第24話 貴族街って、どんなところですか①
今日から第二章です。よろしくお願いします。
古井戸封鎖作戦から、数日が経った。
街は、見た目だけならすっかりいつも通りだ。
結界杭も片づけられ、古井戸の周りには「立入禁止」の札がひとつ残っているだけ。
ギルドの掲示板には、新しい紙が貼られていた。
【お知らせ】
・東区古井戸周辺への立ち入りは禁止とします
・黒い犬などの噂を聞いた場合は、必ずギルドへご報告ください
その下で、Fランクの子どもたちが、今日もわいわい騒いでいた。
「古井戸の底にでっかい犬が住んでてさー!」
「アメリアさんが槍でぶっ刺したら、“きゃん”って鳴いて消えたんだって!」
「それ、誰情報?」
話に混ざっていたジンの襟首を、ミリアが後ろからつまんだ。
「Eランクのお兄ちゃんが言ってた!」
「そのEランクのお兄ちゃんは、井戸の中に入ってないでしょ」
「……たしかに!」
ある意味、筋は通っている。
噂というのは、大体そんなもんだ。
「レオン兄ちゃんは見たでしょ? 犬!」
別の子が目を輝かせて振り向いてくる。
「黒い犬は、井戸の上と訓練場と、路地のあちこちで見ましたけど……
“でっかいのを槍で刺した”ところは見てません」
「えー!」
「でも、きっとアメリアさんがなんとかしてくれたんでしょ?」
「それは、たぶん本当だな」
あの人が「なんとかした」と言えば、大体なんとかしている。
たぶん。
「はいはい、黒い犬窓口はここまで」
ミリアが手を叩く。
「レオン、そろそろちゃんと今日の依頼を決めるわよ」
「そうですね」
受付へ向かうと、リサがいつもの笑顔で迎えてくれた。
「おはようございます、レオンさん、ミリアちゃん」
「おはようございます。
古井戸の方は、落ち着いてきましたか?」
「はい。瘴気の濃度もかなり下がっているようです。
ただ……」
リサは、少しだけ声を落とした。
「代わりに、別の噂が増えてきまして」
「別の?」
「貴族街の方で、盗難が相次いでいるそうなんです。
まだ正式なギルド依頼にはなっていませんけれど」
貴族街。
地図では何度も見たことがある区画だが、Fランクとして足を踏み入れたことはない場所だ。
「どんな盗難なんです?」
ミリアが訊ねる。
「詳しい話はまだ、ギルドにも全部は届いていません。
ただ、“普通の金品よりも、妙な魔道具や装飾品ばかり狙われている”とか……」
妙な魔道具。
頭の片隅で、嫌な組み合わせの言葉が浮かんだ。
(瘴気付きのアイテム、ってことは……ないですよね)
古井戸の封印が強くなった分、別のところから変なのを持ってきてる、なんて考えたくはない。
「今のところ、Fランクに回っているのは“ついでの依頼”だけです。
ほら、こちら」
リサが抜き出した紙は、たしかに一見ただの雑用に見えた。
——【貴族街への荷馬車護衛】——
依頼主:トラヴィス商業組合 南支部
内容:貴族区向けの日用品納品に同行し、荷物の積み下ろし補助および荷台周辺の見張りを行う
条件:Fランク以上(複数人推奨)
———————————————
「貴族街への荷物運び自体は、以前からある依頼なんですけど……
ここ最近、“途中で荷台を狙われる”ことが増えて、護衛を付けるようになったそうです」
「なるほど、“盗賊騒ぎ”ってそういうことか」
ミリアが依頼票を指でとんとん叩く。
「護衛っていっても、Fランクが前衛するわけじゃなくて、
“荷台の見張りと、逃げるときの手伝い”くらいだと思うけどね」
「それなら、俺たちでも……」
荷物運びと、荷物の見張り。
黒い何かの匂いを嗅ぎに行く、とは口では言わないが、自然と興味が湧いた。
「受けましょう。
メンバーはいつもの五人で」
「了解」
リサはにこりと笑い、依頼票に受注印を押す。
「出発は一刻後、南門前の荷車置き場集合だそうです。
“貴族街に入る時の注意”は、そのときに商人の方から説明がありますので」
