第27話 なくし物通りと黒い聞き込み②
◇
外に出ると、空気が少しひんやりしていた。
日陰に入ると、よりわかりやすい。
「今の店、どうだった?」
ミリアが俺を見上げる。
「中から出る匂いは、正直薄かったです。
でも、棚のところだけ、少しだけ」
鼻の奥を指で押さえながら答えた。
「古井戸の残り香ほどじゃないですけど……
“仕入れ物の匂いがまだ残ってる”って感じですね」
「指輪そのものが瘴気持ちなのか、“瘴気持ちの何か”がくっついたのか」
ロウが呟く。
「どっちにしても、“選んで盗られてる”ってのが気持ち悪いな」
「盗賊じゃなくて、“回収屋”みたいな感じですね」
カイが口を出した。
「“黒い何か付き”の商品だけを回収してるなら、
裏にもっと別の奴がいそう」
「その“別の奴”が厄介そうなのよねえ」
ミリアが苦笑する。
「とりあえず、次の店」
紙には、もう一軒、名前が書いてある。
——西側門に近い商人宿「白鳥亭」。
ここでも、貴族向けの荷物が一部消えたらしい。
◇
白鳥亭は、こじんまりとした宿だった。
外観は地味だが、看板の白鳥の絵だけは妙に存在感がある。
中に入ると、カウンターの奥で女将らしき中年女性が布巾を動かしていた。
「すみません。
冒険者ギルドから、“盗難騒ぎの聞き取り”に来ました」
ミリアが依頼書を見せると、女将は「ああ」と眉をひそめた。
「また、あの話……」
「何人か、もう?」
「商人組合の人と、衛兵と、貴族様付きの偉そうなのと……
正直、あまり気分のいい話じゃないけどね」
女将はため息をついた。
「でも、あたしゃ別に隠すことなんてないよ。
盗られたのは、あの部屋に預かってた箱さ」
指さされたのは、二階の端の部屋。
「貴族様がお連れの荷物をうちに預けて、
“明日受け取りに来る”って言ってたのさ。
鍵も二重にかけて、おまけに見張りも付けてた」
「それが、消えた?」
「そう。
見張りは、“何も見てない”“誰も通ってない”って言い張ってる。
鍵も壊れてない。
なのに、中身だけきれいになくなってた」
「中身は、何だったんです?」
「知らないよ。
“開けるな”って言われてたからね」
女将は首を振る。
「あとで聞いた話だと、やっぱり“何かの魔道具”だったらしいけど」
「見張りの人に、お話を聞いてもいいですか?」
「いいとも」
女将が呼びに行き、しばらくして、若い男が部屋から出てきた。
「昨夜、部屋の前に立ってた見習いでさ。
悪いことしてないのは、私が保証するよ」
「すみません、少しだけ」
ノーラが記録板を構え、男に尋ねる。
「昨夜、怪しい人影は見ませんでしたか?」
「……見たら、こんな顔してません」
男はひきつった笑いを浮かべた。
「マジで、誰も通ってないんです。
廊下はここからここまで見えてましたし」
「音は?」
「なかったです。
物が倒れる音も、鍵が回る音も」
「じゃあ——何か、おかしいと思った瞬間は?」
俺が口を挟むと、男は少し考えてから、ぽつりと言った。
「一回だけ。
廊下の影が、ちょっとだけ揺れた気がしました」
「影?」
「部屋の前の壁に、窓からの光が当たってたんですけど……
その影が、犬の頭みたいな形になって、すぐ戻った感じで」
喉が、ひゅっと鳴った。
「犬の形」
「ええ。
でも、廊下には何もいなくて。
俺、寝ぼけてたのかと思ったんですけど……
その朝、荷物が消えてたんで」
「誰にも、その話を?」
「衛兵には話しましたけど、“寝ぼけだろ”って笑われました」
男は肩をすくめた。
「影しか見てないですしね」
「影でも、十分です」
ミリアが静かに言った。
「影だけ見えたって話、何度も聞いてますから」
俺も、記録板を取り出す。
影が揺れたという壁の場所に、そっと押し当てた。
指先に、かすかな冷たさ。
(……いる)
ほんの少しだけ。
古井戸の残り香より弱く、指輪の箱と同じくらい。
「どう?」
「“通り道”っぽいですね。
ここをかすめた、って感じです」
黒い犬が本体だったのか、その抜け殻みたいなものだったのかはわからない。
でも、「黒い何か付きの荷物」が消えた場所のそばには、やっぱりそれがいた。
◇
宿を出ると、日差しが少し傾き始めていた。
「これで、二件」
ミリアが記録板を見ながら言う。
「狙われたのは、“古い魔道具っぽい何か”と、“中身不明の貴族預かりの箱”」
「どっちにも、“黒い何か”の匂いが少し」
ロウが補足する。
「盗まれた“理由”を先に考えるべきだな」
「“高く売れるから”ってだけじゃなさそうですね」
カイが腕を組む。
