第37話 押収品の護衛と黒い箱の機嫌②
◇
城塞側の保管庫は、思ったより質素だった。
石造りの部屋の中に、頑丈そうな木箱がいくつか並んでいる。
箱にはそれぞれ封蝋と紙札。
「これが、今回運んでもらう分だ」
ガレスが、うち二つの箱を指差した。
「中身の詳細は言えんが、“ただちに暴走する危険は低いが、長く置いておきたくない物”だと思ってくれ」
「嫌なカテゴライズですね」
ミリアが苦笑する。
「どのくらい重いですか?」
「片方は二人で持て。
もう片方は、一人でも運べるだろう」
と言われて、試しに持ってみる。
思ったより、軽い。
(村の穀物袋より軽いですね……)
片方の箱を、つい片手で持ち上げてしまった。
「……おい」
後ろから、小さくガレスの声がした。
「それは、“二人で持て”と言った方だ」
「あ、すみません」
慌てて両手に持ち替える。
「つい」
「“つい”で持ち上げられる重量ではないはずなんだが」
騎士団の兵士がぼそっと言ったのを、聞こえないふりをした。
「レオン、あとで腰やらかさないでよ」
「大丈夫だと思います、多分」
穀物袋の方がずっと重いし。
◇
城塞からギルドへの道は、いつもより警備が多かった。
交差点ごとに騎士が立ち、すれ違う人の数も少ない。
「“今日は早く店じまいしろ”って通達、結構効いてますね」
カイがあたりを見回す。
「騎士団からだしな。
逆らうとめんどくさい」
ミリアが肩をすくめた。
俺たちは、箱をそれぞれひとつずつ担ぎ、
ノーラが前、ロウが横、カイが後ろから周囲を警戒する。
鼻をひくつかせる。
(……今のところ、変な匂いは——)
石畳の匂い、風の匂い。
遠くの鍛冶場の匂い。
瘴気の匂いは、まだしない。
「このまま何も起きずに着いてくれれば、一番いいんですけどね」
「フラグ立てるのやめて」
ミリアが即座にツッコミを入れた、その瞬間だった。
横の路地から、ひゅ、と冷たい風が吹いた。
(……今の)
鼻の奥が、ぴり、とした。
同時に、箱の中から、かすかな“ざわめき”のようなものを感じる。
「——止まってください」
思わず声が出た。
ノーラがぴたりと足を止める。
カイも、木剣に手をかけた。
「瘴気?」
「まだそこまでは。
でも、“中身がざわっとした”感じがします」
「中身がざわっとって、何その嫌な言い方」
ミリアが顔をしかめる。
「場所、変えた方がいい?」
「少し、壁から離れましょう」
俺は、そっと足を半歩引いた。
そのとき——
路地の影が、ゆらりと伸びた。
「っ!」
ノーラが前に盾を構える。
影の先端が、足元まで滑ってくる。
黒い“手”ではない。
ただ、影が濃くなっているだけ。
(違う。これは——)
影そのものというより、
俺たちの持っている箱に引き寄せられているような動きだった。
「レオン!」
「箱、下ろします!」
その場にしゃがみ込み、箱をそっと地面に置く。
影が、箱の縁に沿うように動いた。
次の瞬間——箱の中から、ぴしり、と音がした。
木が割れる音ではない。
何か硬いものが、内側からぶつかった音。
(……中身、動いた?)
「ミリア!」
「やってる!」
ミリアが短く詠唱する。
「『スモール・ライト』!」
足元に、小さな光の玉が転がった。
影の上で弾け、路地が一瞬だけ明るくなる。
影が、薄くなった。
その瞬間——
箱の側面の板が、内側から少しだけ膨らんだ。
木目がミシ、と軋む。
「ノーラ!」
「ここ、守ります!」
ノーラが箱と影の間に盾を差し込む。
影が、盾の縁に沿って滑ろうとして——
光の残り火に触れて、ぴしっと弾けた。
影のざわめきが、少し静まる。
「影抜き……ではないですね?」
ロウが、冷静に周囲を見回す。
「“中身の瘴気が外の影と共鳴した”って感じだな」
「ということは、“箱の中で暴れた”だけですか」
「その程度で済んでるなら、まだいい方」
ミリアが息を吐く。
「レオン、もう一回確認して。
今の匂い、“本丸レベル”じゃないわよね?」
箱にそっと手を置き、鼻を近づける。
(……)
冷たい。
でも、古井戸や影抜き拠点ほどではない。
“まだ蓋の中に収まっている”匂いだ。
「今のところは、“ちょっと機嫌損ねただけ”って感じです」
「瘴気のご機嫌取りなんてしたくないけどね」
ミリアが苦笑する。
「とりあえず、“ここで爆発するほどではない”って分かっただけでもいいか」
「このまま急ぎましょう」
ノーラが盾を一度深く構え直す。
「長く持っているほど、また共鳴しそうです」
「急いで、でも走らず。
落とすと余計なことになりそうだし」
ミリアの号令で、再び歩き出す。
影は、さっきより大人しくなっていた。
◇
ギルドの地下にある隔離庫は、ひんやりとしていて、妙に静かだった。
扉の前には、結界札と鎖。
シルヴァが自ら鍵を開ける。
「ご苦労さん。
道中、何かあったかい?」
「ちょっとだけ、“中身が箱の中で暴れた”感じがしました」
ミリアが手短に説明する。
「影が寄ってきて、スモール・ライトで焼いたら静かになりました」
「ふむ」
シルヴァは、箱に手をかざす。
「……うん、“外から触れられそうになって、反応した”感じだね。
中身の瘴気は、まだ落ち着いている」
