第3話 Fランクの現実と、最初の「正式依頼」②
依頼主の雑貨屋は、ギルドから歩いて十五分ほどの場所にあった。
青いひさしが目印で、店先にはおもちゃや駄菓子が並んでいる。
「すみませーん。冒険者ギルドから来ました」
ミリアが声をかけると、奥から慌てた様子で女性が飛び出してきた。
エプロン姿の、少し痩せた顔立ちの店主だ。
「あ、あなたたちが! 来てくれたのね!」
「ご依頼の“息子さんの捜索”の件で。詳しい話を聞かせてもらえますか?」
ミリアが手際よく話を進めていく。
俺はその横で、店内の様子をざっと見回した。
壁には、小さな木製の剣や、布製のモンスター人形。
棚には、ビー玉や紙風船。村の子どもたちが見たら、目を輝かせそうなものばかりだ。
「名前はリオ。五歳。
いつも近くの広場で遊んで、暗くなる前にはちゃんと帰ってきてたのに……昨日は、夜になっても戻らなくて。
衛兵さんにも相談したけど、“市内の迷子ならすぐ見つかる”って……」
店主の声は、途中で震え始めた。
「昨日も、その広場で?」
「はい。近くの子たちも、一緒に遊んでたらしいんですけど……途中で“変なものを追いかけてった”って」
「変なもの?」
ミリアが眉をひそめる。
俺の胸にも、嫌な感覚が少しだけよぎった。
(変なもの、か)
「子どもたち、なんて言ってました?」
「えっと……ええと……“黒いイタチみたいなの”とか、“ぬるぬるしたウサギ”とか。
子どもの言うことですから、本当かどうか……」
黒い。
ぬるぬるした。
昨日の、あの黒い染みが頭をよぎる。
「レオン」
ミリアが小声で俺を呼んだ。
同じことを考えているようだった。
「とりあえず、その広場から当たってみましょう。
何かあったら——」
「人目がある場所なら、そこまで大事にはならないはずです。
でも、念のため気をつけます」
店主に頭を下げ、俺たちは店を後にした。
◇
広場は、雑貨屋からそう遠くない場所にあった。
小さな噴水と、石のベンチ。
昼間だからか、すでに何人かの子どもたちが走り回っている。
「昨日も、こんな感じだったのかな」
ミリアが呟く。
俺は広場の周囲に目を走らせた。
(気配は……特に変なのはない、けど)
少し離れた路地、塀の向こう、排水溝の口。
いくつかのポイントを頭の中で印をつけていく。
「とりあえず、子どもたちから話を聞こう。
“リオを見た”って子がいないか」
「任せてください」
村で子どもたちの面倒を見るのは、日常だった。
薪拾いのときに一緒に連れていったり、罠の場所に近づかないように釘を刺したり。
(ああいうときは、まず目線を合わせて、落ち着いて話を聞いて——)
そう思いながら、近くで遊んでいる三人組に近づく。
「こんにちは。少しだけ、話を聞いてもいいか?」
「だ、誰? あんた」
警戒気味に振り向いたのは、短髪の少年だ。
俺はできるだけ柔らかく笑った。
「冒険者ギルドから来た、レオンっていう。
リオって子を探してる。よく一緒に遊んでたって聞いたんだけど」
「リオ? あー、黒いの追っかけてったやつだ」
あっさりとした返事が返ってきた。
ミリアがすっと横に並ぶ。
「黒いの、って何か覚えてる?」
「えっとな、ウサギみたいにぴょんぴょん跳ねてた。
でも、毛はなくて、つるつるしてて……ちょっとだけ光ってた」
「……スライムか?」
思わず口にする。
山の方にも、ごくたまに現れる魔物だ。
「スライムに耳が生えてたって聞いたことはないけど」
ミリアが肩をすくめる。
「そいつ、どっちに行った?」
少年が指さしたのは、広場の端にある細い路地だった。
人一人がやっと通れるくらいの隙間。
「リオは“捕まえるー!”って言って、走ってった。
俺たちは怖いから行かなかった」
「よく逃げ帰ってきたな。えらい」
頭を軽く撫でると、少年は照れたように顔をそむけた。
「レオン」
「ああ」
路地の入り口に立つ。
日差しが届かないせいか、中は少しひんやりしている。
(……嫌な感じは、今のところしない)
そう判断し、一歩を踏み出した。
「ちょっと待って」
ミリアが背中に声をかける。
「念のため、先に“目”だけ入れておく。
——『スモール・ライト』」
指先に小さな光球が灯り、ふわりと路地の奥へ飛んでいく。
壁や地面を淡く照らしながら進むそれは、何も異常がないことを示すように静かに揺れていた。
「……とりあえず罠はなさそう。行こ」
「了解」
俺たちは、細い路地を慎重に進んでいく。
◇
路地は途中で折れ曲がり、その先は行き止まりだった。
古い木箱が積まれ、割れた壺が転がっている。
「……誰もいないな」
「子どもが隠れそうな場所は、あるにはあるけど」
ミリアが木箱の裏、壺の中をひとつひとつ確認していく。
俺も、壁や地面に目を走らせた。
(足跡……は、残ってないか)
石畳だから、土の上みたいに分かりやすくはない。
それでも、かすかな擦り跡が、行き止まりの壁の前に集中しているのが見えた。
「ミリア。ここ、何かこすった跡があります」
「どれどれ……」
ミリアが近づき、壁に手を触れる。
「特に魔法の痕跡は……ない、と思うけど。
ただの子どもの落書きが消えた跡じゃない?」
たしかに、そうも見える。
けれど——
(何か、引っかかる)
胸の奥が、微かにざわついた。
「レオン?」
「……すみません。ちょっとだけ、静かにしてもらえますか」
目を閉じ、深く息を吸う。
耳に届くのは、ミリアの呼吸と、自分の鼓動。
それから——
……ぴちゃ。
(……水音?)