「どっちかというと、“黒い何かが付いてる物を選んで集めてる”ように見える」
「集めて、どうするのかしらね」
ミリアが空を見上げた。
「その辺を推理するのは、上の人たちの役目。
私たちは、“そう見える証拠”を揃えるところまで」
「ですね」
線のこちら側で、足を止める。
それが、今の自分の仕事だ。
「で、帰る前に——」
ミリアが紙を指で弾いた。
「もう一箇所、寄れるわよ。
“昨日行ったユークリッド家の隣の通り”」
「“なくなってはいないけど、変な噂がある”って場所ですね」
「そう。
盗まれていない場所の話も、集める価値はある」
◇
昨日も通った、ユークリッド家の門の近く。
大きな屋敷へ続く通りの一本裏には、小さな路地があった。
使用人や配達人が主に使う裏道だ。
その一角に、洗濯物が干されている小さな中庭がある。
宿舎か、使用人用の住まいだろう。
「すみませーん」
ミリアが声をかけると、洗濯物を取り込んでいた若いメイドが顔を上げた。
「はい?」
「冒険者ギルドから、“貴族街の盗難騒ぎの聞き取り”に来ました」
依頼書を見せると、メイドは少しおびえたような顔をした。
「えっと……
私が、何か知っているかどうかは……」
「“知らない”というのも、大事な情報ですから」
ノーラが柔らかく言う。
「もし、“変だと思ったこと”があれば、それも」
「……じゃあ」
メイドは、周りを確認してから、小声になった。
「盗まれたわけじゃないんですけど……
夜、裏庭の方に、“黒い犬”がいて」
心臓が一回、強く打った。
「黒い犬?」
「はい。
毛も目もよく見えないくらい、真っ黒で……
でも、尻尾だけ、ゆっくり振ってて」
その様子は、どこかで聞いた話とそっくりだった。
「近づいたら?」
「怖かったので、窓から見ているだけでした。
でも、犬はこっちを見て、それから——」
メイドは、わずかに震えた指で、道の先を指さした。
「こっちの通りの、角の影に消えていきました。
ちょうど、盗まれたって噂のある屋敷の方です」
「騎士団や旦那様には?」
「言っていません」
メイドは、ぎゅっと洗濯物を握りしめた。
「“黒い犬を見た”なんて言ったら、
“変な噂をするな”って怒られそうで……」
「……うん、それはありそうですね」
ミリアが苦い顔をする。
「だからこそ、ギルドが“聞き取り補助”をやってるんですよ。
そういう話を、拾って回るために」
記録板に、線が一本増えた。
古井戸のときと同じように、黒い犬は“子どもの側”や“下働きの側”に姿を見せる。
貴族本人ではなく、使用人の目線の高さで。
貴族街の盗賊と、黒い犬と、黒い小物。
全部が一本の線で繋がるには、まだ情報が足りない。
でも——
「そろそろ、一回ギルドに戻ってまとめた方がよさそうね」
ミリアが記録板を叩いた。
「聞き取りは、ここまでにしておきましょう」
「はい」
◇
ギルドに戻り、リサの前で記録板をひろげる。
「おかえりなさい。
どうでしたか?」
「盗まれた物の共通点は、“古い魔道具っぽい小物”“正体不明の預かり箱”。
それと、“黒い犬か影の目撃情報が近くにあること”です」
ミリアがざっとまとめ、俺たちは一件目の細工店と二件目の宿、
そして裏路地でのメイドの話を順に説明した。
「黒い犬が、貴族街の裏道にも」
リサの表情が少しだけ引き締まる。
「情報としては、“古井戸のとき”よりもさらに人為的な匂いがしますね。
盗賊なのか、回収屋なのかは分かりませんけど」
「どっちにしても、“黒い何か付きの品”だけが選ばれている可能性が高いです」
ロウが言う。
「拾ってきた残り香だけでも、調査班が喜びそうですね」
「“喜びそう”という表現で合っているのかどうかは、さておき……」
リサが小さく笑った。
「報酬の方は、正式依頼分としてちゃんと出ます。
それから、観察依頼の報告数にも加算しておきますね」
板に刻まれた数字が、ひとつ増えた。
「“盗賊の正体”までは、まだ当分Fランクの範囲外です。
でも、“何が狙われているか”が見えてきたのは大きな前進ですよ」
「上の人たちが、ちゃんとその前進を見てくれていればいいんですが」
ミリアが小さく肩をすくめる。
「見ようとしている人は、ちゃんといますよ」
リサが、意味ありげに奥の方を見た。
視線の先には、副ギルド長エドガーと、調査班のシルヴァの姿が一瞬見えた気がした。
貴族街の盗賊騒ぎは、まだ顔を見せていない。
黒い犬も、“通り道”をちらつかせるだけだ。
それでも、Fランクの足元から見える線は、確実に増えている——
そんな気がした。