「外から?」
「“誰かが箱ごと影抜きしようとした”可能性もあるし、
ただ“通りすがりの影と共鳴した”だけかもしれない」
シルヴァは肩をすくめる。
「どちらにしても——
ここに入れちまえば、そう簡単には手出しできない」
隔離庫の扉が開くと、中にはすでにいくつもの箱と瓶が並んでいた。
どれも、見た目は普通だ。
でも、札に書かれた注意書きが、あまり普通ではない。
『封印補強済/取り扱い厳禁』
『古井戸由来/要観察』
『原因不明/調査中』
「増えましたね、箱」
ロウがぼそっと言う。
「こうして見ると、“トラヴィス面倒ごとコレクション”って感じね」
ミリアが笑う。
「こいつらをまとめて調べるのが、調査班の仕事ってわけ」
シルヴァは愉快そうに言った。
「君たちは、“ここに届くまで”を担当。
その役目は、今日も十分果たしてくれた」
「箱、ちょっと膨らみましたけどね」
「膨らむくらいなら可愛い方さ」
可愛いの基準がおかしい気がする。
◇
隔離庫から出て来ると、地上から賑やかな声が聞こえた。
「レオンさん」
階段を上がると、思いがけない顔が待っていた。
リネアと、グレイソンだ。
「ユークリッド家のお二人」
「また会ったわね、Fランク」
リネアが軽く手を振る。
「さっき、父様と一緒にギルド長たちと話してきたところよ。
“倉庫の怪しい石と指輪は、しばらくギルドに預けます”って正式に決めたの」
「それは、いい判断だと思います」
「父様、渋い顔してたけどね。
“金を出したのに、自分の手元からなくなるのは面白くない”って」
「でも、“爆発するかもしれない物”を置いておくよりずっとマシです」
ロウが真面目に言う。
「倉庫ごと吹き飛んだりしたら、それこそ洒落になりませんから」
「そのあたりは、グレイソンがじっくり説得してくれました」
リネアが執事を見上げる。
「“お嬢様が怖い思いをした”って言い続けたら、最後は折れました」
「事実でございますので」
グレイソンは、涼しい顔で言った。
「それに、“黒い犬も影も見ていない伯爵様”より、
“実際に見た者たち”の意見の方が重い場面もございます」
「“実際に見た者たち”の一人に、俺たちも入るんですね」
そう考えると、不思議な気分だ。
「そうそう、聞いたわよ」
リネアが、ぐいっと顔を近づけてくる。
「昨日、盗賊捕まえたんですって?
Fランクのくせに」
「最後の一言、いりますかね」
「誉め言葉よ?」
リネアは、きょとんとした顔で言った。
「父様も、“あのFたちは案外使えるな”って言ってたわ」
「“案外”は余計なんですけどね」
ミリアが肩をすくめる。
「でもまあ、上から“使えない”って思われるよりはマシか」
「そういうこと」
リネアは笑った。
「今度、また倉庫が片づいたら——
“変な物じゃない方”のお宝も見せてあげる」
「“変な物じゃない方”って言い方もどうかと思いますけど」
グレイソンの小さなため息が聞こえた。
◇
リネアたちが帰ったあと、リサが帳簿をめくりながら顔を上げた。
「さて、“押収品搬送”の依頼は、これで完了です。
正式依頼としてカウントしておきますね」
板に、こつん、と新しい刻みが入る。
——正式依頼達成数:24件/50件。
「レオンさんたち、“黒い案件”に巻き込まれつつも、
Fランクのノルマを順調にこなしておられます」
「巻き込まれたいわけじゃないんですけどね」
「そういう人ほど巻き込まれるのが、この街の不思議ですね」
リサは、どこか他人事のように笑った。
「今後しばらくは、“街の中の観察役”としての依頼が続くと思います。
霧紺の洞の方は、Cランク以上の調査隊が編成される予定ですので」
「それはそれで、また何か変なのが出そうですね」
「出るでしょうね」
リサは、さらりと断言した。
「でも、“最初に匂いに気づくのが誰か”は、もう決まっている気がします」
視線が、ほんの少しだけ俺の鼻のあたりに落ちる。
「……鼻風邪、ひかないように気をつけます」
「それが一番の自衛かもしれませんね」
◇
ギルドの外に出ると、夕方の光が街を赤く染めていた。
“なくし物通り”の方角から、かすかに人のざわめきが聞こえる。
騎士団やギルドの人間が出入りしているらしい。
「さてと」
ミリアが大きく伸びをした。
「今日はもう、戦闘も運搬も十分やったわね。
あとは晩ごはん食べて寝るだけ」
「戦闘と言えるほどのこと、しましたっけ?」
「したでしょ」
ミリアがじろりと見る。
「昨日は盗賊を一撃でへし折って、
今日は瘴気付きの箱を片手で持ち上げて、
影と喧嘩しかけた箱を黙らせて」
「最後のは、ミリアとノーラのおかげじゃないですか」
「いや、あそこで“箱をすぐに下ろす”判断できるのも、結構大事なのよ?」
ロウが穏やかに言った。
「村育ちの勘なのか、瘴気付きの経験なのかは分からないけどね」
「でもまあ——今のまま、あんまり自覚しすぎないくらいがちょうどいいかもね。
こっちも線、引きやすいし」
「線はちゃんと守りますよ、多分」
「“多分”をちょっとだけ“たぶん大丈夫”くらいに増やせるように、
周りががんばるわ」
そう言って笑うミリアを見て、
俺も少しだけ笑った。




