第38話 貴族会議と隅っこのFランク①
押収品の護衛から一日。
黒い箱のざわつきも、あの影の伸び方も、
頭のどこかにまだ残っている感じがした。
◇
朝のギルドは、相変わらずにぎやかだった。
「昨日さ、城から箱運んでたのレオン兄ちゃんでしょ!」
「“すっごい重い箱を片手で持ってた”って聞いた!」
「持ってたんですか?」
「ちょっとだけ、です」
ジンたちFランク組に囲まれながら、なんとかカウンターへたどり着く。
「おはようございます、レオンさん」
リサが、いつもの笑顔で迎えてくれた。
「昨日の“押収品搬送”の報告は、上の方でかなり話題になってますよ」
「箱が少し膨らんだやつですか」
「はい、“黒い箱の機嫌”という表現で記録されてました」
そんな感じで記録されているのか、あれ。
「で、今日はですね——」
リサが、掲示板の一枚を指さす。
「こういう依頼が、一本上がっています」
——【貴族街治安説明会の補助】——
依頼主:トラヴィス城塞騎士団/トラヴィス冒険者ギルド
内容:貴族街にて行われる治安説明会において、
会場の設営補助、参加者の誘導、会合中の警備補助を行う。
黒い犬・黒い小物・盗難騒ぎについての噂が出た場合は、
受付または担当者へ報告すること。
条件:F〜Eランク(礼儀を守れる者)
———————————————
「……“礼儀を守れる者”」
ミリアが、横から紙を覗き込みながらつぶやいた。
「妙に限定的な条件ね」
「当然です」
リサがきっぱりと言う。
「貴族街のお屋敷から、“最近の騎士団やギルドの動きについて説明してほしい”という要望がありまして。
ただ、その場で使用人たちの話も聞き取りたいので、
“高ランクだけで固めるより、普段の見回りをしているF〜Eランクも連れてきてほしい”と」
「“礼儀を守れる者”って、もしかして……」
「はい。
レオンさんたちの名前が、候補としてあがっていました」
どういう意味で、なんだろう。
「貴族街への出入りに慣れていること、
黒い犬と黒い小物の件で“変なものを見ても取り乱さないこと”、
そして、“一応敬語が通じること”」
「“一応”って言いましたよね、今」
ミリアが食いつく。
「いえいえ、褒め言葉として」
リサは、あくまで真面目な顔をしている。
「実際、ユークリッド家や“なくし物通り”での対応は、かなり評価が高いのですよ?」
「それはありがたいですけど……」
貴族の前で話を聞く、というのは、あまり落ち着かない。
「会議そのものには、基本口を挟む必要はありません。
ただ、“横で見ていて”“変な動きがあったら報告する”——
いつものお仕事ですね」
「いつもの、って言われるようになりましたね、これ」
「受けます?」
ミリアがこちらを見る。
「会場の設営と見張りくらいなら、Fの仕事の範囲でしょう」
「……受けましょう。
メンバーは、いつもの五人で」
「承りました」
リサが、受注印を押す。
「昼過ぎに一度、城塞側の会議室へ。
そこで簡単な説明を受けてから、貴族街の会場へ向かってください」
◇
昼過ぎ、城塞の一角にある会議室。
昨日見たガレスが、地図の前に立っていた。
「来たか、Fランク」
「レオン・アーディスです。
お世話になります」
「ミリア・クレイン。
ノーラ・ハルベルト。
ロウ・エイン。
カイ・バルド。
——以上、いつもの五人です」
ミリアが勝手にまとめて名乗る。
「“いつもの”という言葉を自分たちで使い出したか」
ガレスが、少しだけ口元を緩めた。
「今日の仕事は、昨日よりは単純だ。
貴族街の集会所で行われる治安説明会の、“隅での見張り”だと思っていい」
「隅なんですね」
「貴族たちの席に、Fランクを混ぜるわけにはいかんだろう」
「まあ、そうですよね」
そこは素直に納得した。
「君らには——」
ガレスが地図の一点を指す。
「集会所の後方、使用人たちの出入り口近くに立ってもらう。
貴族たちの話に口を挟む必要はない。
ただ、“黒い犬”“影”“妙な匂いのする品”が出た場合は、すぐに知らせろ」
「また犬ですか」
「出てこないことを祈るがな」
ガレスの表情だけは、真顔のままだった。
◇
貴族街の集会所は、思ったよりもこじんまりしていた。
広い屋敷の一角を改装したような場所で、
正面には演台と机、その前に椅子。
後方には、使用人たちの立ち位置と、出入り口。
「私たちは、あっちね」
ミリアが指したのは、一番後ろ、壁際の隅。
「“隅っこFランク席”って感じ」
「席っていうか、立ち見ですけどね」
俺たちは壁を背に、会場全体が見渡せる位置に立った。
やがて、貴族たちが入ってくる。
緩やかな色のドレス、きっちりした礼服。
いかにも偉そうな顔をした人もいれば、疲れたような顔の人もいる。
その中に、見慣れた顔があった。
「リネアさんだ」
ユークリッド伯爵家の一行。
伯爵本人と、リネアと、グレイソン。
リネアがこちらに気づき、手を振ろうとしかけて——
グレイソンにそっと袖を押さえられていた。
手の動きだけで、「またね」と伝えてくる。
(なんというか、あの人はあの人で大変そうだな)
◇
会議が始まった。
前方の席には、ガレスと、ギルド側の代表としてエドガー。
商業組合からも一人。
「最近の黒い犬騒ぎと盗難について——」
ガレスの声が、落ち着いて響く。
内容は、俺たちがすでに聞いていることが多かった。
“黒い小物”が狙われていること。
影抜きを使う一団がいたこと。
その一部は既に捕まっているが、“先生”と呼ばれる黒幕がまだ逃げていること。
貴族たちの反応は、様々だった。
「影抜きなどというもの、本当にいるのか?」
「黒い犬というのも、噂ばかりが先走っておるのではないか」
「いや、うちの屋敷の下働きが、本当に見たと言っている」
「ギルドは、もっと早く報告できなかったのか?」
前方の席がざわつく。
後ろの方では、使用人たちが小声で話し合っていた。
「やっぱり、あの指輪危なかったんだ……」
「奥様、まだ“夢見の香”の壺を手放してませんのよ」
「黙りなさい、聞こえたら叱られるわ」
そういう声を、壁際から聞いているのが、今日の俺たちの役目だ。
「レオン」
横から、ミリアの小さな声。
「前の方、何か匂う?」
鼻をひくつかせる。
香水の匂い、上等な布の匂い、
武具に染みついた革と油の匂い。
それらに混ざって——
うっすらと、嫌な気配。
「……一箇所だけ、少し」
「どの辺?」
「あの、二列目の右端の人です」
豪華な指輪をこれでもかと重ねづけした、年配の男。
胸を張って座っている。
「あの人の右手の、黒い石の指輪。
あれだけ、ちょっと」
「また黒い石か……」
ミリアがため息をつく。
「でも、“今すぐ暴れる”ほどじゃない?」
「今のところは、古い匂いが少しするだけですね。
古井戸の残り香よりは、だいぶ薄いです」
「一応、頭の片隅に入れておきましょう」




