまり、“我々の財産を勝手に持っていかれた”ということではないのか?」
エドガーが、少しだけ目を細める。
「“黒い小物”のうち、危険と判断されたものについては、一時的にお預かりしています。
安全が確認できたものに関しては、順次返還を——」
「“危険と判断”などと、誰が決めるのだ!
我が家に代々伝わる品を、勝手に危険物扱いされてたまるか!」
(……こういう人も、そりゃいるよな)
思わず心の中でため息をつく。
前の方が少し荒れてきたとき、別の声が割って入った。
「ギルドの判断は、妥当だと私は思うがね」
ユークリッド伯爵だ。
落ち着いた声で、視線を前に向けたまま続ける。
「先日、うちの倉庫でも“古井戸近辺回収”と書かれた石が見つかりましてな。
娘が怖がるので、ギルドに預けることにした」
「娘が……?」
「怖がらせているのは、“黒い犬の噂”や“わけの分からぬ小物”そのものだろう。
どこから来たかも分からない品々を、説明もなしに屋敷に置いておく方がよほど不安だ」
伯爵の視線が、ちらりとこちらをかすめた。
リネアは、前の席でこっそり拳を握っている。
「少なくとも、ギルドは“危ないかもしれない”と告げてくれる。
その方が、黙って見過ごされるよりはずっとましだ」
「ぐ……」
さっき声を荒げていた貴族は、何も言い返せなくなった。
(ユークリッド伯爵、やっぱりまともな人だな……)
心の中で感謝をつぶやく。
◇
少し空気が落ち着いたところで、休憩が挟まれた。
貴族たちが席を立ち、談笑したり、水を飲んだりする。
使用人たちは、飲み物や軽食を運んでいる。
「レオン、さっきの指輪の人、まだいる?」
「います。
むしろ、さっきより匂いが……」
鼻の奥が、少し強くざわついた。
さっきの年配貴族が、別の男たちと輪になって話している。
「例の黒い指輪だがな、実は先日、盗賊団から取り戻してやったのだ」
「おお、それは良かった」
「やはり、我が家の守りの要であってだな——」
指輪を見せびらかすように、手をひらひらさせる。
黒い石が、灯りを受けて鈍く光った。
(……いや)
光っているのは、灯りだけじゃない。
石の奥で、黒い何かが、ゆっくり渦を巻いている。
(まずい)
胸の奥が、冷たくなった。
「ミリア」
小声で呼ぶ。
「今の、匂いが——」
言い終わる前に、指輪の石から、薄い煙のようなものが立ちのぼった。
黒い霧。
白い手袋の上で、じわじわと広がる。
「——離してください!」
気づいたときには、体が勝手に動いていた。
壁際から走り出し、
二列分の席の間をすり抜けて、貴族たちの輪の中に滑り込む。
年配の貴族が、驚いた顔でこちらを見る。
「な、なんだ、Fランク!」
「その指輪、今すぐ外してください!」
「無礼者——!」
伸びてきた腕を、軽く払う。
思ったより簡単に、押し返せた。
黒い霧は、指の間から肘の方へ登ろうとしている。
(一息でやるしかない)
袖口めがけて、手を伸ばす。
掴んだのは、指輪そのものではなく——その上から、手袋ごと。
「すみません!」
短く謝って、そのまま手袋を引き抜いた。
指輪ごと、手袋が抜ける。
黒い霧が、手袋の中にたまり、ふわりと広がりかけた。
「ミリア!」
「『スモール・ライト』!」
すでに詠唱は終わっていたらしい。
白い光が、手袋の上で弾ける。
黒い霧が、じゅっと音を立てて縮んだ。
石から、嫌なきしみ音がした。
「なっ、なにをするんだ貴様らは!!」
手袋を奪われた貴族が怒鳴る。
「この指輪は、我が家の——」
「今のを見ても、まだ“ただの指輪”だと言い張るつもりですか?」
前方から、冷たい声。
エドガーが立ち上がっていた。
「見た者はみな、“黒い霧”を見ている。
瘴気かどうかはともかく、正常な魔道具の反応ではない」
「ギルドの妙な術で、そう見せかけているだけだ!」
「俺、何もしてません」
思わず口から出た。
「走って、引っ張っただけです」
◇
ガレスが、すっと貴族たちの輪に割って入る。
「その指輪、騎士団が預かる」
「なっ、騎士団までグルになって——!」
「先ほど、“押収品の扱いが心配だ”とおっしゃっていたのは、あなたですよね」
ガレスの声は低いが、よく通った。
「“危険かどうかも分からない品を勝手に持っていかれたくない”と。
では、その危険かどうかを、今ここで確かめましょう」
騎士団の魔術師らしき男が前に出て、
手袋ごと指輪に手をかざした。
「……ふむ」
なにか、短い術式を唱える。
手袋の中の石が、一瞬だけぎらりと黒く光った。
それから、ふっと沈黙する。
「結果は?」
ガレスが問う。
「“古井戸の石”ほどではありませんが、
同じ系統の“何か”は混ざっていますね」
魔術師が冷静に告げる。
「放置すれば、また今のような“霧”を出したでしょう。
それ以上のことが起きる可能性も——否定はできません」
「聞きましたね」
ガレスが、年配貴族を見下ろす。
「この場で倒れてからでは、誰の責任かという話になる。
今なら、“運が良かった”で済む」
「ぐ、ぐぐ……」