微かな音が、足元から聞こえた気がした。
そっと目を開ける。
「ミリア。足元、気をつけて」
「え、な——」
言い終わる前に、俺は木箱を蹴り飛ばした。
中から、何かぬるりとしたものが飛び出す。
「きゃっ!」
ミリアが一歩下がる。
飛び出した“それ”は、陽の光を反射して、ねばつくように光っていた。
「……スライム?」
半透明の体。
だが、普通のスライムと違うのは、その中心に、黒い核のようなものが脈打っていることだ。
そして、その上部には——小さな耳のような突起。
「ウサギスライム……? そんなの聞いたことないんだけど」
「ギ、ギギ……」
スライムの表面が震え、黒い核がぎらりと光る。
次の瞬間、ぴょん、と跳ねた。
「——来る!」
俺は反射的に前へ出た。
スライムが跳びかかってくる軌道に、剣を差し込む。
ぷち、と嫌な感触が伝わる。
透明な体が裂け、黒い核が剣に弾かれて飛び散った。
それを追うように、一歩踏み込む。
黒い核が壁にぶつかる前に、その上から剣の柄で叩きつけた。
ぱん、と乾いた音とともに、黒い核が砕ける。
体の方も、ずるずると崩れ、ただの粘液の塊になった。
「……一撃?」
ミリアが目を丸くする。
「普通のスライムって、そんなに簡単に核を叩き割れるもの?」
「村で見たやつは、もっと硬かったですね」
「やっぱり、街、怖いわ」
ミリアがため息をつく。
「でも、これくらいの相手なら、子どもが追いかけていっても……怪我で済んだのかな」
「逆に、それが厄介かもしれません」
「?」
「死体も残らないですし。
もし、これがリオ君の前にも出てきていたなら——」
リオは、それを追いかけてどこかへ行ってしまった。
そう考えるのが自然だった。
「この路地で、行き止まり。
でも、ここから“どこかに抜ける道”があるとしたら……」
俺は壁をもう一度見上げた。
少しだけ、石の色が違う場所がある。
「ミリア。そこ、光を当ててもらえますか」
「はいはい。——『スモール・ライト』」
光球が、壁の一点を照らす。
そこには、ごく小さな穴が開いていた。
子どもの拳より少し大きいくらい。
人間は通れないが、小さなスライムや獣ならぎりぎり通れるかもしれない。
「……地下か、隣の建物か」
「どっちにしても、子どもが無理やり通ろうとしたら、腕か頭を怪我するな」
周囲に血痕はない。
そう考えると、リオはこの穴からは行っていない可能性が高い。
「行き止まりっぽく見えて、実は違う道がある、ってことね。
“街の子どもの通り道”とか」
「となると——」
俺たちは広場に戻り、さらに聞き込みを続けた。
何人かの子どもから話を聞いた結果、「リオは広場から郊外の草地まではよく走っていく」という情報が出てきた。
「郊外……街の外?」
「正確には、外壁の外じゃなくて、壁のすぐ内側の空き地。
でも、門番からしたら、あんまり子どもを近づけたくない場所だね」
ミリアが口を尖らせる。
「とりあえず、そこまで足を伸ばしてみよう」
「はい」
広場から続く小径を抜け、街の外壁に近づいていく。
途中、何度か衛兵とすれ違ったが、「迷子を探してます」と言うと、特に止められることはなかった。
◇
空き地は、本当にただの空き地だった。
背の低い草が一面に生え、ところどころに石や壊れた樽が転がっている。
「子どもが走り回るには、ちょうどいい広さね」
ミリアが周囲を見回す。
俺は、足元に目を落とした。
(土の上なら、足跡が——)
すぐに見つかった。
小さな足跡が幾重にも重なっている。
その中に、一つだけ、新しくて、少し深いもの。
広場の方から続いてきて、空き地の中央付近で、ぴたりと止まっている。
「ミリア。この足跡、リオ君の可能性が高いです」
「だね。他のよりちょっと小さめだし。
で、問題は——」
ミリアも足跡を追っていく。