「貴族街の注意……」
ミリアが横目でこちらを見る。
「レオン、ちゃんと敬語使える?」
「……頑張ります」
村では、相手が誰であれ、そこまで言葉遣いを変えたことがない。
大丈夫だろうか。
◇
南門前の荷車置き場には、すでに大きな荷馬車が二台、待機していた。
荷台には、布で覆われた箱や樽がずらりと並んでいる。
その横で、小柄な商人がせわしなく行き来していた。
「おー、お前らが今回の護衛か」
商人が、俺たちを見て顔をほころばせる。
「南支部所属の商人、バルニスだ。
よろしく頼むよ、Fランク諸君」
「よろしくお願いします」
「内容は聞いてると思うが、一応もう一度説明するぞ」
バルニスは荷台を叩きながら続けた。
「貴族街へ日用品と食料の納品だ。
護衛といっても、道中で賊とやり合えとは言わん。
“怪しいやつが近づいてきたら教えろ”“荷台から離れるな”“逃げるときは荷物より自分を優先しろ”——これだけだ」
「ずいぶん良心的ですね」
カイが感心したように言う。
「当たり前だろ。
安い護衛雇って荷物だけ守って、人が死んだら商売にならん」
バルニスはあっけらかんとしていた。
「ちなみに、最近狙われるのは“こっち側の荷”だ」
そう言って、荷台の中央辺りを指す。
「生活用品でも食べ物でもなく、貴族様向けの“ちょっと変わった品”がいくつか乗っててな。
そいつらだけ、やたら目を付けられてる」
「変わった品?」
「お守りだの、装飾品だの、“呪いを祓う石”だの、“悪夢を見ない枕”だの……
貴族様の道楽みたいなもんさ」
ロウがちらりと俺を見る。
(呪いを祓う石、悪夢を見ない枕……)
嫌な連想が頭をよぎった。
「まあ、中身はあまり気にしなくていい。
気にすると、ろくなことがない」
バルニスは肩をすくめる。
「貴族街に入ったら、勝手に屋敷から離れるなよ。
迷子になると面倒だからな」
「はーい」
ミリアが軽く手を挙げた。
「じゃ、出発だ!」
◇
南門を抜け、しばらく石畳の道を進むと、街の雰囲気が少しずつ変わっていくのがわかった。
前よりも道が広く、建物が高くなる。
門ごとに衛兵が立っていて、通る人たちも服の質が違う。
やがて、目の前に一段と大きな門が現れた。
「ここから先が貴族街だ」
バルニスが手綱を引き、馬を止める。
門の前には、鎧姿の衛兵が二人。
そのうちの一人が、書類を手に近づいてきた。
「商業組合南支部、バルニス殿だな?」
「毎度」
バルニスが書類を渡すと、衛兵は慣れた様子で目を通す。
「後ろの者たちは?」
「護衛のFランクどもだ。
荷台からは離れさせんよ」
「……ならいい」
衛兵は俺たちを一瞥した。
明らかに「低ランク」とわかった目だ。
「門の中では、騒ぎを起こすな。
貴族屋敷の前で大声を出したら、こちらの首が飛ぶ」
「気をつけます」
ミリアがさらりと敬語で返す。
俺も真似して、小さく頭を下げた。
◇
貴族街の中は、噂通りきれいだった。
道にはゴミひとつ落ちておらず、家々の壁は白く塗られている。
窓には花が飾られ、庭には手入れの行き届いた木々。
「……なんか、同じ街とは思えませんね」
思わず本音が漏れた。
「税金の使い方の差ね」
ミリアがぼそっと呟く。
「こっち側は“見せるための街”、向こう側は“生きるための街”。
両方見といた方がいいわよ」
バルニスの荷馬車が止まったのは、緑の高い塀に囲まれた中規模の屋敷の前だった。
門の横には、紋章付きのプレート。
金の糸で刺繍された旗が、風に揺れている。
「ここが、今回の納品先だ」
バルニスが馬車から降りる。
「ユークリッド伯爵家のお屋敷だよ。
あんまり気負わなくていい。
ここの当主は、まだ話が通じる方だからな」
「“まだ”って言い方が気になりますけど」
カイが小声で突っ込む。
「もっとひどいのもいるってことさ」
バルニスが門番に声をかけ、門が開く。
俺たちも荷台の脇に立って、中へ入った。