年配貴族は、顔を真っ赤にして口を噤んだ。
その横で、誰かが小さく囁く。
「Fランクのくせに……」
「でも、今の動き、騎士より速かったぞ」
「指輪が光る前から動いてたしな」
聞こえているような、いないような声。
(別に、速く動いたつもりはないんだけどな……)
◇
小さな騒ぎのあと、会議は少しだけ静かになった。
“黒い小物”が、目の前で牙をむきかけた。
それを見れば、さすがに危機感も出てくるらしい。
ユークリッド伯爵が立ち上がり、落ち着いた声でまとめる。
「今、ここで倒れた人がいなかったことを、まずは幸運と受け止めましょう。
そして、“どこから来たか分からない黒い品々”について、
改めて真剣に考える必要がある」
伯爵の視線が、一瞬だけこちらをかすめた。
「さきほどのFランクの少年が、無礼な真似をしたのは事実です。
ですが、“命がかかっている場面”であれば、
多少の無礼は許されるべきだと、私は考えます」
年配貴族は、まだ納得していない顔だったが、
それ以上何も言わなかった。
会議は、そのまま予定通り続けられた。
◇
終了後。
使用人たちが片づけを始め、貴族たちがぞろぞろと出ていく中、
リネアがこっそり近づいてきた。
「さっきの、見てたわよ」
声は小さいが、目はきらきらしている。
「レオン、速かったわね。
指輪、完全に光る前に飛び込んでた」
「勝手に動いてしまいました」
「そういうの、嫌いじゃないわ」
リネアは、ふふっと笑う。
「父様も、“ああいうのがいるなら、ギルドに預けて正解だったな”って言ってた」
「“ああいうの”って、どっちのことですか」
「黒い指輪の方よ。
レオンの方は、“ああいうのがいるなら、Fランクも侮れんな”って」
「伯爵、意外と辛口ですね……」
「褒めてるのよ?」
リネアの言い方は、本当にどこまで本気なのか分からない。
「また、怖くなったら呼ぶわね、Fランク」
「“怖くなる”前に呼んでくれた方が助かります」
「検討しておきます」
グレイソンが後ろから咳払いをした。
「お嬢様、その辺りで」
「はいはい」
リネアはくるりと踵を返し、伯爵の元へ戻っていった。
◇
ギルドに戻ると、すでにエドガーとリサが待っていた。
「お疲れ様です、レオンさん」
「さっきの件、怒られますか?」
「“無礼は無礼だが、結果としては助かった”というのが、
ギルド長と騎士団長の見解です」
リサが苦笑する。
「つまり、“次はもう少しだけ言葉を選びなさい”ということですね」
「“走る前に一言あれば完璧だった”とは言われたな」
エドガーが肩を竦めた。
「もっとも、あの瞬間に一言待っていたら、霧はもっと広がっていただろうが」
「じゃあ、まあ……」
「“結果オーライ”だ」
エドガーは、そう締めくくった。
「それに——」
彼は、壁にかけられた板を軽く叩く。
「“貴族街治安説明会補助”の依頼は、無事達成だ。
正式依頼としてカウントしておく」
——正式依頼達成数:25件/50件。
数字が、きれいな真ん中に届いた。
「これで、Fランクのノルマの半分ですね」
ロウが淡々と言う。
「事件に巻き込まれている割には、ちゃんと数字をこなしている」
「事件に巻き込まれた分だけ、依頼が増えている気もしますけどね」
ミリアが苦笑する。
◇
小会議室を出る前に、エドガーがふと俺の方を見た。
「レオン」
「はい」
「今日の件で、君の顔と名前は、少なくとも何人かの貴族に覚えられた」
「……あんまり嬉しくない情報ですね」
「“恥をかかされた”と思っている者もいれば、
“助けられたかもしれない”と思っている者もいるだろう」
エドガーの声は淡々としていた。
「冒険者にとって“良くも悪くも”貴族との付き合いはさけられない
だがどちらにしても、“Fランクでも、黒い何かに対して動けるやつがいる”
という認識は、少しずつ広まっていく」
「それで、何か変わりますかね」
「すぐには変わらんだろうが、
“ギルドとして誰をどこに立たせるか”という判断には、影響する」
エドガーは、ほんの少しだけ笑った。
「周りが、“こいつは線のこちら側で使える奴か”を考えるだけだ」
「線のこちら側、ですか」
「そうだ。
その線の先に、“霧紺の洞”が見えてきている」
その名前を聞いた瞬間、
背筋に、ひやりとしたものが走った。
「古井戸とも、貴族街とも、
たぶん全部繋がっている場所だ」
シルヴァが、隣から口を挟む。
「君たちが、いつそこへ行くことになるかは、まだ分からない。
だが——」
「その前に、“街の中でできること”を全部やっておけ、ということですね」
自然と、言葉が出ていた。
「そういうことだ」
エドガーは、満足そうに頷いた。
黒い犬は、今日は姿を見せなかった。
それでも、どこかで見ていた気がする。
貴族街の会議室の隅っこで、
Fランクなりに動いた一日が、
いずれ霧紺の洞へ続く線になるのかどうか。
今はまだ、よく分からない。
分からないけれど——
とりあえず次の依頼を受けに、俺はまた掲示板を見ることになるのだろう。