空き地の中央で止まった足跡の先には、何もない。
ただ、地面の色が、ほんの少しだけ黒ずんでいる。
「……これ」
しゃがみ込み、指で触れる。
土が、硬く固まっていた。
水をこぼした跡のようでもあり——
(昨日の黒い染みに触れた後の石畳と、感触が似ている)
「レオン」
「はい。嫌な感じがします」
胸の奥が、またひやりと冷たくなった。
「ここで、何かがリオ君を——」
「とりあえず、“ここで止まっている”って情報は、ギルドにも伝えないとね。
黒い染み絡みで、調査隊を出すかどうかはあっちの判断だけど」
ミリアが立ち上がる。
「でも、依頼としては、まだ終わってない」
「そうですね。リオ君を見つけるまでが、依頼ですから」
「時間もあんまりないし、一旦今日はここまでかな。
街の門番や衛兵にも、“昨日の夕方にここで子どもを見なかったか”聞いて回らないと」
俺たちは空き地を後にした。
◇
結局その日は、リオを見つけることはできなかった。
雑貨屋に状況を報告し、衛兵にも情報を共有し——日が暮れかけたころ、ギルドへ戻る。
「おかえりなさい。捜索依頼の件ですね」
リサが迎えてくれる。
俺たちは見つけた情報を簡単に説明した。
「黒く固まった地面……ですか」
「はい。昨日の黒い染みとも、少し似ている気がします」
リサは神妙な顔でメモを取り、それから小さくうなずいた。
「わかりました。この件も、調査班に回します。
……リオ君が早く見つかるといいんですけど」
「俺たちも、明日以降も時間を見て探してみます」
「ありがとうございます」
依頼票には、「本日の活動内容」として、聞き込みと現地調査が記入された。
報酬欄には、仮払い分としてごくわずかな金額。
ランクポイントの欄には——「0」と書かれていた。
「……まあ、途中で投げ出したわけじゃないしね。
“未完了依頼”はポイントが付かないのは仕方ない」
ミリアが苦笑する。
俺は、依頼票を見つめながら、ふと口を開いた。
「こういうのが続いたら、俺、本当にずっとFランクのままかもしれません」
「今ごろ気づいた?」
ミリアがじろりと睨む。
「だから言ったでしょ、“事件を呼ぶ体質”だって。
正式依頼の途中で、絶対こういうのにぶつかるタイプなんだってば」
「そんなタイプ、あるんですかね……」
「ある。断言する」
ミリアは、ふっとため息をついたあと、俺の方を指さした。
「——だから、決めた」
「何をです?」
「しばらくの間、あんたの“専属Eランク”やってあげる」
「はい?」
「そもそもEランクって、“新人の面倒を見る”って意味もあるの。
あんた一人で動かせてたら、絶対どこかで死ぬ。
だから、パーティ。仮でもいいから組む。いいね?」
一方的に決められている気がする。
けれど——
(正直、ありがたい)
街のこともギルドのことも、俺はまだよく知らない。
分かるのは、剣の振り方と、危ない気配の察知くらいだ。
「……お願いします。ミリア」
「よろしい」
ミリアは満足げにうなずいた。
「明日、ちゃんとギルドにパーティ申請出しとくから。
FランクとEランクの“ちぐはぐコンビ”が、街にひと組くらいいたっていいでしょ」
「ちぐはぐって……」
「だって、Fランクのくせに黒い変な魔物とケンカするんだから、十分ちぐはぐだよ」
言い返せない。
こうして——
Fランク冒険者レオン・アーディスは、
雑用をするはずだった初日の翌日に、
正式な雑用依頼すらまともに終わらせられないまま、事件の匂いを追いかけることになった。
Fランクがみんな弱いと思っている人たちが、この街にはたくさんいる。
俺自身も、まだ自分を“強い”とは思っていない。
けれど、そのうち嫌でも分かることになる。
——Fランクだからって、平穏に雑用だけしていられるわけじゃない、って。




