第34話 なくし物通り、最初の夜②
◇
カイと並んで通りの真ん中あたりを歩く。
この辺は、店の隙間から小さな裏路地が何本も伸びていて、見通しが悪い。
昼間でも怪しげだが、夕方になると、余計に影が濃くなる。
「なんか、“いかにも何か出そう”って感じですね」
「出るのが黒い犬か、酔っ払いか、どっちかだな」
カイが笑う。
「なあレオン、怖いか?」
「少しだけですね」
正直に答える。
「でも、怖くないって言ったら、たぶん嘘になるので」
「そのくらいでちょうどいいよな」
カイは木剣の柄を軽く叩いた。
「俺なんかまだ、“影抜き”って聞いただけでビビってるけどさ。
お前、昨日それを真正面で見てるわけだろ?」
「見てただけですから」
「その“見てただけ”ができるのが、もうだいぶおかしいんだよなあ」
「おかしい、が褒め言葉なのはだいぶ分かってきました」
そんな話をしながらも、鼻は常に動かしている。
人の匂い。
油の匂い。
古い木と鉄の匂い。
瘴気の匂いは——今のところ、目立っては来ない。
「レオン」
「はい」
「あの店、なんか匂わない?」
カイが顎で示したのは、通りの真ん中あたりにある細工屋だった。
ショーウィンドウの中には、金属で作られた小さな動物や、歯車の詰まった箱が並んでいる。
鼻をひくつかせる。
(……)
「店全体は、普通ですね。
でも——」
ショーウィンドウの端にちょこんと置かれた、小さなガラス瓶。
その中に、黒い石の欠片のようなものが見えた。
「瓶の中の石だけ、ちょっと」
「また“あの匂い”?」
「似てます。
古井戸とか、ユークリッド家の倉庫とかと」
「入ってみる?」
「客としてなら」
扉を開けると、カラン、と小さな鈴の音がした。
「いらっしゃ……おや、珍しいね、こんな時間に冒険者とは」
奥から出てきたのは、痩せた中年の細工師だった。
ルークスより少し若いくらいの年齢に見える。
「依頼じゃなくて、ちょっと見回り中でして」
俺は、ギルドから預かった腕章を見せる。
「“なくし物通りの夜間見回り”ってやつですね。
話は聞いてますよ。
物がなくなるのは、正直こっちも困りますからねえ」
「最近、ここから何かなくなったりは?」
カイが軽く尋ねる。
「うちからはまだ。
ただ、“向かいの店から妙な飾りが消えた”って話は聞きましたね」
細工師は、ショーウィンドウ越しに向かい側を指さした。
「古い飾り紐みたいなやつでね。
黒い石が糸に通してあって。
“悪夢避け”だか“魔除け”だかよくわからない品でしたが」
「また黒い石ですか……」
ミリアが聞いたら、額を押さえそうな話だ。
「その石の飾り、ここに来たことは?」
「仕入れの途中で見せてもらったことはありますよ。
“買わないか”って。
でも、どうにも好きな匂いじゃなくてね。
うちには置かなかった」
そこで、一拍。
「“匂い”?」
俺は思わず聞き返した。
「ええ。
石にも、匂いがあるでしょう。
金属の匂いとか、泥の匂いとか。
あれは、なんというか……湿った土と、焦げた何かを混ぜたような匂いがしました」
妙に的確な表現だった。
「村の沼地に、似た匂いの場所がありました」
思わず口から出た。
「古いものが沈んでて、誰も触らないとこです」
「そんな感じだ。
だから、うちは買わなかった」
細工師は、肩をすくめる。
「だから逆に、盗まれたのは向こうでよかったと思ってるくらいでね」
「盗まれてよかったって言われる品、なかなかないですね」
「まあ、冗談ですけどね」
細工師は笑った。
「黒い犬の噂もあるし、“変な物”はしばらく仕入れないようにするつもりです」
「賢明な判断だと思います」
俺も笑い返した。
店を出るとき、ついでにさっきの黒い石の瓶をちらりと見る。
「それは?」
「ただのガラス細工ですよ。
黒く見えるのは、内側に煤を焼き付けてるからで」
鼻をひくつかせる。
(……たしかに、これは普通の匂いですね)
瘴気の気配はしない。
「疑ってすみません」
「いえいえ。
疑うのも、見回りの仕事でしょう」
細工師は、穏やかに笑った。
◇
通りを一往復し、裏路地もざっと確認する。
ノーラと途中で合流し、広場の方でミリアたちとも情報交換をした。
「こっち側は?」
「細かい話はいくつか。
“前に財布を落としたら、翌日この通りで見つかった”とか、
“なくした指輪が別の店に並んでた”とか」
「通りの名前の由来は、“見つかる方”からなんですね」
「そうそう。
それがいつの間にか、“物が消える方”の意味でも使われるようになったわけ」
ミリアが肩をすくめる。
「ノーラは?」
「通りの奥の方で、“黒い犬がいるって噂は聞いた”という話が一件。
でも、実際に見た人はまだいないようです」
「犬本人(本犬?)は、今日は出勤してないのかな」
カイが冗談めかして言う。
(いや、できれば出勤しなくていいんですが)
そう思いかけたところで——鼻の奥が、ぴり、と痛んだ。
「……」
思わず足を止める。
「レオン?」
「匂いが、少し」
さっきまでとは違う方向から、風が吹いてきた。
石と土と、幾つもの人の匂い。
その奥に、覚えのある“魔力の匂い”が混ざっている。
昨夜、ユークリッド家の裏庭で、影の通り道のそばで嗅いだ匂い。
「こっちです」
