第31話 影抜きと顔の知られていないFランク①
ユークリッド家の裏庭を出て、ギルドに着いたころには、空がすっかり白んでいた。
「眠い……」
思わず本音が漏れる。
「そりゃ一晩中、犬と影の喧嘩を見てたらね」
ミリアも欠伸を噛み殺した。
ギルドの扉を開けると、さすがにこの時間はまだ人が少ない。
それでも、受付カウンターにはリサがいて、帳簿とにらめっこしていた。
「おはようございます……で、いいんですよね?」
声をかけると、リサはぱちりと瞬きをしてから微笑んだ。
「おはようございます、レオンさん。
みなさんも、夜番お疲れさまでした」
「夜番というか、犬番というか、影番というか」
ミリアが苦く笑う。
「とりあえず、見たものを全部報告します」
「はい。
二階の小会議室をお使いください。
シルヴァさんと……エドガー副ギルド長も、すでに来ておられます」
「朝から重いメンツですね」
「“黒い犬”と“貴族街の盗難”と聞いたら、さすがに放っておけないみたいですよ」
そりゃそうだ。
◇
小会議室に入ると、すでに三人がいた。
調査班のシルヴァ、
ギルド副ギルド長エドガー、
そして商業組合のバルニス。
バルニスは、眠そうというより、むしろ楽しそうな顔をしていた。
「おう、夜通しご苦労さん」
「正確には、犬と影が喧嘩するのを見てただけですけどね」
ミリアが肩をすくめる。
「……それを“見てただけ”って言えるの、なかなかよ」
シルヴァが苦笑した。
「さて、順番に聞かせてもらおうか。
裏庭で見たもの、倉庫でなくなっていたもの、全部」
俺たちは、裏庭での出来事をできるだけ順番通りに話した。
——黒い犬が現れたこと。
——影から伸びた“手”のようなもの。
——ミリアの『スモール・ライト』で影が薄くなったこと。
——犬が影を“噛み取った”ように見えたこと。
——そのすきに、倉庫から黒い石の指輪が一つなくなっていたこと。
話している間、シルヴァは何度も記録板と見比べながら頷いていた。
「ふむ。
やっぱり、“影抜き”だね」
「影抜きって、やっぱりそういうやつなんですか?」
俺が尋ねると、代わりにロウが答えた。
「本で読んだことがある。
影を通じて、遠くの物に触る術。
盗賊の高等技術だ」
「ロウ君の言う通り」
シルヴァが指先で机をとんとん叩く。
「影を“もう一つの手”みたいに使って、鍵の内側や部屋の中の物を抜き取る。
普通は光に弱いから、屋内や夜道でしか使われないけどね」
「今回は、黒い犬が噛みついてました」
ミリアが付け加える。
「影抜きの“手”に」
「そこが、いちばん面白いところだ」
シルヴァの目が、きらりと光った。
「古井戸のときもそうだったけど、黒い犬は“瘴気の味”をよく知っている。
今回の影抜きの“手”にも、瘴気が混ざっていたんだろう」
「瘴気付きの影抜き、ってことですか?」
「おそらくね。
普通の影抜きだけなら、ここまで黒い痕跡は残らないはずだ」
シルヴァは、俺の持ってきた記録板をひっくり返して見せた。
うっすらと残る足跡のような模様。
影の通路だった場所の黒ずみ。
「……いいデータだよ、これは」
「“いいデータ”扱いされると、褒められてるのかどうか迷いますね」
ミリアが肩をすくめる。
「で、指輪の件は?」
バルニスが身を乗り出した。
「そこだよそこ。
ルークスの店から一個消えた黒い石の指輪と、ユークリッド家の倉庫から一個。
これで合計二つ、だろ?」
「そうですね」
ノーラが記録板を見ながら頷く。
「ユークリッド家の棚には、元々“黒い石の指輪 三点セット”と書かれていました。
昨日確認したときは、ちゃんと三つあったはずです」
「ということは、まだどこかに“最後の一個”が残ってる」
カイが腕を組む。
「盗る側からすれば、“揃えたい”よなあ、きっと」
「“揃えると何が起きるか”まで知ってる奴が、向こうにいるってことね」
ミリアの言葉に、部屋の空気が少しだけ重くなった。
◇
「エドガーさん」
ミリアが、副ギルド長の方を見る。
「影抜きができる盗賊、っていうのは、そんなに多くないんですよね?」
「少なくとも、“街で好き勝手やらせていい連中”ではないな」
エドガーが短く答えた。
「影抜きは、高位の盗賊ギルドや、暗殺者の一部が使う術だ。
素人が簡単に扱えるものではない」
「じゃあ、その“高位の連中”が、瘴気付きの小物を集めてることになりますけど」
「そうだな」
エドガーは机に肘をつき、指を組んだ。
「しかも、狙いは“金目の物”そのものではなく、“怪しい小物”ばかり。
黒い犬や影の痕跡から見ても、“瘴気付きの品”を選んでいる可能性は高い」
「影抜きと瘴気を両方扱えるって、嫌な組み合わせですね」
カイが顔をしかめる。
「だからこそ、慎重に行く必要がある」
エドガーは俺たちを見た。
「レオン」
「はい」
「昨夜、影の通り道のそばで“人の匂い”を感じたと言っていたな」
「はい。
はっきりじゃないですけど、“向こう側にいる誰かの魔力の匂い”が、薄く」
「覚えられそうか?」
「……匂いだけなら、多分」
山で獣の匂いを覚えたときと同じだ。
一度嗅げば、次にどこかで似た匂いを感じたとき、「あれだ」と思える程度には。
「なら、それで十分だ」
シルヴァが口を挟む。
「影抜きの使い手が、どこかで“直接”動いていたら——
君の鼻で気づける可能性がある」
「本体が街のどこかに潜んでるってことですか?」
「影抜きは、距離をある程度とれる術だ。
城下町の端から端くらいなら、影さえあれば届く。
ただし、“同じ匂いの魔力”はどこかに必ず残る」
言い換えれば、“街のどこかに巣がある”ということだ。
(あまり嬉しくない情報ですね……)