俺は、通りから一本外れた細い路地に入った。
店の裏口が並ぶ、人気の少ない場所。
壁に立てかけられた木箱、空の樽、縄。
匂いは、その奥から。
「気をつけて」
ミリアが小声で言い、杖を構える。
路地の突き当たり。
そこには、古びた二階建ての建物があった。
看板はかすれて読めない。
半分閉じられた扉。
窓には布が掛けられている。
(……ここだ)
建物そのものから、あの匂いがした。
瘴気だけの匂いではない。
人の魔力と混ざり合った匂い。
影抜きの“向こう側”にいた誰かの匂い。
「レオン?」
「昨日の“向こう側”の匂いと、似てます」
声が少し低くなるのを、自分でも感じた。
「たぶん、ここか、この近くに——」
「静かに」
ロウが短く制した。
建物の二階の窓が、かすかに揺れたからだ。
布の隙間から、一瞬だけ影が覗く。
人影かどうかは判然としない。
でも、そこに“何かが見ている”気配はあった。
「どうする?」
カイが囁く。
「突っ込む?」
「突っ込まない」
ミリアが即答した。
「線、覚えてるでしょ」
「はい」
俺も頷く。
「俺たちの仕事は、“匂いの場所を見つける”ところまでです」
「場所は分かった。
匂いも覚えた」
ロウが淡々と言う。
「これ以上は、“線の向こう側”」
「……じゃあ、どうする?」
カイはまだ未練ありげだ。
「この場で一回、ギルドと商業組合の見張りに知らせて、
あとは“普通の通行人のふり”で通りをうろつく。
中に誰かいるにしても、今夜いきなり踏み込むのは悪手よ」
ミリアの声は冷静だった。
「影抜きが使えるなら、最悪“影だけ逃がして本体は別の場所”ってパターンもあるし」
「そうですね」
俺たちは、いったん路地を引き返した。
通りに戻り、バルニスがいる屋台風の詰所に向かう。
「どうだ、何かあったか?」
「“匂いのする建物”を見つけました」
俺は、先ほどの建物の位置を地図で示した。
「昨日、影抜きの通り道のそばで嗅いだ匂いと同じです」
「ほう」
バルニスが目を細める。
「外から見た限りじゃ、ただの廃れた店だが……
中身までは分からんからな」
「そこに今、突っ込むつもりはありません。
線のこちら側でやれるのは、“位置の特定”までですから」
そう言うと、エドガーの顔が頭に浮かんだ気がした。
「賢い判断だ」
バルニスは笑った。
「商業組合とギルドの“本職”に回しておけ。
“影抜き相手に突っ込んで死にました”じゃ話にならん」
「死にたくはないですね」
カイが苦笑する。
「生きてさえいれば、“見たもん全部報告できる”からな」
「それがFランクの仕事だ」
ロウがぼそっと呟く。
◇
その後も、通りを何度か往復したが、それ以上は大きな異常はなかった。
黒い犬も、その夜は姿を見せない。
影は、ただの影のまま、夜の石畳に貼りついていた。
見回りの時間が終わりに近づいたころ、ダグたち《風切り燕》と合流した。
「そっちはどうだった?」
「怪しい酔っ払いと、ケンカしそうなカップルが二組。
あと、猫」
ユノが肩をすくめる。
「黒い犬も影の手も、こっちには来なかったな」
「じゃあ、“本命”はやっぱり南側だったわけね」
ミリアが簡単に状況を説明すると、ダグは真顔になった。
「影抜きの匂いがする建物、か……
“本職”に任せるのは正しい判断だが、
その本職がちゃんと動くかどうかは、また別問題だな」
「動かすための材料は、揃えましたから」
俺は、記録板を叩いた。
「動かなかったら、そのとき考えます」
「そういうところだけ、“主人公感”出すのやめてくれない?」
ミリアが呆れたように笑う。
◇
夜明け前、ギルドに戻って簡単な報告を済ませる。
——“なくし物通り南側の裏路地に、影抜きの匂いのする建物がある”
——“今夜は動きはなかったが、中に誰かいる気配はあった”
それだけで、十分な成果だ。
「線のこちら側としては、合格点ですね」
リサがそう言ってくれた。
板に刻まれる数字が、また一つ増える。
——正式依頼達成数:22件/50件。
眠気と疲れは、もちろんある。
でも、妙な満足感もあった。
黒い犬のことも、影抜きのことも、指輪のことも——
全部一度には片付かない。
それでも、こうして少しずつ、“場所”と“匂い”を押さえていくしかない。
「さて」
ギルドを出たところで、ミリアが空を見上げた。
「本格的に動くのは、きっと上の人たち。
でも、“最初に見つけたのはFランク”って記録だけは、ちゃんと残るからね」
「別に、誰が最初でもいいですけど」
「でも、そういう“最初”が積み重なると、
いつか“Fランクの扱い”そのものが変わるかもしれないわよ」
ミリアは、少しだけ悪戯っぽく笑った。
「そのとき、レオンはきっと、“そんなつもりじゃなかったんですけど”って顔をする」
「たぶんすると思います」
「ほらね」
そんな会話をしながら、俺たちはそれぞれの宿へと散っていった。
なくし物通りの、あの建物の二階の窓。
そこで何者かがこちらを見下ろしていた感覚だけが、
まだ背中のどこかに張り付いている。
今はまだ、“見た”だけ。
次にあそこへ行くのは、きっと俺たちじゃない。
それでも——匂いだけは、忘れないようにしておこうと思った。
メリークリスマス・イブ⭐️




